スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

幸福へ向かう選択《挑戦と勇気のお話》

こんにちは。

今勤めている会社の規定が変わって副業が解禁になりました。

春の陽気に誘われて、この度色々な副業に誘われているはるらっしゅです。

 

新しい事に挑戦するのは楽しいですが、どの副業も本業との兼ね合いで、どう調整しても7連勤状態。

春の陽気に誘われてと言うより、死神の妖気に惑わされて、が正解な気がします。

このままじゃ私、絶対に過労で死にます。

そもそも自分の時間が取れないのは嫌だし、何よりこのブログを書く時間が無くなるのが我慢なりません。(なんで副業しようと思った。)

 

ということで、無理なく続けられるものを見極めようと思っています。

断わる勇気も大事よね。

 

今回のテーマは【挑戦と勇気】です。

私の挑戦、私の身近な人の挑戦をざれ言チックに語ってみたいと思います。

 

 

美しさを金で買う美学

ある休日の昼下がり。

友人A子とカフェで待ち合わせをしている私は、コーヒーのおかわりを少し苛立ちながら注文し、入り口のドアを見つめていた。

苛立つ原因は、A子の遅刻だ。

A子の予定が後ろ倒しになっているせいで、当初の待ち合わせ時間から既に40分が経過していたのだ。

「さすがに遅すぎる」とLINEを開こうとした時、「ごめん!」と聞きなれた声がして顔をあげた。

すると、目の前には知らない綺麗な女性。

目が点になる私と、首を傾げる目の前の美人。

少しの沈黙が流れた後、「待たせてごめんね、はるらっしゅ」と目の前の美人が口を開き、同時にこぼれ落ちるくらいに目を見開く私。

「・・え!?」あまりのことに怒りを忘れ、ただ食い入るようにA子を見つめた。

 

A子は先月に整形したことや術後の辛さ、今日もクリニックの予後診察に行って経過が順調だったこと(混んでて遅れたらしい)等を語りながら、「最近やっと痛みが落ち着いたの」と笑い、アイスコーヒーに刺さったストローをくるくると回した。

施術箇所は目と鼻と顎。パグ系だった顔は、今では宮脇咲良似の超絶綺麗系だ。

人はここまで変わるものかと、黙って見つめる私に「ケーキ食べたくない?」とコロコロと笑いながら言うA子。

心ここに在らず状態な私は「うん」と間の抜けた返事をし、A子が差し出したメニューに目を向けた。

 

半年前に最後に会ったA子は、自分に自信のない、ごく普通の女の子だった。

大学時代は同じ学部に通っていたが、男性が苦手でいつも伏目がち、人の後ろに隠れるタイプの控えめで優しい女の子だった。

それが今では堂々としている。多分、私より。

整形は日本では未だに悪とされているけど、彼女を見ていると思う。

皆美しくなりたくて化粧品を買う。美しくなりたくて、歯科矯正をする。

美しくなりたくて美容室に行くし、ネイルアートだって、服やピアスだって買う。

私達の永遠のヒーロー【アンパンマン】ですら、顔が汚れたら挿げ替える。

 

お金で美しさを買って何が悪い。

男性の店員さんの目をしっかり見て、追加でケーキを注文しているA子を見つめながら、そんな事を考えた午後2時半過ぎのお話。

 

ライバーデビューのはるらっしゅ

ある日、InstagramにあるDMが届いた。

「ライバーになりませんか?」

以前からこの手のスカウトメールはたくさん届いていたが全て削除していた。

しかし、その日の私は、仕事でかなりしんどい事があって病んでいた。

仕事から逃げ出したくて、そのための手段は何でも良くて、逃げるように返信をした。

その後、打ち合わせをしてライバーデビューに向けて話が進む中で、2つの違和感が頭の片隅にずっと居座っていた。

 

1つ目の違和感は、稼ぎ方だ。

ライバーという仕事は、フォロワーにいかに有料アイテムを投げてもらえるか(これを投げ銭と言う)で稼ぎが決まる。

なので、画面の中のライバー達は一日に何時間も動画配信をしながら、ただひたすらに「アイテム投げて!」「ありがとう!」「ナイス~!」を繰り返す、本当に不毛な会話を永遠と続けている。

 

これを観た時、私は思った。「これは、ネット乞食だ」と。

画面の向こう側にいる大勢の人々を目の前にして籠を持ち、「アイテム(お金)をください」と大声で騒ぎ立ててるようにしか、私には見えなかった。

 

確かにライバーは見た目が可愛かったり、色気があったりする人が多い。

彼女たちの姿は見るだけでも有料、お金をかけてもらって当然という考え方もある。

確かにそうだ。だって、やってることはキャバクラとほぼ同じだし、フォロワーという名のお客様たちは、ライバーの可愛い笑顔を見て癒されるために配信枠に来ているのだから。

それでも私は、画面の向こう側の人たちが、ただ私に「ありがとう」と言ってもらうためだけに、1つ50万円もするアイテムを投げ込む世界が、無性に気持ち悪く感じた。

※これがライバーという職業の稼ぎ方なので、これが悪ということではありません。私がこの職業に向いていなかったというだけの話なので、ライバー全てを否定するつもりは毛頭ございません。

 

違和感の2つ目は、労働時間だ。

ライブ配信アプリは、集客のために長時間のライブ配信を推奨している。

しかも配信は毎日することが基本で、一日休むだけでランクが下がり、時給が減る。

そのために週に2枚の「おやすみチケット(通称おやチケ/これを使うと1日お休みしてもランクが下がらない)」が配布されるが、とはいえ、週2日しか休めない。

もはや働き方が、有給が取れないブラック企業に勤める、週5勤務のサラリーマンと同じ。

私の場合は、平日5日間は本業をしながらのライブ配信なので、タイムスケジュールはこんな感じ。

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《平日》9-18時ː本業 20-24時ːライブ配信

《休日》①11-14時②18-21時③23時-翌1時ːライブ配信 

※実際に事務所から提示された配信時間

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これは一体、どこでご飯を食べて、どこでお風呂に入るの…?(さすがに死ぬ)

ということで、これでは仕事に忙殺されて、Instagramスナックおはるも、ささいな知性も全て出来なくなる。

私の大好きな本すら、読めなくなる。

全細胞が「そんなの嫌だ!」と大絶叫しました。

どうしたら良いのか分からず若干鬱になり、そんなこんなで体調が崩れ、周りからは「まじでお前には向いてないから、いい加減諦めろ。辞めとけ。」と説得される始末。

 

巷では「すきま時間で稼げる!」と副業として宣伝されているライバーだが、こんなに自分の時間を犠牲にしていれば、そりゃ稼げるわな。

事務所と会社の人事が話し合いをしながら副業に関して諸々を調整していたというのに、結局はお断りの運びとなり、はるらっしゅの短いライバー生活は幕を閉じたのでした。(まだ始まってもないし、周りにめっちゃ迷惑かけた。)

 

挑戦する勇気と辞める勇気

何事もバランスが大事だと思うのです。

それは物事に挑戦する時も然り。

 

以前に書いた《焦りのお話》にも重なりますが、

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思います。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

人という生き物は、知能があるが故にとても難しい生き物で、常に何かしらの目標やある種の理想を追いかけないと堕落するし、一方で頑張りすぎると崩れる。

充実しているというのは、挑戦と辞めるをバランス良く維持出来ている状態を指すのです。

 

私は仕事が辛いと相談してくる会社の後輩に、必ずこの話をします。

私達が入ったこの会社では、新卒時代に果敢にチャレンジすることは教えてくれるけど、辞める勇気は教えてくれない。

でも優秀で良い人ほど、何の未練もなく、うちを辞めていくでしょう?

それは、自分にとってしたい事、したくない事を上手に整理してバランスを維持しているからだし、そういう選択が、充実した人生に導いてくれると知っているから。

私がこの会社で働いているのは、この会社の今の職種に勤めていることで、人に影響を与えられる社会的ステータスと、好きな事が出来る自由な時間を与えてくれるため。

愛社精神なんて、微塵もないのよ。

この会社が自分にとって何も利益を与えてくれないのなら、さっさと辞めなさい。

 

大抵は引き留めて欲しくて相談してくる後輩たちです。

「さっさと辞めろ」と言われて皆目が点になりますし、多分会社の人事が聞いたら、「いや引き留めろよ」と怒りそう内容ですが、結局はこういうことなのです。

 

自分を幸せにできる人間ほど、挑戦と辞め時がよく分かっている。

そして、挑戦すべき困難と、避けるべき困難も分かっている。

 

私がライバーになっていたら、今頃トップライバーになってCMに出ていたかもしれない。

ええ、私もそう思います。(どや)

周りからは「勿体なかったかもね」と言われましたが、私はこれで良いのです。

私自身が「これで良かった」と躊躇いなく言えれば、それがきっと幸福へ向かう選択なのです。

 

私にとって大事なのは、トップライバーになって年収何千万の世界に行くことじゃない。

自分の好きな物書きを存分に出来る、生活的余裕を確保すること。

そして、物書きでささいなランチ代を稼げるようになること。

ただ、それだけなのです。

 

人は一日に約35,000回の選択をしています。

私の今回の選択が、どうか私の幸せに繋がっていきますように。

この記事を読んでくださった皆様が、自分が幸せになるための選択をして、充実した一日、ひいては充実した人生を歩めますように。

そして、整形という選択で強くなった私の友人のA子が、より良い幸せな人生を歩めますように。

温かいコーヒーを啜りながらこの記事を書き、そしてそんな事を願う、今日この頃です。

 

《追伸》

短いライバー生活でしたが(デビューすらしてない)、プロフィールはがっつり作りこみました。

職場の先輩に見せたところ「盛りすぎwwww」とばかウケだったプロフィール写真を皆様にもおすそ分け。

最近の加工アプリって、すごいよね。

本物との差異は、ぜひInstagramでご確認ください。

※結局、この写真は【ささいな知性】のスタエフのアカウント写真になりました。

 

 

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とある春の日のお引越し《一人暮らしのお話》

今週のお題「わたしの部屋」

 

こんにちは。

最近一気に春めいて、既に汗をかきながら通勤しているはるらっしゅです。

 

春は新生活を始める方が多い季節です。

通勤電車でもリクルートスーツを着ている新入社員を多々見かけるようになりました。

そんな彼らを目を細めながら眺めていると、私の新入社員時代を思い出します。

当時、綺麗なコートを羽織って、スターバックスのコーヒーを片手に優雅に出社。

そんな会社員生活に憧れ、そして、実現させました。最初の1年だけ。

 

私は壊滅的に朝が弱いですし、睡眠時間が人より長めです。

学生時代の予定のない休日は、夜10時から夕方の5時までの計19時間眠り続け、親が「いよいよ娘が死んだか」と心配して起こしに来ると、私自身もその時計の指す5時が朝方なのか夕方なのか分からず、ベッドの上でフリーズしている、なんてことがしょっちゅうありました。

 

社会人になったからって、突然体質が変わることはございません。

2年目以降はいつも通りに起きられず、遅刻ギリギリで会社に滑り込む私。

優雅の欠片もないどころか、走り過ぎていつも汗だくです。(走るフォームがオリンピックのピクトグラムのそれ。)

「毎朝遅刻ギリギリで出社しているせいで汗をかいているのだろう」と言われればそれまでなのですが、このご時世なので、あまりに汗をかいているとコロナじゃないかと疑いの目で見られがちです。

特に電車の中での疑いの目が凄い。

違います皆さん、私は具合が悪いんじゃなくて、汗っかきなのです。

幼稚園時代はお昼寝中に汗をかきすぎて、おねしょをしたのかと先生に疑われる。

学生時代は教室で一人汗をかき、具合が悪いのかと先生に疑われる。

社会人の今では、汗脇パッドをバッグに常備。

4月の段階でこれでは、今年の夏はどうなるのか不安しかありません。

 

さて、こんな調子なので少しでも長く睡眠時間を確保するべく、私は入社4年目の春、会社の近くに引っ越して一人暮らしを始めました。

今回のテーマは【わたしの部屋】。

当時の記憶を振り返るとともに、一人暮らしをしてみて学んだことをざれ言チックに語ってみたいと思います。

 

 

一人暮らしを始めたきっかけ

忘れもしません。4年前の3月上旬、朝起きた私は突如こう思いました。

「そうだ、一人暮らしをしよう。」

 

私は思い立つとすぐに行動に移ります。

以前にもこんなことがありました。

とある日の朝、目覚めた私は突如こう思いました。「そうだ、車を買おう。」

思い立ったが吉日。

急ぎ身支度を整え「ちょっと出かけてくる~」と家を出て、そのまま100万円の軽自動車を一括購入する私。

夕方家に戻り「私今日車買ってきて、今週末に納車だよ」と平然と言い放ち、親が腰を抜かしたという逸話がございます。

その際、父に「頼むから、そういう大きい買い物は一旦誰かに相談してから決めなさい」と懇々と諭され、母には「この子の将来が不安過ぎる」と泣かれました。

 

当時は「母を泣かせてしまった」と反省しましたが、月日が流れると人は忘れます。

今回もそんな反省はどこえやら、次の瞬間には不動産屋を営む友人に連絡し、次の日に内覧の予約を取りました。(この時点で親への相談を忘れている)

思い立ったが吉日。

次の日、身支度を整え「ちょっと出かけてくる~」と家を出て、その日のうちに物件を決める私。

その夜、足取り軽く賃貸契約書を抱えて家に戻り、ほろ酔いで上機嫌に晩酌している父に「ここに判子押して」と書類を差し出します。

「おー?」父が書類をのぞき込みます。

すると、先ほどまでの幸せそうな顔が一変。「え、賃貸契約書!?」

 

一人暮らしに関する話し合いは今までしたことがありませんでしたが、反対されることは分かっていました。理由は2つ。

まず1つ目は、近所に住む女の子たちは全員実家から通勤していたこと。

私の実家はお坊ちゃまやお嬢様が多く住む住宅地だったため、一人暮らしをさせる親というのは、少し珍しいようでした。

そして2つ目は、母の家も父の家も、結婚するまでは実家で生活するのが当たり前の家庭で育っていたこと。

だから当然のように、私も妹もずっと実家で生活していたのです。

ましてや父は、とにかく私が大好き。

簡単に手放すわけはありませんでした。

 

父「どうして家を出たいんだ」

私「会社の近くに住みたいんだもん。だって通勤時間が片道1時間半ってさすがにやばくない!?新幹線で言うところの仙台-東京間だよ!?」

父「だめだ、一人暮らしなんて危なすぎる。何かあった時助けてやれないだろう。」

私「いや、ゆーて住むところ実家まで車で30分で来れる距離だよ。大丈夫だってば。」

母「・・・(ティッシュで涙を押さえながら、私の渡した賃貸契約書と物件資料を見つめている)」

結局3時間の話し合いの末、「一人暮らしさせてくれなきゃ、毎晩寝室の前で銅鑼を鳴らしてやる」と喚きだす私の頑固さに両親が折れ、半強制的に賃貸契約書に判を押させることに成功。

 

そこからは一気に家具家電を買い集める日々でした。

最初は嫌そうだった両親も、一緒に家具家電を買い求めているうちに、自分の買い物をしている錯覚に陥ったのか、私より乗り気で高級家具を選びだします。

金に糸目を付けずに欲しい物を買い集めたので、家具家電だけで、総額150万円超えの買い物。

今ではちょっと考えられない金銭感覚。

当時の自分を「ばかやろう!一人暮らしのソファーで30万円使う馬鹿がどこにいる」と引きずり回したくなります。(私の家は一人暮らしなのに、L字ソファー完備。)

家電屋さんに行った時など、値札を見ずに買い物している姿を見て、店長が何を勘違したのか「大変失礼しました!ささ、こちらへ」と店舗に設置されているソファーにご案内。

そこからは店員がどんどん品物を持ってくるので、気に入ったものを指をさして買うという、まさにVIP待遇でした。

どこぞの財閥令嬢よ。

 

そして3月の下旬、私は新居に無事入居し、晴れて一人暮らしを始めたのです。

一人暮らしを決めてから入居まで約3週間の出来事でした。

 

一人暮らしをしてみて変わったこと

1,精神的な余裕が生まれた

一人暮らしを始めると、全てを自分一人で解決しなければならなくなりますが、一方で自分の生活リズムが確立されます。

実家で生活していた頃は家族と一緒に住むので、そこには当然家族のルールが存在します。

しかし、一人暮らしにはそれがありません。

家の中では私が法律なのです。

自分が好きな時にお風呂に入っても、誰も文句は言いません。

夜中にご飯を食べたって、大きな音でYouTubeを流したって良いのです。

もう、至福の一言に尽きます。

2,両親との関係が良くなった

一人暮らしを始めるまで、お風呂から上がるとバスタオルが畳まれて置いてあることが当たり前だと思っていました。(恥)

離れてみて、初めてわかる親のありがたみ。

いざ自分で家事をこなすとなると、予想以上に大変です。

仕事が終わって帰ってきてから料理を作るなど、もはや鉄人の域。母は凄い。

普段当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったと分かって親に感謝できるようになり、私の場合は、家を出てから一気に両親と仲良くなりました。

今や父とは月に一回、定例会と称して外でお酒を飲む仲になり、母とは毎日だらだらとLINEをする仲。もはや年の離れた友達です。

家を出たからこそ、程良い距離感と遠慮が生まれて、良好な関係が築けるようになったのだと思います。

3,お金の管理に強くなった

私は社会人になってから、毎年100万円ずつ貯金すると決めています。

実家に住んでいれば何もせずとも簡単に貯められる額ですが、一人暮らしをしながらの100万円貯金は結構きつい。

暮らしというものは意外とお金がかかるものです。

実家暮らしの際は、頭では分かっていても、実際にどれくらい費用がかかるかまでは分かりません。

私自身、一人暮らしを始めてから初めて家計簿をつけるようになりましたし、100万円を貯金するために、節約意識も芽生えました。

よく結婚前に一人暮らしはしておくべきだと言われますが、これは家事能力をつけることは勿論ですが、同時にこういった金銭感覚を養うという意味も込められているような気がします。

最後に

先日、実家暮らしの友人が「実家暮らしは恋愛で敬遠される」と言っていました。

その時は「そんなことないよ」と返しましたが、内心は「だろうな」と思います。

 

例えば、家族の介護や持病、経済的理由があって実家から離れることが出来ない場合は別です。

しかし、経済的に自立していて親御さんも健在なのに「家事をやってくれて楽」とか「お金を貯めたいから」「家を出る理由がないから」といった理由でいつまでも親に寄生している大人は、正直申し上げて幼いおじさん、幼いおばさんだと思います。

そんな自己中心的な考えの自立できない人が、逆になぜ魅力的に見えると思うのでしょうか。

私自身、一人暮らしを経験してみてメリットはあれど、デメリットは一切ありませんでした。

これを読んでいる方で、もし一人暮らしを検討されている方がいれば、声を大にして言いたい。

環境が許すのであれば、ぜひ一度一人暮らしをしてみてください。世界が一変します。

 

一人暮らしをはじめてから、両親の老化に気づくようになりました。

両親はいつか死ぬ。そう考えると居ても立っても居られなくて、少しでも時間が出来れば実家に帰るようにしているため、今では月に1回のペースで帰省しています。

皮肉な事に、実家にいた頃より両親との会話が増え、そしてその時間を大事にするようになりました。

私が家を出た後、「なんでお姉ちゃんが良くて私はだめなのよ!」と、私の後を追うように、すぐに一人暮らしを始めた妹。

近所の私の独身同級生たちはほとんどが実家に住んでいるそうで、帰るたびに両親から「子どもがみんな家を出てるの、うちだけっぽいんだが。うちの娘たち、自立心が謎に強すぎる。」と寂しそうに言われます。

でも、子どもが全員定職に就き自立して生活出来たのは、両親の出来た教育の賜物。

手前味噌ですが、うちの親は偉大だとつくづく感じる、今日この頃です。

 

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俊夫君と仲良くなれない《トラウマのお話》

こんにちは。

会社から健康診断のお知らせが届いて、ダイエットを始めたはるらっしゅです。

先日オフィスで先輩に「あれ、はるらっしゅ・・(目線が私の下っ腹)」と暗に太ったとディスられたので、手に持っていたチョコドーナツをゴミ箱に投げ入れ、その瞬間からダイエットを始めることにしました。

何を隠そう私、禁煙してからトータル7㎏太っており、痩せてた頃のタイトスカートを履くとパンツラインが浮き出る始末。

とりあえず、一食あたりの米を2合から1合に減らそうと思います。

嘘です。夜はサラダだけにして、毎晩走ります。

 

さて、今回のテーマは【トラウマ】です。

人間生きていれば、誰しもトラウマがありますが、その程度とジャンルは様々です。

しかも皮肉なことに、トラウマは酷ければ酷いほど(人の死が関わる等のナーバスな内容は除く)、うまい酒の肴になるものです。

今回は私のトラウマをざれごとチックに語りながら、その克服法について考えてみたいと思います。

ちょっと長めですが、どうぞお付き合いいただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅトラウマ傑作選

1,深夜に徘徊する巨大蜘蛛

ハリーポッターロン・ウィーズリーくんが苦手で有名な蜘蛛ですが、例外なく私も苦手です。

足が8本ってどういうことなのでしょうか?

私達の手足のように「右足だけ動かしたい」とか「前から2本目だけ動かしたい」とか、そういう自在な動きが取れるのでしょうか?

ぜひとも、どなたか蜘蛛にインタビューして記事をアップしていただきたい。

 

という余談はさておき、私は蜘蛛が苦手です。

先日私の家に蜘蛛が出た時は、買い置きしていた新品のアースジェット(ゴキブリ用)を丸々一本使い切り、あまりの煙たさにベランダ側の窓を開けて換気をしたら、今度は花粉が入り込んできて、いよいよ死にそうになりました。

これぞまさに、踏んだり蹴ったり。

 

蜘蛛が苦手になったきっかけは実家に住んでいた頃に遡ります。

とある深夜。寝ついて暫く経過した暗闇の中で、悲劇は起こりました。

手元に違和感を感じて目が覚めました。

しかし寝ぼけ眼で視界が上手く開けていない私。

枕元にあったスマホの懐中電灯で、違和感を感じた左手に光を当てました。

すると、そこには真っ黒な、見たこともない大きさの蜘蛛が左手の甲を這っていたのです。

あまりのことに声も出ず、何を思ったかスマホを使い、全力で蜘蛛を払いのけるはるらっしゅ。

そして次の瞬間に思いました。「ここで払いのけてもベッドの中に入っちゃうじゃん!!!!」

そこからの私は凄かった。30秒前までよだれを垂らして寝ていたとは思えない俊敏さで、部屋の明かりを付け、布団やら何やらを引き剝がしていきます。

直径8㎝はある蜘蛛でした。絶対に見逃すはずがありません。

それでも蜘蛛は、どこにもいないのです。

あまりの騒ぎっぷりに隣の部屋で寝ていた妹も「お姉ちゃんうるさいって~」と起きてきました。

しかし事情を説明すると、妹の顔は真っ青になり(私より虫が苦手)、「ちょ、、パパ起こしてくる」と駆け出す始末。

結局、家族総出で巨大蜘蛛を探しましたが、その行方は分からず。

後日、都市伝説か何かで「人間が寝ている時、無意識で食べているクモの数は一生涯で約8匹です。」という話を聞いて以来、私は一切の蜘蛛を受け入れることが出来なくなりました。

あの蜘蛛、もしかしたら今は私の血肉になっているのかも・・

 

2,呪怨に出てくる俊夫くん

ホラー小説を一冊読み切っただけの甘ちゃんが、調子をこいてホラー映画を観るから、こういう事になるのです。(猛省)

中学2年生になった春、淡い恋心を寄せていた男の子がホラー小説を読んでいたことが事の始まりでした。

なんとか仲良くなれないかと「その本、どんな話?」と勇気を出して声をかけ、その本を借りることになりました。

我慢できる程度のホラー小説だったので何とか読み切り「面白かった!(嘘)」と返すと、「呪怨って知ってる?俺この間観たんだけど、すごく怖かったんだ!はるらっしゅちゃんもきっと気に入るよ!」とのこと。

 

何でか私は、彼の中でホラー好きの女子になっていたようで、目が点になる私。

しかし、当時は「私ホラー好きじゃないけど」と言って、その誤解を解く勇気はありませんでした。

そして何より、そんなことを好きな人から言われたら、怖いなどと言っている場合ではございません。更に共通の話題を作るべく、腹を括って観るしかないのです。

そんなの、ネットのレビューでも見て、適当に話を合わせておけばいいのに。

当時の私が健気すぎて泣けてくる。

その週末、家族が寝付いた深夜のリビング。

私は、TSUTAYAで借りた呪怨のDVDをセットし、震える手で再生ボタンを押しました。

 

人は恐怖のキャパを超えると、身動きはおろか、目をそらすことも出来なくなるようです。

そもそも、呪怨というタイトルから察すれば良かった。

「やばい、これ観ちゃダメなタイプのやつ。」とオープニングで察した私。

結局、上映時間中はずっと愛犬を抱きかかえておりました。

あまりの恐怖に思考が停止し、途中から記憶がございません。

抱きかかえたままの愛犬は、始めのうちは「離してぇ」と身悶えしていましたが、いよいよ離してくれないと分かるとグッタリとして、最終的には寝落ちしていました。

些細な音でビクつく私は、自分が出す音にすらビビっているので愛犬を離すことも立ち上がることも出来なくなり、トイレにも行けず、そのままリビングで夜を明かすことになるのです。

 

その後、恐怖心と共に彼への恋心も失ったはるらっしゅ。

あれから約15年が経過した今でも、お化けに関連するもの全てを受け付けません。

巷で話題のストレンジャーシングスやウォーキングデッドはおろか、高校の文化祭のお化け屋敷すら無理な、超絶チキン女子に成り下がってしまったのです。

 

トラウマの克服方法

色々なサイトを漁ってみましたが、克服方法の最終着地点は【プロに相談すること】でした。

しかし、大抵の人が「カウンセリングまではちょっと…」と尻込みしてしまうと思います。

私だってそうです。

私のこのトラウマをカウンセラーにどう話せというのか。

「中学時代に好きだった子に薦められたホラー映画を観て以来、お化けが怖いです。」

だめだ、間抜けすぎる。

という訳で、自己セルフトラウマ克服法を私なりに考えてみました。

1,認める

トラウマは「よし!今から克服しよう!」と思ってすぐ出来るものではありません。

そんなことが出来れば、そもそもこのテーマが成立しないし、これを書いている一時間の努力が水の泡になります。

トラウマの克服方法をGoogleで検索すると193,000件ヒットしました。

内容は違えど、それだけ多くの人が、トラウマを克服したいと考えているし、苦しんでいる。

そう考えるだけでも、ほんの少し、心が軽くなりませんか?

まずは「トラウマを抱える人は私だけではないし、トラウマを持つ自分はダメじゃない」と受け入れる覚悟を持つことが、トラウマを克服する第一歩だと思います。

2,書き出す

日記を書くことのメリットは何か。

日記を書くと文章力や語彙力、記憶力が上がる。

そして、伝える力も鍛えられる。

しかし、私の考える日記の最大のメリットはこれではありません。

日記を書くの最大のメリットは、自分の行動や思考のパターンが客観視できること。

つまり、負の感情を抱いた時、どう行動すればそれを払拭できるかを分析することが出来るようになるということです。

これはトラウマでも応用が効きます。

自身のトラウマについて細かく書き出すことで、自分の思考状態が客観的に分析できます。

以前に持病の話でも同じことを書きましたが、人は弱い故に未知の物に恐怖を感じ、受け入れることが出来ません。

しかし、その正体が分かれば、人はそれを受け入れる心の余裕が生まれます。

思い出すことすらしんどいトラウマですが、覚悟を決めて書き出してみてほしい。

案外文字にしてみると、思っているより大した内容じゃないことだってあるかもしれないから。

3,発信する

失恋は、人に話を聴いてもらうと一気に楽になります。

同じように、トラウマも人に話して消化するのが、結局のところ一番の特効薬なのかもしれません。

その方法は、私のようにブログやSNSで発信するも良し、家族や友人に話を聴いてもらうも良し。

なんでも良いと思います。

大事なことは、自分のトラウマを自分で発信して、他者から共感してもらうこと。

そして「あなたがトラウマを抱えていても大丈夫。」と他者に受け入れてもらうことではないかと思うのです。

※あくまでど素人の考えなので、どうか一個人の意見として聞き流してください。

最後に

トラウマは本当にしんどいです。

私の語ったこのくだらないトラウマですらこんなに辛いのだから、もっとちゃんとしたトラウマを抱える人は本当に酷い思いをしていると思います。

でも、トラウマを抱えるのはあなたの心が弱いせいではありません。

トラウマを抱えたことに対して恥じる心など要らないし、そのせいで自尊心を傷つけるようなことがあっては絶対にならないと思うのです。

私如きではこれを読んでくださっている方のトラウマを解消することは出来ませんが、受け入れることは出来ます。

だから、この場を借りて伝えたい。

あなたは悪くないから、無理にトラウマを克服しなくても大丈夫。

そのままのあなたを受け入れてくれる人は私をはじめ、たくさん居ます。

みんな同じ、大丈夫。

 

私は今でも疲れていたり、具合が悪い時、夢に呪怨の俊夫君が出てきて、そのたびに「また出てきたんか、久しぶりだな。」と泣きたくなります。

俊夫君と知り合って早15年が経過するのに、いまだに全く仲良くなれないし、今後も仲良くなれる気がしないです。

どうせ出て来るなら、呪怨の俊夫君ではなくて、岡田の方の斗司夫君(ガイナックスの元社長)が出てきて、YouTubeでやってるようなジブリ解説でもしてくれれば良いのにと思う、今日この頃です。

 

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みんな誰かが羨ましい《焦りのお話》

こんにちは。

最近、花粉症に悩まされているはるらっしゅです。

薬は飲みましたが全く効かず、薬剤師が間違えて小麦粉を調剤したのではないかと戸惑いが隠せません。

今年の花粉は鼻水はあまり出ませんが、目がとにかくかゆくなります。

一旦目玉を取り出して、水道水で洗いたいです。(絶対にマネしないでね。)

目が真っ赤なので、どんなカラコンを入れても全く可愛くなりませんし、この状態で真顔でいると泣いたと勘違いされ、周囲から「何かあったか」と心配されます。

今日は「元気出せよ」と缶コーヒーをもらいました。CMのようなシチュエーションで目が点の私。

5月に入れば少しずつ落ち着くので、今は騙し騙し耐えようと思います。

 

さて、最近周りでは花粉症で死にかけている人だけでなく、転職する人が急激に増えました。そんな人達が慌ただしく退職準備をしているのをぼーっと眺めながら、この記事を書きます。

今回のテーマは【焦り】です。誰かの成功を耳にした時は、誰だって理由の分からない焦りや不安を抱えて胸がモヤモヤします。そんな時にこの記事を読んで、少しでも気持ちを落ち着かせるお手伝いが出来れば幸いです。

 

 

【人間】という言葉の意味

私達は 「人間 (にんげん) 」 と 「人 (ひと) 」 を、同じ意味で捉えがちです。

人間という言葉はもともとは漢語で【じんかん】と読み、個人を指す言葉ではなく【世の中】や【人同士のコミュニティ(人間関係)】などを指す言葉でした。

 

中学時代にこの話を聞いた時、私は「人という生き物は、人と人の間でしか生きられない存在であることを如実に表す言葉だな。」とガキんちょながらに思い、「こんな事を考える自分、哲学者チック。むふふ。」と己惚れていたことを思い出します。

 

焦りでメンタルが死んだ、ここ最近の出来事

とある週の火曜日、何年も連絡を取っていない大学時代の同級生から急にLINEが届きました。

少し不審に思って返信しないでいると、次々とLINEが送られてきて、聞いてもいない近況を次々と報告してくるのです。

彼は最近結婚したことやSNSのこと、転職したこと等を次々と報告してくれました。

私の文面を見て察してくださる方もいるかと思います。そう、私はとにかくそのLINEが不快でした。文面の所々に「俺すごいでしょ?褒めてくれ、賞賛してくれ」というエゴがにじみ出ていたからです。

「なんてデリカシーのない男だ」と不快感しかなかったため、途中からは「へー」「うん」「そか」の3パターンで話を回す私。

Googleで「LINE 返信 脈無し」で検索すれば真っ先に出てくるような、脈無し定型文の返信でもめげない彼。そのメンタルの強靭さはすごいと思った。

結局彼の自慢話はしばらく続き、彼は話したいことを散々話した後「今度飲もうな!いつでも誘ってくれ!」と言って去っていき、私の心にはモヤモヤだけが残りました。(あんなオナニー男、絶対に誘いたくない)

 

その週の水曜日。同僚とランチに出かけた時、「私、妊娠した!」と唐突に報告を受けました。それを聞いて、私の心には一気にどす黒い感情が渦巻いて、心が苦しくなりました。あの時、私は上手に笑っておめでとうと言えたのだろうか、と今でも不安になります。

 

その週の金曜日。「俺、転職することにした!」と、またもや同僚から唐突の報告。こんなことが続くと、いよいよ笑えなくなるはるらっしゅ。自然を装うことで精一杯です。

「ヨカッタネー」とあまりの棒読みっぷりに、相手に「え、ごめん大丈夫?何か気に障った?」と心配される始末。(上手に祝えなくてごめん。)

 

こんなことが連日で続き、さすがの私も落ち込みました。皆が結婚や出産や転職でおめでたい中、私は何もおめでたくないのです。

 

私は転職をしたことがないから、新卒からずっと同じ会社に勤めてる。

転勤の可能性があるから、ずっと持ち家を買えていない。

結婚の予定がないから、出産の予定もないし、何なら今は彼氏もいない。

 

皆が着実に人生を前に進めている中、私だけ何年も同じ場所に留まっているように感じて、この恐ろしい焦りと不安にただ狼狽えることしか出来ない自分の無力さに呆れます。

 

私はこのままでいいのだろうか。

皆と同じように転職して、結婚して、出産しなければ。

わからないけど何かを初めて、成功しなければ。

何かしなきゃ。何かしなきゃ。

 

私は何のために生きているのか、私は今後どんな人生を送るのか、考えれば考えるほど分からなくて、変な焦燥感ばかりが先走って、気持ちが空回り、自分が嫌いになっていたのが、直近一週間の出来事です。

 

私は私のままで良い

「はるらっしゅって、意外と周りと同じだってことに安心するタイプよね」

会社の先輩が串カツにむしゃぶりつく私を眺めながら、ビール片手にそう言いました。

「そりゃそうですよ、だって人と違うって欠陥品に見られそうで、嫌ですもん。」

私は油でベタベタになった口を拭きながらそう答えて、そして納得しました。私の焦りは周りから欠陥品として見られたくないという気持ちから生まれていたのだと気づいたからです。

 

しかし、それは私にとって本当に良い事なのか。

周りの目を気にして、したいのかも分からない転職や結婚や出産をして、果たして私はそれで本当に幸せになれるのか。

 

帰り際、私はビールの大ジョッキ6杯を飲み切って泥酔した先輩をタクシーに押し込み、駅に向かう途中でこう考えました。

 

結局周りの目を気にして周りと同化したとして、

転職しても暫くすれば"あの人と比べて私は‥"と不満が生まれて焦るだろう。

結婚しても"子供を産まなきゃ‥"と周りからのプレッシャーで焦るだろう。

子どもを産んだとしても"うちの子は周りと比べて‥"と劣等感で焦るだろう。

 

きっとこの焦りに終わりはないのだろう。そして、この焦りは私だけでなく、周りの皆も同じように抱えて生きているのだろう、と。

もし周りも私と同じように悩んで焦っているのだとすれば、自分の事で精一杯で他人の事など見ている暇もない。だとしたら、周りの目を気にするなど、ただの杞憂ではないか。

 

学生時代の成績が伸び悩んでいた受験期、深夜2時を回っても勉強を続ける私に「本当に成長していない時って、その場に留まり続けることも出来ないものよ。早く寝なさい。」と母がホットミルクを差し入れてくれたことがあります。

当時は母が何を言っているのか分かりませんでしたが、今ならなんとなくわかる気がします。

 

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思うのです。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

それってとても凄いことだし、立派なことだと思いませんか?

 

体力は人によってそれぞれです。頑張れるタイミングで速度を上げて走って(これが周りから見た成功や成長)、疲れたら速度を落として、それでも歩き続ける。

人生はこれの繰り返しです。「同じ所に留まっているように思えても、自分の足でちゃんと歩き続けている、人生はそういうものなのだ」と、当時の母は私に伝えたかったのかなと勝手に思っています。

 

今は停滞しているように思えますが、よくよく考えてみれば私だって去年と比べて出来ることが少しずつ増えているし、SNSをはじめとする趣味が増えました。

結婚や出産もまだしていないけど、でもそれはご縁の話だから焦ったところで出来るものではありません。

仕事だって新卒からずっと同じ会社だけど、同じ会社に勤め続けるのはとても大変なことで、それが出来ないから周りは転職しているのに、私は転職しなくて済んでるなら、それはある意味ラッキーな話です。

持ち家だって、本気を出せばいつでも買えるようにお金を貯めておけば良い。転勤だって、会社の金で安く他県に住めるなら、それだって人生の肥やしになる。嫌になったらいつだって辞めて帰ってこられる。

 

結局何事も考え方次第だなと、この記事を書いてて思います。

人が人である限り、誰にでも他人を妬む心は存在しますし、誰でも他人と比べて劣等感を抱き、そして焦ります。

しかし一方で、あなたを見て羨み、妬む人も絶対にいるのです。

人は、ないものねだりな生き物です。どんなに地位や名声や富を得たって、絶対に満足はしません。理想を追求し続けても、ゴールなどありません。

それであれば、微々たる自分の日々の成長に目を向けて、それをしっかり認めてあげる生活の方が、精神的により豊かになれるのではないか。

他人の期待や目など気にせず、自分を肯定して自分のために生きていこうと思えた時に、人はきっと本当に意味で自由で幸せな人生を歩みだせるのではないか、と思うのです。

 

横断歩道で行き交う車のライトをぼんやり眺めながら、「みんな誰かが羨ましいけど、私は私のままで良いのかも。」と、酒と花粉で視界が滲む中、ぼんやりとそんな事を考えた帰り道でした。

 

結局、私のメンタルを回復させるために書いたような記事になってしまいましたが、皆様の心の陰りも一緒に照らせれば良いなと願う、今日この頃です。

 

追記

先日帰省して、「転職しようか迷う」と母に相談した際、母はこう言いました。

「先の心配をしたってどうなるか分からないじゃない。人の心配は8割が杞憂なんだから。もし本当に転勤とかになってそれが嫌なら、その時は迷わず辞めて帰ってきなさい。うちはあんた一人くらい、全然養えるわよ。」

一気に悩みが吹き飛びました。母の言葉は本当に偉大です。

 

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鉄馬と深夜の学校《遊び心のお話》

こんにちは。

最近春の訪れとともに、食欲が止まらないはるらっしゅです。

先日同僚とランチに行った際は、中華料理を食べ過ぎて胃が痙攣し、午後は便器を抱えて泣く始末で、仕事になりませんでした。

これだけ読むと過食症かと思われそうですが、そうではございません。

ただ食べることが好きすぎて、いつも調子に乗ってしまうだけです。

私が大食らいだということは、職場では周知の事実ではございますが、だいぶ上記で恥を晒しましたので、これからは腹八文目を目安に自重しようと思います。

 

さて、私は食べることが大好きです。特にゲテモノを震えながら食べるのが好きです。

遊ぶことも大好きです。元来好奇心が旺盛なので、遊ぶ時は膝を擦りむくくらい全力で遊び、周りの子どもがたじろぎます。

年齢を重ねると保守的になるというのが世の通説ですが、どうやら私は通説と逆行した人間のようです。

 

本日のテーマは【遊び心】です。最近少しまじめな話題が多かったので、今回は番外編として、とことんふざけて遊び書きをしたいと思います。ぜひ笑ってご覧ください。

 

 

遊び心に従った結果の過去最大のやらかし談

好奇心は猫を殺すと言いますが、猫系女子も例外ではないようです。

私の過去最大のやらかし。それは何を隠そう、遊び心で忍び込んだ学校で守衛と警察に捕まったことです。

 

大学生の頃の出来事です。夏休みに入り、同級生が地元に帰省してくるタイミングで、仲の良い幼馴染の数名で酒を飲みました。

近所の居酒屋で酒を飲み、良い具合に出来上がったところで誰かがこう言いました。「学校に寄って帰ろうよ」

全ての悲劇はここから始まりました。

そもそも酒に慣れていない大学生が酒を飲むと、大抵が何かしらをやらかしますが、今回の場合、集まったメンバーも悪かった。

なんてったって小学生時代からの悪友です。顔を合わせただけで心が童心に返るというのに、そこに酒まで入ったのですから、頭からは常識や理性だけでなく、法律までぶっ飛びました。(当時を振り返る遠い目)

 

夜の学校というものは、独特な雰囲気を醸し出します。子どもの声があちこちで響き渡る日中の雰囲気とは違い、夜は全てが息を潜めているような不気味さを感じます。

私達が忍び込んだ母校に宿直の守衛がいるのは、皆知っていました。

しかし当時は夏。しかもまだ学校にはエアコンが完備されていない時代です。1階にある守衛室の窓も例外なく開いておりました。

私達は窓の下に隠れるように張り付き、守衛が部屋からいなくなるのを缶ビール片手に待ちました。そして、守衛が部屋を出た隙に、FBI顔負けの俊敏さで校内へ忍び込んだのです。

学校に忍び込んだ私達は保健室や理科室、教室やトイレをひそひそと声を殺しながら、まるでお化け屋敷の中を進むように探索を続けます。

当時とても大きく見えた教室の机は、今や私の膝の位置にあって、当時のなつかしさと時の流れを感じて目頭が熱くなる、泣き上戸な私達。

 

しかし、そんな平和な話はここで終わりです。

悲劇は図工室で起こりました。図工室で乾かしている子供たちの作品を眺めている時、こつ・・こつ・・と足音が聞こえてきたのです。

お化けにビビる歳ではございません。「守衛が来た」と瞬時に察した私達は、顔を見合わせたと同時に、猫のような速さと身のこなしで各々に隠れました。その時です。

 

カラーンッ!

 

誰かが缶ビールの空缶を落としました。

その音は闇に大きく反響し、私達の顔からは一気に血の気が引きました。

「誰だ!」守衛が大きく声をあげました。

 

その後、見事守衛に捕まった私達は問答無用で警察に通報され、学校には2台のパトカーがランプを点灯させて駐車する異例の事態。

そして守衛と警察にしこたま叱られた後、両親まで呼び出されるまさかの展開。

(夜中に呼び出されたというのに校長先生は爆笑していて、器の大きさを思い知った。先生って偉大。)

最終的には母親に「警察の世話になるなど、一家の恥だ」と号泣され、私も泣き出す始末。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った真夏の夜でした。(いや当たり前だよね。)

 

遊び心に従った結果の直近のやらかし談

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓ったはずでした、先週までは。

何を思ったのか深夜の学校にまた忍び込んだのが直近のやらかし談です。(2度目。)

しかし前回の学びをしっかり活かし、今回は警察を呼ばれないように校舎の中には入らず、校庭までで留まりました。そういうことじゃないだろうと言ったそこのあなた、お静かに。

 

教師の友人と夕食を食べた帰り道に「私の勤めてる学校この辺だよ~」と教えてくれたのが事のきっかけでした。

「え、見てみたい」「え?」「A子が勤めてる学校、見てみたい!」「いいけど、中は入れないから外だけね?」「うん!」

そんなこんなで私は、警察を呼ばれた大学生以来、約10年ぶりに夜の学校へ再び足を踏み入れたのでした。

 

今回は勤務している教師が隣におりますので、安心感が違います。近所で買ったスタバのコーヒーを片手に校庭をぐるぐると徘徊。うんていや鉄棒(前転をして脳震盪を起こしかける)、ブランコに乗りご機嫌の私。

 

しかし、悲劇は再び起こるのです。学ばない阿呆。

 

悲劇の現場は、鉄馬置き場でした。帰りがけテンションMAXの私は鉄馬を発見。

私は小学生時代、おそらく学校一鉄馬が得意でした。1メートル以上の高さの鉄馬すら悠々と乗りこなす私の異名は【鉄馬のおはる】。(嘘です)

 

異名の話は嘘ですが、鉄馬が得意だったのは事実です。

あまりのなつかしさに飛びついたのが、運の尽きでした。

小学生時代の私と今の決定的な違い。それは体格や体重もそうですが、何よりそう、ハイヒール。

ハイヒールを履いて鉄馬を乗るとどうなるか。結論申し上げると、転びます。

案の定転倒した私は30秒ほど痛みでうずくまり、その後テンションがだだ下がって大人しく帰宅しました。

子どもは転んでもすぐ立ち上がって動けるけど、大人はそうはいかないのよ。まじで痛すぎた。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った春の夜でした。

 

遊び心は人を綺麗にする

「前回会った時よりも綺麗になったね」

これが、私が異性に言われて最も嬉しい言葉です。

 

私がある程度容姿に恵まれていることは、以前から知っていました。

こう言ってしまうとナルシストと毛嫌いされそうですが、私は幼少期から自分の顔の造形に不満を持ったことがなかったし、自分で言うのもあれですが、異性にモテました。(中途半端にモテるから、まだこの歳で結婚していないという悲しい現実。)

こんな調子なので、「可愛いね」「綺麗だね」「モテるでしょ?」という、この定番の誉め言葉は、私にとっては「こんにちは」と同義でした。

そして、そんな私が言われて唯一嬉しい言葉が「前回会った時より綺麗になった」という、私の日々の努力が実を結んでいると実感できるこの言葉でした。

 

日々綺麗でい続ける、もっと綺麗になるには何が必要がいつも考えています。

高い化粧品や服か、日々の生活習慣か。行きついた答えはそうではありませんでした。

綺麗でいるのに最も必要なこと、私の達した結論は【遊び心】でした。

 

いつもワクワクしてご機嫌でいること。

遊び心を持って新しい物事に挑戦してみること。

そういう人が結局はいつまでも美しいような気がします。

 

世間でアンチエイジングという概念が流行りだして久しく、ドラッグストアへ行けばその言葉があちこちのポップで目に入ります。

若さは美しい。これが、世間の共通認識です。

確かに若さは美しいです。しかし、ここで指す若さというのは、見た目の話だけではなくて精神的な事ではないかと私は思っています。

 

人は内面が大事だとよく言いますが、私は人は外見が全てだと思っています。

よく恋愛などにおいても「内面を評価してほしい」などと言う人を時たま見かけますが、私は理解が出来ません。

なぜなら、人の内面は外見に顕著に表れるからです。

例えば、すぼらな人間がスーツを着こなせるかと聞かれれば、それはほぼ不可能です。ネクタイの結び目やシャツのシワ、靴下、ハンカチなどにそのずぼらさが反映されるからです。

また、人に優しいことを長所としてアピールする人も多いですが、他者への思いやりや配慮をはじめとする優しさは、人間としての当たり前の最低限の礼儀であり、誇ることではないと思います。(性格が悪くてすみません。)

 

こういう持論を持っているからこそ、心の若さ(遊び心)は、絶対に美しさとなって外見に現れると私は信じていますし、若々しい遊び心は人を綺麗にすると思っています。

 

深夜の学校はもうこりごりですが、私は常に心躍る事に挑戦し続けたいと思います。

そして、何歳になっても遊び心は絶対に無くさず、ずっと綺麗でい続けたいと願う、今日この頃です。

 

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友人が少なくて何が悪い《大人の交友関係のお話》

こんにちは。

先日から化粧水をSKⅡに変えたはるらっしゅです。

使用開始2日目ですが、肌の張りが変わった気がします。(絶対気のせい。)

【病は気から】とよく言いますが、私は【美容も気から】だと思っています。

BTSのジン(グループ最年長のイケメン)は、毎朝起きて鏡を見るたびに頭を抱えて「ああ、ジン・・。そんなにカッコよくてどうするんだ」と口に出して自分に語りかけるそうです。(すごくない?笑)

私もこれに習って「私は可愛い」と毎朝鏡に向かって言いながら、コツコツとSKⅡを塗り込んで様子を見てみたいと思います。(一人暮らしだから出来るワザよね、傍から見たらただのやばいナルシストよ。)

 

さて先日、人生で初めて韓国人の知り合いが出来ました。

そもそも外人さんの知り合いが出来ること自体初めてなので、あんなことやこんなことがしたいという脳内妄想が止まりません。

そもそも私は幼少期から人見知りが激しいので、友人は非常に少ないです。

どのくらい少ないかというと、友人が少なすぎて結婚披露宴は絶対にしたくないくらいです。

学生時代は人並みに友人がいましたが、社会人になってからは、一気に友人と呼べる人の数が減りました。しかし、その分本当に仲の良い親友とだけ付き合うようになったので、私の交友関係は典型的な【深く狭く】に変化したようです。

 

社会人になると出会いの数も減りますし、新しい友人を作る機会も減ります。しかも昨今は新型コロナウイルス感染症の流行で人とのコミュニケーションの取り方にも変化が起こっています。

 

ということで、今回は大人になってからの交友関係をテーマに語ってみたいと思います。

 

 

最近できた韓国人の知り合いが、KPOPアイドル並みにイケメンな件

フォロワーが1000人を超えてから、Instagramに毎日色々なDMが届くようになりました。

基本的に人見知りで人付き合いが嫌いな私は、DMを全てリクエスト制にしています。

私は複数の人と同時に話していると、気を使いすぎて頭痛がしてしまうのです。

ただ、放っておくとリクエストが溜まって、それはそれでストレスになるので、ある程度溜まったら削除するという作業を1週間に1回程度で行っています。

 

先日も同じようにポイポイとメッセージを削除していた時のお話です。

1つだけ気になるDMを見つけました。

韓国人から届いたDMなのですが、内容が翻訳を使っていない、でも少し不自然に堅い日本語で「お話してみたいです」と書かれていました。

その拙く礼儀正しい文章に惹きこまれた私は、普段では絶対にありえないことに「こんにちは」と返信したのです。

・・と言うのは綺麗事です。

もちろん文章にも惹かれましたが、何を隠そう、顔が爆イケだったのです。

余りにカッコよくて、どこぞの芸能人だと検索をかけたくらい。(一般人でした。)

入りはゲスでしたが、それからすっかり意気投合した私達は互いに語学を教え合う仲になっただけでは飽き足らず、お相手が来月に来日予定とのことで、会う約束まで取り付けました。

 

普段の私だったら絶対にありえない、ちょっとした気まぐれな行動が、こんな交友関係をうむとは想像もせず、私自身も目を白黒しています。

 

あんなイケメンと会うの、一体何を着ていったらいいんだろうかと慌てふためいて親友の一人に相談したところ「なんであんたって、いつもそう突拍子もないのw」とばかウケでした。(本人は笑っている場合じゃないんだけど)

 

100人の友人より1人の親友の方が価値がある

大人になってから、子どもの頃より友人を作るという行為が難しくなりました。

大人になると、家庭を持ったり仕事などで私生活が忙しくなることは勿論ですが、学生時代よりも人間関係を育む場面や環境が減るのが決定的な要因だと思います。

それに、子どもの頃のように声に出して「友達になろう」と言う機会もほぼないですしね。

 

私は、毎週違う人とつるんではしばらく会わなくなるような、適当な付き合いをして、それを「友人」と称するような人間を信用しません。

交友関係が広くて良いことだという意見はごもっともですが、少なくともそういう人は、私は友人と認知しないです。

大人になってからの友人というのは、片手で数えてせいぜいくらいの人数が一般的です。

毎週違う人々と会って、それをSNSに投稿して「私は友人が多いの、人気者なの」と言いたげな人を見ると、その人が空っぽに見えて悲しくなるし、この人が今死んだとして、一体何人が葬式で泣いてくれるんだろうかと不思議に思います。

 

世の中、「私は友人が少ない」「友人がいない」と悩む自己肯定感が低い人が多いと聞きますが、そんなのは大人になれば当たり前のことです。

あなたに欠陥があるのではないし、あなたが嫌われているからでもない。

何も悩む必要などないのです。

私も友人(親友)は4人しかいないですから。残りは全て、ただの顔見知りです。

 

このご時世、SNSのフォロワー数と友人の数がその人の戦闘力を示す風潮がありますが、こんなものは人と比べるものではありません。

 

たくさんの友人を作った場合の最大の利点は「自己肯定感をあげられること」だと思いますが、よく考えてみてください。

私もこの文章を書く上で色々考えてみましたが、人付き合いが増えると「摩擦やトラブルの増加」「対立」「ストレスが増える」など、むしろ自己肯定感が下がることばかりが発生します。

 

友人など少なくていいのです。本当に大事なのは、その少ない友人の中から【親友】を作ることです。

親友の定義とは様々ですが、私にとっての親友は家族と同じ立ち位置です。

私の幸せを嫉妬せず純粋に喜んでくれる人、私と同じ方向を向いて一緒に歩いてくれる人、絶対的な信頼関係の基で私の自己肯定感を底上げしてくれる、宝物のような人を指します。

こんな人、たくさん出来るわけないです。

そんな関係を築くのに、莫大な時間と努力をかけなければならないのですから、量産できるはずがありません。

だから、100人の気軽にできる友人より、1人の親友を作る方がずっと大変で価値があり、大事なのです。

 

私も皆様も、もはや誰かも分からないような、学生時代の知り合いの結婚式に出席したり、意図が分からない会社の飲み会に出席したり、俗に言う「無駄なつきあい」と呼ばれるもの全て断わって、自分にとって最も有意義な人との関係を育む時間を確保したいものですね。

 

最後に

友人は少なくて良いと書きましたが、新しい出会いは人を成長させます。

春は出会いと別れの季節とよく言うように、きっとこれからの時期は新しい交友関係が始まる方もたくさんいると思います。

自然と起こる出会いには恐れながらも飛び込んで、流れに身を任せてみましょう。

ただ、その新しい出会いで知り合った人と必ず友人になる必要などありません。

相性がよければ知り合いになって友人になって、そして親友になれれは万々歳。そうでない人は、さようならで終わり。

この世に絶対的な悪者はいませんので、【あなたもOK、私もOK】精神で、気楽に楽しく、素敵な人間関係をこれから出会う人々と築いていきたいと思う、今日この頃です。

 

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人生の岐路に立つアラサー女子の閃き《転職と副業のお話》

こんにちは。

私事ですが、先日誕生日を迎えて29歳になりました、はるらっしゅです。

「29歳の目標は、化粧水をSKⅡに変えて、若さを保つことです。」と先ほど職場の後輩(26歳)に話したら、鼻で笑われました。※資生堂の回し者ではございません。

 

さて、私は5カ月前からInstagramを始めましたが、様々な癖の強いDMを毎日いただきます。

最近特に印象に残っているクセ強DMは2つあって、1つ目は、頑張って色々考えたけど、一周回って和訳が破綻したと拝察する「こんにちはゴージャス!」から始まる海外からのDM。

そして、2つ目は話題をなんとか提供しようと必死にひねり出したと拝察する「馬の血液型って3兆個あるって知ってましたか?」という、日本人からのDM。

「いや3兆個って、もう少しまとめられたでしょ」と動揺が隠せません。

 

そんな中、同時に届くのが副業についてのDMです。その種類は様々で、日本の副業文化は日々進化しているのだなと感心しっぱなしです。

 

ということで、本日は転職と副業について語ってみたいと思います。

 

 

転職したいはるらっしゅ

私は2月上旬から先週にかけて【転職したい病】でした。

毎年そうです、毎年2月から3月の誕生日前日まで、私はいつも病むのです。

 

辞めたくなる理由は毎年同じ。人間関係と待遇です。

私の仕事は俗に言うバックオフィス系なので、売上という点では会社に貢献することはできません。むしろバックオフィスは会社が得た利益をいかに守るか、支出を抑えるかで会社への貢献度がはかれる職種です。

そのため、私達と逆の立場である営業などの部署からすると「俺たちが稼いだ金でお前らの給料払ってるんだぞ、お前らは雑用でもやってろ。」という考えを持つ方も一定数いるのが現実です。(どの会社にもいるよね)

ですが、それを口に出して言われるとむかつくのが、人間の性。

先日、それを社内のお偉いさんに面と向かって言われ、あまりの悔しさにいい歳こいて陰でぎゃん泣くはるらっしゅ。

 

「あの人一回、〇ねばいい。」と慰めてくれた同僚たち、「売られた喧嘩は買うぞ。」と私の盾になってくれた私の上司や部長。

心が傷ついて萎えていたのでお礼を言えるメンタルではなかったですが、ありがたかった。(しみじみ)

 

また、少し前から自分のキャリアについて考えることもしばしばありました。

職種柄、なかなか昇格せずの状態が続いているため、このままでいいのかという漠然とした恐怖と不安を抱えていたこともあり、その二つが重なって核並みの大爆発を起こしたのが今回の発作でございます。

 

あまりに病んだので実家に帰り、仕事を辞めたいと母の膝で泣くはるらっしゅ。

しかしなんだかんだで毎年転職したいと喚き散らすので、両親もこの類の扱いはお手のもの。なんてったって7年目ですから、もはやプロです。

程よく微妙なハロワの求人を厳選し「あんたの会社の方が待遇が良いじゃない」とスマホの画面を見せながら、優しく諭します。

普段であれば「確かに給与は今の方が良い」と納得し、ここで落ち着きます。しかし、今回のはるらっしゅは少し違うのです。なんてったって今回は喧嘩を売られておりますから。

「私、ここ受ける(鼻水ぐすぐず)」「え?」「転職エージェントにも登録する」「え・・」

かくして、私の転職生活は幕を開けるのです。

 

人生ではじめて、転職活動をしてみた

ハロワの求人検索に関して、母ほどうまい人はいないと学びました。

スマホの扱いはドコモのスマホ教室に通う高齢者レベルなのに、ハロワの求人検索に関しては、持って生まれた才能で、SMSに届く迷惑メールのような量と速さでデータを送ってきます。

一方私は、転職エージェントに登録して面談し、エージェントから紹介されるキラキラ求人を「話を聞いてみたいくらいの会社でも、選考に進んだ方が良いです」とごり押しされ、宇宙猫状態で受験し、書類や面接で落とされる日々。

 

転職したい⇒よく分からない会社に落とされる⇒自尊心が傷つき自信を無くす⇒普段の仕事も消極的になる⇒転職したい ※最初に戻る

 

ええ、分かります。心だけすり減る、不毛の極みです。

多分この1ヵ月の私は、自炊や掃除すらできないレベルの精神の不安定さでしたので、控えめに言って般若だったと思います。まじで。

 

そんな中、1つの副業DMに目が留まり、この地獄のような生活が終わるのです。

 

副業のスカウトがきっかけ

目から鱗が落ちる経験を29歳になって初めてしました。※どこから何のDMが届いたかはここでは控えます。

 

別に1つの会社にしがみ付く必要はない。今の会社に不満があるなら、もう一つ別の仕事をして、その不満を補えば良くない?

 

そんな考えがぽんっと浮かんで、その瞬間、肩の荷もストレスも、不満も軽くなったように感じました。

DMの文章に感銘を受けたとか、特別な内容だったとか、そういうことではなく、さらりと読み流している最中に、そんな考えがふわりと思いついたのです。

 

その後、そのお誘いを下さった会社とのやり取りを開始し、現在は副業開始に向けて準備中です。(1~2ヵ月後に開始予定)

 

29歳から考える今後10年間のキャリア

副業は江戸時代、武士が生活費を稼ぐための手段として生まれたと言われています。

その後、日本の高度経済成長期に終身雇用制度が確立されたことで、副業はタブー化されましたが、2016年の「働き方改革」によりそれが解禁され、今年で6年が経過しました。

 

これからの時代は、会社という枠にとらわれない、自立した働き方が受け入れられる新しい時代に変わると世論では言われていますが、私も同感です。

 

確かにまだ1つの会社に属する専業が主流の日本ですので、転職市場はいまだに賑わっていますが、これからは副業という選択も視野に入れて自分の人生をコーディネートしていくのも、とても良い選択肢だと思います。

 

職場の人間関係に悩むのは、その会社と家の往復で、自分の世界が狭くなっていることの現れです。

外にたくさんの自分の居場所を確保しておけば、そのうち1つのコミュニティーで少しの問題が起こったとしても、負の感情で心が占められることはないと思うのです。

 

こんな考え方の私は今、数年前に投資信託を始めたのをきっかけに株投資の勉強を始めました。

また、アフィリエイトや企業からの広告依頼でも収入を得たいと考えて、SNSの運用も勉強しています。

そして、このブログもアフィリエイト収入を得るための手段として運用を考えているので、最終的にはワードプレスでサイトを立ち上げて引っ越しさせたいと考えています。

こう考えると、副業の可能性は私の身の回りに山のようにありますし、皆様の身の回りにも無限に可能性があるのです。

 

最後に

自分のやりたいことを棚卸すると、あまりの量に眩暈がします。

人生の1/3が終わろうとしている現在、二の足を踏んでいる暇はないのです。

そう考えると、転職している暇もないし、下手に転職してそこが副業禁止だったら、私の夢は潰えます。

それであれは、転職活動に費やしていた時間を副業の準備に充てたいと思い、はるらっしゅの短い転職生活は幕を閉じたのでした。(メンタルが安定して本当に良かった。笑)

 

どんな会社に就職しても、どんな仕事についても絶対に不満は出てきます。その度に転職を考えては体力は持ちませんし、社歴も荒れます。

だからこそ、その不満を補えるように視野を広げて、外に活路を見出すのも良いのではないでしょうか。

一度きりの人生です。その中の約1/3の時間を占める仕事ですから、我慢してお金をもらうだけではもったいない。

なりたい自分に近づける、そんな副業を自ら生み出したいと思う、今日この頃です。

 

《追記》

5ヵ月前にInstagramを始めてから、人生が変わった気がする。SNSの力って凄い。

ちなみに毎日投稿しているので、もしよければこちらから遊びに来てください!

 

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毒だし企画の回答回《Instagramフォロワー集客のコツ》

こんにちは。

先日Instagramで毒出しという名の質問&相談企画を実施したところ、たくさんのコメントをいただきました!皆様、ありがとうございました!

全部目を通していたのですが、その中で一番目を引いたコメントが「先日、多分はるらっしゅさんを見かけました!たこ焼き食べてましたよね?」という一言。

「あ、これはあかん」と羞恥心で死にそうになったはるらっしゅです。

(先日たこ焼き食べながら酒飲んでましたので、多分それ私です。)

これからはもう少し身なりと姿勢に気を付けて外に出ようと思います。

 

さて、そんな企画でちょくちょく見かけた質問が「インスタフォロワーの増やし方」についてでした。

私のインスタは派手にバズったわけではないのですが、開始4ヶ月でフォロワー1000人を突破し、ありがたいことにコツコツと順調にフォロワーが増えております。(本日時点で1200人程でした。)

その過程を見てくださってる方々から、フォロワーを増やすためのコツを教えてほしいと依頼があり、今回筆を執っている次第です。

 

↓直近1週間のフォロワー推移はこんな感じ↓

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私はもともとブログ集客の1つとしてインスタを始めているので、ビジネス目的のそれとは力の入れ方ややり方が全く違うと思いますが、今回は私が実践しているフォロワーの増やし方について、簡単にご紹介したいと思います。

 

はるらっしゅのフォロワーを増やす上での心構え

1,自信を持って「これ私のだよ!」と言える内容を投稿する

フォロワーが増えるということは、自分の投稿がより多くの人の目に触れるということです。

他人の貴重な時間のうちの数十秒を「自分の投稿を見ることで消費させている」という気持ちで、誰が見ても不快にならぬよう、そして、たとえメンタルが死んでいる時でも、楽しく綺麗で、ポジティブな投稿をするよう心掛けることが大事だと思っています!

フォロワーさんには常に感謝の気持ちを忘れず、私をフォローしてくれてありがとうという感謝の気持ちを込めた投稿をすることで、自然とクオリティの高い投稿ができるようになるのではないかと、私は勝手に思っています。

 

2,インスタは一日2時間まで

SNSとは恐ろしいもので、気づけば軽く1時間は時間を取られます。

使い始めた当初はあまりに楽しくて、一日中インスタをいじっていました。

しかし、これでは続かないと悟った私は、それ以降、投稿と閲覧のトータル上限時間を2時間に設定しています。

時間を決めて使用した方が、案外クオリティが高い投稿が出来るし、SNS疲れの軽減にも役立ちます。睡眠時間の確保はお肌に大事。

長く続けるためにもぜひSNSを触る時間は自分で設定することをお勧めします。

 

3,フォロワーが減っても気にしない

誰のインスタもそうですが、フォロワーの人数は毎日変動します。

1万人を超えるまでは1人ずつカウントされるので増減が気になると思いますが、それを気にしだすと心が病みますので、そんなものは気にしないが吉。

相互フォローを狙ってフォローしている人も一定数いますので、変動は当たり前だと思った方が良いです。

「世界屈指のフォロワー数を誇る渡辺直美さんのインスタですら、毎日フォロワーの増減が発生しているのよ。私の投稿が悪いわけではない。」と根拠のない自信と軽い気持ちで受け流しましょう。

ちなみに私のフォロワーは、過去90日で1370人がフォローしてくださいましたが、うち447人がフォローを止めております(笑)

 

4,基本的に相互フォローはしない

私はフォロワーを増やす目的での相互フォローは絶対にしません。

よくフォロワーの増やし方で「まず自分からフォローをして、その後相互フォローされたことを確認してからフォローを外す」という方法が紹介されていますが、あれはお勧めしません。

その方法だと、フォロワーが定着しませんし、何より相手に失礼です。

またそれでは、その後の投稿に反応がなく、全体的なインプレッション数が低下してしまいますし、フォロー数とフォロワー数のバランスがかなり悪くなります。

 

あくまで「自分の投稿を気に入ってくれた人にフォローしてもらって、定期的にいいねしてもらう」ということを目標に、これから紹介する方法を試してみてください!

 

はるらっしゅ直伝【Instagramフォロワーの増やし方】

1,インスタのインサイトを活用しよう

皆様のアカウントは一般アカウントでしょうか?

私のアカウントはプロアカウント(ビジネスアカウント)です。

プロアカウントは「企業や店舗、有名人が利用するもの」というイメージがありますが、実は個人アカウントを持つユーザーなら誰でも無料で切り替えることが可能です。

ビジネス目的はもちろん、一般ユーザーが日常使いする上でも役立つ【インサイト機能】という統計機能が搭載されており、フォロワーを増やす上でこの機能は必要不可欠ですので、フォロワーを増やすためにはまず、プロアカウントに切り替えるところから始めてみましょう!

 

shop-pro.jp

 

2,毎日同じ時間帯に投稿しよう

フォロワーを定着させる上で、毎日投稿は絶対です。

1で紹介したインサイト機能でフォロワーの利用時間の統計を確認し、利用者が多い時間帯に投稿をします。(私の場合は18時~21時、特に木曜日が一番利用者が多いです。)

しかし、ただ投稿すれば良いわけではありません。同じクオリティを保ちながら毎日投稿することが大事です。

毎日の生活でインスタのネタになりそうなものを探し、写真を撮る癖を付けて、クオリティの高い写真をストックしておきましょう!

 

3,「いいね!」をしよう

これが最も大事です!

フォロワーさんだけでなく、色々な人にいいねをしましょう!

特に【発見タグ】から自分が頻繁に使うタグや自分の投稿に似た投稿を見つけ、その投稿にいいねしている人の最新の投稿にいいねを付けます。

しかも、だれかれ構わずいいねをするのではなく、その人のフォローとフォロワーの数を見比べて、フォロー数の方が多い人にいいねを付けます。(ここポイント)

なぜかというと、フォロワーに対してフォロー数が少ない人というのは、そのバランスを重視してフォロワー以外の人をあまりフォローしない傾向にあるからです。(投稿を気に入ってもらえたら別ですが)

それであれば、フォローすることに抵抗がない人にアプローチをかけた方が勝算が高いので、フォロワーを増やすという目的でいいねをするのであれば、この方法をおすすめします。

 

4,顔を出そう

顔を出した方がフォロワーが増えます。これは私のアカウントでも実証済みなので、絶対です。

なんなら私は、自分の顔を出してからやっとフォロワーが増え始めました。

マッチングアプリを例にあげます。

マッチングするなら、顔写真がしっかりでている人と飼い犬を載せている人、どちらとマッチングしますか?答えは言わずもがな、前者ですよね。

そりゃそーです。お前んちの犬とマッチングするんじゃないんだわってなりますから(笑)

顔が出ていると、見ている相手は安心します。また、頻繁に顔を出していると、単純接触効果で、相手に親近感を与えることができます。

「ほんとかよ」と怪しんでるそこのあなた。

騙されたと思って、まずはアカウント写真を顔写真に変えてみましょう。

これだけでも結構な違いを実感できるはずです。

 

5,フォロワーさんとの交流は最低限でよし

巷のハウツーブログでは「フォロワーさんとの交流を密にしましょう」とありますが、私は逆です。

フォロワーさんとの交流は最小限に留めることをおすすめします。

理由は人間関係のトラブル回避です。

私が顔出しでインスタを始めた当初、びっくりするほどDMが届きました。

だいたいは素敵なメッセージがだったのですが、中には相互フォローの依頼だったり、変なスカウトだったり、デートのお誘いだったり(いや貴方、私の居住地知らんでしょw)、心がもやもやするDMが毎日届きました。

フォロワーを増やすには、まず継続してインスタを投稿しないとなりませんので、自分がやってて楽しいことが必須条件となります。

そのため私は、自分が楽しくインスタを続けるために、まず投稿のコメント欄を全て閉鎖しました。

そしてDMも全てリクエスト制、なんなら返信はほぼせず、するとしてもリアクションのみという方法で統一しています。(ブログの感想やお礼だけは文章で返信しています)

フォロワーとの交流が無くてはただの自己満では?という声が聞こえてきそうですが、良いのです。

SNSなど所詮、根底は自己承認欲求を満たすための自己満に過ぎないのですから。

 

6,ストーリーズは投稿しすぎない

これはフォロワーを増やすというより、定着させるためのコツです。

ストーリーズは1日3投稿までにとどめることをお勧めします。

あまりに多いと、煙たがられてミュートにされるか、フォローを外されます。

私自身、ストーリーズが多い人は全員ミュートになっていますし、そうするとインプレッション数が低下してしまいますので、注意が必要です!

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いかがでしたでしょうか?

 

フォロワーの増やし方は色々なブログが独自の方法を紹介していますので、色々と調べて自分が取り入れられるようなものを少しずつ試してみるのがお勧めです。

いきなり頑張ってしまうと疲れてしまいますし、インスタを開くのも億劫になってしまいます。

フォロワーを増やすのはタイムレースではありませんので、ぜひ気長に楽しく根気よく続けてみましょう。

ちなみに私はフォロワーが1000人を超えてから、上記をしなくても自然とフォロワーが増えています。

フォロワーを増やしたい方はまず、1000人を目標にしてみましょう。

一気に楽になりますよ!

 

質問いただいた皆様、これで回答になりましたでしょうか?

私のつたない文章で伝わったか不安ではございますが、少しでも皆様の役に立てば嬉しく思う今日この頃です。

(ちなみに私の次の目標は2000人です!私も地道に頑張ります!)

 

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個性的なおっぱいの話《持病との上手な付き合い方》

こんにちは。

先日サウナに行った際、あかすりをしてもらいました。

担当してくれたお姉さまに「あなた何歳?え、28?やだ、意外と歳いってるじゃない。20歳のお嬢さんが来たかと思ったわよ。あら?でもあなた、結婚してないでしょ?少女の手だものね、乳首も綺麗だし子どもを産んでいない証拠よ」とマシンガントークを吹っ掛けられ、褒められてるのか貶されているのか分からず、ただ震えることしか出来なかった、はるらっしゅです。

両隣に人がいるんです、お姉さま。

全部周りに聞かれてて、羞恥心で昇天しそうでした。

 

私は人に胸を触らせることに人一倍の抵抗があります。

それは性別とか関係性とかは一切関係なく、他人に触られるのがとにかく嫌なのです。

理由は、持病です。持病のせいで、私の胸は人とは少し違うのです。

見た目では分かりませんが、触られると絶対に気づかれてしまいます。

 

今回は私の持病と【持病との付き合い方】についてのお話です。

 

 

はるらっしゅの持病について

私は【乳腺繊維線種】という持病を持っています。

難しい漢字を書くので、少し厄介そうな病名に見えるこの疾患を知っている人は、日本に何人いるのでしょうか。

乳腺繊維線種は、乳腺に繊維線種ができる病気です。

すなわち、おっぱいにしこりが出来るのです。

その大きさは米粒大の小さなものから、野球ボール大まで人によって様々だと言われています。

↓詳しくはこちらをご参照ください↓

www.nyugan.jp

 

私の闘病生活について

私の乳腺繊維線種は中学2年生の春に発見されました。

部活が休みだったその日、早く帰宅していた私はヤクルトを飲みながら、テレビの再放送を観ていました。

その時テレビでやっていたのが【乳がんの見つけ方】。

「腕を上げて、脇の下を圧してくださぁ~い」と女医が朗らかに解説しており、ゲストも和気藹々とした雰囲気で脇の下を圧していたので、何の気なしに一緒にやってみました。

すると、右胸に玉こんのようなしこりがあるのです。

何度試しても、しっかりと楕円形の玉こんがあるのです。

自分の置かれた状況が理解できず目が点になる、14歳のはるらっしゅ少女。

夕食の支度をしている母に「ママ、私、胸にしこりがある」と声をかけると「え~?」と母も触る。

そして、しこりを確認する。

 

ここからが凄かった。

「おっ!?」と奇声を上げた母は、どこから出したか分からぬような速さで携帯を取り出し、行きつけの産婦人科病院に電話。

 

母「胸にしこりがあるんですけど、すぐ診てほしいんです」

受付「わかりました~、予約を取りますので、お名前とご年齢を~」

母「はるらっしゅ、14歳です」

受付「えっ14歳!?」「ちょっ、お待ちくださいね!」

♪~♪~♪

院長「お電話代わりました、今すぐ来てください、今すぐです!」

母「はははは、はい!」

私「(白目)」

 

病院側は母の胸にしこりがあると勘違いしていたそうで、私の年齢を言った瞬間に対応が一気に変わりました。

理由は明白。万が一しこりががん細胞だった場合、若年であればあるほど進行が速く、一刻を争うからです。

夕食の支度をそっちのけで、母は私を病院に連れて行きました。

車で移動中、母が涙目になりながら「大丈夫!もし胸が無くなったら、絶対に再建手術してあげるからね!」と励ましてくれましたが、私にとっては全く励ましになっておりません。

胸が無くなるなんて、絶対に嫌です、再建出来ても嫌です。

ただ震えて泣いてるはるらっしゅ少女。

今思い出しても、自分が不憫過ぎて泣けてきます。

 

病院に到着してからも凄かった。外来を全て止め、私の検査が最優先。

どこぞのVIPが来たのかと、戸惑いが隠せない患者たち。

院長と他の医師、看護主任が三人がかりでエコー検査に触診、問診、検査検査の嵐です。

先生たちのあまりの権幕に、震えて泣くはるらっしゅ少女。どこまでも可哀想。

結果、確認できたしこりの大きさが直径3㎝もあったことから悪性である可能性が捨てきれず、地元で一番の大病院宛てに紹介状を書かれ、そのまま救急車で搬送。

なんということでしょう、その日から検査入院のため、私は家に帰れませんでした。

 

私も母も泣きましたが、一番ひどかったのは父でした。

母から知らせを受けた父は仕事を早退し、病院に乗り込んでまいりました。

そしてボロボロ泣きながら、私の手を握って言うのです。

「大丈夫だからな、はるらっしゅ。金の心配はするな!大丈夫だ!」

うちの両親は、どこかずれているのでしょうか。励まし方がそうじゃないのよ。

 

翌日、私は生まれて初めて麻酔を経験し、そして生研を受けました。

www2.ninjal.ac.jp

 

今でも鮮明に覚えています。

痛みが無いのに、胸から大量に血が流れ落ちる、あの不気味な感覚。

そして次の日に私は自宅に帰り、その一週間後にしこりの正体が【乳腺繊維線種】だと知るのです。

 

それから早14年。28歳の現在まで、私は半年に一回乳腺検査を行い、悪性の腫瘍が出来ていないか調べています。

 

現時点で私の胸には触って確認できるしこりが2個、米粒大のしこり(触っても分かりません)が両胸併せて約40個あります。

 

持病との付き合い方

病気を知った当初、自分が欠陥品のように感じ、傷つきました。

そして、両親から「健康体で産んであげられなくて、申し訳ない」と頭を下げられたのがとにかく辛かったのを覚えています。

 

しかし、時間をかけて少しずつ自分の持病を受け入れ、上手に付き合えるようになりました。

どうやったか。それは、勉強することでした。

自分が出来る限界まで、その持病についての知識を付けたのです。

 

人の心は弱いので、未知なものを受け入れることが出来ません。

誰だってそうなのです。

しかし、その未知なものの正体を暴いてしまえば、気休めであれ、心は少し落ち着き、それを受け入れる心のすき間が出来ます。

たしかに勉強する中で恐ろしい事や悲しい事、残酷な事なども出てきますが、未知を超える恐怖はそうありません。

 

タグ的にこの記事を読んでいる初見さんは、何かしらの持病をお持ちの方が多いのではないかと勝手に思っています。

きっとお一人でとても大きな不安と恐怖を抱えて、気休めでも安心したくて、色々なサイトを覗いてここにたどり着いている方もいるのではないでしょうか。

でも結局、自分の知識が一番安心させてくれるものです。

私の記事如きがその心の陰りを晴らすことは出来ないとは分かってはいますが、せめてこの記事を読んでいる数分間は、そういう陰りを忘れ去る手伝いができれば良いと願っています。

 

この歳になると、もう検査は怖くありませんが、マンモグラフィーは未だに慣れません。

無くなる事はない私の可愛いしこり達と、これからも上手に仲良く付き合っていきたいと思う、今日この頃です。

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雛人形と冷めたコーヒー《結婚のお話》

こんにちは。

今月めでたく29歳を迎えるということで、先日実家に帰った際、母親に「頼むから結婚してくれ」と頭を下げられたはるらっしゅです。

結婚って親に頭下げられたところで出来るものなのか。

だとしたら、親の本気度が足りないんだぞと憤りが隠せません。

 

今回は【結婚】について語る回です。

はるらっしゅをはじめとする、独身アラサー女子からすると血反吐が出るようなテーマですが、これを読んで少しでも心が軽くなっていただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅと親の結婚論争

思い返すと、私の両親は初動は早いが、後片付けが壊滅的に下手でした。

女の子が生まれた家では雛祭りに雛人形を飾る風習がありますが、こんな俗説をご存じでしょうか。

 

雛人形を早く片付けないと嫁に行き遅れる】

 

察しが良い方はお気づきでしょう。ええ、そうです。

私の両親は、毎年雛祭りになると「すぐ片付けると可哀そうだから」という謎の親切心を発揮して、なかなか雛人形を片付けませんでした。

毎年私と妹が「さすがに嫁に行けなくなる」と懇願して、4月下旬にダラダラと雛人形を片付ける有様。

どう考えても、私が嫁に行き遅れている原因はこれです。

やはり俗説とは言え、昔から語り継がれる話というものはある程度の信憑性があるということでしょうか。

こんな経験から、万一私が娘を産んだら、雛人形は雛祭り終了後当日に徹夜してでも片付けると心に誓っております。(まず子ども産む予定がないけれども。)

 

余談はさておき、私が28歳になってから両親は変わりました。

以前までは「彼氏いないの?」だったのが、いつからか「結婚しないの?」という聞き方に変わり、一切の遠慮が無くなりました。

やはり人間、歳を取ると心が弱るのか。

父は「早く結婚してくれ」と、私の顔を見るたびに拝みだす。

母は「結婚しないの?なんで?え、なんで?」と職場の上司の如く詰めだす。

それを見て私は白目を剥く。もう誰も幸せにならぬ惨劇です。

 

そして、そんな両親のマシンガン詰めを聞き流しながら、私はいつも思うのです。

なぜ私が結婚すれば、両親は安心するのか。

両親は私の幸せを「世間一般の人と同じ年齢で結婚すること」だと勘違いしているのではないか。

だから私は、両親に「子どもを欲しいと思ったことがない」とずっと打ち明けられないでいます。

 

先日立ち会った独身女性の井戸端会議について

SNSというものは、時に人の心を殺します。

この歳になると友人のインスタやフェイスブックには続々と結婚や出産の報告が並び、LINEのアカウント名も新しい名字に変わっていきます。

 

先日、彼氏に振られ「もう私絶対結婚できない、死ぬ」と夜中の4時半に泣きながら電話をしてきた大学時代の友人が、インスタに「妊娠しました、結婚します!」と投稿していたのを見た時は、こちらが死にそうになりました。

何だったの、あれ。

 

私の親しい友人で結婚していない女性は片手で数える程度になり、全員で集まって井戸端会議をした際は、「世の中の独身男性は、ヤリモクしか残っていないんじゃないか(全員男運が無い)」と世の男性への恨み節を3時間ほど吐き出した後、「私達は結婚しないでいよう、老後はルームシェアして孤独死を防ごう」という謎の同盟を発足する始末。

私は顔を引きつらせながら、冷たくなったコーヒーを啜っていました。

 

結婚しないのは悪なのか

私は周りと比べてキャリア志向が強めです。

結婚は私にとって「したい」ものではなく「しなければならない」義務であり、親のため、世間体のために形だけ籍を入れてもらえれば良い。

だから、子どもは自分のキャリアに邪魔になるから欲しいと思わない。

学生時代から私はずっとそう考えていましたし、正直今でもそれが本心です。

 

そもそも私は、収入が安定しているので衣食住は全て自分で賄えます。

性欲だって、必要な時に発散できる手段は腐るほどあります。

挙句の果てにBTSのジョングクにハマってしまったせいで、イケメン好きに拍車がかかり、「私、ジョングクと結婚したい」と本気で言いだし、最近まで世間一般の男性を恋愛対象として見れなくなっておりました。(KPOPは沼)

 

しかし30歳を目前に、一人でいると心細く感じる場面が多々あり、その寂しさを埋めるために、私は私を好いてくれる人とお付き合いをしてみようかなと、最近気持ちが少しだけ軟化してきました。

 

結婚しなくても幸せになれるこの時代で、結婚する理由というのは人それぞれです。

好き同士で結婚する人、妊娠したから結婚する人、世間体のために結婚する人、そして、一人で生きていくことに疲れてしまって結婚する人。

 

寝つけない深夜にたまに思います。

きっと私が結婚するとしたら、その時は私が相手を好く好かない関係なく、一人で生きるのに疲れた時なのかもしれない、と。

 

私は周りに「一人でも生きていけそうだ」とよく言われます。

でも、実際は皆同じ。皆、一人で生きていけます。

それでも結婚するのは、皆誰かに寄りかかりたいから。

人は強くないから、拠り所が必要。だから、結婚する。

自分が病気をしたときや老後の生活の保障、世間体のために結婚する。

でも、別に良いと思うのです。それだって、立派な結婚の理由ではないでしょうか。

 

こんなことを言うと、「そんなことない、私は相手が好きだから結婚した。」「結婚には愛情が一番必要だ。」と言う方もいるでしょう。

それはそれで素敵な考えですから、否定するつもりは毛頭ありません。

 

ただ、結婚しているから幸せだとか、結婚していないから売れ残りだとか、好きな人とじゃないと結婚してはいけないとか、そういう固定観念を圧しつけるのは、令和のこの時代ではナンセンスだと思うのです。

 

結婚は、自分の人生をより良くするための契約にすぎません。

結婚したって何をしたって、人は結局孤独です。

死ぬ時は誰だって一人なのですから。

そして、自分を幸せにできるのは結婚相手ではなく、自分です。

だから私は、結婚をすることで私の人生に少しでも諦めや制限がかかるとしたら、孤独を選びます。

私にとっての幸せは、私がなりたい私になることだからです。

 

私は30代前半のうちに、分譲マンションを買うことが絶対に叶えたい夢です。

他にもワードプレスでブログを開設したいし、児童館で子どもたちと遊ぶボランティアがしたい。そして、猫を飼いたい。

この記事を書くために自分の夢を棚卸して気づきました。私の夢の中で、結婚の優先順位は低いのだと。

周りから見たら孤独に見えるのかもしれませんが、これが私の幸せです。

(きっとこんな話を両親にしたら、両親は泣いて悲しむでしょうが、致し方ない。)

 

陳腐に聞こえるかもしれませんが、人の幸せは人の数だけ存在します。

結婚したい人は結婚すれば良いし、したくない人はしなくて良いのです。

自分の幸せを他人の価値観に重ね合わせる必要はありません。

自分の人生は他人の期待に応えるためにあるのではないのですから。

 

私の大切な独身の友人たちと、この記事を読んでくださった独身女性、独身男性の皆様が、周りからのプレッシャーでなく自分の幸せのために結婚できますように。

そして、既婚者も独身者もそれぞれ偏見なく、自分が自分らしい幸せを追求できる世の中になりますように。

そう願う、今日この頃です。

 

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