スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

水平線は淡く滲む《転勤のお話》

こんにちは。

街を歩く人々の半袖率が着実に増えている中、一人いつから半袖に切り替えたら良いのか分からず戸惑っているはるらっしゅです。

皆は一体、何を基準に半袖に切り替えているのだろうか。

汗だくになりながら長袖を捲り、首を傾げて行き交う人々を見つめている今日この頃です。

 

さて、私事ではございますが【Trinka×はてなブログ特別お題キャンペーン】で先日応募した2ドルチップに惚れるが優秀賞を受賞しました。

blog.hatenablog.com

まさか選んでいただけるとは思わず、腰を抜かしました。

おそらく皆様がスターをたくさん付けてくださったおかげで、審査員の方の目に留まったのだと思います。

皆様、本当にありがとうございました。

引き続きマイペースにこつこつと記事を書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

※賞金1万円の面白い使い道を募集します。何か思いついた方は、ぜひコメントをお寄せください。

 

ここからが本題です。

本日のテーマは【転勤】。

最近風向きが変わって、急速に人生が変わり始めていることを実感しています。

人生が変わり始めると、他人からの言動に変化が現れ、自分の心境にも変化が起きます。

今回は私の実体験とともに、人生の岐路とその決断について語ってみたいと思います。

所詮は他人事だもの

本社への転勤辞令が出たと伝えたら、両親は今生の別れのように嘆き悲しんだ。

最終的にはそんな姿を見て「私はなんて親不孝者なんだろうか」と自己嫌悪に陥り、涙を流す私を両親が慰めるという、謎の状況に陥った。

「30歳を超えた時点で、転勤はもうしません。その時は辞めます。」と公言はしていたが、まさか29歳で辞令が下るとは。

夏には他県へ引っ越しということで、今から色々と慌ただしいのだが、私は周りが引くほどの心配症だ。

知らぬ土地でなど、本当に生きていけるのだろうか。

2ヶ月で野垂れ死ぬ気がする。

「死なないように」と引っ越しまでのやる事リストを作ってみたら、箇条書きで作っているはずのやる事項目がWord3枚半を超え、途方に暮れた。

取り急ぎ、転勤先の近場に住んでいる知人達に連絡すると、彼らはこぞって「連れていきたい所がたくさんある!」「住むならうちの近所にしなよ!」「栄転だね!」などとお祝いの言葉をくれたけど、全て所詮は他人事だった。

私がどんなに不安を吐露しても、「はるらっしゅなら大丈夫」としか、皆は言ってくれなかった。

いや、そうとしか言えなかったのかもしれない。

 

それは送り手の問題なのか、それとも受け手の問題なのか。

分からない、それとも分かりたくないのか。

どうして大人になればなるほど、他人事はより他人事になっていくのだろう。

自分のことで精一杯になって、他人に興味がなくなるからなのか。

それとも、大人になって自分に決定権が生まれるが故に、そう感じるのか。

 

所詮は他人事だもの、他人からの慰めに縋る方が間違っている。

他人に何かアドバイスを求めても、そのアドバイスの根底には各々のエゴが含まれているように感じてしまう。

自分の人生には関係がないから、その場限りで適当な事を言っているように聞こえてしまう。

 

でもそれは、私が他人に期待しすぎている裏返しなのかもしれない。

本来であれば、私の事は私で決めて、その決定に私が責任を持たないといけないのに。

私のメンタルは私が保たないといけないのに。

弱くて卑怯な私は、いつもその役割を他人に擦り付け、それをやってもらって当たり前に考えていたのだと思う。

 

人の親切を仇で返すような事を言ってるくせに、不安に支配された私は、今日も誰かに慰められている。

見栄やプライドを綺麗に着飾った、弱くて醜い、ちっぽけな臆病者。

それが私の正体だと痛感し、鏡に映る歪んだ姿を見つめた。

そして奥歯を噛みしめながら、私は私を軽蔑した。

 

水平線は淡く滲む

雲と光が滲む水平線は灰色がかった水色で、そこには透き通るほど透明で淡い世界が広がっていた。

 

転勤の話が出た途端、不安と恐怖で押しつぶされたはるらっしゅ。

現実から逃避したい一心で予約したパラグライダーを経験したその日、私は緩やかな弧を描く水平線を見て、地球が丸いということを生まれて初めて認識した。

 

東京スカイツリーの展望台の高さを超える、地上400メートル上空の世界。

人が存在しない世界。

それは形容しがたい光景で、空気が薄いわけでもないのに、胸が苦しくて涙が出た。

 

初めての事は誰だって、何だって緊張する。

パラグライダーに挑戦したその日、私は緊張して眩暈がしていた。

会場へ向かう道中3回もコンビニに寄って、トイレで手汗を洗い流していた。

落ちたら即死という恐怖に屈し、一緒に予約していた友人に先に飛んでもらう始末だった。

でも、いざ度胸を決めて飛び出してみると、そこには見たことが無い、祝福の世界が広がっていた。

 

大人になると、生活環境はなかなか変わらない。

人は安定を求める生き物だからこそ、自分で一歩を踏み出さないと変わらないのだ。

今回の転勤は、そんな臆病で弱い私を変える好機だと分かっている。

だから私は、怖くて不安で今にも泣き出しそうだけど、震える足で一歩を踏み出すと決めた。

今まで積み上げたものを全て崩して、人生を一から作り直すと決めた。

耐える理由を探しながら、たくさんの答えを抱えながら、悩み抜いて私が決めた。

 

きっと大丈夫。

どうかこの選択が、私にとって好機となりますように。

そんな事を切に願いながら、私は淡く滲んだ水平線に背を向け、私が住む世界に向かって高度を落としたのだった。

 

あとがき

ということで、ただでさえ亀さんペースの更新ですが、生活が落ち着くまで、更に更新頻度が落ちるかもしれません。

わがままは承知ですが、どうか温かく見守っていただければ幸いです。

引き続き【スナックおはるのざれごと】を何卒よろしくお願いいたします。

※パラグライダーの動画はInstagramで公開!

 

lit.link

 

100万回死んだねこ《希死念慮のお話》

こんにちは。
気候がどんどん暖かくなり、めっきり日が長くなった今日この頃。
皆が淡く明るいカラーリングを注文している美容室で、一人黒染めを注文しているはるらっしゅです。

今まで様々な髪色に挑戦してきたはるらっしゅ。
30歳を目前にして、やっと悟りました。
そう、当たり前ですが、結局地毛が一番美しい。

よくよく考えたら、40歳を超えたらいずれ白髪が生えるようになって、嫌でもカラーリングをしなきゃなりません。
そう考えると、地毛で生きていける期間も残り僅かだと思い立ち、この度黒染めすることを決意いたしました。
30代は黒髪で過ごし、その分ヘアケアに力を入れようと決意している、今日この頃です。


さて、最近は著名人の悲しい自死のニュースや、悲しい事件のニュースが増え、なんとなく気持ちが塞ぎがちです。
きっとそんな気持ちは私だけじゃないはず。

 

よって、今日は少し真面目な回。
希死念慮》をテーマに据え、私なりにしっかり向き合って、語ってみたいと思います。
この記事が、お読みいただく皆様にとって命について考える良いきっかけになりますように。

100万回死んだねこ

希死念慮は誰にでもある。
私もあなたも、煌びやかなハリウッドスターもその辺のお寺の住職さんも、歴代のローマ法王だって、人である以上、ある日突然「死にたい」と思う事はきっとある。
でもそれは、本当は死にたいんじゃなくて、ただ楽になりたいだけなのかも。

このテーマを選んだきっかけ

芸能人の自殺のニュースが報じられるたびに、【いのちの電話】や【こころの健康相談統一ダイヤル】の案内がアナウンサーによって読み上げられ、「悩みを一人で抱えるな」と繰り返し報じる。
コメンテーター達は「後追いを防がねばならない」と口をそろえてコメントし、警鐘を鳴らす。

そんなニュースを見る度に、私は疑問に思う。
自分の人生は他人の意見に委ねず、自分の思うままに生きろと推奨し、あなたの人生はあなたのものと謳う世の中なのに、どうして自死を選んではならないの?

最近、朝っぱらからそんなニュースが流れ続けている。
ネットニュースのコメントランキング上位はそんな話題で持ち切りで、各々が各々の思想を語っている。

そりゃそうだ。
だってこんなこと、なかなか口に出して話せない。
希死念慮は、個人の思想が色濃く反映されるセンシティブな内容だ。
でも誰もが一度は考える事だからこそ、避けてはいけない話題だとも思う。
だから私もこの流れに乗っかって、自分の考えを書くことに決めた。

どうして自死はいけないの?

「心の病を抱えていたのでしょうか?」
著名人の突然の自死が報じられるたびに話題に挙がるテーマだ。
本当は皆、理由など分かっている。
分かっているけど、肯定したくないだけだ。

人の命は儚く脆い。
ピーターパンに誘われたウェンディのように、今の辛く憂鬱な気持ちから、ほんの少しの間だけ解放されたいだけ。
突発的な自死の理由は、そんな単純なものだったりすると思う。

だから、突然の訃報がニュースになると世間で驚きの声が続々と挙がるけど、多分一番驚き悲しんでいるのは、亡くなった本人かもしれない。

 

この記事をタグで見つけ出した人はきっと、今少し疲れている人だと思う。
楽な気持ちになりたくて、色々なサイトの記事を読んで、それでも納得出来ずに此処までたどり着いた人もいると思う。
だから私は、このテーマについてしっかり向き合った上で、今死にたいと苦しんでいる人にこう伝えたい。

とても生きづらい世の中だと思うのです。
他人は簡単に「人に相談しろ」なんて言うけど、そんなの無理。
あなたはたくさん悩み抜いて、そして死にたいという結論に至ったというのに、世間はそれを否定する意見ばかり。
そんなの、自分の意見を否定されたようで、見ていて辛いはず。

自殺志願者を止めようとして「生きなきゃいけない」と声高らかに主張する人がいるけど、それはただの呪縛であり、あなたを救える言葉じゃないと、私は分かっています。
「生きていなきゃいけない」と言い張る人は、自分が一生懸命に生きていることに価値があると思いたいから、他人もそうだと思い込みたいだけです。
自分の抱いている脆い価値観を守るために、あなたにその価値観を圧しつけているだけです。
命というものは、壊すのは簡単だけど、一度壊したら元には戻らない。
二人称の死は人の心を殺すが故、そして自分が他人の死によって傷つきたくないが故に、自殺をしてほしくないと騒ぎ立てているだけです。

死にたいと思う気持ちは、別に特別な事でも、悪い事でもない。
心を消耗してしまう程にあなたが頑張っただけ、それはとても立派な事です。
だから、そんな弱くて儚い自分を責めるのではなく、認めて労って良いと私は思うのです。

あなたは死にたいの?
本当は死にたいのではなく、ただ楽になりたいだけじゃないの?
もしそうなら、休むという方法で楽になりましょう。
だって死んでしまったら、味や快楽は勿論、幸せと感じる美しい感情すら、きっと無くなってしまうのだから。

こんな事を偉そうに語っていますが、私だったら自死を選ぶか?と聞かれたら、答えはNOです。
私はしょっちゅう死にたくなるけど、きっと絶対に、どんな状況下に置かれても自死は選びません。
だって、嫌でもいつか私は死ぬから。
それなら、死ぬのは別に今じゃなくてもいい。
そのうち切望しても生きられなくなるのであれば、今は一生懸命足掻いてみようと思うのです。

高層ビルから飛び降りたり、首をくくったり、毒を飲んだり。
死ぬための、その凄まじい度胸を幸せに生きるために使ってみても損はないはず。多分。

あとがき

不幸は【寒い・ひもじい・もう死にたい】の順番でやってきます。
温かい湯舟に浸かって、無理にでもご飯をたくさん食べて、それから好きなアニメや漫画を観て。
そして睡眠薬を1粒飲んで、さっさと寝落ちしてしまいましょう。

ちなみに私はしんどい時、【100万回死んだねこ】という本を読んで、毎回ばかうけしてます。

amzn.to

大丈夫。
寝てしまえばきっと、明日には少しだけ心が楽になっているかも。
辛い状況だって、少しだけ良くなってるかも。
死にたいという気持ちはPCのフリーズと一緒。
不調なら、寝て再起動してしまえばいい。
人の心なんて、意外と単純なんだから。

www.mhlw.go.jp

lit.link

stand.fm

よるべなき夜の羊たち《プレッシャーのお話》

こんにちは。いいえ、こんばんは。

ただ今の時刻は、深夜4時過ぎでございます。

昨日まで夜22時には欠伸をしながらベッドに潜り込んでいたというのに、今日になっていきなり眠れなくなったはるらっしゅです。

これでは明日の仕事に響くこと必須ですが、眠れない時は眠れない。

仕方なく、ベッドから這い出て筆を取った次第です。

 

眠れない夜に暗い部屋でベッドで横になり、天井を見つめているとネガティブなことを考えがちです。

将来のこと、恋愛のこと、仕事のこと。

色々な考えが巡って、余計に目が冴えます。

今回のテーマは【プレッシャー】です。

私はいつも文章を書く時、読んでいただく皆様が楽しめることを第一に心がけていますが、今回はいつもとは全く違います。

これは不安で押しつぶされ、眠れなくなった私のためだけに書く記事です。

どうかこれを書き終わる前に、眠気が訪れますように。

 

よるべなき夜の羊たち

暗い天井を見つめている。

身体が熱いような気がして布団を剝いでみたけど、身体の熱は引かず、剥いだ布団を掻き抱くようにしてうつ伏せになった。

目を閉じて羊を数えてみたけど、羊たちは一匹ずつ私の頭の中から外に飛び越えて、闇に溶けていった。

眠れぬ夜に数えたよるべなき夜の羊たちは、一体どこに行くのだろうか。

身体の熱も羊たちと一緒に、闇に溶けていけばいいのに。

 

枕元に置いたケータイを開きSNSを開いて、一覧を眺めながらため息をついた。

私と同じような投稿をしていた友人たちは、皆結婚した途端に新婚らしい手料理や旅行の写真ばかりを載せるようになり、子どもが出来た途端、SNSは総じて子どものアルバムと化した。

中には陣痛の実況中継をしている友人もいる始末。

お前の陣痛実況を聞きたがっているのは、傍にいる旦那と親だけだ。

文字を打ってる余力があるなら、力んでさっさと産んでしまえ。

そんな悪態を思いついてしまう自分に嫌気がさす。

 

最近、SNSを見るのが憂鬱だ。

年齢のせいもあるかもしれないが、皆が一斉に結婚し出産し始めた。

私だけ一人取り残された感じがして、彼女たちのSNSを見ていると胸がむかついてくる。

「我が子が一番かわいい合戦」を狭い世界の中で繰り広げ、毎日のように掲載されている赤ん坊たち。

他人の私からすると、正直全員同じ顔に見えるし、全然可愛くない。

猿を映しているとしか思えない写真たちに、心無い「いいね」を押す。

不安や嫉妬、憎悪や羨望をハートマークに擦り付けるように。

 

私は子どもが嫌いだと思っていた。

他人の子どもを見て「可愛い」とは思えど、欲しいと思ったことは一度もない。

でもそれは、もしかしたら私が子どもを産めないからそう思うようになっていたのかもしれない。

皆が易々とクリアする、その課題を私だけクリアできない、負け惜しみなのかもしれない。

 

分かっている、分かっているのだ。

両親をはじめとする周りが私に何を望んでいるかなど、手に取るように分かる。

きっと周りと同じように、平均的な人と結婚して子どもを産み、平凡な家庭を築く。

平和で温かくて、代わり映えのない退屈な毎日の主人公になること。

それが、私の周りが私に期待していること。

でも、どうしてもそれが出来なくて、私はいつも自己嫌悪に陥る。

 

要因は色々あると思うけど、大きく分けると以下二つだ。

まず一つ目。

結婚しなきゃと思うけど、結婚したいと思える人に出会えていないこと。

以前は簡単に恋に落ちていたのに、最近はめっきり恋が出来ない。

別に相手の粗探しをしているわけでも、男性恐怖症という訳でもない。

ただ、会う相手に男性としての魅力を一切感じていないのだ。

だから、そんな彼らと寝ても全く何も感じないし、また会いたいとも思わない。

彼らの考えていることなどに一切の興味がないし、触れられるのがそもそも不快だ。

こんな状態で、一体どうやって結婚をすれば良いと?

 

二つ目。

結婚と出産に、魅力と意味を一切見出せていないこと。

子どもを産んだ友人たちと会うと、彼女たちはどうしても所帯じみて見える。

それは老けたという話ではなく、自分の見た目に時間がかけられなくなった結果だ。

子どもが生まれれば、どうしても子どもが第一優先になるから致し方ないと思う。

しかし話を聞いていると、彼女たちの思考回路は、彼女たちの見た目以上に変化していることに気づく。

話す内容は子どもの将来のことばかりで、子どもにはどんな習い事をさせたいとか、受験はどうするかとか。

独身で子どもを産んだことがない私からすると、まるで自分の夢を子どもに擦り付けているように聞こえる内容ばかり。

私には、それが恐ろしく醜いことに感じた。

まるで自分の人生を諦めて、子どもにそれを託し、子どもが大成することで自分の承認欲求を満たそうとしているように見えて、それが不気味だった。

もちろん世の中には色々な人がいるから一概には言えないけど、私が見てきた女性たちの大半はそうだったから、それがスタンダードなのだと思っている。

 

結果、私には無理だと思った。

私は何よりも私が大切だし、莫大な金(養育費)と自分の人生を諦めてまで、子を成すメリットが一切見つからない。

そして、子どもを産まないのであれば、結婚をする必要性は一切ない。

だって私はいつも、恋人がいない時の方が、日々が楽しく感じてしまうから。

それはおそらく、高校生から26歳までの約10年間、恋人がいなかった時期がほぼなかったせいで、直近3年間の、この自由な感じが自分らしく居られて心地良く感じてしまうせいだろう。

 

こんな考え方だから、結婚や出産で皆がおめでたい中、私だけ何もおめでたくないという、悲劇的な構図が出来上がっているわけだ。

これが俗に言う【こじらせ】だと思う。

 

こんなことを偉そうに話しているくせに、SNSを見ては不安になって、両親からの圧力に縮こまってしまう。

私の望みと、周りからの期待から来る義務感がせめぎ合って、心がすり減っていく。

周りが結婚して出産するたびに苦しくて、焦る。

きっとこういう気持ちが、世のアラサー女子たちを婚活に走らせるのだと思う。

でもよく考えてみると、それは「周りと同じでいたい」というマウンティング本能から来ている見栄であって、自分の望みではないことは目に見えて分かる。

だから、こんな状態で結婚や出産などしたら、お先真っ暗だということも分かる。

好きでもない人の子を産んで、別れてシングルマザーになる。

悲劇過ぎて、親が泣くこと必須だ。

 

全く、我ながら情けない。

私が私らしく生きていくことが、私にとって一番幸せだというのに。

弱い私は、私が幸せに生きるために腹を括れず、ずっとうじうじしている。

そんな私が嫌いだし、情けないけど、それが私なのだから仕方ない。

結婚するにせよ、出産するにせよ、独身を貫くにせよ、私が幸せになれる選択を私自身で導き出せますように。

そのために、私はこれからもきっと悩み続けるのだと思う。

そんな私が情けなくて恥ずかしいけど、少し人間らしくて可愛くも見える、今日この頃です。

 

寝不足でぼやけた頭をリセットするために、窓を開けて空気を吸い込む。

夜が明けてきた。

眠れずに数えた羊たちが闇に溶け込んで、漆黒の闇が柔らかい白が滲む群青色に変わったのか。

眠れずに淹れたホットチョコレートは冷えきって、チョコレートが底に沈殿している。

それを一気に飲み干し、その濃さに顔をしかめた。

眠れぬ夜はいつもベッドの中でネガティブな考え事をして、最後には睡眠薬を飲んで寝落ちする私だが、たまにはこういう夜があっても良いのかもしれない。

不安を文章化したおかげか、何も解決してはいないけど、モヤモヤは薄まった。

大きく伸びをしてパソコンを閉じ、シャワーを浴びに浴室へ向かう。

さあ、週明け月曜日。仕事だ。

lit.link

stand.fm

花火に濡れる《恋愛感情のお話》

こんにちは。

GWに入ってはしゃぎ過ぎた結果、昼夜逆転生活になり、体調が悪いはるらっしゅです。

大学生時代は夜中の3時過ぎまで起きていることなど当たり前でしたが、この歳になると、如何せん体力が続かない。

「GWはゆっくり休めましたか?」という会話が社内で飛び交う中、ひとり連休前よりも疲れている私。(昼間に遊べば良いだけ。)

 

さて、GWになると街の雰囲気もにぎやかで、普段会わない人とたくさん会います。

そんな雰囲気に呑まれて、はるらっしゅも皆と等しく、少しだけ破目を外して遊び惚けておりました。

GWという言い訳で暫く執筆から離れていたせいか全く書けなくなっていて、「これが俗に言うスランプなのか」と動揺が隠せません。

 

よって、今回はリハビリ回です。

【恋愛感情の話】というテーマで、久しぶりに記事を書いてみようと思います。

文章の質が落ちているかもしれませんが、感覚を思い出しながら一生懸命に書きますので、どうぞ酒の肴にでもして、楽しくご覧くださいませ。

 

 

深夜12時の鉄塔

巷では「運命の人は3人いる」なんてよく言うが、私の場合、うち2人は既婚者だった。

その2人は既に誰か分かっているし、ともにその話を抵抗なくするので、互いに認める運命の相手だったに違いない。(残り1人は、絶賛捜索中)

先日の手相占いで「結婚は35歳、その前に結婚してもバツが付くよ。」と断言されたはるらっしゅは、今はフリーを楽しむ時期と割り切り、頑張って毎日を生きております。

 

フリーを楽しむのだから、誰と何を楽しもうが私の勝手。

GWのメインイベントの一つは、その運命の相手の1人だったUくんとの花火大会だった。

その日は2人でお寿司を食べていて、何か楽しい事がしたいと私が言い出した。

その後「夜の海で花火をしよう!」と、まるで大学生の夏休みのような計画を立てた私達は、花火とチャッカマンを買い込み、暗い夜の海に向かって車を走らせた。

 

夜の海はさざ波の音が大きく、そして重たく周囲に響く。

風が強くて火花が散りまくる花火を、私ははしゃぎながら振り回して、彼はそれを目を細めて眺めていた。

今思えば、服に火花が飛んでいたら穴だらけになっていたと思う。

そんな花火を早々にやり切り、暗い砂浜を2人で歩いた。

彼は「気持ちが良い」と風を仰ぎながら、缶ビールを飲んでいた。

私はそれを見て、笑っていた。

 

「大学生の夏休みのようだ」と私は彼に話しかけ、潮風を浴びながら大きく伸びをした。

「俺もはるらっしゅと同じ大学に通っていれば、こんな風に楽しかったのかな」と言ってビールを飲む彼に「そしたら、私と一緒になったの?」と聞きたい衝動を抑えて「きっとそうだったかも」と答えた私は、ここが暗闇で良かったと心から思った。

 

私は聖人じゃない。

私にだって嫌なことがあるし、嫉妬だってする。

私は彼のパートナーの話が嫌いだ。

そして、もしも話が何よりも大嫌いだ。

叶わぬ夢に思いを馳せることほど、心を消費し侘しくなることはないから。

 

彼には幸せになってほしいと思うけど、彼の円満な家庭の話など聞きたくない。

そして、そんなことを考えている私の姿は絶対に見せたくない。

だから静かに深呼吸をして、ゆがんだ醜い顔を綺麗な笑顔に戻す。

私は笑って、わざと彼のパートナーの肩を持つ発言をする。

本当は「こっちにおいで」と言いたい口を塞ぎ、彼が私にもたれ掛かってこないように。

私の歯止めが利かなくならないように。

 

そんな事を考えたせいか、その日の夜、私はいつもより少しだけ素直でわがままになった。

彼を帰したくなくて、深夜だというのに車を走らせ続け、鉄塔のイルミネーションを観に行った。

 

その道中、彼は服から露出する私の鎖骨が綺麗だと言った。

その一言で、私は確信した。

私は彼が好きだが、彼とは一生寝てはならないと。

 

彼はいつも私を頻繁に褒めた。

それが嬉しくて、私も彼を頻繁に褒めた。

きっと私達は互いに対して、ある種の憧憬を抱いている。

でも、一度でも彼に触れたらそれは砂の城のように崩れ去り、そしてこの関係は終わる。

なんとなくいつも、そんな気がしていた。

 

彼の中の私は、どうかずっと綺麗でいてほしい。

人間らしい生臭さや感触など微塵も感じず、まるで無機質な人形のような存在で。

彼と一緒に見たこの鉄塔のイルミネーションのように、触れられないけど、ずっと綺麗で見ていたい、そんな存在でいてほしい。

 

車など全く走っていないのに律儀に点滅する信号に停められ、ため息をつく。

道路工事の明かりをぼんやりと見つめながらそんな事を考え、深夜1時過ぎの環状道路の光が少し滲んで見えた。

 

けだるい背中

背中がけだるいし、身体からいつもと違う甘いにおいがする。

寝ぐせで乱れた髪をかき上げて、彼がテーブルのリモコンの下に隠すように置いた一万円札を後目に、ため息とともにアフターピルを飲み込んだ。

 

長期休暇になると、学生時代の友人達が地元に帰ってくるので、私のGWの半分はいつも同級生との食事会で埋まる。

約10年ぶりに会ったYくんは、相変わらずの人懐っこい笑顔と言葉で私を笑わせてくれた。

言葉尻の癖や、優しい所作やにおい。あれから何年も経つのに何も変わらなくて、それが無性に嬉しくて、童心に帰ったように笑った。

 

きっかけは私。

何の気なしに見ていたSNSで彼を見つけ、懐かしくて連絡した。

それだけだった。

「今度会えたら良いね、連絡して」という社交辞令半分の願いを、彼は律儀に叶えてくれた。

そういうところが、昔から好きだった。

 

私はいつも、人に合わせて酒を飲む。

飲まない人と一緒に食事をする時は、一部例外はあるが、基本的に一滴も酒は飲まない。

一方で酒豪と食事をする時は、自分の飲むペースを落として、相手と同じ量を飲んでいるようにうまく演出する。

彼の場合は後者だった。

多少陽気になるとは言え、飲んでも飲んでも変わらない彼を見て、この後の展開など容易に想像できた。

 

私が憧れていた彼もまた、私と同じ人間だった。

彼はあの頃と何も変わらないのに、それにときめかなくなった私は、一体何が変わったのか。

彼に憧れていた頃の昔の私だったら、きっと喜んだであろうこの状況が、どうしてこんなに虚しいのか。

朝方「寒い」と言って布団に潜り込み、服の中に入ってくる手の感触を感じながら、小さくため息をついてそんな事を考えた。

 

私は最近、セックスが嫌いだ。

嫌いというより、けだるいのだ。

昔は興味があって色々試したが、この歳になると如何せん飽きる。

誰としたって誘い方から果て方まで、全部全部ワンパターン。

そんな事をしている暇があったら、睡眠時間を確保したいし、そんな退屈なセックスしか出来ない自分が心底嫌になる。

だからこそ、私はもう好意のある相手とじゃないと出来ないのかもしれない。

 

先日友人が「旦那は要らないけど、とりあえず子どもがほしい」と話し、それを笑いながら「分かる」と聞いていた私だが、あれは訂正する。

今の私は好きな人が欲しいのであって、仮初の旦那はおろか、子どもすら全く欲しくないのだと思う。

だって、最中私はずっと、アフターピルのストック場所を思い出そうとしていたのだから。

 

コップをシンクに置き、テーブルに近づいて、置かれた一万円札の意味を考える。

何も考えていなかったのか、昨日の飲み代として置いて行ったのか。

あるいは、私がそういう避妊をすることを見越しての薬代だったのか。

少しおいたが過ぎたなと反省しつつ、一万円札をつまみ上げた。

なんだか今のこの状態が少し滑稽で、彼も彼でやらかしたと思っているのだろうと想像するとそれもまたおかしくて、思わず「ふふっ」と笑いが漏れた。

それを静かに財布に閉まって、けだるい背中をほぐすために伸びをする。

けだるいのは背中なのか、それとも心か。

ため息をひとつついて、私はシャワーを浴びに浴室へ向かった。

 

好きになってくれる人を好きになれたら

告白を渋る人の背中を押す時に、いつも言うセリフがある。

「告白されて、嫌な気持ちになったことある?少なからず嬉しいじゃん。だから、迷惑になんてならないし、勇気を出して告白してみなよ。」

すまんが、あれは嘘だ。

私は、私が好きだと思えない人から告白されても心は動かないし、全く嬉しくない。

むしろ、どう断ったら後腐れがないか頭を抱える始末だ。

 

しかし一方で、明らかにタイプでない人でも言い寄られて、とりあえずで付き合ってみたら上手くいき、結婚にまで至ったカップルをいくつも見てきた。

そんな彼らの結婚報告のSNSを見て思う。

自分を好きになってくれる人を自動的に好きになれたら、どんなに楽か。

 

最近、めっきり恋愛が出来なくなった。

以前はあっという間に恋に落ち、あっという間に寝てたのに。

歳を重ねるごとに、どんどんときめかなくなって、人を好きになれなくなった。

 

こんな私でも良いと言ってくれ、付き合おうと提案してくれる人達は、一体私の何を見てそんな事を言うのか。

「私のどこを気に入ったの?」と聞くと、「優しい」「頭が良い」「育ちが良さそう」と取って付けたような言葉を並べて、まるで私が聖人のような口ぶりで内面を褒めてくれる。

でも、私が陰でこんな生活を送って、こんな事を頭の中で考えていると知ったら、果たして彼らはどう思うのだろうか。

 

時々、全部話してしまいたくなる。

男性が女性を好きになる時は一目惚れしかないというのに、何を取って付けたような、下手な口説き方をするのか。

私は優しくもないし、頭も良くないし、育ちも別に良くない。

人並みに遊ぶし、人並みに過ちだって起こす。

あなたの褒めるその私は、あなたの中で出来上がったイメージ像であって、結局私の事など何も見えていないじゃないか。と。

 

全部ばらして、彼らの表情が歪んでいく姿が見てみたい。

そんな衝動を腹に抱えながら、私はいつも願っている。

白馬の王子様じゃなくていいから、私の醜さを見て欲しいと思える、私が愛せるたった一人がいつか現れますように。と。

 

あとがき

執筆はスポーツと同じで、1日さぼると感覚を戻すまで3日はかかることを痛感しました。

書くこと自体がなんだか難しくて、GW前の自分が凄いなと思う、今日この頃です。

少しずつ感覚を取り戻せるように頑張りますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

lit.link

stand.fm

2ドルチップに惚れる《英語のお話》

こんにちは。

桜が散って一気に暖かくなったので、ようやく重い腰を上げてランニングを始めたはるらっしゅです。

健康診断まで残り2ヶ月、最低でも4㎏は体重を落としたく、毎日奮闘中です。

と言いながら、会社のお客さんから貰ったフルーツ大福を食べてこの記事を書く、今日この頃。

先行きが不安過ぎる…。

 

さて先日、新型コロナのニュースを観ていた際、海外でのマスク着用の緩和について報道がされていました。

少しずつ日常生活が戻りつつあるように感じ、とても嬉しかったです。

皆様は新型コロナが落ち着いたら、何をしたいですか?

私は真っ先にこう答えます。

「もう一回、ラスベガスに行きたい。」

 

今回のテーマは《もしも英語が使えたら》。

私が以前旅行した、アメリカ・ラスベガスの思い出話をざれ言チックに語ってみたいと思います。

どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

赤いドレスのサンタクロースとチャイナブルー

「ラスベガスのカジノにはドレスコードがあるから、綺麗なドレスを一着用意してね」と会社から指示された私は、背中がざっくり開いた赤いマーメイドドレスを意気揚々とトランクに詰め込んだ。

 

新型コロナが流行る前、私が勤める会社では年に一回表彰式があって、成績優秀者に海外旅行がプレゼントされていた。

私が過去にその賞を受賞した際、その旅行先がラスベガスだったわけだが、日程が12/22~26と、クリスマスシーズンのど真ん中。

こんなの、テンションが上がらないわけがない。

マライアキャリーのクリスマスソングを爆音で流しながら荷造りをする私を、母は「迷子になったりしないかしら」と不安げに見つめていた。(この不安は、のちに的中する。)

 

同じ賞を受賞した同僚たちと成田空港から飛び立ち、片道約14時間。

道中の国内線では、羽が錆び付いた飛行機にミニスカサンタのおばちゃんCA、しまいにはサンタ帽を被って飛行機を操縦するパイロットを見て命の危険を感じ震えたが、その心配は杞憂に終わった。

 

はじめてラスベガスに降り立った感想は一言「砂漠」に尽きた。

YouTubeやネットの世界で観た、あのキラキラ街はどこ?

え、私が乗っている車と並走しているあれは何?鹿?

砂漠では使えないであろう、ドレスを詰め込んだトランクを抱えて震えるはるらっしゅだったが、考えてみればそりゃそうだ。

ラスベガスは、近くにグランドキャニオンなどがあるような自然豊かな土地。

さすがにハイヒールでは広大な自然の中を歩けないと思い、現地でスニーカーを購入して、大地を駆け巡るはるらっしゅ。

とっても楽しかった。(同僚からは、はしゃぎ方が猿だと言われた。)

 

夕方からは宿泊先のホテルに向かうべく、ようやくあのキラキラ街に移動したわけだか、とにかくネオンが凄い。

夜に街中を走るのに車のライトが必要ないくらいの彩光で、そのネオンに負けないぐらいに私の目もギラギラと輝いたが、その5時間後に弊害を知る。

察しが良い方ならお気づきだろう。

そう、外が眩しすぎて眠れないのだ。

遮光カーテンを閉めても明るいって何?

遮光の概念とは?

私は幼少期から真っ暗闇でないと眠れない。

エアコンの電源ランプが付いてるだけでも気になって眠れないのに、日本でいう夕方4時くらいのこの明るさの中で、どうやって眠れと?

時差ぼけの影響か、隣でいびきをかいて寝ている同僚を後目にため息をついて、私は静かにトランクを開けた。

 

ラスベガスにある全てのホテルの1階は、カジノになっている。

「眠れないのにベッドに横になっていても仕方ない」と、冒頭に登場した赤いドレスを身に着け、小さなハンドバッグに10万円のキャッシュと煙草を忍ばせた私は、一人でカジノへ向かった。

 

現地時間で22時を回った1階のカジノは、様々な国籍の着飾った人で溢れかえっていた。

受付の黒服さんが丁寧にドアを開けてくれて見た、その煌びやかな光景が今でも忘れられない。

まるで舞踏会に来たシンデレラのような、そんなロマンチックな光景だった。

日本で背中の開いた赤いドレスなどまず着ないし、ピンヒールだって履かない。

非日常なその空間に気後れした私は、カジノの奥にあるカウンターバーでチャイナブルーを注文し、その光景をただ眺めていた。

 

チャイナブルーを飲み切る頃、綺麗なスーツを着た一人の長身男性が私に声をかけた。

名前はアンドリューで、30代の既婚者だった。

彼は私を中国人と勘違いしていたそうで、片言で「你好」と挨拶してきた。

それが無性におかしくて笑ってしまい、「おかしかったかな」と言う彼に「私は日本人です」と答えた。

彼は一瞬驚いた顔をしたが「綺麗な黒髪だったから、てっきり中国人かと思ったよ。」と笑った。

彼はラスベガスに観光に来たイギリス人で、私と同じく眠れずにこのカジノを徘徊している宿泊客だと言った後、「奥さんは部屋でぐっすり眠ってるけど」と苦笑した。

その後、意気投合した私達はそれぞれ10万円を使ってルーレットをした。

私の10万円は13万円になって返ってきたけど、アンドリューの10万円は7万円になってしまった。

私は落ち込んだが、彼は「君が勝ったから僕も嬉しいよ」と言って笑ってくれる、優しい人だった。

 

非日常な空間でお酒を飲むと、酔いの回りは各段に早まる。

その後テンションが爆発した私達は、カジノで残ったドル札を片手に、真っ赤なドレスとスーツ姿でホテルを抜け出した。

ネオン街を散歩し、ベラージオの噴水を観て、彼と色々な話をした。

 

私は、拙なくてゆっくりとした英語しか話せなかった。

その日ほど、もっと英語が話せればと悔やんだ日はなかった。

アンドリューは私の拙い言葉を理解しようと一生懸命に聞いてくれて、私はそれが嬉しくて、私達は夜通し話をしたのだった。

 

明け方、彼は私をホテルの自室に送り届けてくれた。

あえて連絡先は聞かなかった。

良い思い出として残しておきたかったから。

 

ここで終わればロマンチックなのに、これで終わらないのが私だ。

部屋に帰ると、同室の同僚が泣いていた。

「どうしたの!?」と駆け寄ると「はるらっしゅー!!」と抱き着かれた。

事態が読み込めない私は、「よかったー」と泣く同僚の背中を擦りながら、ベッドサイドに置いてある私のケータイのロックを外した。

着信67件。なにこれ。

戸惑いを隠せないまま、その着信履歴を見ていると、そこにまた着信。

震える指で通話ボタンを押すと、一緒に旅行に来ていた先輩から「お前!今どこだ!」と怒鳴られた。

「今は、部屋です」と答えると「そこにいろ!」と電話が切られ、その30秒後にインターフォンが鳴った。

 

開口一番に「ここは日本じゃないんだから、出かける時は誰かに声かけなきゃ心配するだろ、せめてケータイは持っていけ。」と大激怒な先輩たち。

「ほんとに心配したー、私が寝ちゃったせいではるらっしゅが行方不明になったかと思って」と泣いている同室の同僚。

彼女の背中を擦りながら、状況を整理した。

 

要はこういう事だ。

同僚が目を覚ますと、私は部屋から忽然と消え、ケータイは置きっぱなしで連絡も付かない。

待てど暮らせど、はるらっしゅは戻ってこない。

「いよいよまずい」と一緒に旅行に来ている先輩たちに相談すると、皆が心配して私を探してくれた。

 

今思えば、かなり申し訳ない事をした。

そりゃ、私も逆の立場だったら心配すると思う。

「皆さん、ご迷惑をおかけしました。」と頭を下げながら、彼が買ってくれたサンタクロースのキーホルダーを手の中に隠した。

皆が私を探してくれている中、イケメン既婚者とデートしていたなど、口が裂けても言えない。

この思い出は職場の人には内緒にしておこうと決めた、ラスベガス2日目の朝だった。

 

2ドルチップに惚れる

ラスベガス観光1日目にして行方不明になりかけた私は、その後、先輩たちの監視下に置かれ、不機嫌にオレンジジュースを啜っていた。

 

私の海外旅行最大の楽しみはいつも、一人で散歩をすることだった。

誰に気を使うわけでもなく、のんびりと街を見てウィンドウショッピングがしたいのだ。

そもそもなんで旅行なのに、会社の人と一緒に行動しないといけないの。(会社の金で来た旅行だからだよ。)

 

人は簡単には変われない。

25日のクリスマス、我慢の限界に達した私は「お散歩してきます」と部屋に書置きを残し、夕方の街に繰り出していった。

 

今回は赤いドレスではなく、スキニーパンツにスニーカーというラフな装いでお散歩。

途中、黒人のお兄ちゃんに声をかけられてコカ・コーラショップまでの道を案内してもらったり、おすすめのごはん屋さんを教えてもらった。

おすすめされたのが、【セクシー】という名前のお寿司屋さんだったのが何とも言えなかったけれど。

 

これは街をぶらりと散歩して、あるドラッグストアに入った時の出来事。

母や妹、友人に配るお土産を買うべく、コカ・コーラショップやM&M'Sショップに立ち寄ったが、全く良い品が見つからない。

自分の物ばかり買って軍資金が少なくなり、両手に紙袋を引っ提げて「どうしたものか」と立ち尽くす始末。

結局「ドラッグストアで手頃なマニキュアを大量に買って、配ればよろし」という結論に至って、ホテル近くのドラッグストアに立ち寄ったわけだが、レジで会計をする際に衝撃的な事実を知る。

 

2ドル足りない。

どう数え直しても、会計で2ドル足りないのだ。

財布に入っている金額が会計に足りないなど、恥ずかしい事この上ない。

静かにパニックになるはるらっしゅ。

一旦何か商品を抜こうとカゴの中身を物色している時、レジのお兄さんが自分の財布を取り出して、トレーの上に2ドルを置いた。

一瞬何が起こったか分からずにぽかんとした後、事態を察して「いいです!商品抜くので、大丈夫です!」と言うと、彼はにっこり笑ってこう言った。

「いいんだよ。少ないけど、僕から君へのチップだよ。」

 

一瞬にして惚れた。

人生において、ここまでときめいた記憶が、今も昔も多分ない。

私は「あああっあ、ありあ、ありがとう」と、動揺が隠せないどもり方でお礼を言い(しかも日本語)、それを聞いた彼は笑いながら、片言な日本語で「どういたしまして」と言った。

あまりにそれがかっこよくて、恥ずかしくて、私は逃げるように店を出たのであった。

※帰ったら、また先輩たちに「言葉も通じないのに、一人じゃ危ないんだってば。せめて誰か連れてってよ。どうして分かってくれないの?」と諭された。

 

もしも英語が使えたら

もしも英語が使えたら、私は今すぐラスベガス行きの飛行機に飛び乗って、彼が勤めていたドラッグストアにもう一度行きたい。

彼はもうあのお店にはいないだろうけど、それでも会いに行きたいと思うのだ。

 

現代はAI機能が進歩して、翻訳機能を搭載したツールが世にたくさん出回っている。

それらを使えば世界中の人と話ができるけど、私はやっぱり自分の頭で考えた表現で、言葉で、話がしたいと思う。

 

あれから何年も時が経ったけど、彼のことを忘れることが出来ない。

それは憧憬か、あるいは後悔か。

だから私は、もしも英語が使えたら「あの時は、チップをありがとう」と、あの時の彼にちゃんとお礼が言いたい。

 

lit.link

 

stand.fm

「書く」ということ。《読者100名突破記念》

こんにちは。

最近はキャンドルを灯した部屋で、エモい曲をかけながらホットチョコレートを飲んでブログを書くのが至福なはるらっしゅです。

どんどん引きこもりになって出会いは減り、糖分の取りすぎで顎にニキビが出来ました。

色々と詰んでて、辛い。

 

さて、この度《スナックおはるのざれごと》の読者登録数が、めでたく100名を突破いたしました。

開始2ヶ月で100名を突破できるとはさすがに思わなかったので、非常に驚いています。

私の駄文にスターをくださったり、温かいコメントをくださる皆様、本当にいつもありがとうございます。

より読みやすく面白い文章が書けるように精進して参ります。

引き続き温かく見守っていただけますよう、どうぞよろしくお願いします。

 

ということで、今回は【読者100名突破記念】と題し、私が文章を書くようになったきっかけと、文章を書く際に意識していることをざれ言チックに語ってみたいと思います。

どうぞ、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

本の虫★はるらっしゅ少女の憂鬱

私は、本の虫界においてのディープインパクトサラブレッドである。ひひん。(馬の鳴き声)

というざれ言はさておき、私の両親は生粋の本の虫です。

そして私も、自他ともに認める本の虫です。

 

本というものは、読めば読むほど読む速度が上がっていくものですが、私はもともと文章を読むスピードが速かったようです。

そのスピードは、小学生時代に祖父母の家でハリーポッターを1冊1時間半で読み切り、祖父に「せっかく買ってやったのだから、ちゃんと読みなさい」と怒られ、「ちゃんと読んだもん」とあらすじを詳細に語り、祖父が「こいつは神童か」と腰を抜かした逸話が残るほど。

 

しかし、長年色々な本を読んでいると、内容がマンネリ化してきます。

当たり前です。人間の脳の造りは皆同じなのですから、想像には限界があるのです。

 

ある日、暇を持て余してアガサ・クリスティのミステリー小説(たしか【蒼ざめた馬】だったはず)を読み切り、ため息とともに本を閉じた私は閃きました。

「読みたい本が無いなら、作ればいいじゃない。」

私が文章を書き始めたのは、そんな事を考えた10歳の夏の日からでした。

 

小説を書いたことがある方には、もしかしたら共感していただけるかもしれません。

小説を書いている間、私は神様になれます。

私の小説の中に登場する登場人物達を、私は思うがままに動かすことが出来る。

私が望む希望や絶望、そして愛を創出することが出来る。

小説を書き始めた当時、それがたまらなく面白かったのです。

私は様々なジャンルの短編小説を学習ノートに書き綴って、それを鍵付きの引き出しに隠し、勉強するフリをしながら夜にコツコツと書き進め、そして空想に耽っていたのでした。

 

父のスパルタ教育と大学の課題レポート

大学を指定推薦枠で合格していた私は、周りが受験勉強で白目を剥いている中でけん玉に熱中している、どこにでもいる暇を持て余した女子高生でした。

「なぜけん玉なの?」と聞かれると困るのですが、なぜか当時私はけん玉に熱中しておりました。

ツバメ返しという名人技を習得しようと練習していた最中、玉がおでこに直撃し、「怪我の仕方がアクロバティック過ぎるんだわ」と受験勉強をしていた友人達に保健室へ連れていかれた記憶がございます。

皆、当時は邪魔してごめんよ。

 

受験が終わればそんな風に私が堕落することは、大学も承知済みだったのでしょう。

それを防止するための策なのか、私が入学する大学では、推薦合格者に対して、月に2種類のレポート提出が課されていました。

当時の高校生は、情報の授業でしか触らないパソコン。

周囲は苦戦していましたが、私はけん玉に熱中できる程度には余裕がありました。

なぜかというと、私の家庭教育が少し特殊だったからです。

 

私が生まれた1990年代初頭、パソコンはまだ希少品でしたが、私の父はITエンジニアだったため、当たり前のように家にパソコンがありました。

そして「これからの時代はパソコンが使えなきゃだめだと思う。」ということで、父は私が5歳の時に、当時流行っていたポンキッキーズのPCゲームを買い与え、「ただでさえ、ピアノと水泳と塾で疲れてるのに」という母の制止も空しく、私にパソコンを教え始めたのです。

買い与えたゲームはタイピングゲームでしたが、幼稚園児はローマ字が分かりません。

当時ピアノの鍵盤のドからドまでも届かないような小さな手で、ひらがな入力を少しずつ習得するはるらっしゅ少女。(かわいい)

 

後日知りましたが、日本国民のおよそ90%以上が、PCでの文字入力の際にローマ字入力を選択していて、残り10%の「かな入力」選択者は、ほとんどがITエンジニアだそうです。

 

父のおかけで、今ではローマ字とひらがな、どちらもブラインドタッチが出来ます。

ただ、ローマ字よりひらがなの方が、タイプ量が1/2で済んで早く文章が組み立てられるので、普段はひらがな入力でタイピングをしています。

ひらがな入力は、ローマ字とは違い、かなりアクロバティックな手指の使い方をするので、周りからはよく驚かれます。(この記事もひらがな入力で打っています。)

 

さて、話を戻します。

レポートは、作文や小論文とは比べ物にならないような文量を書きます。

今まで【〇文字以内】という制限の中で削り削り文章を組み立てていた私は、字数制限無く思いっきり文章が書けるのが、とにかく楽しくて仕方ありませんでした。

入学する学部が心理学部ということもあって、内容自体も興味があり面白く、鼻歌を歌いながら課題をこなし、コツコツとレポートを提出するはるらっしゅ少女。

 

そんなある日、【睡眠】についてのレポートを提出した時の事です。

家に帰宅すると、父がとても嬉しそうに私を出迎えてくれました。

何事かと聞くと、私が留守中に大学から自宅へ電話があり、父がその電話を取ったそうです。

光栄なことに私のレポートの出来が良く、教授が直々に電話をくださったそう。

「まるでエッセイを読んでいるようで、一瞬で読み切った。娘さんはエッセイストに向いている。」と大絶賛だったようで、父が「鼻が高い」とそのレポートを読みたがりました。

まさかそんな事になるとは思わず、少し恐縮しながらレポートデータを渡すと、父は興味深そうに目を細め、その後、私の目を見て「お前の文章は、読みやすくて面白い。」と笑って褒めてくれました。

 

今でこそ丸くなって優しい父ですが、学生時代はかなり厳しい人でした。

小学生の頃からテストで80点台を取ると「点数が低すぎる、なぜもっと頑張れないのか」と私の頬を平手打ちしアイスノンで冷やすのは日常茶飯事だったし、真冬に家から閉め出されたこともあります。

そんな父からこんな風に褒められたのは、おそらくこの時が初めてで、すごく嬉しかったことを鮮明に覚えています。

それ以来、私は文章を書くことが何よりも好きになりました。

 

文章を書く時に最も意識していること

そんなこんなで、今では文章を書くことが私の一番の趣味になりました。

普段はこのようなブログを書いたりしていますが、昔と変わらず小説を書くことも好きです。

20代最後の今年は、ぜひ一冊書き切って、公募に出そうと思っています。

 

投稿数が増えるにつれて、コメントで「文章が上手い」とお褒めいただくことが増えたり、InstagramTwitterのDMで、文章を書くコツを質問いただくようになりました。

私はずぶの素人ですが、そんな事を聞いていただけるなんて大変光栄なので、この場を借りて文章を書く時に意識していることを、少しだけご紹介したいと思います。

 

私が文章を書く上で、最も意識していること。

それは「小気味よい、読みやすさ」です。

 

【書く内容によって、文体と視点を変える】というのは、物書きをしている方であれば、皆が意識していると思います。

例えば、小説を書く時は第三者目線のである調だけど、エッセイを書く時は私目線のですます調など。

 

私のブログは基本的にエッセイ調で記事を整えていますが、過去の回想は小説チックなである調にして、ストーリー風にすることで読みやすさを演出できるように努めています。

 

私がエッセイ調の文章が一番好きですが、実はこれが一番書きにくい。

人に読ませるエッセイの文章は少し特殊で、日記のような文体とは少し異なります。

語りかけるような、でも話し言葉とは違う。

言葉に表すには微妙で難しい、結構特殊な文体だと思ってます。

 

では、そのような文体はどのようにして書くのか。

それは「音読」です。

私はいつも、最初の40分間で自分の書きたい文章を一気に書き上げます。

その後の20分間は、一文ずつ声に出して読み上げながら文章を校正していきます。

ポイントは【その一文が一呼吸でスムーズに読み上げられること】。

これだけです。

どもったり詰まったり、あるいは違和感を感じる文章は全て書き直します。

 

皆様もしている当たり前の内容かもしれませんが、音読をすることで自分の考え方や伝えたいことが上手に整理でき、読みやすい文章が作れます。

素人の意見で恐縮ですが、良ければ参考にしてみてください。

 

最後に

実家の物置に、当時書いていた短編小説たちがダンボールに入って眠っています。

先日実家に帰った際、約20年ぶりにそれを開いて読んでみました。

小学生の汚い字で、一生懸命に書いてあるそれを読んでいると、当時の記憶や心情が鮮やかに甦ってきて、感慨深い気持ちになりました。

あの頃は純粋に書くことが楽しかったし、自分の書いた作品を、自信を持って好きだと言えました。

 

きっとこれからも私は、文章を書くことを止めないのでしょう。

「書く」ということは、今も昔も、私にとって喜びだから。

昔の私と同じように、私が生み出す文章を私自身が好きだと胸を張って言える、そんな記事を生み出していきたいと思う、今日この頃です。

 

lit.link

 

stand.fm

幸福へ向かう選択《挑戦と勇気のお話》

こんにちは。

今勤めている会社の規定が変わって副業が解禁になりました。

春の陽気に誘われて、この度色々な副業に誘われているはるらっしゅです。

 

新しい事に挑戦するのは楽しいですが、どの副業も本業との兼ね合いで、どう調整しても7連勤状態。

春の陽気に誘われてと言うより、死神の妖気に惑わされて、が正解な気がします。

このままじゃ私、絶対に過労で死にます。

そもそも自分の時間が取れないのは嫌だし、何よりこのブログを書く時間が無くなるのが我慢なりません。(なんで副業しようと思った。)

 

ということで、無理なく続けられるものを見極めようと思っています。

断わる勇気も大事よね。

 

今回のテーマは【挑戦と勇気】です。

私の挑戦、私の身近な人の挑戦をざれ言チックに語ってみたいと思います。

 

 

美しさを金で買う美学

ある休日の昼下がり。

友人A子とカフェで待ち合わせをしている私は、コーヒーのおかわりを少し苛立ちながら注文し、入り口のドアを見つめていた。

苛立つ原因は、A子の遅刻だ。

A子の予定が後ろ倒しになっているせいで、当初の待ち合わせ時間から既に40分が経過していたのだ。

「さすがに遅すぎる」とLINEを開こうとした時、「ごめん!」と聞きなれた声がして顔をあげた。

すると、目の前には知らない綺麗な女性。

目が点になる私と、首を傾げる目の前の美人。

少しの沈黙が流れた後、「待たせてごめんね、はるらっしゅ」と目の前の美人が口を開き、同時にこぼれ落ちるくらいに目を見開く私。

「・・え!?」あまりのことに怒りを忘れ、ただ食い入るようにA子を見つめた。

 

A子は先月に整形したことや術後の辛さ、今日もクリニックの予後診察に行って経過が順調だったこと(混んでて遅れたらしい)等を語りながら、「最近やっと痛みが落ち着いたの」と笑い、アイスコーヒーに刺さったストローをくるくると回した。

施術箇所は目と鼻と顎。パグ系だった顔は、今では宮脇咲良似の超絶綺麗系だ。

人はここまで変わるものかと、黙って見つめる私に「ケーキ食べたくない?」とコロコロと笑いながら言うA子。

心ここに在らず状態な私は「うん」と間の抜けた返事をし、A子が差し出したメニューに目を向けた。

 

半年前に最後に会ったA子は、自分に自信のない、ごく普通の女の子だった。

大学時代は同じ学部に通っていたが、男性が苦手でいつも伏目がち、人の後ろに隠れるタイプの控えめで優しい女の子だった。

それが今では堂々としている。多分、私より。

整形は日本では未だに悪とされているけど、彼女を見ていると思う。

皆美しくなりたくて化粧品を買う。美しくなりたくて、歯科矯正をする。

美しくなりたくて美容室に行くし、ネイルアートだって、服やピアスだって買う。

私達の永遠のヒーロー【アンパンマン】ですら、顔が汚れたら挿げ替える。

 

お金で美しさを買って何が悪い。

男性の店員さんの目をしっかり見て、追加でケーキを注文しているA子を見つめながら、そんな事を考えた午後2時半過ぎのお話。

 

ライバーデビューのはるらっしゅ

ある日、InstagramにあるDMが届いた。

「ライバーになりませんか?」

以前からこの手のスカウトメールはたくさん届いていたが全て削除していた。

しかし、その日の私は、仕事でかなりしんどい事があって病んでいた。

仕事から逃げ出したくて、そのための手段は何でも良くて、逃げるように返信をした。

その後、打ち合わせをしてライバーデビューに向けて話が進む中で、2つの違和感が頭の片隅にずっと居座っていた。

 

1つ目の違和感は、稼ぎ方だ。

ライバーという仕事は、フォロワーにいかに有料アイテムを投げてもらえるか(これを投げ銭と言う)で稼ぎが決まる。

なので、画面の中のライバー達は一日に何時間も動画配信をしながら、ただひたすらに「アイテム投げて!」「ありがとう!」「ナイス~!」を繰り返す、本当に不毛な会話を永遠と続けている。

 

これを観た時、私は思った。「これは、ネット乞食だ」と。

画面の向こう側にいる大勢の人々を目の前にして籠を持ち、「アイテム(お金)をください」と大声で騒ぎ立ててるようにしか、私には見えなかった。

 

確かにライバーは見た目が可愛かったり、色気があったりする人が多い。

彼女たちの姿は見るだけでも有料、お金をかけてもらって当然という考え方もある。

確かにそうだ。だって、やってることはキャバクラとほぼ同じだし、フォロワーという名のお客様たちは、ライバーの可愛い笑顔を見て癒されるために配信枠に来ているのだから。

それでも私は、画面の向こう側の人たちが、ただ私に「ありがとう」と言ってもらうためだけに、1つ50万円もするアイテムを投げ込む世界が、無性に気持ち悪く感じた。

※これがライバーという職業の稼ぎ方なので、これが悪ということではありません。私がこの職業に向いていなかったというだけの話なので、ライバー全てを否定するつもりは毛頭ございません。

 

違和感の2つ目は、労働時間だ。

ライブ配信アプリは、集客のために長時間のライブ配信を推奨している。

しかも配信は毎日することが基本で、一日休むだけでランクが下がり、時給が減る。

そのために週に2枚の「おやすみチケット(通称おやチケ/これを使うと1日お休みしてもランクが下がらない)」が配布されるが、とはいえ、週2日しか休めない。

もはや働き方が、有給が取れないブラック企業に勤める、週5勤務のサラリーマンと同じ。

私の場合は、平日5日間は本業をしながらのライブ配信なので、タイムスケジュールはこんな感じ。

-----

《平日》9-18時ː本業 20-24時ːライブ配信

《休日》①11-14時②18-21時③23時-翌1時ːライブ配信 

※実際に事務所から提示された配信時間

-----

これは一体、どこでご飯を食べて、どこでお風呂に入るの…?(さすがに死ぬ)

ということで、これでは仕事に忙殺されて、Instagramスナックおはるも、ささいな知性も全て出来なくなる。

私の大好きな本すら、読めなくなる。

全細胞が「そんなの嫌だ!」と大絶叫しました。

どうしたら良いのか分からず若干鬱になり、そんなこんなで体調が崩れ、周りからは「まじでお前には向いてないから、いい加減諦めろ。辞めとけ。」と説得される始末。

 

巷では「すきま時間で稼げる!」と副業として宣伝されているライバーだが、こんなに自分の時間を犠牲にしていれば、そりゃ稼げるわな。

事務所と会社の人事が話し合いをしながら副業に関して諸々を調整していたというのに、結局はお断りの運びとなり、はるらっしゅの短いライバー生活は幕を閉じたのでした。(まだ始まってもないし、周りにめっちゃ迷惑かけた。)

 

挑戦する勇気と辞める勇気

何事もバランスが大事だと思うのです。

それは物事に挑戦する時も然り。

 

以前に書いた《焦りのお話》にも重なりますが、

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思います。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

人という生き物は、知能があるが故にとても難しい生き物で、常に何かしらの目標やある種の理想を追いかけないと堕落するし、一方で頑張りすぎると崩れる。

充実しているというのは、挑戦と辞めるをバランス良く維持出来ている状態を指すのです。

 

私は仕事が辛いと相談してくる会社の後輩に、必ずこの話をします。

私達が入ったこの会社では、新卒時代に果敢にチャレンジすることは教えてくれるけど、辞める勇気は教えてくれない。

でも優秀で良い人ほど、何の未練もなく、うちを辞めていくでしょう?

それは、自分にとってしたい事、したくない事を上手に整理してバランスを維持しているからだし、そういう選択が、充実した人生に導いてくれると知っているから。

私がこの会社で働いているのは、この会社の今の職種に勤めていることで、人に影響を与えられる社会的ステータスと、好きな事が出来る自由な時間を与えてくれるため。

愛社精神なんて、微塵もないのよ。

この会社が自分にとって何も利益を与えてくれないのなら、さっさと辞めなさい。

 

大抵は引き留めて欲しくて相談してくる後輩たちです。

「さっさと辞めろ」と言われて皆目が点になりますし、多分会社の人事が聞いたら、「いや引き留めろよ」と怒りそう内容ですが、結局はこういうことなのです。

 

自分を幸せにできる人間ほど、挑戦と辞め時がよく分かっている。

そして、挑戦すべき困難と、避けるべき困難も分かっている。

 

私がライバーになっていたら、今頃トップライバーになってCMに出ていたかもしれない。

ええ、私もそう思います。(どや)

周りからは「勿体なかったかもね」と言われましたが、私はこれで良いのです。

私自身が「これで良かった」と躊躇いなく言えれば、それがきっと幸福へ向かう選択なのです。

 

私にとって大事なのは、トップライバーになって年収何千万の世界に行くことじゃない。

自分の好きな物書きを存分に出来る、生活的余裕を確保すること。

そして、物書きでささいなランチ代を稼げるようになること。

ただ、それだけなのです。

 

人は一日に約35,000回の選択をしています。

私の今回の選択が、どうか私の幸せに繋がっていきますように。

この記事を読んでくださった皆様が、自分が幸せになるための選択をして、充実した一日、ひいては充実した人生を歩めますように。

そして、整形という選択で強くなった私の友人のA子が、より良い幸せな人生を歩めますように。

温かいコーヒーを啜りながらこの記事を書き、そしてそんな事を願う、今日この頃です。

 

《追伸》

短いライバー生活でしたが(デビューすらしてない)、プロフィールはがっつり作りこみました。

職場の先輩に見せたところ「盛りすぎwwww」とばかウケだったプロフィール写真を皆様にもおすそ分け。

最近の加工アプリって、すごいよね。

本物との差異は、ぜひInstagramでご確認ください。

※結局、この写真は【ささいな知性】のスタエフのアカウント写真になりました。

 

 

f:id:harulush:20220421101318j:image

 

lit.link

 

stand.fm

とある春の日のお引越し《一人暮らしのお話》

今週のお題「わたしの部屋」

 

こんにちは。

最近一気に春めいて、既に汗をかきながら通勤しているはるらっしゅです。

 

春は新生活を始める方が多い季節です。

通勤電車でもリクルートスーツを着ている新入社員を多々見かけるようになりました。

そんな彼らを目を細めながら眺めていると、私の新入社員時代を思い出します。

当時、綺麗なコートを羽織って、スターバックスのコーヒーを片手に優雅に出社。

そんな会社員生活に憧れ、そして、実現させました。最初の1年だけ。

 

私は壊滅的に朝が弱いですし、睡眠時間が人より長めです。

学生時代の予定のない休日は、夜10時から夕方の5時までの計19時間眠り続け、親が「いよいよ娘が死んだか」と心配して起こしに来ると、私自身もその時計の指す5時が朝方なのか夕方なのか分からず、ベッドの上でフリーズしている、なんてことがしょっちゅうありました。

 

社会人になったからって、突然体質が変わることはございません。

2年目以降はいつも通りに起きられず、遅刻ギリギリで会社に滑り込む私。

優雅の欠片もないどころか、走り過ぎていつも汗だくです。(走るフォームがオリンピックのピクトグラムのそれ。)

「毎朝遅刻ギリギリで出社しているせいで汗をかいているのだろう」と言われればそれまでなのですが、このご時世なので、あまりに汗をかいているとコロナじゃないかと疑いの目で見られがちです。

特に電車の中での疑いの目が凄い。

違います皆さん、私は具合が悪いんじゃなくて、汗っかきなのです。

幼稚園時代はお昼寝中に汗をかきすぎて、おねしょをしたのかと先生に疑われる。

学生時代は教室で一人汗をかき、具合が悪いのかと先生に疑われる。

社会人の今では、汗脇パッドをバッグに常備。

4月の段階でこれでは、今年の夏はどうなるのか不安しかありません。

 

さて、こんな調子なので少しでも長く睡眠時間を確保するべく、私は入社4年目の春、会社の近くに引っ越して一人暮らしを始めました。

今回のテーマは【わたしの部屋】。

当時の記憶を振り返るとともに、一人暮らしをしてみて学んだことをざれ言チックに語ってみたいと思います。

 

 

一人暮らしを始めたきっかけ

忘れもしません。4年前の3月上旬、朝起きた私は突如こう思いました。

「そうだ、一人暮らしをしよう。」

 

私は思い立つとすぐに行動に移ります。

以前にもこんなことがありました。

とある日の朝、目覚めた私は突如こう思いました。「そうだ、車を買おう。」

思い立ったが吉日。

急ぎ身支度を整え「ちょっと出かけてくる~」と家を出て、そのまま100万円の軽自動車を一括購入する私。

夕方家に戻り「私今日車買ってきて、今週末に納車だよ」と平然と言い放ち、親が腰を抜かしたという逸話がございます。

その際、父に「頼むから、そういう大きい買い物は一旦誰かに相談してから決めなさい」と懇々と諭され、母には「この子の将来が不安過ぎる」と泣かれました。

 

当時は「母を泣かせてしまった」と反省しましたが、月日が流れると人は忘れます。

今回もそんな反省はどこえやら、次の瞬間には不動産屋を営む友人に連絡し、次の日に内覧の予約を取りました。(この時点で親への相談を忘れている)

思い立ったが吉日。

次の日、身支度を整え「ちょっと出かけてくる~」と家を出て、その日のうちに物件を決める私。

その夜、足取り軽く賃貸契約書を抱えて家に戻り、ほろ酔いで上機嫌に晩酌している父に「ここに判子押して」と書類を差し出します。

「おー?」父が書類をのぞき込みます。

すると、先ほどまでの幸せそうな顔が一変。「え、賃貸契約書!?」

 

一人暮らしに関する話し合いは今までしたことがありませんでしたが、反対されることは分かっていました。理由は2つ。

まず1つ目は、近所に住む女の子たちは全員実家から通勤していたこと。

私の実家はお坊ちゃまやお嬢様が多く住む住宅地だったため、一人暮らしをさせる親というのは、少し珍しいようでした。

そして2つ目は、母の家も父の家も、結婚するまでは実家で生活するのが当たり前の家庭で育っていたこと。

だから当然のように、私も妹もずっと実家で生活していたのです。

ましてや父は、とにかく私が大好き。

簡単に手放すわけはありませんでした。

 

父「どうして家を出たいんだ」

私「会社の近くに住みたいんだもん。だって通勤時間が片道1時間半ってさすがにやばくない!?新幹線で言うところの仙台-東京間だよ!?」

父「だめだ、一人暮らしなんて危なすぎる。何かあった時助けてやれないだろう。」

私「いや、ゆーて住むところ実家まで車で30分で来れる距離だよ。大丈夫だってば。」

母「・・・(ティッシュで涙を押さえながら、私の渡した賃貸契約書と物件資料を見つめている)」

結局3時間の話し合いの末、「一人暮らしさせてくれなきゃ、毎晩寝室の前で銅鑼を鳴らしてやる」と喚きだす私の頑固さに両親が折れ、半強制的に賃貸契約書に判を押させることに成功。

 

そこからは一気に家具家電を買い集める日々でした。

最初は嫌そうだった両親も、一緒に家具家電を買い求めているうちに、自分の買い物をしている錯覚に陥ったのか、私より乗り気で高級家具を選びだします。

金に糸目を付けずに欲しい物を買い集めたので、家具家電だけで、総額150万円超えの買い物。

今ではちょっと考えられない金銭感覚。

当時の自分を「ばかやろう!一人暮らしのソファーで30万円使う馬鹿がどこにいる」と引きずり回したくなります。(私の家は一人暮らしなのに、L字ソファー完備。)

家電屋さんに行った時など、値札を見ずに買い物している姿を見て、店長が何を勘違したのか「大変失礼しました!ささ、こちらへ」と店舗に設置されているソファーにご案内。

そこからは店員がどんどん品物を持ってくるので、気に入ったものを指をさして買うという、まさにVIP待遇でした。

どこぞの財閥令嬢よ。

 

そして3月の下旬、私は新居に無事入居し、晴れて一人暮らしを始めたのです。

一人暮らしを決めてから入居まで約3週間の出来事でした。

 

一人暮らしをしてみて変わったこと

1,精神的な余裕が生まれた

一人暮らしを始めると、全てを自分一人で解決しなければならなくなりますが、一方で自分の生活リズムが確立されます。

実家で生活していた頃は家族と一緒に住むので、そこには当然家族のルールが存在します。

しかし、一人暮らしにはそれがありません。

家の中では私が法律なのです。

自分が好きな時にお風呂に入っても、誰も文句は言いません。

夜中にご飯を食べたって、大きな音でYouTubeを流したって良いのです。

もう、至福の一言に尽きます。

2,両親との関係が良くなった

一人暮らしを始めるまで、お風呂から上がるとバスタオルが畳まれて置いてあることが当たり前だと思っていました。(恥)

離れてみて、初めてわかる親のありがたみ。

いざ自分で家事をこなすとなると、予想以上に大変です。

仕事が終わって帰ってきてから料理を作るなど、もはや鉄人の域。母は凄い。

普段当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったと分かって親に感謝できるようになり、私の場合は、家を出てから一気に両親と仲良くなりました。

今や父とは月に一回、定例会と称して外でお酒を飲む仲になり、母とは毎日だらだらとLINEをする仲。もはや年の離れた友達です。

家を出たからこそ、程良い距離感と遠慮が生まれて、良好な関係が築けるようになったのだと思います。

3,お金の管理に強くなった

私は社会人になってから、毎年100万円ずつ貯金すると決めています。

実家に住んでいれば何もせずとも簡単に貯められる額ですが、一人暮らしをしながらの100万円貯金は結構きつい。

暮らしというものは意外とお金がかかるものです。

実家暮らしの際は、頭では分かっていても、実際にどれくらい費用がかかるかまでは分かりません。

私自身、一人暮らしを始めてから初めて家計簿をつけるようになりましたし、100万円を貯金するために、節約意識も芽生えました。

よく結婚前に一人暮らしはしておくべきだと言われますが、これは家事能力をつけることは勿論ですが、同時にこういった金銭感覚を養うという意味も込められているような気がします。

最後に

先日、実家暮らしの友人が「実家暮らしは恋愛で敬遠される」と言っていました。

その時は「そんなことないよ」と返しましたが、内心は「だろうな」と思います。

 

例えば、家族の介護や持病、経済的理由があって実家から離れることが出来ない場合は別です。

しかし、経済的に自立していて親御さんも健在なのに「家事をやってくれて楽」とか「お金を貯めたいから」「家を出る理由がないから」といった理由でいつまでも親に寄生している大人は、正直申し上げて幼いおじさん、幼いおばさんだと思います。

そんな自己中心的な考えの自立できない人が、逆になぜ魅力的に見えると思うのでしょうか。

私自身、一人暮らしを経験してみてメリットはあれど、デメリットは一切ありませんでした。

これを読んでいる方で、もし一人暮らしを検討されている方がいれば、声を大にして言いたい。

環境が許すのであれば、ぜひ一度一人暮らしをしてみてください。世界が一変します。

 

一人暮らしをはじめてから、両親の老化に気づくようになりました。

両親はいつか死ぬ。そう考えると居ても立っても居られなくて、少しでも時間が出来れば実家に帰るようにしているため、今では月に1回のペースで帰省しています。

皮肉な事に、実家にいた頃より両親との会話が増え、そしてその時間を大事にするようになりました。

私が家を出た後、「なんでお姉ちゃんが良くて私はだめなのよ!」と、私の後を追うように、すぐに一人暮らしを始めた妹。

近所の私の独身同級生たちはほとんどが実家に住んでいるそうで、帰るたびに両親から「子どもがみんな家を出てるの、うちだけっぽいんだが。うちの娘たち、自立心が謎に強すぎる。」と寂しそうに言われます。

でも、子どもが全員定職に就き自立して生活出来たのは、両親の出来た教育の賜物。

手前味噌ですが、うちの親は偉大だとつくづく感じる、今日この頃です。

 

lit.link

 

stand.fm

俊夫君と仲良くなれない《トラウマのお話》

こんにちは。

会社から健康診断のお知らせが届いて、ダイエットを始めたはるらっしゅです。

先日オフィスで先輩に「あれ、はるらっしゅ・・(目線が私の下っ腹)」と暗に太ったとディスられたので、手に持っていたチョコドーナツをゴミ箱に投げ入れ、その瞬間からダイエットを始めることにしました。

何を隠そう私、禁煙してからトータル7㎏太っており、痩せてた頃のタイトスカートを履くとパンツラインが浮き出る始末。

とりあえず、一食あたりの米を2合から1合に減らそうと思います。

嘘です。夜はサラダだけにして、毎晩走ります。

 

さて、今回のテーマは【トラウマ】です。

人間生きていれば、誰しもトラウマがありますが、その程度とジャンルは様々です。

しかも皮肉なことに、トラウマは酷ければ酷いほど(人の死が関わる等のナーバスな内容は除く)、うまい酒の肴になるものです。

今回は私のトラウマをざれごとチックに語りながら、その克服法について考えてみたいと思います。

ちょっと長めですが、どうぞお付き合いいただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅトラウマ傑作選

1,深夜に徘徊する巨大蜘蛛

ハリーポッターロン・ウィーズリーくんが苦手で有名な蜘蛛ですが、例外なく私も苦手です。

足が8本ってどういうことなのでしょうか?

私達の手足のように「右足だけ動かしたい」とか「前から2本目だけ動かしたい」とか、そういう自在な動きが取れるのでしょうか?

ぜひとも、どなたか蜘蛛にインタビューして記事をアップしていただきたい。

 

という余談はさておき、私は蜘蛛が苦手です。

先日私の家に蜘蛛が出た時は、買い置きしていた新品のアースジェット(ゴキブリ用)を丸々一本使い切り、あまりの煙たさにベランダ側の窓を開けて換気をしたら、今度は花粉が入り込んできて、いよいよ死にそうになりました。

これぞまさに、踏んだり蹴ったり。

 

蜘蛛が苦手になったきっかけは実家に住んでいた頃に遡ります。

とある深夜。寝ついて暫く経過した暗闇の中で、悲劇は起こりました。

手元に違和感を感じて目が覚めました。

しかし寝ぼけ眼で視界が上手く開けていない私。

枕元にあったスマホの懐中電灯で、違和感を感じた左手に光を当てました。

すると、そこには真っ黒な、見たこともない大きさの蜘蛛が左手の甲を這っていたのです。

あまりのことに声も出ず、何を思ったかスマホを使い、全力で蜘蛛を払いのけるはるらっしゅ。

そして次の瞬間に思いました。「ここで払いのけてもベッドの中に入っちゃうじゃん!!!!」

そこからの私は凄かった。30秒前までよだれを垂らして寝ていたとは思えない俊敏さで、部屋の明かりを付け、布団やら何やらを引き剝がしていきます。

直径8㎝はある蜘蛛でした。絶対に見逃すはずがありません。

それでも蜘蛛は、どこにもいないのです。

あまりの騒ぎっぷりに隣の部屋で寝ていた妹も「お姉ちゃんうるさいって~」と起きてきました。

しかし事情を説明すると、妹の顔は真っ青になり(私より虫が苦手)、「ちょ、、パパ起こしてくる」と駆け出す始末。

結局、家族総出で巨大蜘蛛を探しましたが、その行方は分からず。

後日、都市伝説か何かで「人間が寝ている時、無意識で食べているクモの数は一生涯で約8匹です。」という話を聞いて以来、私は一切の蜘蛛を受け入れることが出来なくなりました。

あの蜘蛛、もしかしたら今は私の血肉になっているのかも・・

 

2,呪怨に出てくる俊夫くん

ホラー小説を一冊読み切っただけの甘ちゃんが、調子をこいてホラー映画を観るから、こういう事になるのです。(猛省)

中学2年生になった春、淡い恋心を寄せていた男の子がホラー小説を読んでいたことが事の始まりでした。

なんとか仲良くなれないかと「その本、どんな話?」と勇気を出して声をかけ、その本を借りることになりました。

我慢できる程度のホラー小説だったので何とか読み切り「面白かった!(嘘)」と返すと、「呪怨って知ってる?俺この間観たんだけど、すごく怖かったんだ!はるらっしゅちゃんもきっと気に入るよ!」とのこと。

 

何でか私は、彼の中でホラー好きの女子になっていたようで、目が点になる私。

しかし、当時は「私ホラー好きじゃないけど」と言って、その誤解を解く勇気はありませんでした。

そして何より、そんなことを好きな人から言われたら、怖いなどと言っている場合ではございません。更に共通の話題を作るべく、腹を括って観るしかないのです。

そんなの、ネットのレビューでも見て、適当に話を合わせておけばいいのに。

当時の私が健気すぎて泣けてくる。

その週末、家族が寝付いた深夜のリビング。

私は、TSUTAYAで借りた呪怨のDVDをセットし、震える手で再生ボタンを押しました。

 

人は恐怖のキャパを超えると、身動きはおろか、目をそらすことも出来なくなるようです。

そもそも、呪怨というタイトルから察すれば良かった。

「やばい、これ観ちゃダメなタイプのやつ。」とオープニングで察した私。

結局、上映時間中はずっと愛犬を抱きかかえておりました。

あまりの恐怖に思考が停止し、途中から記憶がございません。

抱きかかえたままの愛犬は、始めのうちは「離してぇ」と身悶えしていましたが、いよいよ離してくれないと分かるとグッタリとして、最終的には寝落ちしていました。

些細な音でビクつく私は、自分が出す音にすらビビっているので愛犬を離すことも立ち上がることも出来なくなり、トイレにも行けず、そのままリビングで夜を明かすことになるのです。

 

その後、恐怖心と共に彼への恋心も失ったはるらっしゅ。

あれから約15年が経過した今でも、お化けに関連するもの全てを受け付けません。

巷で話題のストレンジャーシングスやウォーキングデッドはおろか、高校の文化祭のお化け屋敷すら無理な、超絶チキン女子に成り下がってしまったのです。

 

トラウマの克服方法

色々なサイトを漁ってみましたが、克服方法の最終着地点は【プロに相談すること】でした。

しかし、大抵の人が「カウンセリングまではちょっと…」と尻込みしてしまうと思います。

私だってそうです。

私のこのトラウマをカウンセラーにどう話せというのか。

「中学時代に好きだった子に薦められたホラー映画を観て以来、お化けが怖いです。」

だめだ、間抜けすぎる。

という訳で、自己セルフトラウマ克服法を私なりに考えてみました。

1,認める

トラウマは「よし!今から克服しよう!」と思ってすぐ出来るものではありません。

そんなことが出来れば、そもそもこのテーマが成立しないし、これを書いている一時間の努力が水の泡になります。

トラウマの克服方法をGoogleで検索すると193,000件ヒットしました。

内容は違えど、それだけ多くの人が、トラウマを克服したいと考えているし、苦しんでいる。

そう考えるだけでも、ほんの少し、心が軽くなりませんか?

まずは「トラウマを抱える人は私だけではないし、トラウマを持つ自分はダメじゃない」と受け入れる覚悟を持つことが、トラウマを克服する第一歩だと思います。

2,書き出す

日記を書くことのメリットは何か。

日記を書くと文章力や語彙力、記憶力が上がる。

そして、伝える力も鍛えられる。

しかし、私の考える日記の最大のメリットはこれではありません。

日記を書くの最大のメリットは、自分の行動や思考のパターンが客観視できること。

つまり、負の感情を抱いた時、どう行動すればそれを払拭できるかを分析することが出来るようになるということです。

これはトラウマでも応用が効きます。

自身のトラウマについて細かく書き出すことで、自分の思考状態が客観的に分析できます。

以前に持病の話でも同じことを書きましたが、人は弱い故に未知の物に恐怖を感じ、受け入れることが出来ません。

しかし、その正体が分かれば、人はそれを受け入れる心の余裕が生まれます。

思い出すことすらしんどいトラウマですが、覚悟を決めて書き出してみてほしい。

案外文字にしてみると、思っているより大した内容じゃないことだってあるかもしれないから。

3,発信する

失恋は、人に話を聴いてもらうと一気に楽になります。

同じように、トラウマも人に話して消化するのが、結局のところ一番の特効薬なのかもしれません。

その方法は、私のようにブログやSNSで発信するも良し、家族や友人に話を聴いてもらうも良し。

なんでも良いと思います。

大事なことは、自分のトラウマを自分で発信して、他者から共感してもらうこと。

そして「あなたがトラウマを抱えていても大丈夫。」と他者に受け入れてもらうことではないかと思うのです。

※あくまでど素人の考えなので、どうか一個人の意見として聞き流してください。

最後に

トラウマは本当にしんどいです。

私の語ったこのくだらないトラウマですらこんなに辛いのだから、もっとちゃんとしたトラウマを抱える人は本当に酷い思いをしていると思います。

でも、トラウマを抱えるのはあなたの心が弱いせいではありません。

トラウマを抱えたことに対して恥じる心など要らないし、そのせいで自尊心を傷つけるようなことがあっては絶対にならないと思うのです。

私如きではこれを読んでくださっている方のトラウマを解消することは出来ませんが、受け入れることは出来ます。

だから、この場を借りて伝えたい。

あなたは悪くないから、無理にトラウマを克服しなくても大丈夫。

そのままのあなたを受け入れてくれる人は私をはじめ、たくさん居ます。

みんな同じ、大丈夫。

 

私は今でも疲れていたり、具合が悪い時、夢に呪怨の俊夫君が出てきて、そのたびに「また出てきたんか、久しぶりだな。」と泣きたくなります。

俊夫君と知り合って早15年が経過するのに、いまだに全く仲良くなれないし、今後も仲良くなれる気がしないです。

どうせ出て来るなら、呪怨の俊夫君ではなくて、岡田の方の斗司夫君(ガイナックスの元社長)が出てきて、YouTubeでやってるようなジブリ解説でもしてくれれば良いのにと思う、今日この頃です。

 

lit.link

stand.fm

 

みんな誰かが羨ましい《焦りのお話》

こんにちは。

最近、花粉症に悩まされているはるらっしゅです。

薬は飲みましたが全く効かず、薬剤師が間違えて小麦粉を調剤したのではないかと戸惑いが隠せません。

今年の花粉は鼻水はあまり出ませんが、目がとにかくかゆくなります。

一旦目玉を取り出して、水道水で洗いたいです。(絶対にマネしないでね。)

目が真っ赤なので、どんなカラコンを入れても全く可愛くなりませんし、この状態で真顔でいると泣いたと勘違いされ、周囲から「何かあったか」と心配されます。

今日は「元気出せよ」と缶コーヒーをもらいました。CMのようなシチュエーションで目が点の私。

5月に入れば少しずつ落ち着くので、今は騙し騙し耐えようと思います。

 

さて、最近周りでは花粉症で死にかけている人だけでなく、転職する人が急激に増えました。そんな人達が慌ただしく退職準備をしているのをぼーっと眺めながら、この記事を書きます。

今回のテーマは【焦り】です。誰かの成功を耳にした時は、誰だって理由の分からない焦りや不安を抱えて胸がモヤモヤします。そんな時にこの記事を読んで、少しでも気持ちを落ち着かせるお手伝いが出来れば幸いです。

 

 

【人間】という言葉の意味

私達は 「人間 (にんげん) 」 と 「人 (ひと) 」 を、同じ意味で捉えがちです。

人間という言葉はもともとは漢語で【じんかん】と読み、個人を指す言葉ではなく【世の中】や【人同士のコミュニティ(人間関係)】などを指す言葉でした。

 

中学時代にこの話を聞いた時、私は「人という生き物は、人と人の間でしか生きられない存在であることを如実に表す言葉だな。」とガキんちょながらに思い、「こんな事を考える自分、哲学者チック。むふふ。」と己惚れていたことを思い出します。

 

焦りでメンタルが死んだ、ここ最近の出来事

とある週の火曜日、何年も連絡を取っていない大学時代の同級生から急にLINEが届きました。

少し不審に思って返信しないでいると、次々とLINEが送られてきて、聞いてもいない近況を次々と報告してくるのです。

彼は最近結婚したことやSNSのこと、転職したこと等を次々と報告してくれました。

私の文面を見て察してくださる方もいるかと思います。そう、私はとにかくそのLINEが不快でした。文面の所々に「俺すごいでしょ?褒めてくれ、賞賛してくれ」というエゴがにじみ出ていたからです。

「なんてデリカシーのない男だ」と不快感しかなかったため、途中からは「へー」「うん」「そか」の3パターンで話を回す私。

Googleで「LINE 返信 脈無し」で検索すれば真っ先に出てくるような、脈無し定型文の返信でもめげない彼。そのメンタルの強靭さはすごいと思った。

結局彼の自慢話はしばらく続き、彼は話したいことを散々話した後「今度飲もうな!いつでも誘ってくれ!」と言って去っていき、私の心にはモヤモヤだけが残りました。(あんなオナニー男、絶対に誘いたくない)

 

その週の水曜日。同僚とランチに出かけた時、「私、妊娠した!」と唐突に報告を受けました。それを聞いて、私の心には一気にどす黒い感情が渦巻いて、心が苦しくなりました。あの時、私は上手に笑っておめでとうと言えたのだろうか、と今でも不安になります。

 

その週の金曜日。「俺、転職することにした!」と、またもや同僚から唐突の報告。こんなことが続くと、いよいよ笑えなくなるはるらっしゅ。自然を装うことで精一杯です。

「ヨカッタネー」とあまりの棒読みっぷりに、相手に「え、ごめん大丈夫?何か気に障った?」と心配される始末。(上手に祝えなくてごめん。)

 

こんなことが連日で続き、さすがの私も落ち込みました。皆が結婚や出産や転職でおめでたい中、私は何もおめでたくないのです。

 

私は転職をしたことがないから、新卒からずっと同じ会社に勤めてる。

転勤の可能性があるから、ずっと持ち家を買えていない。

結婚の予定がないから、出産の予定もないし、何なら今は彼氏もいない。

 

皆が着実に人生を前に進めている中、私だけ何年も同じ場所に留まっているように感じて、この恐ろしい焦りと不安にただ狼狽えることしか出来ない自分の無力さに呆れます。

 

私はこのままでいいのだろうか。

皆と同じように転職して、結婚して、出産しなければ。

わからないけど何かを初めて、成功しなければ。

何かしなきゃ。何かしなきゃ。

 

私は何のために生きているのか、私は今後どんな人生を送るのか、考えれば考えるほど分からなくて、変な焦燥感ばかりが先走って、気持ちが空回り、自分が嫌いになっていたのが、直近一週間の出来事です。

 

私は私のままで良い

「はるらっしゅって、意外と周りと同じだってことに安心するタイプよね」

会社の先輩が串カツにむしゃぶりつく私を眺めながら、ビール片手にそう言いました。

「そりゃそうですよ、だって人と違うって欠陥品に見られそうで、嫌ですもん。」

私は油でベタベタになった口を拭きながらそう答えて、そして納得しました。私の焦りは周りから欠陥品として見られたくないという気持ちから生まれていたのだと気づいたからです。

 

しかし、それは私にとって本当に良い事なのか。

周りの目を気にして、したいのかも分からない転職や結婚や出産をして、果たして私はそれで本当に幸せになれるのか。

 

帰り際、私はビールの大ジョッキ6杯を飲み切って泥酔した先輩をタクシーに押し込み、駅に向かう途中でこう考えました。

 

結局周りの目を気にして周りと同化したとして、

転職しても暫くすれば"あの人と比べて私は‥"と不満が生まれて焦るだろう。

結婚しても"子供を産まなきゃ‥"と周りからのプレッシャーで焦るだろう。

子どもを産んだとしても"うちの子は周りと比べて‥"と劣等感で焦るだろう。

 

きっとこの焦りに終わりはないのだろう。そして、この焦りは私だけでなく、周りの皆も同じように抱えて生きているのだろう、と。

もし周りも私と同じように悩んで焦っているのだとすれば、自分の事で精一杯で他人の事など見ている暇もない。だとしたら、周りの目を気にするなど、ただの杞憂ではないか。

 

学生時代の成績が伸び悩んでいた受験期、深夜2時を回っても勉強を続ける私に「本当に成長していない時って、その場に留まり続けることも出来ないものよ。早く寝なさい。」と母がホットミルクを差し入れてくれたことがあります。

当時は母が何を言っているのか分かりませんでしたが、今ならなんとなくわかる気がします。

 

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思うのです。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

それってとても凄いことだし、立派なことだと思いませんか?

 

体力は人によってそれぞれです。頑張れるタイミングで速度を上げて走って(これが周りから見た成功や成長)、疲れたら速度を落として、それでも歩き続ける。

人生はこれの繰り返しです。「同じ所に留まっているように思えても、自分の足でちゃんと歩き続けている、人生はそういうものなのだ」と、当時の母は私に伝えたかったのかなと勝手に思っています。

 

今は停滞しているように思えますが、よくよく考えてみれば私だって去年と比べて出来ることが少しずつ増えているし、SNSをはじめとする趣味が増えました。

結婚や出産もまだしていないけど、でもそれはご縁の話だから焦ったところで出来るものではありません。

仕事だって新卒からずっと同じ会社だけど、同じ会社に勤め続けるのはとても大変なことで、それが出来ないから周りは転職しているのに、私は転職しなくて済んでるなら、それはある意味ラッキーな話です。

持ち家だって、本気を出せばいつでも買えるようにお金を貯めておけば良い。転勤だって、会社の金で安く他県に住めるなら、それだって人生の肥やしになる。嫌になったらいつだって辞めて帰ってこられる。

 

結局何事も考え方次第だなと、この記事を書いてて思います。

人が人である限り、誰にでも他人を妬む心は存在しますし、誰でも他人と比べて劣等感を抱き、そして焦ります。

しかし一方で、あなたを見て羨み、妬む人も絶対にいるのです。

人は、ないものねだりな生き物です。どんなに地位や名声や富を得たって、絶対に満足はしません。理想を追求し続けても、ゴールなどありません。

それであれば、微々たる自分の日々の成長に目を向けて、それをしっかり認めてあげる生活の方が、精神的により豊かになれるのではないか。

他人の期待や目など気にせず、自分を肯定して自分のために生きていこうと思えた時に、人はきっと本当に意味で自由で幸せな人生を歩みだせるのではないか、と思うのです。

 

横断歩道で行き交う車のライトをぼんやり眺めながら、「みんな誰かが羨ましいけど、私は私のままで良いのかも。」と、酒と花粉で視界が滲む中、ぼんやりとそんな事を考えた帰り道でした。

 

結局、私のメンタルを回復させるために書いたような記事になってしまいましたが、皆様の心の陰りも一緒に照らせれば良いなと願う、今日この頃です。

 

追記

先日帰省して、「転職しようか迷う」と母に相談した際、母はこう言いました。

「先の心配をしたってどうなるか分からないじゃない。人の心配は8割が杞憂なんだから。もし本当に転勤とかになってそれが嫌なら、その時は迷わず辞めて帰ってきなさい。うちはあんた一人くらい、全然養えるわよ。」

一気に悩みが吹き飛びました。母の言葉は本当に偉大です。

 

lit.link

stand.fm