スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

個性的なおっぱいの話《持病との上手な付き合い方》

こんにちは。

先日サウナに行った際、あかすりをしてもらいました。

担当してくれたお姉さまに「あなた何歳?え、28?やだ、意外と歳いってるじゃない。20歳のお嬢さんが来たかと思ったわよ。あら?でもあなた、結婚してないでしょ?少女の手だものね、乳首も綺麗だし子どもを産んでいない証拠よ」とマシンガントークを吹っ掛けられ、褒められてるのか貶されているのか分からず、ただ震えることしか出来なかった、はるらっしゅです。

両隣に人がいるんです、お姉さま。

全部周りに聞かれてて、羞恥心で昇天しそうでした。

 

私は人に胸を触らせることに人一倍の抵抗があります。

それは性別とか関係性とかは一切関係なく、他人に触られるのがとにかく嫌なのです。

理由は、持病です。持病のせいで、私の胸は人とは少し違うのです。

見た目では分かりませんが、触られると絶対に気づかれてしまいます。

 

今回は私の持病と【持病との付き合い方】についてのお話です。

 

 

はるらっしゅの持病について

私は【乳腺繊維線種】という持病を持っています。

難しい漢字を書くので、少し厄介そうな病名に見えるこの疾患を知っている人は、日本に何人いるのでしょうか。

乳腺繊維線種は、乳腺に繊維線種ができる病気です。

すなわち、おっぱいにしこりが出来るのです。

その大きさは米粒大の小さなものから、野球ボール大まで人によって様々だと言われています。

↓詳しくはこちらをご参照ください↓

www.nyugan.jp

 

私の闘病生活について

私の乳腺繊維線種は中学2年生の春に発見されました。

部活が休みだったその日、早く帰宅していた私はヤクルトを飲みながら、テレビの再放送を観ていました。

その時テレビでやっていたのが【乳がんの見つけ方】。

「腕を上げて、脇の下を圧してくださぁ~い」と女医が朗らかに解説しており、ゲストも和気藹々とした雰囲気で脇の下を圧していたので、何の気なしに一緒にやってみました。

すると、右胸に玉こんのようなしこりがあるのです。

何度試しても、しっかりと楕円形の玉こんがあるのです。

自分の置かれた状況が理解できず目が点になる、14歳のはるらっしゅ少女。

夕食の支度をしている母に「ママ、私、胸にしこりがある」と声をかけると「え~?」と母も触る。

そして、しこりを確認する。

 

ここからが凄かった。

「おっ!?」と奇声を上げた母は、どこから出したか分からぬような速さで携帯を取り出し、行きつけの産婦人科病院に電話。

 

母「胸にしこりがあるんですけど、すぐ診てほしいんです」

受付「わかりました~、予約を取りますので、お名前とご年齢を~」

母「はるらっしゅ、14歳です」

受付「えっ14歳!?」「ちょっ、お待ちくださいね!」

♪~♪~♪

院長「お電話代わりました、今すぐ来てください、今すぐです!」

母「はははは、はい!」

私「(白目)」

 

病院側は母の胸にしこりがあると勘違いしていたそうで、私の年齢を言った瞬間に対応が一気に変わりました。

理由は明白。万が一しこりががん細胞だった場合、若年であればあるほど進行が速く、一刻を争うからです。

夕食の支度をそっちのけで、母は私を病院に連れて行きました。

車で移動中、母が涙目になりながら「大丈夫!もし胸が無くなったら、絶対に再建手術してあげるからね!」と励ましてくれましたが、私にとっては全く励ましになっておりません。

胸が無くなるなんて、絶対に嫌です、再建出来ても嫌です。

ただ震えて泣いてるはるらっしゅ少女。

今思い出しても、自分が不憫過ぎて泣けてきます。

 

病院に到着してからも凄かった。外来を全て止め、私の検査が最優先。

どこぞのVIPが来たのかと、戸惑いが隠せない患者たち。

院長と他の医師、看護主任が三人がかりでエコー検査に触診、問診、検査検査の嵐です。

先生たちのあまりの権幕に、震えて泣くはるらっしゅ少女。どこまでも可哀想。

結果、確認できたしこりの大きさが直径3㎝もあったことから悪性である可能性が捨てきれず、地元で一番の大病院宛てに紹介状を書かれ、そのまま救急車で搬送。

なんということでしょう、その日から検査入院のため、私は家に帰れませんでした。

 

私も母も泣きましたが、一番ひどかったのは父でした。

母から知らせを受けた父は仕事を早退し、病院に乗り込んでまいりました。

そしてボロボロ泣きながら、私の手を握って言うのです。

「大丈夫だからな、はるらっしゅ。金の心配はするな!大丈夫だ!」

うちの両親は、どこかずれているのでしょうか。励まし方がそうじゃないのよ。

 

翌日、私は生まれて初めて麻酔を経験し、そして生研を受けました。

www2.ninjal.ac.jp

 

今でも鮮明に覚えています。

痛みが無いのに、胸から大量に血が流れ落ちる、あの不気味な感覚。

そして次の日に私は自宅に帰り、その一週間後にしこりの正体が【乳腺繊維線種】だと知るのです。

 

それから早14年。28歳の現在まで、私は半年に一回乳腺検査を行い、悪性の腫瘍が出来ていないか調べています。

 

現時点で私の胸には触って確認できるしこりが2個、米粒大のしこり(触っても分かりません)が両胸併せて約40個あります。

 

持病との付き合い方

病気を知った当初、自分が欠陥品のように感じ、傷つきました。

そして、両親から「健康体で産んであげられなくて、申し訳ない」と頭を下げられたのがとにかく辛かったのを覚えています。

 

しかし、時間をかけて少しずつ自分の持病を受け入れ、上手に付き合えるようになりました。

どうやったか。それは、勉強することでした。

自分が出来る限界まで、その持病についての知識を付けたのです。

 

人の心は弱いので、未知なものを受け入れることが出来ません。

誰だってそうなのです。

しかし、その未知なものの正体を暴いてしまえば、気休めであれ、心は少し落ち着き、それを受け入れる心のすき間が出来ます。

たしかに勉強する中で恐ろしい事や悲しい事、残酷な事なども出てきますが、未知を超える恐怖はそうありません。

 

タグ的にこの記事を読んでいる初見さんは、何かしらの持病をお持ちの方が多いのではないかと勝手に思っています。

きっとお一人でとても大きな不安と恐怖を抱えて、気休めでも安心したくて、色々なサイトを覗いてここにたどり着いている方もいるのではないでしょうか。

でも結局、自分の知識が一番安心させてくれるものです。

私の記事如きがその心の陰りを晴らすことは出来ないとは分かってはいますが、せめてこの記事を読んでいる数分間は、そういう陰りを忘れ去る手伝いができれば良いと願っています。

 

この歳になると、もう検査は怖くありませんが、マンモグラフィーは未だに慣れません。

無くなる事はない私の可愛いしこり達と、これからも上手に仲良く付き合っていきたいと思う、今日この頃です。

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