スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

鉄馬と深夜の学校《遊び心のお話》

こんにちは。

最近春の訪れとともに、食欲が止まらないはるらっしゅです。

先日同僚とランチに行った際は、中華料理を食べ過ぎて胃が痙攣し、午後は便器を抱えて泣く始末で、仕事になりませんでした。

これだけ読むと過食症かと思われそうですが、そうではございません。

ただ食べることが好きすぎて、いつも調子に乗ってしまうだけです。

私が大食らいだということは、職場では周知の事実ではございますが、だいぶ上記で恥を晒しましたので、これからは腹八文目を目安に自重しようと思います。

 

さて、私は食べることが大好きです。特にゲテモノを震えながら食べるのが好きです。

遊ぶことも大好きです。元来好奇心が旺盛なので、遊ぶ時は膝を擦りむくくらい全力で遊び、周りの子どもがたじろぎます。

年齢を重ねると保守的になるというのが世の通説ですが、どうやら私は通説と逆行した人間のようです。

 

本日のテーマは【遊び心】です。最近少しまじめな話題が多かったので、今回は番外編として、とことんふざけて遊び書きをしたいと思います。ぜひ笑ってご覧ください。

 

 

遊び心に従った結果の過去最大のやらかし談

好奇心は猫を殺すと言いますが、猫系女子も例外ではないようです。

私の過去最大のやらかし。それは何を隠そう、遊び心で忍び込んだ学校で守衛と警察に捕まったことです。

 

大学生の頃の出来事です。夏休みに入り、同級生が地元に帰省してくるタイミングで、仲の良い幼馴染の数名で酒を飲みました。

近所の居酒屋で酒を飲み、良い具合に出来上がったところで誰かがこう言いました。「学校に寄って帰ろうよ」

全ての悲劇はここから始まりました。

そもそも酒に慣れていない大学生が酒を飲むと、大抵が何かしらをやらかしますが、今回の場合、集まったメンバーも悪かった。

なんてったって小学生時代からの悪友です。顔を合わせただけで心が童心に返るというのに、そこに酒まで入ったのですから、頭からは常識や理性だけでなく、法律までぶっ飛びました。(当時を振り返る遠い目)

 

夜の学校というものは、独特な雰囲気を醸し出します。子どもの声があちこちで響き渡る日中の雰囲気とは違い、夜は全てが息を潜めているような不気味さを感じます。

私達が忍び込んだ母校に宿直の守衛がいるのは、皆知っていました。

しかし当時は夏。しかもまだ学校にはエアコンが完備されていない時代です。1階にある守衛室の窓も例外なく開いておりました。

私達は窓の下に隠れるように張り付き、守衛が部屋からいなくなるのを缶ビール片手に待ちました。そして、守衛が部屋を出た隙に、FBI顔負けの俊敏さで校内へ忍び込んだのです。

学校に忍び込んだ私達は保健室や理科室、教室やトイレをひそひそと声を殺しながら、まるでお化け屋敷の中を進むように探索を続けます。

当時とても大きく見えた教室の机は、今や私の膝の位置にあって、当時のなつかしさと時の流れを感じて目頭が熱くなる、泣き上戸な私達。

 

しかし、そんな平和な話はここで終わりです。

悲劇は図工室で起こりました。図工室で乾かしている子供たちの作品を眺めている時、こつ・・こつ・・と足音が聞こえてきたのです。

お化けにビビる歳ではございません。「守衛が来た」と瞬時に察した私達は、顔を見合わせたと同時に、猫のような速さと身のこなしで各々に隠れました。その時です。

 

カラーンッ!

 

誰かが缶ビールの空缶を落としました。

その音は闇に大きく反響し、私達の顔からは一気に血の気が引きました。

「誰だ!」守衛が大きく声をあげました。

 

その後、見事守衛に捕まった私達は問答無用で警察に通報され、学校には2台のパトカーがランプを点灯させて駐車する異例の事態。

そして守衛と警察にしこたま叱られた後、両親まで呼び出されるまさかの展開。

(夜中に呼び出されたというのに校長先生は爆笑していて、器の大きさを思い知った。先生って偉大。)

最終的には母親に「警察の世話になるなど、一家の恥だ」と号泣され、私も泣き出す始末。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った真夏の夜でした。(いや当たり前だよね。)

 

遊び心に従った結果の直近のやらかし談

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓ったはずでした、先週までは。

何を思ったのか深夜の学校にまた忍び込んだのが直近のやらかし談です。(2度目。)

しかし前回の学びをしっかり活かし、今回は警察を呼ばれないように校舎の中には入らず、校庭までで留まりました。そういうことじゃないだろうと言ったそこのあなた、お静かに。

 

教師の友人と夕食を食べた帰り道に「私の勤めてる学校この辺だよ~」と教えてくれたのが事のきっかけでした。

「え、見てみたい」「え?」「A子が勤めてる学校、見てみたい!」「いいけど、中は入れないから外だけね?」「うん!」

そんなこんなで私は、警察を呼ばれた大学生以来、約10年ぶりに夜の学校へ再び足を踏み入れたのでした。

 

今回は勤務している教師が隣におりますので、安心感が違います。近所で買ったスタバのコーヒーを片手に校庭をぐるぐると徘徊。うんていや鉄棒(前転をして脳震盪を起こしかける)、ブランコに乗りご機嫌の私。

 

しかし、悲劇は再び起こるのです。学ばない阿呆。

 

悲劇の現場は、鉄馬置き場でした。帰りがけテンションMAXの私は鉄馬を発見。

私は小学生時代、おそらく学校一鉄馬が得意でした。1メートル以上の高さの鉄馬すら悠々と乗りこなす私の異名は【鉄馬のおはる】。(嘘です)

 

異名の話は嘘ですが、鉄馬が得意だったのは事実です。

あまりのなつかしさに飛びついたのが、運の尽きでした。

小学生時代の私と今の決定的な違い。それは体格や体重もそうですが、何よりそう、ハイヒール。

ハイヒールを履いて鉄馬を乗るとどうなるか。結論申し上げると、転びます。

案の定転倒した私は30秒ほど痛みでうずくまり、その後テンションがだだ下がって大人しく帰宅しました。

子どもは転んでもすぐ立ち上がって動けるけど、大人はそうはいかないのよ。まじで痛すぎた。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った春の夜でした。

 

遊び心は人を綺麗にする

「前回会った時よりも綺麗になったね」

これが、私が異性に言われて最も嬉しい言葉です。

 

私がある程度容姿に恵まれていることは、以前から知っていました。

こう言ってしまうとナルシストと毛嫌いされそうですが、私は幼少期から自分の顔の造形に不満を持ったことがなかったし、自分で言うのもあれですが、異性にモテました。(中途半端にモテるから、まだこの歳で結婚していないという悲しい現実。)

こんな調子なので、「可愛いね」「綺麗だね」「モテるでしょ?」という、この定番の誉め言葉は、私にとっては「こんにちは」と同義でした。

そして、そんな私が言われて唯一嬉しい言葉が「前回会った時より綺麗になった」という、私の日々の努力が実を結んでいると実感できるこの言葉でした。

 

日々綺麗でい続ける、もっと綺麗になるには何が必要がいつも考えています。

高い化粧品や服か、日々の生活習慣か。行きついた答えはそうではありませんでした。

綺麗でいるのに最も必要なこと、私の達した結論は【遊び心】でした。

 

いつもワクワクしてご機嫌でいること。

遊び心を持って新しい物事に挑戦してみること。

そういう人が結局はいつまでも美しいような気がします。

 

世間でアンチエイジングという概念が流行りだして久しく、ドラッグストアへ行けばその言葉があちこちのポップで目に入ります。

若さは美しい。これが、世間の共通認識です。

確かに若さは美しいです。しかし、ここで指す若さというのは、見た目の話だけではなくて精神的な事ではないかと私は思っています。

 

人は内面が大事だとよく言いますが、私は人は外見が全てだと思っています。

よく恋愛などにおいても「内面を評価してほしい」などと言う人を時たま見かけますが、私は理解が出来ません。

なぜなら、人の内面は外見に顕著に表れるからです。

例えば、すぼらな人間がスーツを着こなせるかと聞かれれば、それはほぼ不可能です。ネクタイの結び目やシャツのシワ、靴下、ハンカチなどにそのずぼらさが反映されるからです。

また、人に優しいことを長所としてアピールする人も多いですが、他者への思いやりや配慮をはじめとする優しさは、人間としての当たり前の最低限の礼儀であり、誇ることではないと思います。(性格が悪くてすみません。)

 

こういう持論を持っているからこそ、心の若さ(遊び心)は、絶対に美しさとなって外見に現れると私は信じていますし、若々しい遊び心は人を綺麗にすると思っています。

 

深夜の学校はもうこりごりですが、私は常に心躍る事に挑戦し続けたいと思います。

そして、何歳になっても遊び心は絶対に無くさず、ずっと綺麗でい続けたいと願う、今日この頃です。

 

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