2ドルチップに惚れる《英語のお話》
こんにちは。
桜が散って一気に暖かくなったので、ようやく重い腰を上げてランニングを始めたはるらっしゅです。
健康診断まで残り2ヶ月、最低でも4㎏は体重を落としたく、毎日奮闘中です。
と言いながら、会社のお客さんから貰ったフルーツ大福を食べてこの記事を書く、今日この頃。
先行きが不安過ぎる…。
さて先日、新型コロナのニュースを観ていた際、海外でのマスク着用の緩和について報道がされていました。
少しずつ日常生活が戻りつつあるように感じ、とても嬉しかったです。
皆様は新型コロナが落ち着いたら、何をしたいですか?
私は真っ先にこう答えます。
「もう一回、ラスベガスに行きたい。」
今回のテーマは《もしも英語が使えたら》。
私が以前旅行した、アメリカ・ラスベガスの思い出話をざれ言チックに語ってみたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。
赤いドレスのサンタクロースとチャイナブルー
「ラスベガスのカジノにはドレスコードがあるから、綺麗なドレスを一着用意してね」と会社から指示された私は、背中がざっくり開いた赤いマーメイドドレスを意気揚々とトランクに詰め込んだ。
新型コロナが流行る前、私が勤める会社では年に一回表彰式があって、成績優秀者に海外旅行がプレゼントされていた。
私が過去にその賞を受賞した際、その旅行先がラスベガスだったわけだが、日程が12/22~26と、クリスマスシーズンのど真ん中。
こんなの、テンションが上がらないわけがない。
マライアキャリーのクリスマスソングを爆音で流しながら荷造りをする私を、母は「迷子になったりしないかしら」と不安げに見つめていた。(この不安は、のちに的中する。)
同じ賞を受賞した同僚たちと成田空港から飛び立ち、片道約14時間。
道中の国内線では、羽が錆び付いた飛行機にミニスカサンタのおばちゃんCA、しまいにはサンタ帽を被って飛行機を操縦するパイロットを見て命の危険を感じ震えたが、その心配は杞憂に終わった。
はじめてラスベガスに降り立った感想は一言「砂漠」に尽きた。
YouTubeやネットの世界で観た、あのキラキラ街はどこ?
え、私が乗っている車と並走しているあれは何?鹿?
砂漠では使えないであろう、ドレスを詰め込んだトランクを抱えて震えるはるらっしゅだったが、考えてみればそりゃそうだ。
ラスベガスは、近くにグランドキャニオンなどがあるような自然豊かな土地。
さすがにハイヒールでは広大な自然の中を歩けないと思い、現地でスニーカーを購入して、大地を駆け巡るはるらっしゅ。
とっても楽しかった。(同僚からは、はしゃぎ方が猿だと言われた。)
夕方からは宿泊先のホテルに向かうべく、ようやくあのキラキラ街に移動したわけだか、とにかくネオンが凄い。
夜に街中を走るのに車のライトが必要ないくらいの彩光で、そのネオンに負けないぐらいに私の目もギラギラと輝いたが、その5時間後に弊害を知る。
察しが良い方ならお気づきだろう。
そう、外が眩しすぎて眠れないのだ。
遮光カーテンを閉めても明るいって何?
遮光の概念とは?
私は幼少期から真っ暗闇でないと眠れない。
エアコンの電源ランプが付いてるだけでも気になって眠れないのに、日本でいう夕方4時くらいのこの明るさの中で、どうやって眠れと?
時差ぼけの影響か、隣でいびきをかいて寝ている同僚を後目にため息をついて、私は静かにトランクを開けた。
ラスベガスにある全てのホテルの1階は、カジノになっている。
「眠れないのにベッドに横になっていても仕方ない」と、冒頭に登場した赤いドレスを身に着け、小さなハンドバッグに10万円のキャッシュと煙草を忍ばせた私は、一人でカジノへ向かった。
現地時間で22時を回った1階のカジノは、様々な国籍の着飾った人で溢れかえっていた。
受付の黒服さんが丁寧にドアを開けてくれて見た、その煌びやかな光景が今でも忘れられない。
まるで舞踏会に来たシンデレラのような、そんなロマンチックな光景だった。
日本で背中の開いた赤いドレスなどまず着ないし、ピンヒールだって履かない。
非日常なその空間に気後れした私は、カジノの奥にあるカウンターバーでチャイナブルーを注文し、その光景をただ眺めていた。
チャイナブルーを飲み切る頃、綺麗なスーツを着た一人の長身男性が私に声をかけた。
名前はアンドリューで、30代の既婚者だった。
彼は私を中国人と勘違いしていたそうで、片言で「你好」と挨拶してきた。
それが無性におかしくて笑ってしまい、「おかしかったかな」と言う彼に「私は日本人です」と答えた。
彼は一瞬驚いた顔をしたが「綺麗な黒髪だったから、てっきり中国人かと思ったよ。」と笑った。
彼はラスベガスに観光に来たイギリス人で、私と同じく眠れずにこのカジノを徘徊している宿泊客だと言った後、「奥さんは部屋でぐっすり眠ってるけど」と苦笑した。
その後、意気投合した私達はそれぞれ10万円を使ってルーレットをした。
私の10万円は13万円になって返ってきたけど、アンドリューの10万円は7万円になってしまった。
私は落ち込んだが、彼は「君が勝ったから僕も嬉しいよ」と言って笑ってくれる、優しい人だった。
非日常な空間でお酒を飲むと、酔いの回りは各段に早まる。
その後テンションが爆発した私達は、カジノで残ったドル札を片手に、真っ赤なドレスとスーツ姿でホテルを抜け出した。
ネオン街を散歩し、ベラージオの噴水を観て、彼と色々な話をした。
私は、拙なくてゆっくりとした英語しか話せなかった。
その日ほど、もっと英語が話せればと悔やんだ日はなかった。
アンドリューは私の拙い言葉を理解しようと一生懸命に聞いてくれて、私はそれが嬉しくて、私達は夜通し話をしたのだった。
明け方、彼は私をホテルの自室に送り届けてくれた。
あえて連絡先は聞かなかった。
良い思い出として残しておきたかったから。
ここで終わればロマンチックなのに、これで終わらないのが私だ。
部屋に帰ると、同室の同僚が泣いていた。
「どうしたの!?」と駆け寄ると「はるらっしゅー!!」と抱き着かれた。
事態が読み込めない私は、「よかったー」と泣く同僚の背中を擦りながら、ベッドサイドに置いてある私のケータイのロックを外した。
着信67件。なにこれ。
戸惑いを隠せないまま、その着信履歴を見ていると、そこにまた着信。
震える指で通話ボタンを押すと、一緒に旅行に来ていた先輩から「お前!今どこだ!」と怒鳴られた。
「今は、部屋です」と答えると「そこにいろ!」と電話が切られ、その30秒後にインターフォンが鳴った。
開口一番に「ここは日本じゃないんだから、出かける時は誰かに声かけなきゃ心配するだろ、せめてケータイは持っていけ。」と大激怒な先輩たち。
「ほんとに心配したー、私が寝ちゃったせいではるらっしゅが行方不明になったかと思って」と泣いている同室の同僚。
彼女の背中を擦りながら、状況を整理した。
要はこういう事だ。
同僚が目を覚ますと、私は部屋から忽然と消え、ケータイは置きっぱなしで連絡も付かない。
待てど暮らせど、はるらっしゅは戻ってこない。
「いよいよまずい」と一緒に旅行に来ている先輩たちに相談すると、皆が心配して私を探してくれた。
今思えば、かなり申し訳ない事をした。
そりゃ、私も逆の立場だったら心配すると思う。
「皆さん、ご迷惑をおかけしました。」と頭を下げながら、彼が買ってくれたサンタクロースのキーホルダーを手の中に隠した。
皆が私を探してくれている中、イケメン既婚者とデートしていたなど、口が裂けても言えない。
この思い出は職場の人には内緒にしておこうと決めた、ラスベガス2日目の朝だった。
2ドルチップに惚れる
ラスベガス観光1日目にして行方不明になりかけた私は、その後、先輩たちの監視下に置かれ、不機嫌にオレンジジュースを啜っていた。
私の海外旅行最大の楽しみはいつも、一人で散歩をすることだった。
誰に気を使うわけでもなく、のんびりと街を見てウィンドウショッピングがしたいのだ。
そもそもなんで旅行なのに、会社の人と一緒に行動しないといけないの。(会社の金で来た旅行だからだよ。)
人は簡単には変われない。
25日のクリスマス、我慢の限界に達した私は「お散歩してきます」と部屋に書置きを残し、夕方の街に繰り出していった。
今回は赤いドレスではなく、スキニーパンツにスニーカーというラフな装いでお散歩。
途中、黒人のお兄ちゃんに声をかけられてコカ・コーラショップまでの道を案内してもらったり、おすすめのごはん屋さんを教えてもらった。
おすすめされたのが、【セクシー】という名前のお寿司屋さんだったのが何とも言えなかったけれど。
これは街をぶらりと散歩して、あるドラッグストアに入った時の出来事。
母や妹、友人に配るお土産を買うべく、コカ・コーラショップやM&M'Sショップに立ち寄ったが、全く良い品が見つからない。
自分の物ばかり買って軍資金が少なくなり、両手に紙袋を引っ提げて「どうしたものか」と立ち尽くす始末。
結局「ドラッグストアで手頃なマニキュアを大量に買って、配ればよろし」という結論に至って、ホテル近くのドラッグストアに立ち寄ったわけだが、レジで会計をする際に衝撃的な事実を知る。
2ドル足りない。
どう数え直しても、会計で2ドル足りないのだ。
財布に入っている金額が会計に足りないなど、恥ずかしい事この上ない。
静かにパニックになるはるらっしゅ。
一旦何か商品を抜こうとカゴの中身を物色している時、レジのお兄さんが自分の財布を取り出して、トレーの上に2ドルを置いた。
一瞬何が起こったか分からずにぽかんとした後、事態を察して「いいです!商品抜くので、大丈夫です!」と言うと、彼はにっこり笑ってこう言った。
「いいんだよ。少ないけど、僕から君へのチップだよ。」
一瞬にして惚れた。
人生において、ここまでときめいた記憶が、今も昔も多分ない。
私は「あああっあ、ありあ、ありがとう」と、動揺が隠せないどもり方でお礼を言い(しかも日本語)、それを聞いた彼は笑いながら、片言な日本語で「どういたしまして」と言った。
あまりにそれがかっこよくて、恥ずかしくて、私は逃げるように店を出たのであった。
※帰ったら、また先輩たちに「言葉も通じないのに、一人じゃ危ないんだってば。せめて誰か連れてってよ。どうして分かってくれないの?」と諭された。
もしも英語が使えたら
もしも英語が使えたら、私は今すぐラスベガス行きの飛行機に飛び乗って、彼が勤めていたドラッグストアにもう一度行きたい。
彼はもうあのお店にはいないだろうけど、それでも会いに行きたいと思うのだ。
現代はAI機能が進歩して、翻訳機能を搭載したツールが世にたくさん出回っている。
それらを使えば世界中の人と話ができるけど、私はやっぱり自分の頭で考えた表現で、言葉で、話がしたいと思う。
あれから何年も時が経ったけど、彼のことを忘れることが出来ない。
それは憧憬か、あるいは後悔か。
だから私は、もしも英語が使えたら「あの時は、チップをありがとう」と、あの時の彼にちゃんとお礼が言いたい。