スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

「書く」ということ。《読者100名突破記念》

こんにちは。

最近はキャンドルを灯した部屋で、エモい曲をかけながらホットチョコレートを飲んでブログを書くのが至福なはるらっしゅです。

どんどん引きこもりになって出会いは減り、糖分の取りすぎで顎にニキビが出来ました。

色々と詰んでて、辛い。

 

さて、この度《スナックおはるのざれごと》の読者登録数が、めでたく100名を突破いたしました。

開始2ヶ月で100名を突破できるとはさすがに思わなかったので、非常に驚いています。

私の駄文にスターをくださったり、温かいコメントをくださる皆様、本当にいつもありがとうございます。

より読みやすく面白い文章が書けるように精進して参ります。

引き続き温かく見守っていただけますよう、どうぞよろしくお願いします。

 

ということで、今回は【読者100名突破記念】と題し、私が文章を書くようになったきっかけと、文章を書く際に意識していることをざれ言チックに語ってみたいと思います。

どうぞ、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

本の虫★はるらっしゅ少女の憂鬱

私は、本の虫界においてのディープインパクトサラブレッドである。ひひん。(馬の鳴き声)

というざれ言はさておき、私の両親は生粋の本の虫です。

そして私も、自他ともに認める本の虫です。

 

本というものは、読めば読むほど読む速度が上がっていくものですが、私はもともと文章を読むスピードが速かったようです。

そのスピードは、小学生時代に祖父母の家でハリーポッターを1冊1時間半で読み切り、祖父に「せっかく買ってやったのだから、ちゃんと読みなさい」と怒られ、「ちゃんと読んだもん」とあらすじを詳細に語り、祖父が「こいつは神童か」と腰を抜かした逸話が残るほど。

 

しかし、長年色々な本を読んでいると、内容がマンネリ化してきます。

当たり前です。人間の脳の造りは皆同じなのですから、想像には限界があるのです。

 

ある日、暇を持て余してアガサ・クリスティのミステリー小説(たしか【蒼ざめた馬】だったはず)を読み切り、ため息とともに本を閉じた私は閃きました。

「読みたい本が無いなら、作ればいいじゃない。」

私が文章を書き始めたのは、そんな事を考えた10歳の夏の日からでした。

 

小説を書いたことがある方には、もしかしたら共感していただけるかもしれません。

小説を書いている間、私は神様になれます。

私の小説の中に登場する登場人物達を、私は思うがままに動かすことが出来る。

私が望む希望や絶望、そして愛を創出することが出来る。

小説を書き始めた当時、それがたまらなく面白かったのです。

私は様々なジャンルの短編小説を学習ノートに書き綴って、それを鍵付きの引き出しに隠し、勉強するフリをしながら夜にコツコツと書き進め、そして空想に耽っていたのでした。

 

父のスパルタ教育と大学の課題レポート

大学を指定推薦枠で合格していた私は、周りが受験勉強で白目を剥いている中でけん玉に熱中している、どこにでもいる暇を持て余した女子高生でした。

「なぜけん玉なの?」と聞かれると困るのですが、なぜか当時私はけん玉に熱中しておりました。

ツバメ返しという名人技を習得しようと練習していた最中、玉がおでこに直撃し、「怪我の仕方がアクロバティック過ぎるんだわ」と受験勉強をしていた友人達に保健室へ連れていかれた記憶がございます。

皆、当時は邪魔してごめんよ。

 

受験が終わればそんな風に私が堕落することは、大学も承知済みだったのでしょう。

それを防止するための策なのか、私が入学する大学では、推薦合格者に対して、月に2種類のレポート提出が課されていました。

当時の高校生は、情報の授業でしか触らないパソコン。

周囲は苦戦していましたが、私はけん玉に熱中できる程度には余裕がありました。

なぜかというと、私の家庭教育が少し特殊だったからです。

 

私が生まれた1990年代初頭、パソコンはまだ希少品でしたが、私の父はITエンジニアだったため、当たり前のように家にパソコンがありました。

そして「これからの時代はパソコンが使えなきゃだめだと思う。」ということで、父は私が5歳の時に、当時流行っていたポンキッキーズのPCゲームを買い与え、「ただでさえ、ピアノと水泳と塾で疲れてるのに」という母の制止も空しく、私にパソコンを教え始めたのです。

買い与えたゲームはタイピングゲームでしたが、幼稚園児はローマ字が分かりません。

当時ピアノの鍵盤のドからドまでも届かないような小さな手で、ひらがな入力を少しずつ習得するはるらっしゅ少女。(かわいい)

 

後日知りましたが、日本国民のおよそ90%以上が、PCでの文字入力の際にローマ字入力を選択していて、残り10%の「かな入力」選択者は、ほとんどがITエンジニアだそうです。

 

父のおかけで、今ではローマ字とひらがな、どちらもブラインドタッチが出来ます。

ただ、ローマ字よりひらがなの方が、タイプ量が1/2で済んで早く文章が組み立てられるので、普段はひらがな入力でタイピングをしています。

ひらがな入力は、ローマ字とは違い、かなりアクロバティックな手指の使い方をするので、周りからはよく驚かれます。(この記事もひらがな入力で打っています。)

 

さて、話を戻します。

レポートは、作文や小論文とは比べ物にならないような文量を書きます。

今まで【〇文字以内】という制限の中で削り削り文章を組み立てていた私は、字数制限無く思いっきり文章が書けるのが、とにかく楽しくて仕方ありませんでした。

入学する学部が心理学部ということもあって、内容自体も興味があり面白く、鼻歌を歌いながら課題をこなし、コツコツとレポートを提出するはるらっしゅ少女。

 

そんなある日、【睡眠】についてのレポートを提出した時の事です。

家に帰宅すると、父がとても嬉しそうに私を出迎えてくれました。

何事かと聞くと、私が留守中に大学から自宅へ電話があり、父がその電話を取ったそうです。

光栄なことに私のレポートの出来が良く、教授が直々に電話をくださったそう。

「まるでエッセイを読んでいるようで、一瞬で読み切った。娘さんはエッセイストに向いている。」と大絶賛だったようで、父が「鼻が高い」とそのレポートを読みたがりました。

まさかそんな事になるとは思わず、少し恐縮しながらレポートデータを渡すと、父は興味深そうに目を細め、その後、私の目を見て「お前の文章は、読みやすくて面白い。」と笑って褒めてくれました。

 

今でこそ丸くなって優しい父ですが、学生時代はかなり厳しい人でした。

小学生の頃からテストで80点台を取ると「点数が低すぎる、なぜもっと頑張れないのか」と私の頬を平手打ちしアイスノンで冷やすのは日常茶飯事だったし、真冬に家から閉め出されたこともあります。

そんな父からこんな風に褒められたのは、おそらくこの時が初めてで、すごく嬉しかったことを鮮明に覚えています。

それ以来、私は文章を書くことが何よりも好きになりました。

 

文章を書く時に最も意識していること

そんなこんなで、今では文章を書くことが私の一番の趣味になりました。

普段はこのようなブログを書いたりしていますが、昔と変わらず小説を書くことも好きです。

20代最後の今年は、ぜひ一冊書き切って、公募に出そうと思っています。

 

投稿数が増えるにつれて、コメントで「文章が上手い」とお褒めいただくことが増えたり、InstagramTwitterのDMで、文章を書くコツを質問いただくようになりました。

私はずぶの素人ですが、そんな事を聞いていただけるなんて大変光栄なので、この場を借りて文章を書く時に意識していることを、少しだけご紹介したいと思います。

 

私が文章を書く上で、最も意識していること。

それは「小気味よい、読みやすさ」です。

 

【書く内容によって、文体と視点を変える】というのは、物書きをしている方であれば、皆が意識していると思います。

例えば、小説を書く時は第三者目線のである調だけど、エッセイを書く時は私目線のですます調など。

 

私のブログは基本的にエッセイ調で記事を整えていますが、過去の回想は小説チックなである調にして、ストーリー風にすることで読みやすさを演出できるように努めています。

 

私がエッセイ調の文章が一番好きですが、実はこれが一番書きにくい。

人に読ませるエッセイの文章は少し特殊で、日記のような文体とは少し異なります。

語りかけるような、でも話し言葉とは違う。

言葉に表すには微妙で難しい、結構特殊な文体だと思ってます。

 

では、そのような文体はどのようにして書くのか。

それは「音読」です。

私はいつも、最初の40分間で自分の書きたい文章を一気に書き上げます。

その後の20分間は、一文ずつ声に出して読み上げながら文章を校正していきます。

ポイントは【その一文が一呼吸でスムーズに読み上げられること】。

これだけです。

どもったり詰まったり、あるいは違和感を感じる文章は全て書き直します。

 

皆様もしている当たり前の内容かもしれませんが、音読をすることで自分の考え方や伝えたいことが上手に整理でき、読みやすい文章が作れます。

素人の意見で恐縮ですが、良ければ参考にしてみてください。

 

最後に

実家の物置に、当時書いていた短編小説たちがダンボールに入って眠っています。

先日実家に帰った際、約20年ぶりにそれを開いて読んでみました。

小学生の汚い字で、一生懸命に書いてあるそれを読んでいると、当時の記憶や心情が鮮やかに甦ってきて、感慨深い気持ちになりました。

あの頃は純粋に書くことが楽しかったし、自分の書いた作品を、自信を持って好きだと言えました。

 

きっとこれからも私は、文章を書くことを止めないのでしょう。

「書く」ということは、今も昔も、私にとって喜びだから。

昔の私と同じように、私が生み出す文章を私自身が好きだと胸を張って言える、そんな記事を生み出していきたいと思う、今日この頃です。

 

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