スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

よるべなき夜の羊たち《プレッシャーのお話》

こんにちは。いいえ、こんばんは。

ただ今の時刻は、深夜4時過ぎでございます。

昨日まで夜22時には欠伸をしながらベッドに潜り込んでいたというのに、今日になっていきなり眠れなくなったはるらっしゅです。

これでは明日の仕事に響くこと必須ですが、眠れない時は眠れない。

仕方なく、ベッドから這い出て筆を取った次第です。

 

眠れない夜に暗い部屋でベッドで横になり、天井を見つめているとネガティブなことを考えがちです。

将来のこと、恋愛のこと、仕事のこと。

色々な考えが巡って、余計に目が冴えます。

今回のテーマは【プレッシャー】です。

私はいつも文章を書く時、読んでいただく皆様が楽しめることを第一に心がけていますが、今回はいつもとは全く違います。

これは不安で押しつぶされ、眠れなくなった私のためだけに書く記事です。

どうかこれを書き終わる前に、眠気が訪れますように。

 

よるべなき夜の羊たち

暗い天井を見つめている。

身体が熱いような気がして布団を剝いでみたけど、身体の熱は引かず、剥いだ布団を掻き抱くようにしてうつ伏せになった。

目を閉じて羊を数えてみたけど、羊たちは一匹ずつ私の頭の中から外に飛び越えて、闇に溶けていった。

眠れぬ夜に数えたよるべなき夜の羊たちは、一体どこに行くのだろうか。

身体の熱も羊たちと一緒に、闇に溶けていけばいいのに。

 

枕元に置いたケータイを開きSNSを開いて、一覧を眺めながらため息をついた。

私と同じような投稿をしていた友人たちは、皆結婚した途端に新婚らしい手料理や旅行の写真ばかりを載せるようになり、子どもが出来た途端、SNSは総じて子どものアルバムと化した。

中には陣痛の実況中継をしている友人もいる始末。

お前の陣痛実況を聞きたがっているのは、傍にいる旦那と親だけだ。

文字を打ってる余力があるなら、力んでさっさと産んでしまえ。

そんな悪態を思いついてしまう自分に嫌気がさす。

 

最近、SNSを見るのが憂鬱だ。

年齢のせいもあるかもしれないが、皆が一斉に結婚し出産し始めた。

私だけ一人取り残された感じがして、彼女たちのSNSを見ていると胸がむかついてくる。

「我が子が一番かわいい合戦」を狭い世界の中で繰り広げ、毎日のように掲載されている赤ん坊たち。

他人の私からすると、正直全員同じ顔に見えるし、全然可愛くない。

猿を映しているとしか思えない写真たちに、心無い「いいね」を押す。

不安や嫉妬、憎悪や羨望をハートマークに擦り付けるように。

 

私は子どもが嫌いだと思っていた。

他人の子どもを見て「可愛い」とは思えど、欲しいと思ったことは一度もない。

でもそれは、もしかしたら私が子どもを産めないからそう思うようになっていたのかもしれない。

皆が易々とクリアする、その課題を私だけクリアできない、負け惜しみなのかもしれない。

 

分かっている、分かっているのだ。

両親をはじめとする周りが私に何を望んでいるかなど、手に取るように分かる。

きっと周りと同じように、平均的な人と結婚して子どもを産み、平凡な家庭を築く。

平和で温かくて、代わり映えのない退屈な毎日の主人公になること。

それが、私の周りが私に期待していること。

でも、どうしてもそれが出来なくて、私はいつも自己嫌悪に陥る。

 

要因は色々あると思うけど、大きく分けると以下二つだ。

まず一つ目。

結婚しなきゃと思うけど、結婚したいと思える人に出会えていないこと。

以前は簡単に恋に落ちていたのに、最近はめっきり恋が出来ない。

別に相手の粗探しをしているわけでも、男性恐怖症という訳でもない。

ただ、会う相手に男性としての魅力を一切感じていないのだ。

だから、そんな彼らと寝ても全く何も感じないし、また会いたいとも思わない。

彼らの考えていることなどに一切の興味がないし、触れられるのがそもそも不快だ。

こんな状態で、一体どうやって結婚をすれば良いと?

 

二つ目。

結婚と出産に、魅力と意味を一切見出せていないこと。

子どもを産んだ友人たちと会うと、彼女たちはどうしても所帯じみて見える。

それは老けたという話ではなく、自分の見た目に時間がかけられなくなった結果だ。

子どもが生まれれば、どうしても子どもが第一優先になるから致し方ないと思う。

しかし話を聞いていると、彼女たちの思考回路は、彼女たちの見た目以上に変化していることに気づく。

話す内容は子どもの将来のことばかりで、子どもにはどんな習い事をさせたいとか、受験はどうするかとか。

独身で子どもを産んだことがない私からすると、まるで自分の夢を子どもに擦り付けているように聞こえる内容ばかり。

私には、それが恐ろしく醜いことに感じた。

まるで自分の人生を諦めて、子どもにそれを託し、子どもが大成することで自分の承認欲求を満たそうとしているように見えて、それが不気味だった。

もちろん世の中には色々な人がいるから一概には言えないけど、私が見てきた女性たちの大半はそうだったから、それがスタンダードなのだと思っている。

 

結果、私には無理だと思った。

私は何よりも私が大切だし、莫大な金(養育費)と自分の人生を諦めてまで、子を成すメリットが一切見つからない。

そして、子どもを産まないのであれば、結婚をする必要性は一切ない。

だって私はいつも、恋人がいない時の方が、日々が楽しく感じてしまうから。

それはおそらく、高校生から26歳までの約10年間、恋人がいなかった時期がほぼなかったせいで、直近3年間の、この自由な感じが自分らしく居られて心地良く感じてしまうせいだろう。

 

こんな考え方だから、結婚や出産で皆がおめでたい中、私だけ何もおめでたくないという、悲劇的な構図が出来上がっているわけだ。

これが俗に言う【こじらせ】だと思う。

 

こんなことを偉そうに話しているくせに、SNSを見ては不安になって、両親からの圧力に縮こまってしまう。

私の望みと、周りからの期待から来る義務感がせめぎ合って、心がすり減っていく。

周りが結婚して出産するたびに苦しくて、焦る。

きっとこういう気持ちが、世のアラサー女子たちを婚活に走らせるのだと思う。

でもよく考えてみると、それは「周りと同じでいたい」というマウンティング本能から来ている見栄であって、自分の望みではないことは目に見えて分かる。

だから、こんな状態で結婚や出産などしたら、お先真っ暗だということも分かる。

好きでもない人の子を産んで、別れてシングルマザーになる。

悲劇過ぎて、親が泣くこと必須だ。

 

全く、我ながら情けない。

私が私らしく生きていくことが、私にとって一番幸せだというのに。

弱い私は、私が幸せに生きるために腹を括れず、ずっとうじうじしている。

そんな私が嫌いだし、情けないけど、それが私なのだから仕方ない。

結婚するにせよ、出産するにせよ、独身を貫くにせよ、私が幸せになれる選択を私自身で導き出せますように。

そのために、私はこれからもきっと悩み続けるのだと思う。

そんな私が情けなくて恥ずかしいけど、少し人間らしくて可愛くも見える、今日この頃です。

 

寝不足でぼやけた頭をリセットするために、窓を開けて空気を吸い込む。

夜が明けてきた。

眠れずに数えた羊たちが闇に溶け込んで、漆黒の闇が柔らかい白が滲む群青色に変わったのか。

眠れずに淹れたホットチョコレートは冷えきって、チョコレートが底に沈殿している。

それを一気に飲み干し、その濃さに顔をしかめた。

眠れぬ夜はいつもベッドの中でネガティブな考え事をして、最後には睡眠薬を飲んで寝落ちする私だが、たまにはこういう夜があっても良いのかもしれない。

不安を文章化したおかげか、何も解決してはいないけど、モヤモヤは薄まった。

大きく伸びをしてパソコンを閉じ、シャワーを浴びに浴室へ向かう。

さあ、週明け月曜日。仕事だ。

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