スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

おもちゃ箱のようだ《未公開記事のお話》

こんにちは。

各地続々と梅雨入りし、私の住む地域もじっとりべっとりな今日この頃。

ナメクジのようにソファーにうだっております、はるらっしゅです。

皆様ご無沙汰しておりました、お元気ですか?

 

最近少しスランプ気味で筆を執る気になれず、ひたすらのんびり過ごしておりました。

「でもまあ、たまにはそんな時期もあるよね」ということで、凄まじい勢いで自分を甘やかしております、誰か叱ってくれないかしら。

 

さて、私の書くブログには、未公開の記事がいくつかございます。

それらは総じて、書いているうちに「やっぱり載せるのやめよう」とか「なんか違う」となってお蔵入りするのですが、下書きに溜まって、それはまるでおもちゃ箱を彷彿とさせるカオスっぷりです。

 

ということで、今回は《おもちゃ箱》もとい《下書き》を整理する回です。

私が以前執筆したにも関わらず、気分が急に乗らなくなってお蔵入りした作品をリメイクしてお届けいたします。

ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

指輪の墓場《失恋後の感情整理のお話》

忘れられない恋物語などと表現すると、なんだか特別に感じるけれど、相手が違えば内容も様々なわけで、何一つ忘れられる恋物語なんてないと思う。
だから、人はそれを記憶の奥底にしまい込んで前に進めるように、新しい恋をするし、その努力をするのだ。

 

先日失恋した友人N子が「今から海に行こうと思う」と連絡してきた夜8時半。

私は家で温めた無調整豆乳を飲みながら、Netflix約束のネバーランドを観ていた。
その日は、本来であれば私の家でN子とお泊まり会をするはずだった。

「海って、どこの?」私は電話をスピーカーに変え、花粉と涙(約ネバに感動して少し泣いていた)でグズグズになっている鼻をティッシュで拭いた。

「あそこ、覚えてる?前に一緒に行ったとこ。」
「あー、でもあの辺夜真っ暗じゃん。お化け出そうだし、危ないって。」
私は夜の海が苦手だ。真っ暗な先の見えない闇と大きな波音を聴くと、身が竦む。
「大丈夫だって、てゆーか、あと10分くらいで着くから暖かい恰好に着替えて」
「え?」
「もう大通りだから、あと10分くらいではるらっしゅの家に着くから」

電話が切れた後「暗いしマスクだし、化粧はいいか。」と、部屋着にダウンコートを羽織り、キャップを深く被った。
そして、鍵とケータイを片手に、私は慌ただしく家を出た。

 

元恋人から貰った物というのは、念が込められている気がして気持ちが悪い。
相手からの念ではない、自分の念だ。

 

私は元カレから貰った物は、基本的に全て燃やす。
父の趣味は焚火なので、昔から庭の一角に焚火台が設置されていた。
私はいつも、燃えるもの(本気を出せば大抵燃える)は全て段ボール箱に詰めて、薪と一緒に燃やす。

いわば火葬だ。
そのせいか、父は私の趣味が自分と同じ焚火だと勘違いしているようだ。
私が焚火台で物を燃やしているのを、例え明らかにおかしい煙の色を目撃したとしても、いつも優しい眼差しで見守ってくれている(多分何を燃やしているのかは、分かっていない)。

 

ただ、指輪だけは別だ。
私は皮膚が弱いため、基本的にネックレスやピアスを着けない。
唯一着けるアクセサリーが指輪だから、元カレ達はいつも私に指輪をくれた。
これだけはいつも何故か燃やせなくて、火葬した灰(残骸)と一緒に庭の土に埋めて、手を合わせる。お墓を作るのだ。
私が家を出た後も、失恋するたびに帰省して、毎回せっせと土を掘って埋めているので、母に「お前は犬か。」と心底嫌そうな顔をされる。

しかし、私にとってこれは儀式だ。物の処分でなく、感情の処分なのだ。
「今までありがとう、私が次に進めるように、彼への感情は今ここで死んでくれ。」という感謝と決意と願いを込めて、全てをそこに埋める。

 

誰でも失恋はしんどいし、その感情の整理方法も様々だ。
でも次の恋愛に進めるのなら、方法なんて何でも良いと思う。


はめていた指輪を轟音がする漆黒の闇へ放り込む。

 

すっきりしたような、少し悲しそうな、何とも言えないN子の姿を、コーヒー片手に後ろから眺めて、そんな事を考えた、とある春の夜のお話。

 

フェアリーゴッドマザーの不在《思い込みのお話》

幼い頃、当時の家のベランダからは毎日ディズニーランドの花火が見えた。
私はシンデレラの水色のドレスを着て、プラスチックのティアラを頭に乗せ、毎日飽きずにその花火を眺めていた。


私は信じていた。
いつかお姫様になって、白馬に乗った王子様と大きなお城に住むのだと。
私は信じていた。
私はシンデレラになれるのだと。

 

思い込みという言葉から連想されることは何だろう。
Googleで「思い込み」と検索すると1,310,000件がヒットするが、その大抵が「思い込みの壊し方」「思い込みから解放」「思い込みをなくす」などだった。
思い込みは世間ではあまり良いイメージがないようだが、私はそうは思わない。
今日のテーマは、私の思い込みに対する思い込みが変わった、そんな話。

 

そもそも、思い込みとは何か。
思い込みとは、ある物事について深く信じ、固く心に決めこと。
そして、自分が「これだ」と思ったことに対し、心が揺るぐことなく強く信じ込むことが「思い込み」と定義されている。
こう聞くと、周りからどんなことを言われようと、他に良い方法があろうと、その一案に執着し、信じ込むような【負のイメージ】を抱く方が多いかもしれない。

 

▽思い込みは自分を変える最強の魔法

「お前が強く望めば、何にだってなれるんだよ。自分は無敵だと思い込んで、思うままにやってみなさい。きっとうまくいくよ。」

高校受験の当日、ガチガチに緊張していた私に父が優しく語りかけてくれた言葉だ。

まだ考えが未熟だった私は、今までそういった思い込み(一種の自己暗示)を「ナルシストがする中二病野郎の思考」だと思っていたが、当日の私は普通ではなかった。
普段無宗教の私が、受験当日のその日の朝は神棚に土下座して動かず、ここに来て腹痛を起こしたかと母が狼狽えていたのだから。
藁にもすがる思いで、「私は最強私は無敵私は出来る」と呪文のように唱え、受験会場の門をくぐった。

 

思い込みは人を強くする。
例えば【火事場の馬鹿力】という【土壇場で普段では想像できないような力を無意識に発揮する】という意味の言葉があるが、これも思い込み(ある種の催眠状態)が人を強くするという、良い例えだと思う。「自分は出来る」と思い込み、それを信じて疑わない人間ほど強いものはない。

その日、直前の入試模試でC判定を受けていた学校を受験した私は、500点満点中475点という、今まで取ったことが無い好成績でその学校に入学した。

この経験が私にとって「思い込みは悪いもの」という思い込みを一掃してくれた出来事だった。

 

あれから様々な試練や困難があったけれど、父がくれたこの言葉は私にとって不動だ。
私はいつだって無敵だと自分に思い込ませて、いつもそれらに立ち向かってきた。

私達は何歳になっても、何にでもなれる。
「私は出来る」と思い込んで、しっかり努力を積み重ねていけば、願いは叶う。

ディズニープリンセスのドレスやプラスチックのティアラはもう似合わないけれど、それでもきっと、私が思い込めば、私は今でもシンデレラになれるのかもしれない。

 

画面の前のあなたもそう。
あなたが強く望み思い込めば、世界一美しいプリンセスやかっこいいヴィラン、アメコミに出てくるスーパーマンにだってなれる。
あなたの世界が、ほんの少しだけだけど、今以上に色鮮やかになる。
フェアリーゴッドマザーが居なくたって大丈夫。
思い込みこそが自分を変える最大の魔法なのだから。

 

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