スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

闇をぶら下げたチョウチンアンコウ《仕事が辛い人向けのお話》

新しいPCを買いたくて元エンジニアの先輩と家電量販店に行く途中、「お前、予算いくら?」と聞かれ、元気よく「3万円!」と答えたら、手を引かれてUターンさせられました。

こんにちは。度を超えた世間知らずっぷりを発揮している、はるらっしゅです。

PCは10万円はないと買えないそうなので、金子を揃えて出直します。

 

こんな世間知らずな私は、意外にも毎日各局でCМが流れている、俗にいう大会社に勤めています。

周りからは大手に勤めていて安泰だと言われますし、入社が決まった時は、あまりのミラクルファインプレーに親戚一同が腰を抜かしておりました。(ちなみに内定理由は、顔と度胸。え、能力は?)

 

これだけを見ると、「自慢か、いやらしい」とご不快になる方もいるかもしれません。しかし、私が言いたいのはそういうことではありません。

こんなものは私の綺麗な一部の断片です。チョウチンアンコウで言うところの光っている部分です。その下にグロテスクな本体があるように、私にも見せられない闇や黒歴史が腐るほどぶら下がっているし、なんならそのグロテスクな部分が私の本体なのです。

 

今回のテーマは仕事についてでございます。

【社会人になって辛かったこと3選】と題して、私の黒歴史を成仏させるとともに、仕事が憂鬱だと悩んでいる方がこれを読んで「これよかまし」と思ってくださったら幸いです。(過去の話なので笑ってやってください。)

 

 

社会人になって辛かったこと3選

1,花見で首筋を舐められて帯状疱疹が出た話

忘れもしない、あれは入社して初めての土曜日です。花見会が催されました。

ただでさえストレスでボロボロの中、何が楽しくて知らないおっさんたちと桜を見なきゃならんのだと不機嫌マックスの私は、花見会場で泥酔した先輩に抱きしめられた挙句、首筋を舐められ、怒りと疲労で大号泣。現場は地獄絵図。

その後、首筋は赤くただれ、身体中に出た帯状疱疹の痛みで死ぬ思いをしました。今でも背中に痕が残っています。これが最初の黒歴史且つ、会社を辞めたいと思った出来事です。ちなみに加害者の先輩は、赤くただれた私の首筋を見て、ショックのあまり絶句していました。

 

2,周りが男性だらけで会社に行くのが怖くなった話

私は女子高出身です。大学もほぼ女子しかいない学科だったので、男性に対しての扱いが分からない節がありました。恋愛対象として男性に接することがほとんどで、友達や仕事仲間としての接し方が全く分からなかったのです。

当時配属されたのは、出来たばかりの小さな課で総勢6名、全員年上の男性でした。ただでさえ男性の扱いが分からないのに、相手は年上です。

年上の男性など、教師や教授、父、親戚としか話したことがない私にとって、彼らは宇宙人でした。いやもう、私が宇宙猫状態でした。

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最初の1カ月は新卒特有の緊張感でギリギリ乗り切りましたが、ゴールデンウィークを超えたところで一気にそれが崩れ、私は自律神経失調症を患って投薬治療を受けました。そして、この事を人に話せるようになるまで、5年かかりました。

この出来事は私にとって最大のコンプレックスであり、私のアイデンティティを一気に作り変えた重い出来事でした。

 

3,仕事辞めたいのを我慢していたら大腸炎になって入院した話

投薬治療を受けながら、なんとか仕事を続けていましたが、人間はなかなか変われません。嫌なものは嫌なのです。

嫌な仕事を我慢し続けた結果、ある日謎の高熱が出て、下血しました。その後貧血を起こした私は救急車で運ばれ精密検査を受けた結果、ストレス性大腸炎で1週間の絶食入院。しかもこれを1年で2回繰り返しました。

 

なぜ私は辛い仕事を続けたのか

当時の私はとにかく世間知らずでした。働いて稼ぐということがどれだけ大変かを知らなかったのです。

辛さから解放されたくて、深夜、当時付き合っていた人のマンションのベランダに脚をかけたこともありました。

精神薬を飲んでボロボロになっていく私を見て、母は毎日泣いて衰弱していました。

 

それでも会社を辞めなかったのは、辛いなら逃げれば良いという選択肢を見いだせないほど、私の視野が狭かったからです。同時に、両親も一つの会社にずっと勤め続けているせいで、転職という選択肢を提示することができなかったのです。

 

私は、辞めなかったのではなく、辞めることを知らなかったのです。

 

4年前の異動で環境が一変し、今は精神薬を飲むことは一切ありません。それでも、この忌々しい記憶は消えません。あの頃の私に戻るのが怖くて、当時飲んでいた薬を未だに捨てることが出来ないのです。

 

仕事を辞めることは悪か

こんな私も入社7年目の中堅社員です。これくらいの立場になると、辛い辞めたいと言う後輩たちの相談を受ける立場になります。そして、こんな経験をしている私だからこそ、そう言う人達には決まってこう答えるのです。

 

辛いことなどやめて良い。我慢して生きられるほど、人生は永くないのだ。

 

よく巷の自己啓発本には我慢が美徳と謳われます。我慢は報われる、我慢した先に得られるものがある。私から言わせれば、そんなものはくだらない欺瞞です。私が我慢して得たものは、消えない身体の傷とトラウマです。

 

人間、どう考えたって我慢して得るものより楽しんで得るものの方が、その人にとってよっぽど価値があるのです。

その我慢の中にたったの一つの楽しさも見いだせないのなら、そんなものは価値がない。そんなものはやめて良い、私はそう思うのです。

 

生きるためにお金は必要です。しかし、そのお金を得る手段の仕事で健康や命を失っては、元も子もありません。

こんなに恵まれた先進国の日本で、貧困で死ぬことなどなかなかありません。仕事を辞めても、次の仕事を見つけるまでの間は食いしのげます。そのための社会保障制度です、本当に大丈夫です。

どうしても不安で、今の辛く苦しい状況から抜け出せない方がいるならば、私が目を見て、手を握って「辞めて良い、大丈夫」と言って差し上げます。

 

ただし、辞めるのは最終手段です。やみくもに辞めるのでは次に繋がらないので、非常事態を除いておすすめはしません。まずは今勤めている会社で環境を変える手段がないかを模索してください。

あなたの勤めている会社で社内公募は開催されていませんか?別部署への異動希望は出せませんか?

 

転職活動は精神的にも体力的にも辛いはずです。ただでさえ今の仕事で疲弊してるのですから、辛いことなど無理してする必要はないのです。まずは自分の状況を棚卸して、必要最小限の労力で環境を変えられないかを模索するのです。同じ社内でも、部署や仕事内容が違うだけで、世界は変わるものです。私はそう思うのです。

 

私は迷ったとき、私がワクワクする方を必ず選びます。これは私が後悔しないための絶対法則です。

人は1日に約3万5000回の決断をしていると言われています。どうかこの記事が皆様にとって、ワクワクに向かって踏み出せるきっかけの一部になれるようにと願う、今日この頃です。

 

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