黒いマスクと失恋猥談《ワンナイトのお話》
こんにちは。
先週から黒いマスクを着けている男と避妊をしない男は、全人類の敵だと見なしたはるらっしゅです。滅べ。(どうした)
世の中自分の思う通りにはいかないとは分かっておりますが、先週からの私の人生は、ここ数年でも類を見ないハードモードに突入しているようです。
私の心は今、非常に荒んでおります。
ラクダも転倒するであろう強風で、砂が巻き上がる果てない砂漠のような惨状です。もう、大荒れ。
それはなぜか。恥を忍んで申し上げます。
それは、えぐい失恋をしたからでございます。
今回のお話は、私の心が砂漠化している要因【失恋とワンナイト】についてです。
はしたないやらかし猥談で恐縮ですが、どうぞ笑って読んでやってください。
はるらっしゅの直近の失恋猥談
社内恋愛をしないと公言している私も、実際は何度か(多分6人くらい)社内恋愛の経験があります。
そんな中でも特に好きだったSさんへの恋心は、今年で4年目に突入しておりました。
私が一番綺麗だった24歳の時、職場の喫煙所で遭遇したのがきっかけ。
そう、こんな感じでした。
タバコを吸い終わった彼は、同僚と話し込んでいて、私が喫煙所に入ってくるのを認識すると、黒いマスクを耳にかけて付けながら、私に軽く会釈をしたのです。
彼が軽く下げた頭を上げて目が合った時に私は「ああ、私は彼を好きになるかもしれない」と、その時ぼんやりとそう思ったのです。
当時は新型コロナが流行る前でしたので、黒いマスクを着けている人は珍しかったのです。
だから、当時からたまに黒いマスクを着けていた彼との出会いを、私は今でも詳細に思い出すことが出来るのです。
当時、彼には彼女がいました。当然、私が手を出せば浮気です。
「既婚者と彼女持ち、そして未成年には手を出すな、さもなくば腹を切って死ね」と父から武士教育を受けた私です。当然、手出しなどできません。
今だったらおそらく「結婚してなきゃセーフ!」と手を出すだろう私ですが、当時、少女漫画の主人公にも負けぬような、清く正しく美しい私。そんなことは致しません。
恋心を憧れという形に消化して、せめて彼にとって可愛い後輩でいようと心に決め、辛い日々を送っていました。(ゆーて、他に彼氏を作ったりもしていたんですけれども。)
その一年後に転機が訪れます。彼がひとりになったのです。
普段は無宗教の私ですが、この時ばかりは神の福音を信じました。
もしかしたら、私は彼と一緒になれるかもしれないと本気で夢見たのです。
しかし、ここでバッドエンドに歩みだすのが私らしい。
どこをどう間違えたら、この好機がバッドエンドに転じるのか。
縁結びの神様も首を傾げていらっしゃるでしょう。
すぐには手を出せませんでした。
彼女とのお別れ後、彼は憔悴していました。それを近くで見て、すぐにアプローチをかけても勝算がないと踏んだのです。
そして、待つこと一年後、私は彼に告白をしました。
その後の展開はご想像にお任せします。
私は、彼の纏うにおいと空気感が好きでした。
明け方に寝ぼけて私の胸に顔を埋める彼の寝顔を見た時、私は自分でも驚くほど穏やかな気持ちになって、自分がどれほどずっと彼を好いていたのか痛感し、彼を起こさぬよう声を殺して泣きました。
後日、彼から付き合えないとお断りの返事をもらいました。
分かっていました。私が彼に好きだと伝えた時、彼の瞳が揺れて、彼の想い人は私ではないと理解していました。
だからきっと、あの日の明け方、私は泣いたのです。
ここで終わればよかったのに、問題はここからなのです。
振られて2年後の先日、私は、お酒の力を借りて彼に触れました。
なぜそんなことをしたのか、自分でも分かりません。
でももしかしたら、あの時はだめだったけど、今なら頷いてくれるかもしれないという淡い夢を、いつからかずっと夢見ていたのかもしれません。
でも、彼は最中も目を閉じて、私をちゃんとは見てくれませんでした。
そして察したのです。「彼とはもうダメだ。」と。
彼が果てる直前、彼は私が泣いていることに気づき「痛い?」と聞きました。
そして私は「気持ちいい」とキスをして、彼に顔を見られぬよう、彼の首筋に顔をうずめました。
こんなことがあれば、失恋女王のはるらっしゅもさすがに病みます。
そして、こういう時は同性の友達が一番の助けになるというのも長年の経験で学習済みです。
大学時代の友人に話を聞いてくれと連絡すると、彼女も一言、こう言いました。「私も話したいことがある」。
友人Y子の直近の失恋猥談
一カ月ぶりに会う友人のY子は、前回会ったときより若干痩せていました。
ワンピースから覗く鎖骨と手首が、彼女の痩せた体形を際立たせ、儚げに見えました。
普通じゃない、そう思いました。
そして動揺している私を見て察したのか、開口一番に彼女は苦虫を嚙んだような顔で、こう言いました。「私、好きな人が出来たの」。
事の顛末はこうです。
先日、SNSで知り合った男性に恋をした。
初めて会った日に意気投合したY子は、付き合う前にその男性を、避妊具無しで受け入れた。
その後、男性は会いたいとは言ってくれるのに、具体的な会う日程を組んでくれない。
日程が組めても、当日にドタキャン。しかもその回数、驚異の4回。
挙句、男性から連絡は来なくなり、Y子は連絡を待ち続け、現在に至る。
冷静な頭であれば、誰でも分かります。
彼はY子をワンナイトの相手として認識し、やり捨てたのだと。
それでもY子は「それでも、彼が好きなのだ」と私に言うのです。
こんな事を話したら、彼女は傷つく。
私は彼女の腕を擦りながら、なんと声をかけて良いのか分からず、ただ「辛いね」と語りかけました。
そして、話を聞き続けるしかできない自分の不甲斐なさを呪いました。
なぜ私の好きな人は私を好きになってくれないのか。
恋をすると、私は眠くなくなります。
恋しいし、寂しいし、腹立たしいから。
そしてそんな夜はいつも、「愛している」という感情はこの世で最も尊く、そして愚かな感情だと思って、そしてそんな感情に取り憑かれた自分を呪うのです。
人は緊張すると【頭が真っ白になる】と表現するけど、私は違います。
好きな人を目の前にすると、私の頭の中はいつも赤く滲むのです。
鼓動が早くなって、目が潤んで、声が震えて、体温が上がっていく。
私が彼を幸せにしてあげたいと思う、自分の面倒を見るので精一杯な私には、そんなこと到底出来るわけがないのに。
叶わない片思いをすると、私は特にそうなるのです。
昔、父と酒を飲んでいる時にこの話をしたことがあります。
なぜ私の好きな人は、私を好きになってくれないのか。と。
父は「人生なんてそんなものだよ。」と笑い、私に酒を注いでくれました。
そして、私はずっとその理由を考えながら、父が酔いつぶれるまで酒を飲み続けていました。
その夜、結局答えは見つかりませんでした。
しかし、その過程でこんな考えが浮かびました。
人の恋愛というものは、憧れや尊敬からスタートする感情であり、自分が好きになる人というのは、結局いつも私よりも優れた人間なのだ。
片思いとは常に高望みなのだ。と。
だからと言って、片思いが悪いという話ではございません。
ただ、基本的に片思いは高望みだから、叶えばラッキー、ダメでもともとくらいの気持ちでいるくらいが、ちょうど良いのではないか、と思ったのです。
Y子にも同じ話をしましたが、片思いの相手が自分を好きになってくれないとして、それは自分に落ち度があるわけでは絶対にありません。
一度寝たから飽きるとか、興味が無くなるとか、そんなものは単調でつまらないセックスしかできないダサい男の言い訳です。
真に受けなくて良いですし、そんな相手とは付き合わなくて正解です。
そして、あなたにはちゃんとあなたの魅力があるのですから、それを絶対に見失ってはいけません。
他人に自分の価値を委ねてはいけないのです。
私も、私にこれをサブリミナル級に言い聞かせ、現在何とか心を取り戻しております。
恋をするとフィルターがかかって、相手がその辺のアイドルより美しく見えます。
そして「どうして自分を好きになってくれないの?」と恋焦がれますが、目が覚めると大したことはありません。
相手はアイドルではなく、ただの一般人です。
私を例に挙げると、後日会社でSさんを見ても、触れる前のようなときめきは一切ありませんでしたし、なんなら「なんか、違う」と首をかしげる始末。
【女心と秋の空】と言いますが、私の場合は【はるらっしゅの心と激流】でございます。
目を離した瞬間には、もう気持ちが流れ去って消えてるというか、跡形もないのよ。
皆幸せになりたくて、それぞれが悩みを抱えて、それを隠して笑ってるこの世界で、私もY子も、それぞれがいつか、心から愛し合える人と結ばれれば良いと思う、今日この頃です。
※余談※
月末は退職者が多いものです。
本日、仲の良い同僚が退職するので社内チャットで「今日で退職なんて、やっぱり嫌だ。寂しい~」と送信した私。
送信してから気づきました。
名字が同じなせいで、仲の良い同僚に送るチャットをSさんに送っておりました。
あまりのやらかしに、白目を剥く私。
急いで「間違えた、忘れて」と送ろうとしましたが、それより速い光の速さで「俺辞めねーよ、嫌がらせかw また飲みに行こうな。」と返信が来て、胸がぐっとなりました。
こんな気まずい関係だったのに、こういうことをさらっと言える、人ったらしでチャラくて、私より全然大人で魅力的な憎たらしい彼。
少しずつ恋心を忘れて、新しい関係を築いていきたいと思う、はるらっしゅでした。
猫系女子の処世術《嫌いな人攻略法のお話》
こんにちは。
先日、職場の先輩とお酒を飲んでいる時に「お前、田中みな実に似てるよな」と言われ、歓喜の雄叫びをあげたはるらっしゅです。
私は田中みな実さんが大好きなので、その後はずっと上機嫌でしたが、先輩の意図はそうではなく「あざとく、敵を作る」という意味で言っていたそうです。
しかし、そんなの構いません。あざとくて何が悪い。
今回は人間関係ネタの鉄板、【嫌いな人の攻略法】について語ります。
※途中、感情の高ぶりによる過激な言葉が出てまいりますが、温かい目で見守っていただければ幸いです。
はるらっしゅの生態調査報告
先日、Instagramのストーリーズでお題になっていた動物女子診断をした結果がこちら。
#動物女子診断 #ホイミー
https://hoyme.jp/shindan/82109/results/764
全部悪口じゃないですか、これ。
こういう類いの診断って【モテる】とか【かわいい】とか良い言葉が並ぶと思っていただけに、目が点になりましたけれども、おそらく冒頭の先輩が言いたかったこともこういうことなのではないかと思います。
(思い返せば、前回の鬼診断もぼろくそに言われました。※【赤鬼とキンパ】参照)
私の特徴をまとめるとこんな感じだそうです。
気まぐれでワガママだけど何故か憎めないあなたは、猫系女子です。テリトリーの意識が強く、絶対に侵害されたくない自分の聖域を持っています。自分の領域が侵されれば、相手を永遠に恨むでしょう。基本的には人見知りですが、一度心を開いた相手には独占欲が出るツンデレなタイプ。
言いたいことはハッキリ言うタイプなので誤解されることも多いのですが、ツンケンしているようで、寝る前に「ちょっと強く言い過ぎたかな…」と後悔する可愛いところも。また、仕事や学業などやるべきことはソツなくこなせるのですが、実は不器用な一面もあります。表情には出しませんが、内心は汗びちゃで焦ることも多いようです。
読んでご理解いただける通り、私は性格が悪いです。自他ともに認めます。
とにかく我が強いですし、食べ物の好き嫌いは一切ないのに、人の好き嫌いは誰よりも激しいです。そのため、一度好きになった人はずっと好きな一方、一度嫌いになった人を好きになることは二度とありません。
こんな感じなので、私は絶対的な味方がいる一方で、敵を作る性格だとよく言われます。
皆と仲良くすることはそんなに大事か?
世論では敵を作るのは『悪』、敵を作らないのは『善』とされています。
日本人は同調性を重んじる国民性ですので、自己を抑えて周りと同じ行動を取るよう、幼少期から教育されます。
そして同時に、人を嫌いと思う感情は悪であり、皆を好きになり仲良くするようにも教育されます。
しかし、果たしてそんなことは可能なのでしょうか。
人も生き物ですから、どうしても好き嫌いは発生します。
私は、そういった負の感情も他の感情と同等に尊重されるべきだと思うのです。
私は、皆と仲良くするふりをするのは自分の魂を削る行為だと思っています。
そしてそう思う私は、好きな人と嫌いな人の線引きを、相手が分かるくらいにはっきりと引きます。相手に「私に近づかないで」と意思表示をするためです。それが序盤に先輩に言われた言葉に繋がってきます。
世論の基準に照らし合わせると、私の性格は間違いなく最強に悪いです。
しかし、だからと言ってこの性格を直したいと思ったことはありません。不満を持ったことも不便を感じたこともありません。
私は嫌いな人間にどう思われようが興味がないので、自分の心を守り、自分がご機嫌でいる方を最優先事項にして日々生きています。
以前は全員に好かれようとしていた時期もありましたが、心が疲れてしまうし、八方美人になっている自分に良い印象も抱きませんでした。
私は、今の私の方がよっぽど正直で好きです。
そして、自分を好きでいる時の方が良い人間関係が築けていると感じます。
こんな経験から、皆と仲良くする必要はないという結論に至り、そして本日に至っております。
はるママ直伝【嫌いな人攻略法2選】
極論を申し上げると、嫌いな人間には愛想を振りまく必要はないし、そういう人間は極限まで遠ざけて良いと私は思います。
それがプライベートなら絶縁して良いし、会社であれば仕事の報連相以外、一切の関わりを絶って全く問題ございません。無理しなくて良いのです。
人間は嫌いな人間と一緒にいると、メンタルが削られます。
自分の気分を害する人間に時間を割くことほど、くだらない時間の浪費はありません。
嫌いな人間は、無きものとして扱って良いのです。そんなやつらに自分の貴重な時間と思考を与えてはなりません。
とはいえ、嫌いな人間の言動というものは、非常に鼻につくものです。わかります。
ではどうすれば良いのか。
ここからが本題です。はるママ直伝【嫌いな人間攻略法2選】と題して、私が実際にしている嫌いな人への攻略法をご紹介いたしましょう。(性格の悪さが露見します。)
1,同じ土俵に立たない
皆様、想像してみてください。
幼い子どもを相手に、本気で嫌悪感を抱いたことはありますか?犬猫には?
一瞬かっとなることはあっても、時間が経つと怒りが治まっていることが多いのではないでしょうか?
これはなぜか。答えは「相手を自分と対等と見なしていないから」です。
人が人に腹を立てる心理は、「私を理解してくれない」という不満から生まれます。
「どうしてこんなことを言うの?(私が傷つくのに)」
「どうして連絡してくれないの?(私が連絡してほしいのに)」
「どうしてこうしてくれないの?(私がこうしてほしいのに)」
そして、これらは後ろに全てこう繋がります。「どうして私を分かってくれないの?」
相手に自分を理解して、自分の思う通りに動いてほしいと無意識に期待してしまうから、それを裏切られた時に人は相手に不快感を抱き、その不快感は嫌悪に成長するのです。
それであれば、はじめから相手を対等に見なければ良いのです。
同じ土俵に立たず、相手の立ち位置を2,3段下に置いて、それを傍観していれば良いのです。
ちなみに私は、嫌いな人間は全て人型の豚だと本気で思って接しております。
2,自分と相手の間に境界線を作る
これは、私がよく会社で使う必殺技です。
仕事をしていると、どうしても嫌いな人間と話さないといけない場面はあります。
そんな時私は、私と相手の間に物を置いて、透明な境界線を作ります。
置くものはPC眼鏡でもペンでもケータイでも、何でも良いです。
そして自分に暗示をかけます。「相手がこの境界線を超えない限り、私は安全だ」と。
慣れてくると、相手がまるで仕切りの向こう側で話しているように感じ、最終的には何を喚いていたとしても「テレビのコメンテーターかな」くらいにしか思わなくなります。
--
これら2つに共通することは【相手を実像として見ない】という点です。
私の場合を例として挙げますと、1では、相手を人型の豚として扱っていますし、2ではテレビに映るコメンテーター扱いです。
アニメや漫画の世界に出てくる悪役に嫌な印象を抱いても、本気でぶち切れる人はなかなかいないですよね。それと同じ精神状況にまで持っていければ、こちらの勝ちです。
※余談※
この記事を書いてて思うのですが、結局人は、同じレベルと認知した人に「自分ならこうする」という価値基準を勝手に押し付けて、そして怒って嫌っているのですよね。人間という生き物とは皆、自己中心的で醜いものです。(遠い目)
最後に
誰でも嫌いな人はいます。絶対にいるのです。
たまに絶対に悪口を言わない仏のような人間と出くわしますが、高校時代、皆が部活に勤しむ中、ファミレスでクラスメイトの悪口を腐るほど愚痴っていた陰キャの長のような私からすると、そういう輩の方が腹の底が知れず、気持ち悪いと思ってしまいます。(でも中には本当にそういう仏もいると思います。ごめんなさい。)
私が何を伝えたいかと言うと、どうか「この人嫌い」と思ってしまう自分の醜さを責めないでほしいのです。
本来、嫌いという感情は【相手が自分を傷つけそう】という直観が働いてのことですので、むしろその気持ちは尊重し、信じて良いのです。
しかし、だからといって、いじめなどの攻撃はいけません。
絶対に嫌いな相手と同じレベルに落ちてはいけません。
あくまで相手を遠ざける、接点を消すということを最優先事項に、自分の心を守ってあげてください。
そして、その守った穏やかな心で、自分の好きな人に優しく接してください。
優しさと親切は連鎖します。
自分が相手に親切に接すると、相手もそれを優しさで返してくれます。
返された優しさが心の成長剤となって、いつか嫌いな人の多少の無礼くらいは笑って許せるような、心の余裕と度量が生まれるのではないかと思う、今日この頃です。(多分、私は無理だけど。笑)
紫煙を燻らすヘビースモーカー《禁煙のお話》
こんにちは。
年々喫煙スペースが減り、数少ない街中の路上喫煙スペースに集まって喫煙する人々を「電灯に群がるハエのようだ」と言い放った妹に、戸惑いが隠せないはるらっしゅです。
妹よ、何かあったか(怯)
そんな私は、2020年10月に禁煙しました。それまでは1日に2箱のタバコを消費する、いわゆる【ヘビースモーカー】でした。
本日のテーマは禁煙ですが、私は今でもタバコのにおいが大好きです。喫煙者の前では「私に向かって煙を吐いて」とねだり、周りをざわつかせます。(実話)
なので、本日は禁煙した方が良いよと勧めるお話ではございません。
私の信条は【太く短く生きる】ですので、我慢を重ねて長生きするより、やりたいことをやり尽くして早く死ぬ方が幸せだと信じておりますし、私もそう生きます。
今回は、禁煙するとこんな感じというご紹介ですので、喫煙者も非喫煙者も、どうぞ笑ってご覧頂ければ幸いです。
タバコとの出会い
私とタバコの出会いはさかのぼること、9年前。
当時19歳だった私は、当時の彼氏にこっぴどく振られて深夜に実家のリビングでギャン泣き。
父が一生懸命慰めてくれたのですが、全く泣き止まず、父もいよいよ頭を抱える始末。
そんな時です。私は泣きながら思ったのです。私はとことん彼が嫌いなタイプの女になってやろう。
なんでこんな思考になったのかはいまいち自分でも分からないのですが、とにかく当時の私はそう思ったのです。
そして、何をしてくれようかと考えた時、真っ先に思いついたのが、そう、タバコ。
彼はとにかくタバコのにおいがだめでした。
私はキッチンにある母のタバコを手に取ると、それに火をつけ、父の制止も空しく一気に煙を吸い込み、そして盛大にむせました。(死ぬかと思った。)
これが私とタバコの出会いでした。
学生時代のタバコ事情
私は大学で社会心理学を専門に勉強していましたが、その過程で養護教諭の資格を取りました。養護教諭とは【保健室の先生】です。
ええ、分かっています。健康教育を司る養護教諭を目指す学生が、タバコを吸っているなど本当にとんでもないことです。禁煙教育をするどころか、保健室が不良たちの拠点と化します。
何度も教授の研究室に呼ばれて指導を受けました。それでも禁煙しない私。
挙句の果てに、教育実習中も指導計画を作りながらタバコをプカプカする私。
今思えば正気の沙汰ではございません。教授も頭を抱える始末。
今思えば、これが俗にいう「あの頃、私はとがっていた」というやつですか。
社会人になってからのタバコ事情
私が入社した会社は当時、約6割が喫煙者でした。タバコを吸っていた方が、先輩たちと話が出来る機会が多く、自分が吸いたいというよりかは、タバコミュニケーションを求めて吸っていた気がします。
その頃にはタバコでむせることなど一切なく、仕事終わりの一服や食後の一服がとても美味しかったですし、深夜寝る前に暗闇に溶ける紫煙を眺めていると、とても落ち着きました。
また、社会人になってからお付き合いした人全員が、たまたま喫煙者だったこともあり、禁煙について考えるきっかけもなく毎日を過ごしていました。
禁煙のきっかけ
こんな私がなぜ禁煙をしようと思ったか。妊娠でも健康上の不安でもございません。きっかけは「大嫌いな人が出来たこと」でした。
私は社内で一人、どうしても嫌いな人がいました。どのくらい嫌いかと言うと、その人の足首をひっつかんで、地獄の穴に引きずり落してやりたいくらいに大嫌いでした。(既にご退職されています)
当時、その人も喫煙者だったので、たまに喫煙所で鉢合わせることになるのですが、私はとにかくそれが嫌でした。
あの狭い空間の空気を一緒に吸っていると想像しただけで虫唾が走り、鳥肌が立ち、脂汗が噴き出しました。
そして、その人と顔を合わせたくないがために、私は禁煙することを固く決心しました。
(禁煙は難しいからちょっと怖いという話も聞きますが、案外こんな単純な理由でも成功するくらい、敷居は低いですよ。)
禁煙外来って実際どんな感じ?
自力で禁煙しようとして禁煙グッズを買っているうちは素人だと思います。
日本人は何でも自分一人で解決しようとし過ぎます。世の中には弁護士や心理カウンセラーなど、悩みを一緒に解決してくれるプロの専門家がたくさんいますし、それらに頼るのが一番手っ取り早いです。そして、禁煙するにはそう、禁煙外来に行くのが一番手っ取り早いのです。
私は我慢が大嫌いです。なので、自力で禁煙するという選択肢は、はじめからありませんでした。「何とかしてくれ、金はある」と、ふてぶてしさ全開で禁煙外来の門を叩いたのが、2020年10月のことでした。
禁煙の治療は薬物療法が基本です。
毎回、呼気中の一酸化炭素濃度を測って(隠れて吸ってるとここでバレる)、医師と面談、その後【チャンピックス】という飲み薬をもらって終了です。保険も適用されますので、トータルの治療額は3万円以内で済みました。
禁煙補助薬を飲むと吐き気が出る人もいるそうですが、私は特に副作用もなく、毎日もりもりご飯を食べていました。しかし、禁煙補助薬はあくまで補助です。吸いたい欲求は消えませんし、禁煙による副作用も出ます。
私は食べることでその副作用をごまかしました。医者からも「禁煙補助薬を飲んでいる間は多分3㎏は太るけど、それはもう諦めて」と初回で言われていました。まあ、私は結果7㎏太ったんですけれども。
正直、最初の1週間は副作用がひどすぎて、仕事になりませんでした。タバコを欲しているというより、7年間の喫煙習慣を矯正しようとしている精神的ストレスが酷かったです。しかし、禁煙開始2週間後から徐々にその辛さは無くなりました。
禁煙してみて思うこと
「禁煙して良かったことは?」とよく聞かれますが、ありません。強いて言えば、歯医者さんに行く頻度が毎月から3ヵ月に一度に変わったことくらいです。(歯に付着するヤニを取りに通っていました)
しかし、「吸い続けた方が良かったか?」と聞かれると、そうとも思いません。
結局、タバコはあってもなくても生きていける嗜好品です。吸いたい人は吸えば良いし、吸いたくない人は吸わなくて良いし、自分の好きなようにして良いと思います。
最近は、喫煙者に対する風当たりがあまりに強すぎる気がしますし、禁煙をごり押しし過ぎているような気がします。
たしかに副流煙は身体に害ですが、それを言ったらアルコールはどうなるのでしょうか。
同じように依存性があり、発病要因となるアルコールを同じように規制しないのはどうしてでしょうか?
私から見れば、どちらも同じです。
自分が好む嗜好品をお金で買って、それを使って何が悪いのでしょうか。
ルールを守ってそれを楽しんでいるなら、それで良いのではないでしょうか。
喫煙者寄りの意見だということは自覚していますが、禁煙してからの方が、私はそう思うのです。
私はタバコのにおいが大好きです。
禁煙を良しとするこの世界の白黒フィルムに残る、紫煙を燻らすマリリンモンローやオードリーヘップバーンの姿が、今でもこの上なく美しいと思います。
タバコだって時代を色づけた一つの美しい文化なのです。
喫煙者も非喫煙者も互いを尊重し合って、気持ちよく共存できる世界が早く確立されれば良いと思う、今日この頃です。
臆病者とチョコレート《告白必勝法のお話》
こんにちは。はるらっしゅです。
2月14日のバレンタインデー、皆様はどのようにお過ごしでしたか?
私は先日友人からいただいた大量(バケツ一杯分)のチョコレートを、ここぞとばかりに社内にばらまきました。
食べきれないチョコレートの在庫処分もできるし、お金をかけずにバレンタインデーにのっかれるし、皆からはありがとうと言ってもらえるし、なんならお返しを貰えるかもしれない。一石四鳥です!
さて今回は、バレンタインデーにあやかって恋愛ネタでまいりたいと思います!
人は皆、【あなたが好き】と言われたい
早くチョコレートを配り切りたい一心で、社内の名前をよく知らない人にまで「チョコあげます」と配り歩いていたせいでしょうか。(イメージはGANZのねぎ星人(こども)の「ねぎあげます」状態。必死。)
職場の同僚に【コミュ力お化け】と称された私(自覚はない)は、「この人好き!」と思ったら、それをその場で口に出して相手に伝えるようにしています。
よく告白を渋る人を見かけますが、私はあれが昔からどうしても理解できません。好きという、人を幸せにするポジティブで素敵な言葉は、出し惜しみするには、あまりにもったいないと思うのです。
皆様、想像してみてください。
「あなたが好きです」と告白されて、不快な思いをしたことがありますか?
「あなたが素敵で、声をかけてしまいました」と声をかけられて不快な思いをしたことがありますか?(これはナンパの仕方と相手の質によるけども。)
もしあるとしたら、多分それは相当のレアケース(ストーカーや相手の印象がもともと最悪な場合など)か、思春期の好き避けによる勘違いです。
人の頭は大抵、「あなたが好き」と言われれば、承認欲求が満たされることによって喜ぶように出来ているし、自分を好きと言ってくれた相手を拒絶するようなことはそうそう出来ないと思うのです。
人の頭の造りは同じですから、自分が他人にされて嬉しい親切や言葉は、大抵相手も嬉しいものではないかと思うのです。
はるママ直伝【勝率を上げる告白の方法】
私は、大学で社会心理学を専門に勉強していました。社会心理学には【返報性の原理】というものがあります。文字通り、良い意味でも悪い意味でも、相手にお返しをしたくなる心理です。
その中でも特に【好意の返報性】というものは本当に強力で、使い方を理解すれば、基本どんな人とも仲良くなれます。恋愛も然りです。
世の中、告白に失敗して絶縁となるようなバッドエンドは、大抵相手が見えていない状態で発生する場合がほとんどだと思います。
気持ちは分かります。私も恋愛すると周りが見えなくなってそうなりがちです。
相手が見えていない告白の代表格がこれ。「好きです、付き合ってください。」
これの何が問題なのか。
まず、「あなたが好きです」と言います。ここまでは良いです。
この後です。「付き合ってください」、これが問題なのです。
相手の心理状況が見えない状態で「◎◎してください」という要求をすることで、相手の答えは「できる」「できない」の二択になり、後者を相手が選んだ場合、こちらは手詰まりになります。
その後にまた告白したとして、何が問題で付き合えないのかを理解して改善できていなければ、堂々巡りになってしまいます。しかも、改善点を教えてもらえたところで、自分一人が頑張ったって、そんなものは勝算がありません。
なぜかというと、一度告白を断ったことで相手の警戒心と罪悪感は高まっていますから、一度バッサリ振られてしまうと、相手が再度自分を受け入れるのに時間がかかる場合が多いのです。(もちろん例外はたくさんあるので、一概には言えません。)
ではどうしたら良いのか。
私は恋愛専門家では全くありませんが、自分の山のような失恋経験を基に編み出した必殺技があります。それは何か。そう、「相手に聞く」です。
「好きです。付き合ってください。」を「あなたが好きです。あなたの彼女になるにはどうしたら良いですか?」という言い方に変えるのです。
そうすると何が起きるか。
まず相手の回答が「はい」「いいえ」の二択ではなくなります。
もちろんOKであれば「付き合おうよ」という回答になりますし、もしダメな場合も、相手がどうしたら良いのか、何かしらの答えをくれます。
その答えを聞いて「それはこういうこと?」と掘り下げていけば、相手の思考と意図を理解できるし、話の流れ的に気まずくはない。
気まずくなければ、内容次第で関係は切れずに再度アプローチが出来る。
しかも、人は好きと言われると相手を少なからず意識します(好意の返報性が発動)。ここで三ヵ月くらい沈黙して(その間は連絡一切禁止、ただし相手と同じ職場や学校にいる場合は、相手の視界に一日一回は必ず映るのが理想。)、その間に相手が提示してくれた課題をこなし、より魅力的になって再度アプローチすれば良いのです。
※ただし、必ず相手の温度感を図ってください。度が過ぎるとストーカーです。
最近少し臆病になってきた私へ
こんな持論を展開している私も、例えば社内に仲良くなりたい人がいれば「私はあなたが好きで、仲良くなりたいです。どうしたら仲良くなれますか?」と伝えています。
そうすると大抵、相手は目を丸くしますが、次の瞬間には照れたような笑顔になって「じゃあ、明日一緒にランチに行こう」と、仲良くなるための行動を一緒に取ってくれます。
とはいえ、「好き」と伝えるのは多少の勇気と勢いが必要です。
そうそうないと分かっていても、拒絶されたらどうしようという不安は私にだってありますし、年々それが強くなってる気がします。
歳を重ねて、良い意味でも悪い意味でも、相手の様子を伺う癖が付いたせいかもしれません。
今年、私が私に贈りたいものは【心優しい勇気】です。
あっけらかんと人に好きと伝えられる、この思い切りの良さは私の美点です。
最近少し臆病になってきた私へ、今年はゴディバのチョコレートではなく、臆さず人に好きと伝えられる心優しい勇気を贈りたいと思います。
※余談※
数年前、友人と二人で居酒屋で飲んでいた時にこの話をしました。
私が自慢気に「どうしたらあなたの彼女になれる?って聞けば良いって気づいたの。」と話す姿を見て、友人は枝豆をつまみながら、さらっとこう言いました。
「じゃあ、俺がお前の彼氏になるには、どうしたら良いと思う?」
その彼とはお別れしてしまいましたが、とびきり胸キュンの良い思い出です。
真摯にゼリービーンズ《セフレと自己愛のお話》
こんにちは。
最近マッチングアプリをはじめた、はるらっしゅです。
一昔前までは【出会い系】と嫌厭されていたマッチングアプリですが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で一気にメジャーになりましたね。
今やその種類は150種類を超えるそうです。
ええ、私も出会いを欲しておりますので、もちろん使っています。
私が使っているマッチングアプリのご紹介
私はマッチングアプリを2つ併用していますが、先に申し上げます。
私は、業者でも回し者でもありません。ご安心ください。
1,バチェラーデート
一つは男性会員が月最高30,000円を支払って登録している【バチェラーデート】というマッチングアプリです。
もちろんその分、女性への審査基準が高く設定されているため、誰でもできるものではないですが、毎回会う人が高年収イケメンという夢のようなアプリです。
え?お前良く受かったなって?てやんでえ、あったりめーよ!自分史上最強に可愛い写真を審査に出したからな!(めっちゃ大変だった。)
2,Tinder
もう一つは男女ともに無料でできる【Tinder】というマッチングアプリです。
理由は2つ。1つ目は友達がやっていたから。2つ目は、男性が無料でできるマッチングアプリというのは大変貴重で、その分登録者数が増えます。つまり、質関係無しに、一番多くの人と出会えるアプリだということです。
正直こちらは彼氏を作るのではなく、暇つぶし感覚で登録しました。
そして、今回のネタはこのTinderから、ちょっとエッチなお話、、と思いきや、哲学チックなお話です。
真摯にゼリービーンズ
Tinderを始めて一番最初にマッチングしたHさんと会う当日、彼はヤリモクだと分かっていました。見分けるコツは簡単、変にイケメン過ぎることと、とにかく早く会おうとすること。
もともと私はセフレは求めてはいませんでした。そして、その日はドライブをしようと言われただけでした。当日特に予定もなく暇でしたし、断わる理由もなかったので会うことを承諾して、私の最寄り駅まで車で迎えに来てもらうことになりました。
お互い大人です。そうなったらちょっと面白いかも程度にしか思っていませんでした。
そう、私はラスベガスに旅行した際、カジノのポーカーで10万円を一度に賭けて現場をどよめかせた女。元来、こわくてスリルのある賭け事が大好きなのです。
※絶対真似しないでください。下手したら死にます。
お化け屋敷に入る時のような高揚感の中で待ち合わせ場所に向かうと、一台のSUVから長身のイケメンが降りてきて私に会釈をしました。
これがもう本当にイケメンで、どこぞのKPOPアイドルかなという出で立ち。こう、アニメとか漫画で言うところのお花がパーって感じのオーラ。思わず「はっ」と乾いた笑いが出ました。
車に乗り込み、ドライブをしながら色々な話をしました。さすが色々な女性を手籠めにしているイケメン。話し方やしぐさに余裕があり、それがまた紳士的でかっこいいのです。
しかも、車を出してもらったお礼にコンビニで飲み物を買おうとすると「カフェインが得意じゃなくて・・」と差し出されたのは、まさかのゼリービーンズ。
その後も彼はニコニコとゼリービーンズを食べながら、私に色々なセフレ話を聞かせてくれました。私は終始笑って「すごいね、私はできないなぁ(笑)」といったようなことを話していたと思います。そして、それを聞いた彼は私にこう言いました。「君もっと楽しめば良いのに、なんか諦めている感じがする」。この言葉が引っ掛かりました。諦めている?
彼に抱いてもらえれば、彼のようになれるのか。
彼のようになれたら、私はどう変わるのだろうか。
今以上に、人生を楽しく感じるようになるのか。
私は本当に諦めているのか、諦めているとしたら、一体何を?
周りがすっかり暗い帰り道、フロントドアガラスに映る少し虚ろな目をした私を見つめながら、そんなことを考えていました。
結局、真摯に何度か「ダメ?」と聞かれて私が「ダメ」と答えたので、その日Hさんは私に触れることなく、家の近くまで無事送り届けてくれました。
恋愛依存と自己愛
私が彼と寝なかった理由は2つ。
1つ目は、単純にHさんが私の元カレと同じ甘いにおいを纏っていたから。それが香水なのか体臭なのかは分かりませんが、とにかく全てが同じにおいで、寝たら過去の記憶も相まって依存してしまいそうだったから。
2つ目は、私の独占欲が性欲を勝ったから。私は元来、凄まじく強欲です。彼氏には私だけを見ていてほしいし、セフレには私以外にセフレを作らないでほしいのです。理由は簡単、私が嫉妬するから。Hさんにはすでに何人もセフレがいたので、私はそこに加わりたくなかった。私だけのものにならぬなら、彼は要らない。そう思ったのです。
私は失恋女王です。恋愛経験は多い方ですし、あまり良い話ではないですが、それに比例して経験人数も多いと思います。
特に学生時代は性にかなり奔放で、目が覚めると見知らぬ天上という、ドラマのような状況にも何度か遭遇したことがあります。
社会人になってからも暫くはお盛んでしたが、過去最大級の失恋をした27歳の春に一気に性欲が落ち着きました。
それまで恋愛依存症気味だった私は、一人で過ごす時間というものを知りませんでした。はじめは寂しくてどう過ごしてよいか分からなかった一人の時間は、今では絶対になくてはならない時間に変わりました。
そして、その時間が自己愛を育む大きな役割を果たしました。
恋愛に依存していた頃は、相手が指標でした。彼に愛されない私は無価値でしたし、彼に愛されるために私は綺麗でい続けなければなりませんでした。
しかし今は違います。私は私が好きですし、素のままでそれなりに綺麗だと思います。
私は私が大切だから、私が喜ぶことは何でもしてあげたいと思う。そうすると、自然と用事が増えて忙しくなる。人に依存している時間が無くなる。そうして、今の自立した私が確立され、そんな自分を普遍的に愛することが出来るようになったと思っています。
私は以前、私を愛するために誰かと恋愛をして、私を認めてほしくてセックスをしていました。でも今はそんなことをしなくても、私は私を認め愛することが出来ます。
私は諦めたのではない。自分を愛することに他人を利用する必要がなくなった、それだけだ。
Hさんに会えたことで、そう気づくことができました。
世の中には性欲を満たす方法がたくさんあります。セフレを作ることに否定的な意見もありますが、私はセフレだろうが何だろうが、それをしている自分を自分が愛せるなら、外野がとにかく言うのは野暮だと思います。自己肯定を維持する方法は、人によって千差万別なのです。
だから、Hさんも私も、それぞれが望む形で幸せになれれば良いと思う、今日この頃です。
闇をぶら下げたチョウチンアンコウ《仕事が辛い人向けのお話》
新しいPCを買いたくて元エンジニアの先輩と家電量販店に行く途中、「お前、予算いくら?」と聞かれ、元気よく「3万円!」と答えたら、手を引かれてUターンさせられました。
こんにちは。度を超えた世間知らずっぷりを発揮している、はるらっしゅです。
PCは10万円はないと買えないそうなので、金子を揃えて出直します。
こんな世間知らずな私は、意外にも毎日各局でCМが流れている、俗にいう大会社に勤めています。
周りからは大手に勤めていて安泰だと言われますし、入社が決まった時は、あまりのミラクルファインプレーに親戚一同が腰を抜かしておりました。(ちなみに内定理由は、顔と度胸。え、能力は?)
これだけを見ると、「自慢か、いやらしい」とご不快になる方もいるかもしれません。しかし、私が言いたいのはそういうことではありません。
こんなものは私の綺麗な一部の断片です。チョウチンアンコウで言うところの光っている部分です。その下にグロテスクな本体があるように、私にも見せられない闇や黒歴史が腐るほどぶら下がっているし、なんならそのグロテスクな部分が私の本体なのです。
今回のテーマは仕事についてでございます。
【社会人になって辛かったこと3選】と題して、私の黒歴史を成仏させるとともに、仕事が憂鬱だと悩んでいる方がこれを読んで「これよかまし」と思ってくださったら幸いです。(過去の話なので笑ってやってください。)
社会人になって辛かったこと3選
1,花見で首筋を舐められて帯状疱疹が出た話
忘れもしない、あれは入社して初めての土曜日です。花見会が催されました。
ただでさえストレスでボロボロの中、何が楽しくて知らないおっさんたちと桜を見なきゃならんのだと不機嫌マックスの私は、花見会場で泥酔した先輩に抱きしめられた挙句、首筋を舐められ、怒りと疲労で大号泣。現場は地獄絵図。
その後、首筋は赤くただれ、身体中に出た帯状疱疹の痛みで死ぬ思いをしました。今でも背中に痕が残っています。これが最初の黒歴史且つ、会社を辞めたいと思った出来事です。ちなみに加害者の先輩は、赤くただれた私の首筋を見て、ショックのあまり絶句していました。
2,周りが男性だらけで会社に行くのが怖くなった話
私は女子高出身です。大学もほぼ女子しかいない学科だったので、男性に対しての扱いが分からない節がありました。恋愛対象として男性に接することがほとんどで、友達や仕事仲間としての接し方が全く分からなかったのです。
当時配属されたのは、出来たばかりの小さな課で総勢6名、全員年上の男性でした。ただでさえ男性の扱いが分からないのに、相手は年上です。
年上の男性など、教師や教授、父、親戚としか話したことがない私にとって、彼らは宇宙人でした。いやもう、私が宇宙猫状態でした。
最初の1カ月は新卒特有の緊張感でギリギリ乗り切りましたが、ゴールデンウィークを超えたところで一気にそれが崩れ、私は自律神経失調症を患って投薬治療を受けました。そして、この事を人に話せるようになるまで、5年かかりました。
この出来事は私にとって最大のコンプレックスであり、私のアイデンティティを一気に作り変えた重い出来事でした。
3,仕事辞めたいのを我慢していたら大腸炎になって入院した話
投薬治療を受けながら、なんとか仕事を続けていましたが、人間はなかなか変われません。嫌なものは嫌なのです。
嫌な仕事を我慢し続けた結果、ある日謎の高熱が出て、下血しました。その後貧血を起こした私は救急車で運ばれ精密検査を受けた結果、ストレス性大腸炎で1週間の絶食入院。しかもこれを1年で2回繰り返しました。
なぜ私は辛い仕事を続けたのか
当時の私はとにかく世間知らずでした。働いて稼ぐということがどれだけ大変かを知らなかったのです。
辛さから解放されたくて、深夜、当時付き合っていた人のマンションのベランダに脚をかけたこともありました。
精神薬を飲んでボロボロになっていく私を見て、母は毎日泣いて衰弱していました。
それでも会社を辞めなかったのは、辛いなら逃げれば良いという選択肢を見いだせないほど、私の視野が狭かったからです。同時に、両親も一つの会社にずっと勤め続けているせいで、転職という選択肢を提示することができなかったのです。
私は、辞めなかったのではなく、辞めることを知らなかったのです。
4年前の異動で環境が一変し、今は精神薬を飲むことは一切ありません。それでも、この忌々しい記憶は消えません。あの頃の私に戻るのが怖くて、当時飲んでいた薬を未だに捨てることが出来ないのです。
仕事を辞めることは悪か
こんな私も入社7年目の中堅社員です。これくらいの立場になると、辛い辞めたいと言う後輩たちの相談を受ける立場になります。そして、こんな経験をしている私だからこそ、そう言う人達には決まってこう答えるのです。
辛いことなどやめて良い。我慢して生きられるほど、人生は永くないのだ。
よく巷の自己啓発本には我慢が美徳と謳われます。我慢は報われる、我慢した先に得られるものがある。私から言わせれば、そんなものはくだらない欺瞞です。私が我慢して得たものは、消えない身体の傷とトラウマです。
人間、どう考えたって我慢して得るものより楽しんで得るものの方が、その人にとってよっぽど価値があるのです。
その我慢の中にたったの一つの楽しさも見いだせないのなら、そんなものは価値がない。そんなものはやめて良い、私はそう思うのです。
生きるためにお金は必要です。しかし、そのお金を得る手段の仕事で健康や命を失っては、元も子もありません。
こんなに恵まれた先進国の日本で、貧困で死ぬことなどなかなかありません。仕事を辞めても、次の仕事を見つけるまでの間は食いしのげます。そのための社会保障制度です、本当に大丈夫です。
どうしても不安で、今の辛く苦しい状況から抜け出せない方がいるならば、私が目を見て、手を握って「辞めて良い、大丈夫」と言って差し上げます。
ただし、辞めるのは最終手段です。やみくもに辞めるのでは次に繋がらないので、非常事態を除いておすすめはしません。まずは今勤めている会社で環境を変える手段がないかを模索してください。
あなたの勤めている会社で社内公募は開催されていませんか?別部署への異動希望は出せませんか?
転職活動は精神的にも体力的にも辛いはずです。ただでさえ今の仕事で疲弊してるのですから、辛いことなど無理してする必要はないのです。まずは自分の状況を棚卸して、必要最小限の労力で環境を変えられないかを模索するのです。同じ社内でも、部署や仕事内容が違うだけで、世界は変わるものです。私はそう思うのです。
私は迷ったとき、私がワクワクする方を必ず選びます。これは私が後悔しないための絶対法則です。
人は1日に約3万5000回の決断をしていると言われています。どうかこの記事が皆様にとって、ワクワクに向かって踏み出せるきっかけの一部になれるようにと願う、今日この頃です。
失恋と冷凍食品《失恋した人向けのお話》
こんにちは。
今更【全裸監督】にハマりました、
はるらっしゅです。
世の中いつの時代もエロは金になりますね。
嫌いな人見たことないですもんね、エロ。
え、私?もちろん大好きです、エロ。
ということで今回のお題はエロにしたかったのですが、
さすがに投稿2回目でエロはハードル高いので、恋愛ネタでまいります。
冷凍食品の女
突然ですが、私は自他ともに認める惚れ症でして、それに比例して失恋回数もずば抜けて多いです。いわば、失恋女王です。
さて、先日の飲み会で、昨年秋に私を振ったNさんが左隣に座った時のお話です。
掘りごたつのお座敷だったので距離が近く、失恋女王の異名を持ち、失恋には慣れているはずの私もさすがに戸惑いました。
想像してみてください。数カ月前に自分を振った人が隣に座っているのです。やりづらいどころの話ではございません。
さすがにどうしたものかなと思っていたのですが、そんな彼は何も気にするそぶりも見せず「飲み物何にする?」と親しげに笑いかけるのです。
「え、もしかして、振られたの・・夢!?」と面食らいながら、渡されたメニューを受け取り注文を終え、右隣に座る後輩と話をしていた時です。
膝の上に置いていた左手に違和感を感じました。何かが当たって・・いや、絡みついているのです。
静かに目線を左下にずらすと、Nさんが私の左中指と薬指を握っていました。
一瞬何が起こっているのか分からず放心していると、彼はそのまま手を握りました。しかも恋人繋ぎ。
もちろん周りは他の知り合いで囲まれているし、私達のことは誰も知りません。
しかもこれが韓国ドラマや少女漫画であればハラハラドキドキの胸キュン展開ですが、相手は数カ月前に自分を振った仇です。
腸が煮えくり返る思いで、離す離さないの静かな攻防戦(二人とも違う人と笑顔で話をしながら)をテーブル下で繰り広げている時にふと思いました。
「ああ、私は彼にとって冷凍食品なのか」と。
元カノが今でも自分を好いていてくれるという幻想を抱く男性は多いと聞きますが、それは元カノだけでなく、自分が振った相手も同様なようです。
彼にとって私は食べたくなったらチンして食べれる便利な冷凍食品で、あの時は私を拒絶したくせに今は私をご所望なのかと思った時、そのあまりの身勝手さに怒りが湧いたと同時に、私の中に冷たい感情が内側から外側にじわっと広がりました。
そんなに私をご所望なら、一層のこと私から喰いにいってやろうか。
そんなことを思いながら、彼の手に爪を立てました。
失恋と巡り合わせ
その後の展開はご想像にお任せしますが、今思えば、私は彼と付き合わなくてよかったと思うのです。
決めつけかもしれませんが、私が彼と付き合っても、結局彼は私の知らないところで同じような事を他の女性にしていたのだと思うのです。
失恋をした直後は世界が真っ暗で、もう二度と恋愛なんてできないと思うものです。
もう誰でもいいから傍にいてほしいとすら思うものです。
でも、私は何度も失恋を繰り返してきて、こう思うのです。
人は時期は違えど、諦めずに行動し続けていれば、ちゃんと巡り合うべき人と巡り会って、納まるべきところに納まる。と。
そう思えるようになってから、私は失恋しても「私がもっとこうであれば・・」という自己否定を一切しなくなりました。そして、必要以上に自分を責めて苦しむことが無くなりました。
もし今、失恋で苦しんでいる人がいるとしたら、嘘だと思って試してほしい。
まず1週間、難しければ3日試してみてほしい。
有名な話ですが、不幸は【寒い、ひもじい、もう死にたい】の順番でやってきます。
どうか部屋の温度を3℃上げて、キムチ鍋を食べて、湯船につかってください。
それでも悲しい時は、布団にもぐって眠りにつくまで悩みに耽ってください。
大丈夫です。人は飽きる生き物ですから、こんな生活を3日も続けると悲しむことに飽きます。
大丈夫です。もう2度と恋愛なんかしたくないと思っていても、人生はいじわるで、どうしてもまた好きな人は現れるのです。人間は人間である限り、三大欲求からは逃れられません。そして、恋愛は立派な性欲ですから、どうしてもせずには生きていけないのです。
だからどうか、今は「まじあいつ私を選ばないとか見る目無いわ」と悪態をつきながら、失恋している自分を言い訳に、思いっきり自分を甘やかして美しい悲劇のヒロインぶってください。これが、失恋女王直伝の失恋から立ち直るとっておきの秘訣です。
私も早く新しい恋愛をしたいと思う今日この頃です。
最近マッチングアプリを始めて色々な人と出会ったので、別の機会に語りたいと思います。
※ご想像にお任せしたNさんは、その後見事に出来上がりましたので、タクシーに投げ入れて無事帰宅させました。
赤鬼とキンパ《承認欲求のお話》
今週のお題「鬼」
本日は節分ですが、夕飯は海苔巻きでしょうか?
今朝、鬼滅の刃の各キャラがデザインされたお面がネットで無料配布されているというニュースを見てテンションが爆上がったはるらっしゅです。
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本日の話題はこちら
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キンパの話
私の実家では近年、と言っても、私が社会人になりたての頃なので7年前くらいから節分の日はキンパが食卓に並びます。
ご存知の方も多いとは思いますが、キンパとは韓国のファストフードのひとつです。
見た目は日本の海苔巻きに似ていますが、キンパはごま油や塩を混ぜ込んだご飯を使うため、味はまったく違います。(何個でも食べれます。沼です。)
韓国では遠足やピクニックのお弁当として持っていくことも多く、日本でいうおにぎりのような立ち位置です。
「今日はパパと二人でキンパを食べて豆巻くよ!」
母から届いたLINEを眺めながら、実家に住んでいた頃、母が手作りしてくれたキンパをほおばり、赤鬼のお面をつけた父とピーナッツを家中に撒いた節分をふと思い出しました。
なんてことのない日常の思い出ですが、歳を重ねるごとに懐かしく切なく感じてしまうこの感じは、なかなか慣れません。
というか、仕事終わりにキンパを手作りしてくれた母の鉄人っぷりに驚きます。私、絶対無理ですわ・・。
人の中の鬼の正体
さて、今回のテーマは鬼ということでやってみました。その名も【あなたの心に住む鬼がわかる節分診断】、結果はこの通り。
なんかもう・・(笑)
今日は節分にあやかって、私の中の貪欲な赤鬼と向き合う日にします。
人の中に生まれる鬼とは何だろうと考えた時、色々な考えが浮かびましたが、結局、鬼の正体は承認欲求だと思いました。
人が物を欲しがる理由も愛情を欲しがる理由も、それを手に入れることで他人に認められたいから。
人を妬み恨むのは、自分より相手が他人に認められているから。
そして、そんな自分を、自分が認められないから。
結局、他人ではなく自分です。
自分が自分を認めて愛することができれば、きっと鬼は消えるのです。
「僕を見て、愛して」と私を求めて泣いていると思えば、鬼(承認欲求)も少しは可愛らしく見えてくるものです。
今はアンパンチ論争が繰り広げられる令和の時代でございます。
豆をぶつけて力業で闘うなんてナンセンス。
今夜はキンパと豆をつまみに、私の中の鬼と酒を酌み交わして話し合います。
私の醜さを認めて向き合って、「それでも私は、今の私が大好きだ」と鬼に伝えて、私の中から出て行ってもらえるように。
というより、出て行ってもらえるような私でありたいと思う今日この頃です。
スナックおはる、開店します。《自己紹介》
スナックおはる、本日より開店いたします。
▼はるらっしゅとは何者?
▼なぜブログを始めたの?
巷ではTwitterやInstagramが流行して久しく、
自分の考えを自由に発信できるツールが世に溢れかえっております。
私もそれらをもれなく利用していますが、
日々の流行や情報を得るツールとして今ではなくてはならぬ存在です。
しかし、それらは「今思っていること」を
単発的且つ短文で発信することに特化しています。
そのため、じっくり考えて長い文章にまとめるという使い方には、
若干不向きであると感じています。(あくまで私の感想です。)
人は生きていくなかで色々な人や物、価値感に触れ、成長します。
大人になって身体の成長は止まっても、思考の成長は止まりません。
ある日ふと思いました。
今の考え方を10年後の私が見た時、
果たして私はどんな感想を持つのだろうか。
これが、ブログをはじめようと思った最初のきっかけです。
▼このブログのコンセプトは?
いざブログをはじめようと思ったときに、ある疑問が浮かびました。
「人が他人の書いたブログを読む理由とは何だろうか?」
もちろん趣味や娯楽で読む方も一定数いると思います。
ですが私は、何か悩みを抱えていて、その解決のヒントを探すために
ブログを検索して読んでいる人も一定数いるのではないかと思いました。
(私もどちらかというとこちらの理由でサイトやブログを読んでいます。)
そしてこう思いました。
私のおちゃらけた文章がきっかけとなって、
心に悩みや陰りのある人たちが何か閃きのヒントを得ることが出来たり、
このブログに足を運んでくださった間だけでも悩みを忘れることが出来たら、
それはとても素敵なことではないか。と。
このブログが、足を運んでくださった皆様にとって、
まるで温かいママがいる、こじんまりとしたスナックのような
居心地の良い場所になりますように。