スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

鉄馬と深夜の学校《遊び心のお話》

こんにちは。

最近春の訪れとともに、食欲が止まらないはるらっしゅです。

先日同僚とランチに行った際は、中華料理を食べ過ぎて胃が痙攣し、午後は便器を抱えて泣く始末で、仕事になりませんでした。

これだけ読むと過食症かと思われそうですが、そうではございません。

ただ食べることが好きすぎて、いつも調子に乗ってしまうだけです。

私が大食らいだということは、職場では周知の事実ではございますが、だいぶ上記で恥を晒しましたので、これからは腹八文目を目安に自重しようと思います。

 

さて、私は食べることが大好きです。特にゲテモノを震えながら食べるのが好きです。

遊ぶことも大好きです。元来好奇心が旺盛なので、遊ぶ時は膝を擦りむくくらい全力で遊び、周りの子どもがたじろぎます。

年齢を重ねると保守的になるというのが世の通説ですが、どうやら私は通説と逆行した人間のようです。

 

本日のテーマは【遊び心】です。最近少しまじめな話題が多かったので、今回は番外編として、とことんふざけて遊び書きをしたいと思います。ぜひ笑ってご覧ください。

 

 

遊び心に従った結果の過去最大のやらかし談

好奇心は猫を殺すと言いますが、猫系女子も例外ではないようです。

私の過去最大のやらかし。それは何を隠そう、遊び心で忍び込んだ学校で守衛と警察に捕まったことです。

 

大学生の頃の出来事です。夏休みに入り、同級生が地元に帰省してくるタイミングで、仲の良い幼馴染の数名で酒を飲みました。

近所の居酒屋で酒を飲み、良い具合に出来上がったところで誰かがこう言いました。「学校に寄って帰ろうよ」

全ての悲劇はここから始まりました。

そもそも酒に慣れていない大学生が酒を飲むと、大抵が何かしらをやらかしますが、今回の場合、集まったメンバーも悪かった。

なんてったって小学生時代からの悪友です。顔を合わせただけで心が童心に返るというのに、そこに酒まで入ったのですから、頭からは常識や理性だけでなく、法律までぶっ飛びました。(当時を振り返る遠い目)

 

夜の学校というものは、独特な雰囲気を醸し出します。子どもの声があちこちで響き渡る日中の雰囲気とは違い、夜は全てが息を潜めているような不気味さを感じます。

私達が忍び込んだ母校に宿直の守衛がいるのは、皆知っていました。

しかし当時は夏。しかもまだ学校にはエアコンが完備されていない時代です。1階にある守衛室の窓も例外なく開いておりました。

私達は窓の下に隠れるように張り付き、守衛が部屋からいなくなるのを缶ビール片手に待ちました。そして、守衛が部屋を出た隙に、FBI顔負けの俊敏さで校内へ忍び込んだのです。

学校に忍び込んだ私達は保健室や理科室、教室やトイレをひそひそと声を殺しながら、まるでお化け屋敷の中を進むように探索を続けます。

当時とても大きく見えた教室の机は、今や私の膝の位置にあって、当時のなつかしさと時の流れを感じて目頭が熱くなる、泣き上戸な私達。

 

しかし、そんな平和な話はここで終わりです。

悲劇は図工室で起こりました。図工室で乾かしている子供たちの作品を眺めている時、こつ・・こつ・・と足音が聞こえてきたのです。

お化けにビビる歳ではございません。「守衛が来た」と瞬時に察した私達は、顔を見合わせたと同時に、猫のような速さと身のこなしで各々に隠れました。その時です。

 

カラーンッ!

 

誰かが缶ビールの空缶を落としました。

その音は闇に大きく反響し、私達の顔からは一気に血の気が引きました。

「誰だ!」守衛が大きく声をあげました。

 

その後、見事守衛に捕まった私達は問答無用で警察に通報され、学校には2台のパトカーがランプを点灯させて駐車する異例の事態。

そして守衛と警察にしこたま叱られた後、両親まで呼び出されるまさかの展開。

(夜中に呼び出されたというのに校長先生は爆笑していて、器の大きさを思い知った。先生って偉大。)

最終的には母親に「警察の世話になるなど、一家の恥だ」と号泣され、私も泣き出す始末。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った真夏の夜でした。(いや当たり前だよね。)

 

遊び心に従った結果の直近のやらかし談

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓ったはずでした、先週までは。

何を思ったのか深夜の学校にまた忍び込んだのが直近のやらかし談です。(2度目。)

しかし前回の学びをしっかり活かし、今回は警察を呼ばれないように校舎の中には入らず、校庭までで留まりました。そういうことじゃないだろうと言ったそこのあなた、お静かに。

 

教師の友人と夕食を食べた帰り道に「私の勤めてる学校この辺だよ~」と教えてくれたのが事のきっかけでした。

「え、見てみたい」「え?」「A子が勤めてる学校、見てみたい!」「いいけど、中は入れないから外だけね?」「うん!」

そんなこんなで私は、警察を呼ばれた大学生以来、約10年ぶりに夜の学校へ再び足を踏み入れたのでした。

 

今回は勤務している教師が隣におりますので、安心感が違います。近所で買ったスタバのコーヒーを片手に校庭をぐるぐると徘徊。うんていや鉄棒(前転をして脳震盪を起こしかける)、ブランコに乗りご機嫌の私。

 

しかし、悲劇は再び起こるのです。学ばない阿呆。

 

悲劇の現場は、鉄馬置き場でした。帰りがけテンションMAXの私は鉄馬を発見。

私は小学生時代、おそらく学校一鉄馬が得意でした。1メートル以上の高さの鉄馬すら悠々と乗りこなす私の異名は【鉄馬のおはる】。(嘘です)

 

異名の話は嘘ですが、鉄馬が得意だったのは事実です。

あまりのなつかしさに飛びついたのが、運の尽きでした。

小学生時代の私と今の決定的な違い。それは体格や体重もそうですが、何よりそう、ハイヒール。

ハイヒールを履いて鉄馬を乗るとどうなるか。結論申し上げると、転びます。

案の定転倒した私は30秒ほど痛みでうずくまり、その後テンションがだだ下がって大人しく帰宅しました。

子どもは転んでもすぐ立ち上がって動けるけど、大人はそうはいかないのよ。まじで痛すぎた。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った春の夜でした。

 

遊び心は人を綺麗にする

「前回会った時よりも綺麗になったね」

これが、私が異性に言われて最も嬉しい言葉です。

 

私がある程度容姿に恵まれていることは、以前から知っていました。

こう言ってしまうとナルシストと毛嫌いされそうですが、私は幼少期から自分の顔の造形に不満を持ったことがなかったし、自分で言うのもあれですが、異性にモテました。(中途半端にモテるから、まだこの歳で結婚していないという悲しい現実。)

こんな調子なので、「可愛いね」「綺麗だね」「モテるでしょ?」という、この定番の誉め言葉は、私にとっては「こんにちは」と同義でした。

そして、そんな私が言われて唯一嬉しい言葉が「前回会った時より綺麗になった」という、私の日々の努力が実を結んでいると実感できるこの言葉でした。

 

日々綺麗でい続ける、もっと綺麗になるには何が必要がいつも考えています。

高い化粧品や服か、日々の生活習慣か。行きついた答えはそうではありませんでした。

綺麗でいるのに最も必要なこと、私の達した結論は【遊び心】でした。

 

いつもワクワクしてご機嫌でいること。

遊び心を持って新しい物事に挑戦してみること。

そういう人が結局はいつまでも美しいような気がします。

 

世間でアンチエイジングという概念が流行りだして久しく、ドラッグストアへ行けばその言葉があちこちのポップで目に入ります。

若さは美しい。これが、世間の共通認識です。

確かに若さは美しいです。しかし、ここで指す若さというのは、見た目の話だけではなくて精神的な事ではないかと私は思っています。

 

人は内面が大事だとよく言いますが、私は人は外見が全てだと思っています。

よく恋愛などにおいても「内面を評価してほしい」などと言う人を時たま見かけますが、私は理解が出来ません。

なぜなら、人の内面は外見に顕著に表れるからです。

例えば、すぼらな人間がスーツを着こなせるかと聞かれれば、それはほぼ不可能です。ネクタイの結び目やシャツのシワ、靴下、ハンカチなどにそのずぼらさが反映されるからです。

また、人に優しいことを長所としてアピールする人も多いですが、他者への思いやりや配慮をはじめとする優しさは、人間としての当たり前の最低限の礼儀であり、誇ることではないと思います。(性格が悪くてすみません。)

 

こういう持論を持っているからこそ、心の若さ(遊び心)は、絶対に美しさとなって外見に現れると私は信じていますし、若々しい遊び心は人を綺麗にすると思っています。

 

深夜の学校はもうこりごりですが、私は常に心躍る事に挑戦し続けたいと思います。

そして、何歳になっても遊び心は絶対に無くさず、ずっと綺麗でい続けたいと願う、今日この頃です。

 

lit.link

stand.fm

友人が少なくて何が悪い《大人の交友関係のお話》

こんにちは。

先日から化粧水をSKⅡに変えたはるらっしゅです。

使用開始2日目ですが、肌の張りが変わった気がします。(絶対気のせい。)

【病は気から】とよく言いますが、私は【美容も気から】だと思っています。

BTSのジン(グループ最年長のイケメン)は、毎朝起きて鏡を見るたびに頭を抱えて「ああ、ジン・・。そんなにカッコよくてどうするんだ」と口に出して自分に語りかけるそうです。(すごくない?笑)

私もこれに習って「私は可愛い」と毎朝鏡に向かって言いながら、コツコツとSKⅡを塗り込んで様子を見てみたいと思います。(一人暮らしだから出来るワザよね、傍から見たらただのやばいナルシストよ。)

 

さて先日、人生で初めて韓国人の知り合いが出来ました。

そもそも外人さんの知り合いが出来ること自体初めてなので、あんなことやこんなことがしたいという脳内妄想が止まりません。

そもそも私は幼少期から人見知りが激しいので、友人は非常に少ないです。

どのくらい少ないかというと、友人が少なすぎて結婚披露宴は絶対にしたくないくらいです。

学生時代は人並みに友人がいましたが、社会人になってからは、一気に友人と呼べる人の数が減りました。しかし、その分本当に仲の良い親友とだけ付き合うようになったので、私の交友関係は典型的な【深く狭く】に変化したようです。

 

社会人になると出会いの数も減りますし、新しい友人を作る機会も減ります。しかも昨今は新型コロナウイルス感染症の流行で人とのコミュニケーションの取り方にも変化が起こっています。

 

ということで、今回は大人になってからの交友関係をテーマに語ってみたいと思います。

 

 

最近できた韓国人の知り合いが、KPOPアイドル並みにイケメンな件

フォロワーが1000人を超えてから、Instagramに毎日色々なDMが届くようになりました。

基本的に人見知りで人付き合いが嫌いな私は、DMを全てリクエスト制にしています。

私は複数の人と同時に話していると、気を使いすぎて頭痛がしてしまうのです。

ただ、放っておくとリクエストが溜まって、それはそれでストレスになるので、ある程度溜まったら削除するという作業を1週間に1回程度で行っています。

 

先日も同じようにポイポイとメッセージを削除していた時のお話です。

1つだけ気になるDMを見つけました。

韓国人から届いたDMなのですが、内容が翻訳を使っていない、でも少し不自然に堅い日本語で「お話してみたいです」と書かれていました。

その拙く礼儀正しい文章に惹きこまれた私は、普段では絶対にありえないことに「こんにちは」と返信したのです。

・・と言うのは綺麗事です。

もちろん文章にも惹かれましたが、何を隠そう、顔が爆イケだったのです。

余りにカッコよくて、どこぞの芸能人だと検索をかけたくらい。(一般人でした。)

入りはゲスでしたが、それからすっかり意気投合した私達は互いに語学を教え合う仲になっただけでは飽き足らず、お相手が来月に来日予定とのことで、会う約束まで取り付けました。

 

普段の私だったら絶対にありえない、ちょっとした気まぐれな行動が、こんな交友関係をうむとは想像もせず、私自身も目を白黒しています。

 

あんなイケメンと会うの、一体何を着ていったらいいんだろうかと慌てふためいて親友の一人に相談したところ「なんであんたって、いつもそう突拍子もないのw」とばかウケでした。(本人は笑っている場合じゃないんだけど)

 

100人の友人より1人の親友の方が価値がある

大人になってから、子どもの頃より友人を作るという行為が難しくなりました。

大人になると、家庭を持ったり仕事などで私生活が忙しくなることは勿論ですが、学生時代よりも人間関係を育む場面や環境が減るのが決定的な要因だと思います。

それに、子どもの頃のように声に出して「友達になろう」と言う機会もほぼないですしね。

 

私は、毎週違う人とつるんではしばらく会わなくなるような、適当な付き合いをして、それを「友人」と称するような人間を信用しません。

交友関係が広くて良いことだという意見はごもっともですが、少なくともそういう人は、私は友人と認知しないです。

大人になってからの友人というのは、片手で数えてせいぜいくらいの人数が一般的です。

毎週違う人々と会って、それをSNSに投稿して「私は友人が多いの、人気者なの」と言いたげな人を見ると、その人が空っぽに見えて悲しくなるし、この人が今死んだとして、一体何人が葬式で泣いてくれるんだろうかと不思議に思います。

 

世の中、「私は友人が少ない」「友人がいない」と悩む自己肯定感が低い人が多いと聞きますが、そんなのは大人になれば当たり前のことです。

あなたに欠陥があるのではないし、あなたが嫌われているからでもない。

何も悩む必要などないのです。

私も友人(親友)は4人しかいないですから。残りは全て、ただの顔見知りです。

 

このご時世、SNSのフォロワー数と友人の数がその人の戦闘力を示す風潮がありますが、こんなものは人と比べるものではありません。

 

たくさんの友人を作った場合の最大の利点は「自己肯定感をあげられること」だと思いますが、よく考えてみてください。

私もこの文章を書く上で色々考えてみましたが、人付き合いが増えると「摩擦やトラブルの増加」「対立」「ストレスが増える」など、むしろ自己肯定感が下がることばかりが発生します。

 

友人など少なくていいのです。本当に大事なのは、その少ない友人の中から【親友】を作ることです。

親友の定義とは様々ですが、私にとっての親友は家族と同じ立ち位置です。

私の幸せを嫉妬せず純粋に喜んでくれる人、私と同じ方向を向いて一緒に歩いてくれる人、絶対的な信頼関係の基で私の自己肯定感を底上げしてくれる、宝物のような人を指します。

こんな人、たくさん出来るわけないです。

そんな関係を築くのに、莫大な時間と努力をかけなければならないのですから、量産できるはずがありません。

だから、100人の気軽にできる友人より、1人の親友を作る方がずっと大変で価値があり、大事なのです。

 

私も皆様も、もはや誰かも分からないような、学生時代の知り合いの結婚式に出席したり、意図が分からない会社の飲み会に出席したり、俗に言う「無駄なつきあい」と呼ばれるもの全て断わって、自分にとって最も有意義な人との関係を育む時間を確保したいものですね。

 

最後に

友人は少なくて良いと書きましたが、新しい出会いは人を成長させます。

春は出会いと別れの季節とよく言うように、きっとこれからの時期は新しい交友関係が始まる方もたくさんいると思います。

自然と起こる出会いには恐れながらも飛び込んで、流れに身を任せてみましょう。

ただ、その新しい出会いで知り合った人と必ず友人になる必要などありません。

相性がよければ知り合いになって友人になって、そして親友になれれは万々歳。そうでない人は、さようならで終わり。

この世に絶対的な悪者はいませんので、【あなたもOK、私もOK】精神で、気楽に楽しく、素敵な人間関係をこれから出会う人々と築いていきたいと思う、今日この頃です。

 

lit.link

stand.fm

人生の岐路に立つアラサー女子の閃き《転職と副業のお話》

こんにちは。

私事ですが、先日誕生日を迎えて29歳になりました、はるらっしゅです。

「29歳の目標は、化粧水をSKⅡに変えて、若さを保つことです。」と先ほど職場の後輩(26歳)に話したら、鼻で笑われました。※資生堂の回し者ではございません。

 

さて、私は5カ月前からInstagramを始めましたが、様々な癖の強いDMを毎日いただきます。

最近特に印象に残っているクセ強DMは2つあって、1つ目は、頑張って色々考えたけど、一周回って和訳が破綻したと拝察する「こんにちはゴージャス!」から始まる海外からのDM。

そして、2つ目は話題をなんとか提供しようと必死にひねり出したと拝察する「馬の血液型って3兆個あるって知ってましたか?」という、日本人からのDM。

「いや3兆個って、もう少しまとめられたでしょ」と動揺が隠せません。

 

そんな中、同時に届くのが副業についてのDMです。その種類は様々で、日本の副業文化は日々進化しているのだなと感心しっぱなしです。

 

ということで、本日は転職と副業について語ってみたいと思います。

 

 

転職したいはるらっしゅ

私は2月上旬から先週にかけて【転職したい病】でした。

毎年そうです、毎年2月から3月の誕生日前日まで、私はいつも病むのです。

 

辞めたくなる理由は毎年同じ。人間関係と待遇です。

私の仕事は俗に言うバックオフィス系なので、売上という点では会社に貢献することはできません。むしろバックオフィスは会社が得た利益をいかに守るか、支出を抑えるかで会社への貢献度がはかれる職種です。

そのため、私達と逆の立場である営業などの部署からすると「俺たちが稼いだ金でお前らの給料払ってるんだぞ、お前らは雑用でもやってろ。」という考えを持つ方も一定数いるのが現実です。(どの会社にもいるよね)

ですが、それを口に出して言われるとむかつくのが、人間の性。

先日、それを社内のお偉いさんに面と向かって言われ、あまりの悔しさにいい歳こいて陰でぎゃん泣くはるらっしゅ。

 

「あの人一回、〇ねばいい。」と慰めてくれた同僚たち、「売られた喧嘩は買うぞ。」と私の盾になってくれた私の上司や部長。

心が傷ついて萎えていたのでお礼を言えるメンタルではなかったですが、ありがたかった。(しみじみ)

 

また、少し前から自分のキャリアについて考えることもしばしばありました。

職種柄、なかなか昇格せずの状態が続いているため、このままでいいのかという漠然とした恐怖と不安を抱えていたこともあり、その二つが重なって核並みの大爆発を起こしたのが今回の発作でございます。

 

あまりに病んだので実家に帰り、仕事を辞めたいと母の膝で泣くはるらっしゅ。

しかしなんだかんだで毎年転職したいと喚き散らすので、両親もこの類の扱いはお手のもの。なんてったって7年目ですから、もはやプロです。

程よく微妙なハロワの求人を厳選し「あんたの会社の方が待遇が良いじゃない」とスマホの画面を見せながら、優しく諭します。

普段であれば「確かに給与は今の方が良い」と納得し、ここで落ち着きます。しかし、今回のはるらっしゅは少し違うのです。なんてったって今回は喧嘩を売られておりますから。

「私、ここ受ける(鼻水ぐすぐず)」「え?」「転職エージェントにも登録する」「え・・」

かくして、私の転職生活は幕を開けるのです。

 

人生ではじめて、転職活動をしてみた

ハロワの求人検索に関して、母ほどうまい人はいないと学びました。

スマホの扱いはドコモのスマホ教室に通う高齢者レベルなのに、ハロワの求人検索に関しては、持って生まれた才能で、SMSに届く迷惑メールのような量と速さでデータを送ってきます。

一方私は、転職エージェントに登録して面談し、エージェントから紹介されるキラキラ求人を「話を聞いてみたいくらいの会社でも、選考に進んだ方が良いです」とごり押しされ、宇宙猫状態で受験し、書類や面接で落とされる日々。

 

転職したい⇒よく分からない会社に落とされる⇒自尊心が傷つき自信を無くす⇒普段の仕事も消極的になる⇒転職したい ※最初に戻る

 

ええ、分かります。心だけすり減る、不毛の極みです。

多分この1ヵ月の私は、自炊や掃除すらできないレベルの精神の不安定さでしたので、控えめに言って般若だったと思います。まじで。

 

そんな中、1つの副業DMに目が留まり、この地獄のような生活が終わるのです。

 

副業のスカウトがきっかけ

目から鱗が落ちる経験を29歳になって初めてしました。※どこから何のDMが届いたかはここでは控えます。

 

別に1つの会社にしがみ付く必要はない。今の会社に不満があるなら、もう一つ別の仕事をして、その不満を補えば良くない?

 

そんな考えがぽんっと浮かんで、その瞬間、肩の荷もストレスも、不満も軽くなったように感じました。

DMの文章に感銘を受けたとか、特別な内容だったとか、そういうことではなく、さらりと読み流している最中に、そんな考えがふわりと思いついたのです。

 

その後、そのお誘いを下さった会社とのやり取りを開始し、現在は副業開始に向けて準備中です。(1~2ヵ月後に開始予定)

 

29歳から考える今後10年間のキャリア

副業は江戸時代、武士が生活費を稼ぐための手段として生まれたと言われています。

その後、日本の高度経済成長期に終身雇用制度が確立されたことで、副業はタブー化されましたが、2016年の「働き方改革」によりそれが解禁され、今年で6年が経過しました。

 

これからの時代は、会社という枠にとらわれない、自立した働き方が受け入れられる新しい時代に変わると世論では言われていますが、私も同感です。

 

確かにまだ1つの会社に属する専業が主流の日本ですので、転職市場はいまだに賑わっていますが、これからは副業という選択も視野に入れて自分の人生をコーディネートしていくのも、とても良い選択肢だと思います。

 

職場の人間関係に悩むのは、その会社と家の往復で、自分の世界が狭くなっていることの現れです。

外にたくさんの自分の居場所を確保しておけば、そのうち1つのコミュニティーで少しの問題が起こったとしても、負の感情で心が占められることはないと思うのです。

 

こんな考え方の私は今、数年前に投資信託を始めたのをきっかけに株投資の勉強を始めました。

また、アフィリエイトや企業からの広告依頼でも収入を得たいと考えて、SNSの運用も勉強しています。

そして、このブログもアフィリエイト収入を得るための手段として運用を考えているので、最終的にはワードプレスでサイトを立ち上げて引っ越しさせたいと考えています。

こう考えると、副業の可能性は私の身の回りに山のようにありますし、皆様の身の回りにも無限に可能性があるのです。

 

最後に

自分のやりたいことを棚卸すると、あまりの量に眩暈がします。

人生の1/3が終わろうとしている現在、二の足を踏んでいる暇はないのです。

そう考えると、転職している暇もないし、下手に転職してそこが副業禁止だったら、私の夢は潰えます。

それであれは、転職活動に費やしていた時間を副業の準備に充てたいと思い、はるらっしゅの短い転職生活は幕を閉じたのでした。(メンタルが安定して本当に良かった。笑)

 

どんな会社に就職しても、どんな仕事についても絶対に不満は出てきます。その度に転職を考えては体力は持ちませんし、社歴も荒れます。

だからこそ、その不満を補えるように視野を広げて、外に活路を見出すのも良いのではないでしょうか。

一度きりの人生です。その中の約1/3の時間を占める仕事ですから、我慢してお金をもらうだけではもったいない。

なりたい自分に近づける、そんな副業を自ら生み出したいと思う、今日この頃です。

 

《追記》

5ヵ月前にInstagramを始めてから、人生が変わった気がする。SNSの力って凄い。

ちなみに毎日投稿しているので、もしよければこちらから遊びに来てください!

 

lit.link

stand.fm

毒だし企画の回答回《Instagramフォロワー集客のコツ》

こんにちは。

先日Instagramで毒出しという名の質問&相談企画を実施したところ、たくさんのコメントをいただきました!皆様、ありがとうございました!

全部目を通していたのですが、その中で一番目を引いたコメントが「先日、多分はるらっしゅさんを見かけました!たこ焼き食べてましたよね?」という一言。

「あ、これはあかん」と羞恥心で死にそうになったはるらっしゅです。

(先日たこ焼き食べながら酒飲んでましたので、多分それ私です。)

これからはもう少し身なりと姿勢に気を付けて外に出ようと思います。

 

さて、そんな企画でちょくちょく見かけた質問が「インスタフォロワーの増やし方」についてでした。

私のインスタは派手にバズったわけではないのですが、開始4ヶ月でフォロワー1000人を突破し、ありがたいことにコツコツと順調にフォロワーが増えております。(本日時点で1200人程でした。)

その過程を見てくださってる方々から、フォロワーを増やすためのコツを教えてほしいと依頼があり、今回筆を執っている次第です。

 

↓直近1週間のフォロワー推移はこんな感じ↓

f:id:harulush:20220316170325j:plain

私はもともとブログ集客の1つとしてインスタを始めているので、ビジネス目的のそれとは力の入れ方ややり方が全く違うと思いますが、今回は私が実践しているフォロワーの増やし方について、簡単にご紹介したいと思います。

 

はるらっしゅのフォロワーを増やす上での心構え

1,自信を持って「これ私のだよ!」と言える内容を投稿する

フォロワーが増えるということは、自分の投稿がより多くの人の目に触れるということです。

他人の貴重な時間のうちの数十秒を「自分の投稿を見ることで消費させている」という気持ちで、誰が見ても不快にならぬよう、そして、たとえメンタルが死んでいる時でも、楽しく綺麗で、ポジティブな投稿をするよう心掛けることが大事だと思っています!

フォロワーさんには常に感謝の気持ちを忘れず、私をフォローしてくれてありがとうという感謝の気持ちを込めた投稿をすることで、自然とクオリティの高い投稿ができるようになるのではないかと、私は勝手に思っています。

 

2,インスタは一日2時間まで

SNSとは恐ろしいもので、気づけば軽く1時間は時間を取られます。

使い始めた当初はあまりに楽しくて、一日中インスタをいじっていました。

しかし、これでは続かないと悟った私は、それ以降、投稿と閲覧のトータル上限時間を2時間に設定しています。

時間を決めて使用した方が、案外クオリティが高い投稿が出来るし、SNS疲れの軽減にも役立ちます。睡眠時間の確保はお肌に大事。

長く続けるためにもぜひSNSを触る時間は自分で設定することをお勧めします。

 

3,フォロワーが減っても気にしない

誰のインスタもそうですが、フォロワーの人数は毎日変動します。

1万人を超えるまでは1人ずつカウントされるので増減が気になると思いますが、それを気にしだすと心が病みますので、そんなものは気にしないが吉。

相互フォローを狙ってフォローしている人も一定数いますので、変動は当たり前だと思った方が良いです。

「世界屈指のフォロワー数を誇る渡辺直美さんのインスタですら、毎日フォロワーの増減が発生しているのよ。私の投稿が悪いわけではない。」と根拠のない自信と軽い気持ちで受け流しましょう。

ちなみに私のフォロワーは、過去90日で1370人がフォローしてくださいましたが、うち447人がフォローを止めております(笑)

 

4,基本的に相互フォローはしない

私はフォロワーを増やす目的での相互フォローは絶対にしません。

よくフォロワーの増やし方で「まず自分からフォローをして、その後相互フォローされたことを確認してからフォローを外す」という方法が紹介されていますが、あれはお勧めしません。

その方法だと、フォロワーが定着しませんし、何より相手に失礼です。

またそれでは、その後の投稿に反応がなく、全体的なインプレッション数が低下してしまいますし、フォロー数とフォロワー数のバランスがかなり悪くなります。

 

あくまで「自分の投稿を気に入ってくれた人にフォローしてもらって、定期的にいいねしてもらう」ということを目標に、これから紹介する方法を試してみてください!

 

はるらっしゅ直伝【Instagramフォロワーの増やし方】

1,インスタのインサイトを活用しよう

皆様のアカウントは一般アカウントでしょうか?

私のアカウントはプロアカウント(ビジネスアカウント)です。

プロアカウントは「企業や店舗、有名人が利用するもの」というイメージがありますが、実は個人アカウントを持つユーザーなら誰でも無料で切り替えることが可能です。

ビジネス目的はもちろん、一般ユーザーが日常使いする上でも役立つ【インサイト機能】という統計機能が搭載されており、フォロワーを増やす上でこの機能は必要不可欠ですので、フォロワーを増やすためにはまず、プロアカウントに切り替えるところから始めてみましょう!

 

shop-pro.jp

 

2,毎日同じ時間帯に投稿しよう

フォロワーを定着させる上で、毎日投稿は絶対です。

1で紹介したインサイト機能でフォロワーの利用時間の統計を確認し、利用者が多い時間帯に投稿をします。(私の場合は18時~21時、特に木曜日が一番利用者が多いです。)

しかし、ただ投稿すれば良いわけではありません。同じクオリティを保ちながら毎日投稿することが大事です。

毎日の生活でインスタのネタになりそうなものを探し、写真を撮る癖を付けて、クオリティの高い写真をストックしておきましょう!

 

3,「いいね!」をしよう

これが最も大事です!

フォロワーさんだけでなく、色々な人にいいねをしましょう!

特に【発見タグ】から自分が頻繁に使うタグや自分の投稿に似た投稿を見つけ、その投稿にいいねしている人の最新の投稿にいいねを付けます。

しかも、だれかれ構わずいいねをするのではなく、その人のフォローとフォロワーの数を見比べて、フォロー数の方が多い人にいいねを付けます。(ここポイント)

なぜかというと、フォロワーに対してフォロー数が少ない人というのは、そのバランスを重視してフォロワー以外の人をあまりフォローしない傾向にあるからです。(投稿を気に入ってもらえたら別ですが)

それであれば、フォローすることに抵抗がない人にアプローチをかけた方が勝算が高いので、フォロワーを増やすという目的でいいねをするのであれば、この方法をおすすめします。

 

4,顔を出そう

顔を出した方がフォロワーが増えます。これは私のアカウントでも実証済みなので、絶対です。

なんなら私は、自分の顔を出してからやっとフォロワーが増え始めました。

マッチングアプリを例にあげます。

マッチングするなら、顔写真がしっかりでている人と飼い犬を載せている人、どちらとマッチングしますか?答えは言わずもがな、前者ですよね。

そりゃそーです。お前んちの犬とマッチングするんじゃないんだわってなりますから(笑)

顔が出ていると、見ている相手は安心します。また、頻繁に顔を出していると、単純接触効果で、相手に親近感を与えることができます。

「ほんとかよ」と怪しんでるそこのあなた。

騙されたと思って、まずはアカウント写真を顔写真に変えてみましょう。

これだけでも結構な違いを実感できるはずです。

 

5,フォロワーさんとの交流は最低限でよし

巷のハウツーブログでは「フォロワーさんとの交流を密にしましょう」とありますが、私は逆です。

フォロワーさんとの交流は最小限に留めることをおすすめします。

理由は人間関係のトラブル回避です。

私が顔出しでインスタを始めた当初、びっくりするほどDMが届きました。

だいたいは素敵なメッセージがだったのですが、中には相互フォローの依頼だったり、変なスカウトだったり、デートのお誘いだったり(いや貴方、私の居住地知らんでしょw)、心がもやもやするDMが毎日届きました。

フォロワーを増やすには、まず継続してインスタを投稿しないとなりませんので、自分がやってて楽しいことが必須条件となります。

そのため私は、自分が楽しくインスタを続けるために、まず投稿のコメント欄を全て閉鎖しました。

そしてDMも全てリクエスト制、なんなら返信はほぼせず、するとしてもリアクションのみという方法で統一しています。(ブログの感想やお礼だけは文章で返信しています)

フォロワーとの交流が無くてはただの自己満では?という声が聞こえてきそうですが、良いのです。

SNSなど所詮、根底は自己承認欲求を満たすための自己満に過ぎないのですから。

 

6,ストーリーズは投稿しすぎない

これはフォロワーを増やすというより、定着させるためのコツです。

ストーリーズは1日3投稿までにとどめることをお勧めします。

あまりに多いと、煙たがられてミュートにされるか、フォローを外されます。

私自身、ストーリーズが多い人は全員ミュートになっていますし、そうするとインプレッション数が低下してしまいますので、注意が必要です!

--

 

いかがでしたでしょうか?

 

フォロワーの増やし方は色々なブログが独自の方法を紹介していますので、色々と調べて自分が取り入れられるようなものを少しずつ試してみるのがお勧めです。

いきなり頑張ってしまうと疲れてしまいますし、インスタを開くのも億劫になってしまいます。

フォロワーを増やすのはタイムレースではありませんので、ぜひ気長に楽しく根気よく続けてみましょう。

ちなみに私はフォロワーが1000人を超えてから、上記をしなくても自然とフォロワーが増えています。

フォロワーを増やしたい方はまず、1000人を目標にしてみましょう。

一気に楽になりますよ!

 

質問いただいた皆様、これで回答になりましたでしょうか?

私のつたない文章で伝わったか不安ではございますが、少しでも皆様の役に立てば嬉しく思う今日この頃です。

(ちなみに私の次の目標は2000人です!私も地道に頑張ります!)

 

lit.link

stand.fm

個性的なおっぱいの話《持病との上手な付き合い方》

こんにちは。

先日サウナに行った際、あかすりをしてもらいました。

担当してくれたお姉さまに「あなた何歳?え、28?やだ、意外と歳いってるじゃない。20歳のお嬢さんが来たかと思ったわよ。あら?でもあなた、結婚してないでしょ?少女の手だものね、乳首も綺麗だし子どもを産んでいない証拠よ」とマシンガントークを吹っ掛けられ、褒められてるのか貶されているのか分からず、ただ震えることしか出来なかった、はるらっしゅです。

両隣に人がいるんです、お姉さま。

全部周りに聞かれてて、羞恥心で昇天しそうでした。

 

私は人に胸を触らせることに人一倍の抵抗があります。

それは性別とか関係性とかは一切関係なく、他人に触られるのがとにかく嫌なのです。

理由は、持病です。持病のせいで、私の胸は人とは少し違うのです。

見た目では分かりませんが、触られると絶対に気づかれてしまいます。

 

今回は私の持病と【持病との付き合い方】についてのお話です。

 

 

はるらっしゅの持病について

私は【乳腺繊維線種】という持病を持っています。

難しい漢字を書くので、少し厄介そうな病名に見えるこの疾患を知っている人は、日本に何人いるのでしょうか。

乳腺繊維線種は、乳腺に繊維線種ができる病気です。

すなわち、おっぱいにしこりが出来るのです。

その大きさは米粒大の小さなものから、野球ボール大まで人によって様々だと言われています。

↓詳しくはこちらをご参照ください↓

www.nyugan.jp

 

私の闘病生活について

私の乳腺繊維線種は中学2年生の春に発見されました。

部活が休みだったその日、早く帰宅していた私はヤクルトを飲みながら、テレビの再放送を観ていました。

その時テレビでやっていたのが【乳がんの見つけ方】。

「腕を上げて、脇の下を圧してくださぁ~い」と女医が朗らかに解説しており、ゲストも和気藹々とした雰囲気で脇の下を圧していたので、何の気なしに一緒にやってみました。

すると、右胸に玉こんのようなしこりがあるのです。

何度試しても、しっかりと楕円形の玉こんがあるのです。

自分の置かれた状況が理解できず目が点になる、14歳のはるらっしゅ少女。

夕食の支度をしている母に「ママ、私、胸にしこりがある」と声をかけると「え~?」と母も触る。

そして、しこりを確認する。

 

ここからが凄かった。

「おっ!?」と奇声を上げた母は、どこから出したか分からぬような速さで携帯を取り出し、行きつけの産婦人科病院に電話。

 

母「胸にしこりがあるんですけど、すぐ診てほしいんです」

受付「わかりました~、予約を取りますので、お名前とご年齢を~」

母「はるらっしゅ、14歳です」

受付「えっ14歳!?」「ちょっ、お待ちくださいね!」

♪~♪~♪

院長「お電話代わりました、今すぐ来てください、今すぐです!」

母「はははは、はい!」

私「(白目)」

 

病院側は母の胸にしこりがあると勘違いしていたそうで、私の年齢を言った瞬間に対応が一気に変わりました。

理由は明白。万が一しこりががん細胞だった場合、若年であればあるほど進行が速く、一刻を争うからです。

夕食の支度をそっちのけで、母は私を病院に連れて行きました。

車で移動中、母が涙目になりながら「大丈夫!もし胸が無くなったら、絶対に再建手術してあげるからね!」と励ましてくれましたが、私にとっては全く励ましになっておりません。

胸が無くなるなんて、絶対に嫌です、再建出来ても嫌です。

ただ震えて泣いてるはるらっしゅ少女。

今思い出しても、自分が不憫過ぎて泣けてきます。

 

病院に到着してからも凄かった。外来を全て止め、私の検査が最優先。

どこぞのVIPが来たのかと、戸惑いが隠せない患者たち。

院長と他の医師、看護主任が三人がかりでエコー検査に触診、問診、検査検査の嵐です。

先生たちのあまりの権幕に、震えて泣くはるらっしゅ少女。どこまでも可哀想。

結果、確認できたしこりの大きさが直径3㎝もあったことから悪性である可能性が捨てきれず、地元で一番の大病院宛てに紹介状を書かれ、そのまま救急車で搬送。

なんということでしょう、その日から検査入院のため、私は家に帰れませんでした。

 

私も母も泣きましたが、一番ひどかったのは父でした。

母から知らせを受けた父は仕事を早退し、病院に乗り込んでまいりました。

そしてボロボロ泣きながら、私の手を握って言うのです。

「大丈夫だからな、はるらっしゅ。金の心配はするな!大丈夫だ!」

うちの両親は、どこかずれているのでしょうか。励まし方がそうじゃないのよ。

 

翌日、私は生まれて初めて麻酔を経験し、そして生研を受けました。

www2.ninjal.ac.jp

 

今でも鮮明に覚えています。

痛みが無いのに、胸から大量に血が流れ落ちる、あの不気味な感覚。

そして次の日に私は自宅に帰り、その一週間後にしこりの正体が【乳腺繊維線種】だと知るのです。

 

それから早14年。28歳の現在まで、私は半年に一回乳腺検査を行い、悪性の腫瘍が出来ていないか調べています。

 

現時点で私の胸には触って確認できるしこりが2個、米粒大のしこり(触っても分かりません)が両胸併せて約40個あります。

 

持病との付き合い方

病気を知った当初、自分が欠陥品のように感じ、傷つきました。

そして、両親から「健康体で産んであげられなくて、申し訳ない」と頭を下げられたのがとにかく辛かったのを覚えています。

 

しかし、時間をかけて少しずつ自分の持病を受け入れ、上手に付き合えるようになりました。

どうやったか。それは、勉強することでした。

自分が出来る限界まで、その持病についての知識を付けたのです。

 

人の心は弱いので、未知なものを受け入れることが出来ません。

誰だってそうなのです。

しかし、その未知なものの正体を暴いてしまえば、気休めであれ、心は少し落ち着き、それを受け入れる心のすき間が出来ます。

たしかに勉強する中で恐ろしい事や悲しい事、残酷な事なども出てきますが、未知を超える恐怖はそうありません。

 

タグ的にこの記事を読んでいる初見さんは、何かしらの持病をお持ちの方が多いのではないかと勝手に思っています。

きっとお一人でとても大きな不安と恐怖を抱えて、気休めでも安心したくて、色々なサイトを覗いてここにたどり着いている方もいるのではないでしょうか。

でも結局、自分の知識が一番安心させてくれるものです。

私の記事如きがその心の陰りを晴らすことは出来ないとは分かってはいますが、せめてこの記事を読んでいる数分間は、そういう陰りを忘れ去る手伝いができれば良いと願っています。

 

この歳になると、もう検査は怖くありませんが、マンモグラフィーは未だに慣れません。

無くなる事はない私の可愛いしこり達と、これからも上手に仲良く付き合っていきたいと思う、今日この頃です。

lit.link

stand.fm

 

 

雛人形と冷めたコーヒー《結婚のお話》

こんにちは。

今月めでたく29歳を迎えるということで、先日実家に帰った際、母親に「頼むから結婚してくれ」と頭を下げられたはるらっしゅです。

結婚って親に頭下げられたところで出来るものなのか。

だとしたら、親の本気度が足りないんだぞと憤りが隠せません。

 

今回は【結婚】について語る回です。

はるらっしゅをはじめとする、独身アラサー女子からすると血反吐が出るようなテーマですが、これを読んで少しでも心が軽くなっていただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅと親の結婚論争

思い返すと、私の両親は初動は早いが、後片付けが壊滅的に下手でした。

女の子が生まれた家では雛祭りに雛人形を飾る風習がありますが、こんな俗説をご存じでしょうか。

 

雛人形を早く片付けないと嫁に行き遅れる】

 

察しが良い方はお気づきでしょう。ええ、そうです。

私の両親は、毎年雛祭りになると「すぐ片付けると可哀そうだから」という謎の親切心を発揮して、なかなか雛人形を片付けませんでした。

毎年私と妹が「さすがに嫁に行けなくなる」と懇願して、4月下旬にダラダラと雛人形を片付ける有様。

どう考えても、私が嫁に行き遅れている原因はこれです。

やはり俗説とは言え、昔から語り継がれる話というものはある程度の信憑性があるということでしょうか。

こんな経験から、万一私が娘を産んだら、雛人形は雛祭り終了後当日に徹夜してでも片付けると心に誓っております。(まず子ども産む予定がないけれども。)

 

余談はさておき、私が28歳になってから両親は変わりました。

以前までは「彼氏いないの?」だったのが、いつからか「結婚しないの?」という聞き方に変わり、一切の遠慮が無くなりました。

やはり人間、歳を取ると心が弱るのか。

父は「早く結婚してくれ」と、私の顔を見るたびに拝みだす。

母は「結婚しないの?なんで?え、なんで?」と職場の上司の如く詰めだす。

それを見て私は白目を剥く。もう誰も幸せにならぬ惨劇です。

 

そして、そんな両親のマシンガン詰めを聞き流しながら、私はいつも思うのです。

なぜ私が結婚すれば、両親は安心するのか。

両親は私の幸せを「世間一般の人と同じ年齢で結婚すること」だと勘違いしているのではないか。

だから私は、両親に「子どもを欲しいと思ったことがない」とずっと打ち明けられないでいます。

 

先日立ち会った独身女性の井戸端会議について

SNSというものは、時に人の心を殺します。

この歳になると友人のインスタやフェイスブックには続々と結婚や出産の報告が並び、LINEのアカウント名も新しい名字に変わっていきます。

 

先日、彼氏に振られ「もう私絶対結婚できない、死ぬ」と夜中の4時半に泣きながら電話をしてきた大学時代の友人が、インスタに「妊娠しました、結婚します!」と投稿していたのを見た時は、こちらが死にそうになりました。

何だったの、あれ。

 

私の親しい友人で結婚していない女性は片手で数える程度になり、全員で集まって井戸端会議をした際は、「世の中の独身男性は、ヤリモクしか残っていないんじゃないか(全員男運が無い)」と世の男性への恨み節を3時間ほど吐き出した後、「私達は結婚しないでいよう、老後はルームシェアして孤独死を防ごう」という謎の同盟を発足する始末。

私は顔を引きつらせながら、冷たくなったコーヒーを啜っていました。

 

結婚しないのは悪なのか

私は周りと比べてキャリア志向が強めです。

結婚は私にとって「したい」ものではなく「しなければならない」義務であり、親のため、世間体のために形だけ籍を入れてもらえれば良い。

だから、子どもは自分のキャリアに邪魔になるから欲しいと思わない。

学生時代から私はずっとそう考えていましたし、正直今でもそれが本心です。

 

そもそも私は、収入が安定しているので衣食住は全て自分で賄えます。

性欲だって、必要な時に発散できる手段は腐るほどあります。

挙句の果てにBTSのジョングクにハマってしまったせいで、イケメン好きに拍車がかかり、「私、ジョングクと結婚したい」と本気で言いだし、最近まで世間一般の男性を恋愛対象として見れなくなっておりました。(KPOPは沼)

 

しかし30歳を目前に、一人でいると心細く感じる場面が多々あり、その寂しさを埋めるために、私は私を好いてくれる人とお付き合いをしてみようかなと、最近気持ちが少しだけ軟化してきました。

 

結婚しなくても幸せになれるこの時代で、結婚する理由というのは人それぞれです。

好き同士で結婚する人、妊娠したから結婚する人、世間体のために結婚する人、そして、一人で生きていくことに疲れてしまって結婚する人。

 

寝つけない深夜にたまに思います。

きっと私が結婚するとしたら、その時は私が相手を好く好かない関係なく、一人で生きるのに疲れた時なのかもしれない、と。

 

私は周りに「一人でも生きていけそうだ」とよく言われます。

でも、実際は皆同じ。皆、一人で生きていけます。

それでも結婚するのは、皆誰かに寄りかかりたいから。

人は強くないから、拠り所が必要。だから、結婚する。

自分が病気をしたときや老後の生活の保障、世間体のために結婚する。

でも、別に良いと思うのです。それだって、立派な結婚の理由ではないでしょうか。

 

こんなことを言うと、「そんなことない、私は相手が好きだから結婚した。」「結婚には愛情が一番必要だ。」と言う方もいるでしょう。

それはそれで素敵な考えですから、否定するつもりは毛頭ありません。

 

ただ、結婚しているから幸せだとか、結婚していないから売れ残りだとか、好きな人とじゃないと結婚してはいけないとか、そういう固定観念を圧しつけるのは、令和のこの時代ではナンセンスだと思うのです。

 

結婚は、自分の人生をより良くするための契約にすぎません。

結婚したって何をしたって、人は結局孤独です。

死ぬ時は誰だって一人なのですから。

そして、自分を幸せにできるのは結婚相手ではなく、自分です。

だから私は、結婚をすることで私の人生に少しでも諦めや制限がかかるとしたら、孤独を選びます。

私にとっての幸せは、私がなりたい私になることだからです。

 

私は30代前半のうちに、分譲マンションを買うことが絶対に叶えたい夢です。

他にもワードプレスでブログを開設したいし、児童館で子どもたちと遊ぶボランティアがしたい。そして、猫を飼いたい。

この記事を書くために自分の夢を棚卸して気づきました。私の夢の中で、結婚の優先順位は低いのだと。

周りから見たら孤独に見えるのかもしれませんが、これが私の幸せです。

(きっとこんな話を両親にしたら、両親は泣いて悲しむでしょうが、致し方ない。)

 

陳腐に聞こえるかもしれませんが、人の幸せは人の数だけ存在します。

結婚したい人は結婚すれば良いし、したくない人はしなくて良いのです。

自分の幸せを他人の価値観に重ね合わせる必要はありません。

自分の人生は他人の期待に応えるためにあるのではないのですから。

 

私の大切な独身の友人たちと、この記事を読んでくださった独身女性、独身男性の皆様が、周りからのプレッシャーでなく自分の幸せのために結婚できますように。

そして、既婚者も独身者もそれぞれ偏見なく、自分が自分らしい幸せを追求できる世の中になりますように。

そう願う、今日この頃です。

 

lit.link

stand.fm

黒いマスクと失恋猥談《ワンナイトのお話》

こんにちは。

先週から黒いマスクを着けている男と避妊をしない男は、全人類の敵だと見なしたはるらっしゅです。滅べ。(どうした)

 

世の中自分の思う通りにはいかないとは分かっておりますが、先週からの私の人生は、ここ数年でも類を見ないハードモードに突入しているようです。

私の心は今、非常に荒んでおります。

ラクダも転倒するであろう強風で、砂が巻き上がる果てない砂漠のような惨状です。もう、大荒れ。

 

それはなぜか。恥を忍んで申し上げます。

それは、えぐい失恋をしたからでございます。

今回のお話は、私の心が砂漠化している要因【失恋とワンナイト】についてです。

はしたないやらかし猥談で恐縮ですが、どうぞ笑って読んでやってください。

 

 

はるらっしゅの直近の失恋猥談

社内恋愛をしないと公言している私も、実際は何度か(多分6人くらい)社内恋愛の経験があります。

 

そんな中でも特に好きだったSさんへの恋心は、今年で4年目に突入しておりました。

私が一番綺麗だった24歳の時、職場の喫煙所で遭遇したのがきっかけ。

そう、こんな感じでした。

タバコを吸い終わった彼は、同僚と話し込んでいて、私が喫煙所に入ってくるのを認識すると、黒いマスクを耳にかけて付けながら、私に軽く会釈をしたのです。

彼が軽く下げた頭を上げて目が合った時に私は「ああ、私は彼を好きになるかもしれない」と、その時ぼんやりとそう思ったのです。

当時は新型コロナが流行る前でしたので、黒いマスクを着けている人は珍しかったのです。

だから、当時からたまに黒いマスクを着けていた彼との出会いを、私は今でも詳細に思い出すことが出来るのです。

 

当時、彼には彼女がいました。当然、私が手を出せば浮気です。

「既婚者と彼女持ち、そして未成年には手を出すな、さもなくば腹を切って死ね」と父から武士教育を受けた私です。当然、手出しなどできません。

今だったらおそらく「結婚してなきゃセーフ!」と手を出すだろう私ですが、当時、少女漫画の主人公にも負けぬような、清く正しく美しい私。そんなことは致しません。

恋心を憧れという形に消化して、せめて彼にとって可愛い後輩でいようと心に決め、辛い日々を送っていました。(ゆーて、他に彼氏を作ったりもしていたんですけれども。)

 

その一年後に転機が訪れます。彼がひとりになったのです。

普段は無宗教の私ですが、この時ばかりは神の福音を信じました。

もしかしたら、私は彼と一緒になれるかもしれないと本気で夢見たのです。

 

しかし、ここでバッドエンドに歩みだすのが私らしい。

どこをどう間違えたら、この好機がバッドエンドに転じるのか。

縁結びの神様も首を傾げていらっしゃるでしょう。

 

すぐには手を出せませんでした。

彼女とのお別れ後、彼は憔悴していました。それを近くで見て、すぐにアプローチをかけても勝算がないと踏んだのです。

そして、待つこと一年後、私は彼に告白をしました。

 

その後の展開はご想像にお任せします。

 

私は、彼の纏うにおいと空気感が好きでした。

明け方に寝ぼけて私の胸に顔を埋める彼の寝顔を見た時、私は自分でも驚くほど穏やかな気持ちになって、自分がどれほどずっと彼を好いていたのか痛感し、彼を起こさぬよう声を殺して泣きました。

 

後日、彼から付き合えないとお断りの返事をもらいました。

分かっていました。私が彼に好きだと伝えた時、彼の瞳が揺れて、彼の想い人は私ではないと理解していました。

だからきっと、あの日の明け方、私は泣いたのです。

 

ここで終わればよかったのに、問題はここからなのです。

振られて2年後の先日、私は、お酒の力を借りて彼に触れました。

なぜそんなことをしたのか、自分でも分かりません。

でももしかしたら、あの時はだめだったけど、今なら頷いてくれるかもしれないという淡い夢を、いつからかずっと夢見ていたのかもしれません。

 

でも、彼は最中も目を閉じて、私をちゃんとは見てくれませんでした。

そして察したのです。「彼とはもうダメだ。」と。

彼が果てる直前、彼は私が泣いていることに気づき「痛い?」と聞きました。

そして私は「気持ちいい」とキスをして、彼に顔を見られぬよう、彼の首筋に顔をうずめました。

 

こんなことがあれば、失恋女王のはるらっしゅもさすがに病みます。

そして、こういう時は同性の友達が一番の助けになるというのも長年の経験で学習済みです。

大学時代の友人に話を聞いてくれと連絡すると、彼女も一言、こう言いました。「私も話したいことがある」。

 

友人Y子の直近の失恋猥談

一カ月ぶりに会う友人のY子は、前回会ったときより若干痩せていました。

ワンピースから覗く鎖骨と手首が、彼女の痩せた体形を際立たせ、儚げに見えました。

 

普通じゃない、そう思いました。

そして動揺している私を見て察したのか、開口一番に彼女は苦虫を嚙んだような顔で、こう言いました。「私、好きな人が出来たの」。

 

事の顛末はこうです。

先日、SNSで知り合った男性に恋をした。

初めて会った日に意気投合したY子は、付き合う前にその男性を、避妊具無しで受け入れた。

その後、男性は会いたいとは言ってくれるのに、具体的な会う日程を組んでくれない。

日程が組めても、当日にドタキャン。しかもその回数、驚異の4回。

挙句、男性から連絡は来なくなり、Y子は連絡を待ち続け、現在に至る。

 

冷静な頭であれば、誰でも分かります。

彼はY子をワンナイトの相手として認識し、やり捨てたのだと。

それでもY子は「それでも、彼が好きなのだ」と私に言うのです。

こんな事を話したら、彼女は傷つく。

私は彼女の腕を擦りながら、なんと声をかけて良いのか分からず、ただ「辛いね」と語りかけました。

そして、話を聞き続けるしかできない自分の不甲斐なさを呪いました。

 

なぜ私の好きな人は私を好きになってくれないのか。

恋をすると、私は眠くなくなります。

恋しいし、寂しいし、腹立たしいから。

そしてそんな夜はいつも、「愛している」という感情はこの世で最も尊く、そして愚かな感情だと思って、そしてそんな感情に取り憑かれた自分を呪うのです。

 

人は緊張すると【頭が真っ白になる】と表現するけど、私は違います。

好きな人を目の前にすると、私の頭の中はいつも赤く滲むのです。

鼓動が早くなって、目が潤んで、声が震えて、体温が上がっていく。

私が彼を幸せにしてあげたいと思う、自分の面倒を見るので精一杯な私には、そんなこと到底出来るわけがないのに。

叶わない片思いをすると、私は特にそうなるのです。

 

昔、父と酒を飲んでいる時にこの話をしたことがあります。

なぜ私の好きな人は、私を好きになってくれないのか。と。

父は「人生なんてそんなものだよ。」と笑い、私に酒を注いでくれました。

そして、私はずっとその理由を考えながら、父が酔いつぶれるまで酒を飲み続けていました。

 

その夜、結局答えは見つかりませんでした。

しかし、その過程でこんな考えが浮かびました。

人の恋愛というものは、憧れや尊敬からスタートする感情であり、自分が好きになる人というのは、結局いつも私よりも優れた人間なのだ。

片思いとは常に高望みなのだ。と。

 

だからと言って、片思いが悪いという話ではございません。

ただ、基本的に片思いは高望みだから、叶えばラッキー、ダメでもともとくらいの気持ちでいるくらいが、ちょうど良いのではないか、と思ったのです。

 

Y子にも同じ話をしましたが、片思いの相手が自分を好きになってくれないとして、それは自分に落ち度があるわけでは絶対にありません。

一度寝たから飽きるとか、興味が無くなるとか、そんなものは単調でつまらないセックスしかできないダサい男の言い訳です。

真に受けなくて良いですし、そんな相手とは付き合わなくて正解です。

そして、あなたにはちゃんとあなたの魅力があるのですから、それを絶対に見失ってはいけません。

他人に自分の価値を委ねてはいけないのです。

私も、私にこれをサブリミナル級に言い聞かせ、現在何とか心を取り戻しております。

 

恋をするとフィルターがかかって、相手がその辺のアイドルより美しく見えます。

そして「どうして自分を好きになってくれないの?」と恋焦がれますが、目が覚めると大したことはありません。

相手はアイドルではなく、ただの一般人です。

 

私を例に挙げると、後日会社でSさんを見ても、触れる前のようなときめきは一切ありませんでしたし、なんなら「なんか、違う」と首をかしげる始末。

【女心と秋の空】と言いますが、私の場合は【はるらっしゅの心と激流】でございます。

目を離した瞬間には、もう気持ちが流れ去って消えてるというか、跡形もないのよ。

 

皆幸せになりたくて、それぞれが悩みを抱えて、それを隠して笑ってるこの世界で、私もY子も、それぞれがいつか、心から愛し合える人と結ばれれば良いと思う、今日この頃です。

 

※余談※

月末は退職者が多いものです。

本日、仲の良い同僚が退職するので社内チャットで「今日で退職なんて、やっぱり嫌だ。寂しい~」と送信した私。

送信してから気づきました。

名字が同じなせいで、仲の良い同僚に送るチャットをSさんに送っておりました。

あまりのやらかしに、白目を剥く私。

急いで「間違えた、忘れて」と送ろうとしましたが、それより速い光の速さで「俺辞めねーよ、嫌がらせかw また飲みに行こうな。」と返信が来て、胸がぐっとなりました。

こんな気まずい関係だったのに、こういうことをさらっと言える、人ったらしでチャラくて、私より全然大人で魅力的な憎たらしい彼。

少しずつ恋心を忘れて、新しい関係を築いていきたいと思う、はるらっしゅでした。

 

lit.link

stand.fm

猫系女子の処世術《嫌いな人攻略法のお話》

こんにちは。

先日、職場の先輩とお酒を飲んでいる時に「お前、田中みな実に似てるよな」と言われ、歓喜の雄叫びをあげたはるらっしゅです。

 

私は田中みな実さんが大好きなので、その後はずっと上機嫌でしたが、先輩の意図はそうではなく「あざとく、敵を作る」という意味で言っていたそうです。

しかし、そんなの構いません。あざとくて何が悪い。

 

今回は人間関係ネタの鉄板、【嫌いな人の攻略法】について語ります。

※途中、感情の高ぶりによる過激な言葉が出てまいりますが、温かい目で見守っていただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅの生態調査報告

先日、Instagramのストーリーズでお題になっていた動物女子診断をした結果がこちら。

f:id:harulush:20220218140908j:plain

#動物女子診断 #ホイミ

https://hoyme.jp/shindan/82109/results/764

 

全部悪口じゃないですか、これ。

こういう類いの診断って【モテる】とか【かわいい】とか良い言葉が並ぶと思っていただけに、目が点になりましたけれども、おそらく冒頭の先輩が言いたかったこともこういうことなのではないかと思います。

(思い返せば、前回の鬼診断もぼろくそに言われました。※【赤鬼とキンパ】参照)

 

私の特徴をまとめるとこんな感じだそうです。

気まぐれでワガママだけど何故か憎めないあなたは、猫系女子です。テリトリーの意識が強く、絶対に侵害されたくない自分の聖域を持っています。自分の領域が侵されれば、相手を永遠に恨むでしょう。基本的には人見知りですが、一度心を開いた相手には独占欲が出るツンデレなタイプ。

言いたいことはハッキリ言うタイプなので誤解されることも多いのですが、ツンケンしているようで、寝る前に「ちょっと強く言い過ぎたかな…」と後悔する可愛いところも。また、仕事や学業などやるべきことはソツなくこなせるのですが、実は不器用な一面もあります。表情には出しませんが、内心は汗びちゃで焦ることも多いようです。

 

読んでご理解いただける通り、私は性格が悪いです。自他ともに認めます。

とにかく我が強いですし、食べ物の好き嫌いは一切ないのに、人の好き嫌いは誰よりも激しいです。そのため、一度好きになった人はずっと好きな一方、一度嫌いになった人を好きになることは二度とありません。

こんな感じなので、私は絶対的な味方がいる一方で、敵を作る性格だとよく言われます。

 

皆と仲良くすることはそんなに大事か?

世論では敵を作るのは『悪』、敵を作らないのは『善』とされています。

日本人は同調性を重んじる国民性ですので、自己を抑えて周りと同じ行動を取るよう、幼少期から教育されます。

そして同時に、人を嫌いと思う感情は悪であり、皆を好きになり仲良くするようにも教育されます。

 

しかし、果たしてそんなことは可能なのでしょうか。

人も生き物ですから、どうしても好き嫌いは発生します。

私は、そういった負の感情も他の感情と同等に尊重されるべきだと思うのです。

 

私は、皆と仲良くするふりをするのは自分の魂を削る行為だと思っています。

そしてそう思う私は、好きな人と嫌いな人の線引きを、相手が分かるくらいにはっきりと引きます。相手に「私に近づかないで」と意思表示をするためです。それが序盤に先輩に言われた言葉に繋がってきます。

 

世論の基準に照らし合わせると、私の性格は間違いなく最強に悪いです。

しかし、だからと言ってこの性格を直したいと思ったことはありません。不満を持ったことも不便を感じたこともありません。

 

私は嫌いな人間にどう思われようが興味がないので、自分の心を守り、自分がご機嫌でいる方を最優先事項にして日々生きています。

以前は全員に好かれようとしていた時期もありましたが、心が疲れてしまうし、八方美人になっている自分に良い印象も抱きませんでした。

私は、今の私の方がよっぽど正直で好きです。

そして、自分を好きでいる時の方が良い人間関係が築けていると感じます。

 

こんな経験から、皆と仲良くする必要はないという結論に至り、そして本日に至っております。

 

はるママ直伝【嫌いな人攻略法2選】

極論を申し上げると、嫌いな人間には愛想を振りまく必要はないし、そういう人間は極限まで遠ざけて良いと私は思います。

それがプライベートなら絶縁して良いし、会社であれば仕事の報連相以外、一切の関わりを絶って全く問題ございません。無理しなくて良いのです。

 

人間は嫌いな人間と一緒にいると、メンタルが削られます。

自分の気分を害する人間に時間を割くことほど、くだらない時間の浪費はありません。

嫌いな人間は、無きものとして扱って良いのです。そんなやつらに自分の貴重な時間と思考を与えてはなりません。

 

とはいえ、嫌いな人間の言動というものは、非常に鼻につくものです。わかります。

ではどうすれば良いのか。

ここからが本題です。はるママ直伝【嫌いな人間攻略法2選】と題して、私が実際にしている嫌いな人への攻略法をご紹介いたしましょう。(性格の悪さが露見します。)

 

1,同じ土俵に立たない

皆様、想像してみてください。

幼い子どもを相手に、本気で嫌悪感を抱いたことはありますか?犬猫には?

一瞬かっとなることはあっても、時間が経つと怒りが治まっていることが多いのではないでしょうか?

これはなぜか。答えは「相手を自分と対等と見なしていないから」です。

 

人が人に腹を立てる心理は、「私を理解してくれない」という不満から生まれます。

「どうしてこんなことを言うの?(私が傷つくのに)」

「どうして連絡してくれないの?(私が連絡してほしいのに)」

「どうしてこうしてくれないの?(私がこうしてほしいのに)」

そして、これらは後ろに全てこう繋がります。「どうして私を分かってくれないの?」

 

相手に自分を理解して、自分の思う通りに動いてほしいと無意識に期待してしまうから、それを裏切られた時に人は相手に不快感を抱き、その不快感は嫌悪に成長するのです。

 

それであれば、はじめから相手を対等に見なければ良いのです。

同じ土俵に立たず、相手の立ち位置を2,3段下に置いて、それを傍観していれば良いのです。

ちなみに私は、嫌いな人間は全て人型の豚だと本気で思って接しております。

 

2,自分と相手の間に境界線を作る

これは、私がよく会社で使う必殺技です。

仕事をしていると、どうしても嫌いな人間と話さないといけない場面はあります。

そんな時私は、私と相手の間に物を置いて、透明な境界線を作ります。

置くものはPC眼鏡でもペンでもケータイでも、何でも良いです。

そして自分に暗示をかけます。「相手がこの境界線を超えない限り、私は安全だ」と。

慣れてくると、相手がまるで仕切りの向こう側で話しているように感じ、最終的には何を喚いていたとしても「テレビのコメンテーターかな」くらいにしか思わなくなります。

--

 

これら2つに共通することは【相手を実像として見ない】という点です。

私の場合を例として挙げますと、1では、相手を人型の豚として扱っていますし、2ではテレビに映るコメンテーター扱いです。

アニメや漫画の世界に出てくる悪役に嫌な印象を抱いても、本気でぶち切れる人はなかなかいないですよね。それと同じ精神状況にまで持っていければ、こちらの勝ちです。

 

※余談※

この記事を書いてて思うのですが、結局人は、同じレベルと認知した人に「自分ならこうする」という価値基準を勝手に押し付けて、そして怒って嫌っているのですよね。人間という生き物とは皆、自己中心的で醜いものです。(遠い目)

 

最後に

誰でも嫌いな人はいます。絶対にいるのです。

たまに絶対に悪口を言わない仏のような人間と出くわしますが、高校時代、皆が部活に勤しむ中、ファミレスでクラスメイトの悪口を腐るほど愚痴っていた陰キャの長のような私からすると、そういう輩の方が腹の底が知れず、気持ち悪いと思ってしまいます。(でも中には本当にそういう仏もいると思います。ごめんなさい。)

 

私が何を伝えたいかと言うと、どうか「この人嫌い」と思ってしまう自分の醜さを責めないでほしいのです。

本来、嫌いという感情は【相手が自分を傷つけそう】という直観が働いてのことですので、むしろその気持ちは尊重し、信じて良いのです。

 

しかし、だからといって、いじめなどの攻撃はいけません。

絶対に嫌いな相手と同じレベルに落ちてはいけません。

あくまで相手を遠ざける、接点を消すということを最優先事項に、自分の心を守ってあげてください。

 

そして、その守った穏やかな心で、自分の好きな人に優しく接してください。

優しさと親切は連鎖します。

自分が相手に親切に接すると、相手もそれを優しさで返してくれます。

返された優しさが心の成長剤となって、いつか嫌いな人の多少の無礼くらいは笑って許せるような、心の余裕と度量が生まれるのではないかと思う、今日この頃です。(多分、私は無理だけど。笑)

 

lit.link

stand.fm

紫煙を燻らすヘビースモーカー《禁煙のお話》

こんにちは。

年々喫煙スペースが減り、数少ない街中の路上喫煙スペースに集まって喫煙する人々を「電灯に群がるハエのようだ」と言い放った妹に、戸惑いが隠せないはるらっしゅです。

妹よ、何かあったか(怯)

 

そんな私は、2020年10月に禁煙しました。それまでは1日に2箱のタバコを消費する、いわゆる【ヘビースモーカー】でした。

 

本日のテーマは禁煙ですが、私は今でもタバコのにおいが大好きです。喫煙者の前では「私に向かって煙を吐いて」とねだり、周りをざわつかせます。(実話)

なので、本日は禁煙した方が良いよと勧めるお話ではございません。

私の信条は【太く短く生きる】ですので、我慢を重ねて長生きするより、やりたいことをやり尽くして早く死ぬ方が幸せだと信じておりますし、私もそう生きます。

 

今回は、禁煙するとこんな感じというご紹介ですので、喫煙者も非喫煙者も、どうぞ笑ってご覧頂ければ幸いです。

 

 

タバコとの出会い

私とタバコの出会いはさかのぼること、9年前。

当時19歳だった私は、当時の彼氏にこっぴどく振られて深夜に実家のリビングでギャン泣き。

父が一生懸命慰めてくれたのですが、全く泣き止まず、父もいよいよ頭を抱える始末。

そんな時です。私は泣きながら思ったのです。私はとことん彼が嫌いなタイプの女になってやろう。

なんでこんな思考になったのかはいまいち自分でも分からないのですが、とにかく当時の私はそう思ったのです。

そして、何をしてくれようかと考えた時、真っ先に思いついたのが、そう、タバコ。

 

彼はとにかくタバコのにおいがだめでした。

私はキッチンにある母のタバコを手に取ると、それに火をつけ、父の制止も空しく一気に煙を吸い込み、そして盛大にむせました。(死ぬかと思った。)

これが私とタバコの出会いでした。

 

学生時代のタバコ事情

私は大学で社会心理学を専門に勉強していましたが、その過程で養護教諭の資格を取りました。養護教諭とは【保健室の先生】です。

ええ、分かっています。健康教育を司る養護教諭を目指す学生が、タバコを吸っているなど本当にとんでもないことです。禁煙教育をするどころか、保健室が不良たちの拠点と化します。

何度も教授の研究室に呼ばれて指導を受けました。それでも禁煙しない私。

挙句の果てに、教育実習中も指導計画を作りながらタバコをプカプカする私。

今思えば正気の沙汰ではございません。教授も頭を抱える始末。

今思えば、これが俗にいう「あの頃、私はとがっていた」というやつですか。

 

社会人になってからのタバコ事情

私が入社した会社は当時、約6割が喫煙者でした。タバコを吸っていた方が、先輩たちと話が出来る機会が多く、自分が吸いたいというよりかは、タバコミュニケーションを求めて吸っていた気がします。

その頃にはタバコでむせることなど一切なく、仕事終わりの一服や食後の一服がとても美味しかったですし、深夜寝る前に暗闇に溶ける紫煙を眺めていると、とても落ち着きました。

また、社会人になってからお付き合いした人全員が、たまたま喫煙者だったこともあり、禁煙について考えるきっかけもなく毎日を過ごしていました。

 

禁煙のきっかけ

こんな私がなぜ禁煙をしようと思ったか。妊娠でも健康上の不安でもございません。きっかけは「大嫌いな人が出来たこと」でした。

私は社内で一人、どうしても嫌いな人がいました。どのくらい嫌いかと言うと、その人の足首をひっつかんで、地獄の穴に引きずり落してやりたいくらいに大嫌いでした。(既にご退職されています)

当時、その人も喫煙者だったので、たまに喫煙所で鉢合わせることになるのですが、私はとにかくそれが嫌でした。

あの狭い空間の空気を一緒に吸っていると想像しただけで虫唾が走り、鳥肌が立ち、脂汗が噴き出しました。

そして、その人と顔を合わせたくないがために、私は禁煙することを固く決心しました。

(禁煙は難しいからちょっと怖いという話も聞きますが、案外こんな単純な理由でも成功するくらい、敷居は低いですよ。)

 

禁煙外来って実際どんな感じ?

自力で禁煙しようとして禁煙グッズを買っているうちは素人だと思います。

 

日本人は何でも自分一人で解決しようとし過ぎます。世の中には弁護士や心理カウンセラーなど、悩みを一緒に解決してくれるプロの専門家がたくさんいますし、それらに頼るのが一番手っ取り早いです。そして、禁煙するにはそう、禁煙外来に行くのが一番手っ取り早いのです。

 

私は我慢が大嫌いです。なので、自力で禁煙するという選択肢は、はじめからありませんでした。「何とかしてくれ、金はある」と、ふてぶてしさ全開で禁煙外来の門を叩いたのが、2020年10月のことでした。

 

禁煙の治療は薬物療法が基本です。

毎回、呼気中の一酸化炭素濃度を測って(隠れて吸ってるとここでバレる)、医師と面談、その後【チャンピックス】という飲み薬をもらって終了です。保険も適用されますので、トータルの治療額は3万円以内で済みました。

 

www.med.or.jp

 

禁煙補助薬を飲むと吐き気が出る人もいるそうですが、私は特に副作用もなく、毎日もりもりご飯を食べていました。しかし、禁煙補助薬はあくまで補助です。吸いたい欲求は消えませんし、禁煙による副作用も出ます。

 

私は食べることでその副作用をごまかしました。医者からも「禁煙補助薬を飲んでいる間は多分3㎏は太るけど、それはもう諦めて」と初回で言われていました。まあ、私は結果7㎏太ったんですけれども。

 

正直、最初の1週間は副作用がひどすぎて、仕事になりませんでした。タバコを欲しているというより、7年間の喫煙習慣を矯正しようとしている精神的ストレスが酷かったです。しかし、禁煙開始2週間後から徐々にその辛さは無くなりました。

 

禁煙してみて思うこと

「禁煙して良かったことは?」とよく聞かれますが、ありません。強いて言えば、歯医者さんに行く頻度が毎月から3ヵ月に一度に変わったことくらいです。(歯に付着するヤニを取りに通っていました)

しかし、「吸い続けた方が良かったか?」と聞かれると、そうとも思いません。

結局、タバコはあってもなくても生きていける嗜好品です。吸いたい人は吸えば良いし、吸いたくない人は吸わなくて良いし、自分の好きなようにして良いと思います。

 

最近は、喫煙者に対する風当たりがあまりに強すぎる気がしますし、禁煙をごり押しし過ぎているような気がします。

たしかに副流煙は身体に害ですが、それを言ったらアルコールはどうなるのでしょうか。

同じように依存性があり、発病要因となるアルコールを同じように規制しないのはどうしてでしょうか?

私から見れば、どちらも同じです。

自分が好む嗜好品をお金で買って、それを使って何が悪いのでしょうか。

ルールを守ってそれを楽しんでいるなら、それで良いのではないでしょうか。

喫煙者寄りの意見だということは自覚していますが、禁煙してからの方が、私はそう思うのです。

 

私はタバコのにおいが大好きです。

禁煙を良しとするこの世界の白黒フィルムに残る、紫煙を燻らすマリリンモンローやオードリーヘップバーンの姿が、今でもこの上なく美しいと思います。

タバコだって時代を色づけた一つの美しい文化なのです。

喫煙者も非喫煙者も互いを尊重し合って、気持ちよく共存できる世界が早く確立されれば良いと思う、今日この頃です。

 

lit.link

stand.fm

臆病者とチョコレート《告白必勝法のお話》

こんにちは。はるらっしゅです。

2月14日のバレンタインデー、皆様はどのようにお過ごしでしたか?

私は先日友人からいただいた大量(バケツ一杯分)のチョコレートを、ここぞとばかりに社内にばらまきました。

食べきれないチョコレートの在庫処分もできるし、お金をかけずにバレンタインデーにのっかれるし、皆からはありがとうと言ってもらえるし、なんならお返しを貰えるかもしれない。一石四鳥です!

 

さて今回は、バレンタインデーにあやかって恋愛ネタでまいりたいと思います!

 

 

人は皆、【あなたが好き】と言われたい

早くチョコレートを配り切りたい一心で、社内の名前をよく知らない人にまで「チョコあげます」と配り歩いていたせいでしょうか。(イメージはGANZのねぎ星人(こども)の「ねぎあげます」状態。必死。)

職場の同僚に【コミュ力お化け】と称された私(自覚はない)は、「この人好き!」と思ったら、それをその場で口に出して相手に伝えるようにしています。

よく告白を渋る人を見かけますが、私はあれが昔からどうしても理解できません。好きという、人を幸せにするポジティブで素敵な言葉は、出し惜しみするには、あまりにもったいないと思うのです。

 

皆様、想像してみてください。

「あなたが好きです」と告白されて、不快な思いをしたことがありますか?

「あなたが素敵で、声をかけてしまいました」と声をかけられて不快な思いをしたことがありますか?(これはナンパの仕方と相手の質によるけども。)

 

もしあるとしたら、多分それは相当のレアケース(ストーカーや相手の印象がもともと最悪な場合など)か、思春期の好き避けによる勘違いです。

人の頭は大抵、「あなたが好き」と言われれば、承認欲求が満たされることによって喜ぶように出来ているし、自分を好きと言ってくれた相手を拒絶するようなことはそうそう出来ないと思うのです。

人の頭の造りは同じですから、自分が他人にされて嬉しい親切や言葉は、大抵相手も嬉しいものではないかと思うのです。

はるママ直伝【勝率を上げる告白の方法】

私は、大学で社会心理学を専門に勉強していました。社会心理学には【返報性の原理】というものがあります。文字通り、良い意味でも悪い意味でも、相手にお返しをしたくなる心理です。

mynavi-agent.jp

 

その中でも特に【好意の返報性】というものは本当に強力で、使い方を理解すれば、基本どんな人とも仲良くなれます。恋愛も然りです。

smartlog.jp

 

世の中、告白に失敗して絶縁となるようなバッドエンドは、大抵相手が見えていない状態で発生する場合がほとんどだと思います。

気持ちは分かります。私も恋愛すると周りが見えなくなってそうなりがちです。

 

相手が見えていない告白の代表格がこれ。「好きです、付き合ってください。」

これの何が問題なのか。

まず、「あなたが好きです」と言います。ここまでは良いです。

この後です。「付き合ってください」、これが問題なのです。

 

相手の心理状況が見えない状態で「◎◎してください」という要求をすることで、相手の答えは「できる」「できない」の二択になり、後者を相手が選んだ場合、こちらは手詰まりになります。

 

その後にまた告白したとして、何が問題で付き合えないのかを理解して改善できていなければ、堂々巡りになってしまいます。しかも、改善点を教えてもらえたところで、自分一人が頑張ったって、そんなものは勝算がありません。

なぜかというと、一度告白を断ったことで相手の警戒心と罪悪感は高まっていますから、一度バッサリ振られてしまうと、相手が再度自分を受け入れるのに時間がかかる場合が多いのです。(もちろん例外はたくさんあるので、一概には言えません。)

 

ではどうしたら良いのか。

私は恋愛専門家では全くありませんが、自分の山のような失恋経験を基に編み出した必殺技があります。それは何か。そう、「相手に聞く」です。

 

「好きです。付き合ってください。」を「あなたが好きです。あなたの彼女になるにはどうしたら良いですか?」という言い方に変えるのです。

 

そうすると何が起きるか。

まず相手の回答が「はい」「いいえ」の二択ではなくなります。

もちろんOKであれば「付き合おうよ」という回答になりますし、もしダメな場合も、相手がどうしたら良いのか、何かしらの答えをくれます。

その答えを聞いて「それはこういうこと?」と掘り下げていけば、相手の思考と意図を理解できるし、話の流れ的に気まずくはない。

気まずくなければ、内容次第で関係は切れずに再度アプローチが出来る。

しかも、人は好きと言われると相手を少なからず意識します(好意の返報性が発動)。ここで三ヵ月くらい沈黙して(その間は連絡一切禁止、ただし相手と同じ職場や学校にいる場合は、相手の視界に一日一回は必ず映るのが理想。)、その間に相手が提示してくれた課題をこなし、より魅力的になって再度アプローチすれば良いのです。

※ただし、必ず相手の温度感を図ってください。度が過ぎるとストーカーです。

 

最近少し臆病になってきた私へ

こんな持論を展開している私も、例えば社内に仲良くなりたい人がいれば「私はあなたが好きで、仲良くなりたいです。どうしたら仲良くなれますか?」と伝えています。

そうすると大抵、相手は目を丸くしますが、次の瞬間には照れたような笑顔になって「じゃあ、明日一緒にランチに行こう」と、仲良くなるための行動を一緒に取ってくれます。

 

とはいえ、「好き」と伝えるのは多少の勇気と勢いが必要です。

そうそうないと分かっていても、拒絶されたらどうしようという不安は私にだってありますし、年々それが強くなってる気がします。

歳を重ねて、良い意味でも悪い意味でも、相手の様子を伺う癖が付いたせいかもしれません。

 

今年、私が私に贈りたいものは【心優しい勇気】です。

あっけらかんと人に好きと伝えられる、この思い切りの良さは私の美点です。

最近少し臆病になってきた私へ、今年はゴディバのチョコレートではなく、臆さず人に好きと伝えられる心優しい勇気を贈りたいと思います。

 

※余談※

数年前、友人と二人で居酒屋で飲んでいた時にこの話をしました。

私が自慢気に「どうしたらあなたの彼女になれる?って聞けば良いって気づいたの。」と話す姿を見て、友人は枝豆をつまみながら、さらっとこう言いました。

「じゃあ、俺がお前の彼氏になるには、どうしたら良いと思う?」

その彼とはお別れしてしまいましたが、とびきり胸キュンの良い思い出です。

 

lit.link

stand.fm