スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

ぼの先輩から学ぶ頑張らない生き方《生き方と処世術のお話》

こんにちは。
9月に入り、暑い中にも夏の終わりを日々感じているはるらっしゅです。


引越しからあっという間に一ヶ月が経過し、やっと生活が安定しました。
一人で入れる居酒屋さんや友達も出来て、お金がどんどん消えていきます。
でも、会いたい人もたくさんいるし、お誘いもたくさんある。
彼氏も欲しいから婚活もしないとならない。
残り数ヵ月は必要経費と思って、目を瞑ろうと思っています。


さて、毎日色々な人に会っていると心が少しずつ疲れてきます。
楽しいけれど、どこかで人に遠慮し、良い顔をする毎日。

ということで今回のテーマは【生き方と処世術】。
最近思う、心に優しく幸せな生き方についてざれ言チックに語ってみたいと思います。

 

 

巷で話題の「繊細さん」

巷で話題の「繊細さん」。
私、はるらっしゅも少しだけ該当します。
HSP(エイチエスピー)は、英語でHighly Sensitive Person(ハイリ―・センシティブ・パーソン)の略称。
「人の気質」を表す名称で、通常の人より繊細で敏感な人のことを指します。
アメリカの心理学者アーロン博士によって名付けられ、世界人口の15~20%が該当すると言われています。

 

もしや私も?「繊細さん」セルフチェック

以下の質問に7個以上当てはまる方は、HSPの可能性があります。

  1. 大きな音・強い臭い・鋭い光を、人一倍不快に思うことがある
  2. どんな失敗が起こりうるか予測して対応策を考えることに、毎日かなりの労力を費やしている
  3. テレビなどで暴力シーンをみると、その後何日も影響されてしまう
  4. 涙もろい
  5. 他人と2、3時間一緒にいると、疲れ果てて動けなくなってしまう
  6. 誰かの怒りを感じると、それが自分に向けられたものではなくてもストレスに感じる
  7. 勢いや気持ちで行動せず、よく考えてから動くほうだ
  8. 社交の場に行くと人一倍疲れる
  9. サプライズが嫌いだ
  10. 周りの状況で、自分の言動がかなり大きく影響を受ける

 

「繊細さん」の知っ得ライフハック3選

ここからはHSPである私が、日々実践しているライフハックをご紹介!

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HSPについて知る

まずはこれです。
知ることで、自分の悩みが「気質」によるものだと気づき、対処のきっかけになります。

▶マイルールを作る

HSPは、普通の人では気が付かない細かい事まで先読みできます。
その分、余計に考えて働き過ぎる側面がありますので、あえて「見ない、やらない」というルール設定をすることが大切です。

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出典:「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本

▶自分と外界に境界線を作る

最も大切なライフハックです。
周りから影響を受けやすいHSPですので、外界をテレビに映る画面のような、あくまで「自分とは関係ない」と認識できる工夫が必要不可欠です。


ちなみに私の場合は、会社ではPC眼鏡をかけることでレンズ越しに見える世界をテレビ画面と同じだと思い込みます。
人と話す時は、必ず間に物(ペンや携帯電話など)を置いて、境界線(バリア)を張っています。

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出典:「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
「繊細さん」の取り扱い説明書

「繊細さん」を代表して、皆様に申し上げます。
ぜひ近場にHSPチックな方がいる方は、こんな事に配慮してあげてください。

▶ドアバン、窓バンをやめてください
▶頑張っているので、頑張ろうと言わないでください
▶ 意見は求めていないです、とにかく共感して優しく受け止めてください
▶しつこくされるのが苦手です
▶初対面でいきなりため口とか、馴れ馴れしくしないでください
▶こそこそ話はやめてほしいです
▶ 冗談が通じにくいので、発言に注意です
▶あなたが嫌いなのではなくて、一人の時間が必要なのです
▶ 疲れやすくて、眠くなりやすいです
▶ 基本心配性です
▶考え込むとシャットアウトします
▶いいよと言うけど、内心はとても我慢しています
HSPに向かってため息は厳禁です

最後に

「繊細さん」は病気ではなく性質なので、こんな長所があります。

・細かいところに気がつける
・丁寧に仕事を進める
・コツコツと努力ができる
・記憶力がよい
・想像力や感受性が豊か
・危機管理能力が高い

何事も一長一短です。
HSPの方もそうでない方も、互いが気持ちよく共生できる世界になりますように。

 

 

ぼの先輩から学ぶ頑張らない生き方

私の会社のGmailのアカウント写真は、ぼのちゃんの顔だ。
Googleのアイコンは形が丸だから、顔のドアップを設定してみたら、顔が浮き出たみたいになって非常に可愛い。

 

そしてこの可愛さは、周囲の人も癒している模様。
先日仕事でミスをして上司から連絡が来た際も、ビデオ通話で画面オフにした結果、可愛いぼのちゃんの顔のドアップが映り、「お前これ、、、ずりーよwwww」と叱責を免れた。

 

ぼのちゃん、いつもありがとう。


そんなぼのぼのは、私のバイブルだ。
これを言うと「ぼのぼのw」とか「そうなんだw」と若干バカにされがちだが、私は声を大にして言いたい。

 

ぼのぼのは凄いのである。
その辺の自己啓発本哲学書を読む暇があるなら、ぼのぼのを読んだ方が有意義である。
特に受験戦争に追われる中高生や、働きはじめの新人社会人さんは必読なのである。

 

お盆休みが終わってちょうど一ヶ月。
皆さん、そろそろ疲れが出て来る頃ではないだろうか。(私は瀕死。)
今日は私と一緒に、ぼのぼのの世界で癒されてみませんか?

↓今回執筆するにあたって参考にした書籍↓

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世の中についての名言

世の中はすごく広いよね。そんなに広いんだから少しだけちがうところがあった方があたりまえだと思うけどなー。

 

たいへんなことはいつも起きていて、ボクたちがそれを知らないだけなのだろう。

 

生き方についての名言

何かを探すんだったら道をまちがえちゃいけないよ。ひとつでもまちがえるともう見つからないよ。でもまちがっても大丈夫。別なものが見つかるから。

 

後でこまるんだったら、後でこまればいいじゃねえか。 

 

楽しいことは必ず終わるし、苦しいことも必ず終わる。この世にあるのは全部必ず終わってしまうことばかりだ。なぜだと思う?それはたぶん、生き物というものが何かをやるために生まれてきたわけじゃあない証拠だろう。

 

腹が立つことがあっても許して忘れるのです。昨日あったいやなことを忘れずに今日も生きていると、自分が古びて行くような気持ちになりませんか。許して忘れるのです。一度やってみてください・・・

 

その他の名言

シマリスくんはユーウツなのだ。ユーウツというのは、こまることをこまることだ。

 

たくさんあると価値がうすれるのなら、そのたくさんていくつのことでぃすか?

 

物がいつからゴミになるかって?物は最初からゴミなのさ。

 

そうか、強くなるっていうことはわかることか。わからないからこわいんだね。

 

いかがでしたか?
今回はたくさんあるぼのぼの名言集の中の、ほんの一部のご紹介でした。
皆さんの心に優しく寄り添える言葉が一つでもあれば幸いです。

 

私も最近少し疲れ気味。
たまには日々の喧騒から逃れて、今週末は風と仲良くしてみよう。
最後に、私が最も好きな《ぼのぼの名言》をご紹介してさようなら。

 

生き物は、絶対、こまるんだよ。こまらない生き方なんか、絶対、ないんだよ。そしてこまるのは、絶対、おわるんだよ。どうだ、少しは安心してこまれるようになったか?

 

練乳のような微睡《夢のお話》

こんにちは。

今年の梅雨は雨が全く降らずに明けたかと思ったら、梅雨明け後に豪雨が降るこの状況下で、いよいよ梅雨の概念が分からなくなったはるらっしゅです。

梅雨って、何?

お昼の定番、ジャンクフードで有名なM字の旦那の某店ハンバーガーを片手に調べてみると、以下とのこと。

梅雨(つゆ)とは、日本の5月末から7月初〜中旬にかけての、曇りや雨の日が多くなる時期のこと。日本だけでなく、中国の南部や韓国でも見られる気象現象です。

ちなみに日本の一番北にある北海道に梅雨はないとされています。日本列島に梅雨をもたらす雨雲・梅雨前線は、北海道に到達するころには勢力が弱まり、梅雨のような長雨が発生しないからです。    引用:MATCHA

ふむ、一応7月中旬までは梅雨と言えるのか。
いやでも、そしたら梅雨明け宣言とは何なのか。
ハンバーガーとポテトを両手に、謎が深まるばかりです。


さて、本日のテーマは【夢】です。
夢といっても「将来の夢」ではなく、「デイドリーム」の方です。
最近蒸し暑くて寝苦しいからでしょうか、変な夢ばかり見て目覚めます。
今日はそんな、はるらっしゅの変な夢と、夢に関連する日常をざれ言チックに語ってみたいと思います。
(引っ越しの手続きで頭が疲れているせいか、長文が書けずに短編チックに仕上がりました。)
短いからいつもより読みやすいかも、どうぞ楽しくご覧ください。

 

 

練乳のような微睡

耳元でけたましくなるスマホのアラームを乱雑に止めて、スマホを持ったまま寝返りを打った。

「平日は7時に起きたい」と毎晩意気込んで寝るまでは調子が良いのだが、如何せん低血圧の私は、目覚ましの音が聞こえてもすぐには起床できない。

なので、目覚ましのアラームを6時50分にセットして、7時までの10分間で脳を覚醒させる。

私は、その10分間が一日の中で最も好きな時間だ。


半分寝てて半分起きている、そんなトロトロとした甘く白濁した微睡の中で「今日はどんな服を着ていこうかな」とか「今日見た夢は何だっけ」「会社に行ったら、まずあの資料を仕上げないと」とおもちゃ箱のように散乱した考え事をしているこの時間は、一瞬のような永遠のような、まるで自分が現実から切り離されたような感覚に陥る。

 

時間は人の意識によって、長くなったり短くなったりする。

相対性理論って、とてもロマンチックで、とても切ないものだね。

 

何かのアニメで聞いたセリフ。

「当時の私には分からなかったこの言葉の意味が、今この時だけは、少しだけ分かるような気がする」なんて思いながら、私は今日もまた、薄暗い早朝の部屋の中でおもちゃ箱のような思考の海へ落ちていく。

 

鷹の夢

鷹の夢を見て目覚めた朝、夢に出てきた鷹の眼力が忘れられなくて悪寒がした。

初夢で見ると縁起が良いとされる【一富士二鷹三茄子】で有名な鷹の夢は、天下を統一した徳川家康が鷹狩りを好んだこと、『たか』という読みが『高い』に通じることから、夢占いでは開運や立身出世、自由な行動力を表す吉兆とされている。

ちなみに、私が見た鷹の夢はこんな感じ。

私は左右に畑が広がる広い田舎道を歩いていて、ふと目線を上にずらすと、そこにはとても大きなカラスが電線に止まっていた。

カラスは私を小ばかにしたよう見つめた後、大きな羽を広げて飛び立とうとした。

すると、その上空からカラス以上に大きな鷹(もはやあれは鷲かもしれない)が降ってきて、カラスを丸飲みするように捕食してしまう。

そして鷹は恐怖で立ちすくむ私を一瞥して、その場から飛び去っていく。

ええ、私も皆さんと同じ気持ちである。
この夢は、一体何だったのか。
訳が分からないよ。(まどマギキュゥべえ風)


ということで調べてみたら、こんな結果が出てきた。

鷹や鷲が獲物を捕らえる夢は、仕事や学業、恋愛などにおいて、何らかの成果を得ることを暗示しています。

この時、鷹や鷲が狩る獲物が大きいほど、あなたが手にする成果が大きいことを象徴しています。
人によっては、社会的地位のある方から、大抜擢を受けたり、引き立てを受けたりすることもあるでしょう。

いずれも、鷹や鷲が狩りをするその勇士は、あなたが厳しい競争社会を力強く生き抜いていくことを象徴しています。    引用:美・フェイスナビゲーター

 

ふむ、なるほどである。
人生で初めて見た鷹の夢は少し怖かったけど、良いなら良い。(語彙力皆無)
そんな事を調べてうふふと思った、朝の満員電車での一コマ。

 

目が覚めて思い出したら

「恋ってするものじゃなくて落ちるものだってよく言うけど、それに気づくのっていつなんだろう」
先日の飲み会でそんな話をふってきたA子に、軽い口調で「そんな事を考えてるまさにその時なんじゃないの?」と確信を突くような答えを出すB子。

そんな友人二人の掛け合いをハイボール片手に眺めて、私も思った。
恋に落ちたことに気づく瞬間は、いつだろう。


昔読んだ本で「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」というタイトルがあって、その言葉にハッとした事はあるけど、恋に落ちたことに気づく瞬間というものは考えたことがなかった。


恋に落ちる瞬間は人それぞれで、多分それに気づく瞬間も千差万別だろう。
他の人と話している姿を見て嫉妬したり、ふいに手が触れて胸が高鳴ったり、気づけば目で追っていたり。

私の場合はどうだろうと考えて、そして分かった。
私が恋に落ちたことに気づくその瞬間は【朝目覚めた時】だった。
朝ふと目が覚めて、ベッドの中で最初にその人思い浮かべたら、多分それは恋だと思う。


そんな事をぼんやり考えているうちにその話題は終わり、最近の恋愛事情に移り変わって「はるらっしゅは、最近どうなの?」と話を振られていた。

私は一度思考し始めると余韻を消すのに少し時間がかかるため、そのぼんやりとした状態のまま「んー、最近久しぶりに人と手を繋いだ」と安易にこぼして、周りが「え!聞きたい!」と興奮し出す面倒な状況となった。


手をつなぐと相性が分かるなんてよく言うけど、たしかにそれは納得だった。
セックスしても胸はときめかないのに、手を繋いでウキウキしてしまうなんて、なんだか童心に帰ったような、変な気分。

「手を繋いでたらニギニギされて、おにぎりになった気分だった」なんて話を「きゃー!」と楽しそうに聞く友人たち。
そんな二人を見て私も笑いながらお酒を飲みつつ「以前関係を持った人(失恋と冷凍食品を参照)とは、手を繋いでもときめかなかったのに。」と、少し皮肉めいたことを考えて、そしてその思考に蓋をした、そんな夏の夜だった。

 

豚汁滴る良い男

その日の朝、彼が夢に出てきたからという単純な理由でランチに誘った私が悪かったのかもしれない。

私の最終出社日が迫っていたその日、私は仲の良い会社の先輩(以下Uさん/男性)をランチに誘ってみた。

彼は「じゃあ、とんかつを食べに行こう!」とスケジュールを空けて一緒に出掛けてくれたわけだが、この時私達は、その後の悲劇をまだ知らない。


食事中何があったのかは知らないし、本人に聞いても「俺も分からない(放心)」とのこと。
ただ少し食事中に私が視線を下に向けた隙に、Uさんは自身が持っていた茶碗の豚汁を胸元から被っていた。
いや、被っていたというか、浴びていた。

 

あまりの出来事に私、Uさん、そして店員はフリーズし、一瞬の間を置いた後で
私「ちょ!!!先輩やけどしてないですか!?」
Uさん「(目をぱちくりさせて放心)」
店員「(厨房にむかって)おしぼり!おしぼり持ってきて!!」
周りにいた客達「(ティッシュを持って)これ使ってください、お姉さんも足にかかってるよ!」
と、大騒ぎである。

「午後一で会議なのに・・」と青ざめる、豚汁滴る良い男・Uさん。
「大丈夫、急げば間に合います!服を買いに行きましょう!」とはるらっしゅ。
結局、飲むように残りの食事を平らげ、滞在時間30分程度で店を後にした。


無印良品でTシャツを買って試着室で着替えた後、次はパンツを買わねばと慌ただしく移動する中、「そういえば俺、明日誕生日なんだよね」とこれ見よがしに言ってくるUさんに「策士過ぎるだろう」と私は苦笑した後、「わかった、パンツは買って差し上げます」と言ったのが運の尽き。

仲良いが故に遠慮が無く「やった!俺、欲しいのある!こっち!」と飛び出していったUさんに嫌な予感を覚えながらも付いていくと、目当てのパンツは7000円だった。

「私、自分の服でも3000円以上の物は買わないのに・・」と白目を剥きながら、少しイタイ出費を出して、その日の午後を迎えたのだった。


話はここで終わらない。

後日、北海道出張から帰ってきたUさんは「先日はありがとう。これ、異動の餞別!」と、少し大きい紙袋をくれた。
「え!ありがとうございます!」と少し涙目になりながら、紙袋の中身を取り出し、別の意味で涙腺が崩壊した。


中から出てきたのは、北海道のお土産で有名な、特大サイズの木彫りの熊。
「え!!凄い・・え?」
見て数秒でものすごい違和感に襲われ、木彫りの熊を片手にフリーズする私。


皆さんは木彫りの熊を見た事はあるでしょうか?
ええ、熊が鮭を加えているあれです。そう、通常はあれなのです。
しかし、私が今持っている木彫りの熊は、鮭に食われているのです。

karapaia.com

 

「あおおおおおおおっ」と叫びながら苦悩の表情を浮かべる熊。
食物連鎖が完全に崩壊した常軌を逸したお土産に震える私。

「これ炭だから、玄関とかに置くと消臭効果あるよ!」と微笑ながら言うUさんの目を見つめ、私は「熊、食われとりますこれ。」としか言えなかった。

「最後のランチがまさか豚汁まみれになるとは思わなかったけど、でも私達らしかったね」と笑って話せる良い思い出となった、とある豪雨の昼下がり。

 

あとがき

こんな愉快な生活も残り僅かだと思うと、感慨深い。

色々な人が送別会という名の飲み会に連れていってくれて、皆が「辛かったらすぐ戻ってきなさい」と言ってくれる。
あたたかい人たちに囲まれて恵まれていたと今更気づく私は、本当にばかものだ。

そんな感慨深さに浸りつつもメンタルが豆腐な私はきっと、しんどかったら本当にすぐ泣いて帰ってきてしまうのだろう。
でも、最初はそれでいいと思う。
それを繰り返して徐々に新しい土地で自分の居場所を作り、新しい土地で新しい人間関係を作っていこうと思う。

「私のペースで着実に」を改めて決意した、今日この頃です。

ホロを散りばめたマジパン《美しさのお話》

こんにちは。

最近はK-POPの沼にハマって、抜け出せなくなりました。
化粧品から食べ物まで、ほぼ韓国産を選ぶようになったはるらっしゅです。

特に韓国贔屓をしているわけではなく、どうしたらK-POPアイドルのように美しくなれるのかと考えた際に「使う物や食べる物を全てK-POPアイドルに寄せてみれば、それっぽい雰囲気になれるのでは?」と思った次第です。

ええ、分かっています。元来私は極端な性格なのです。

でもいざやってみると、韓国の化粧品や衣服はおしゃれで質も良い。
「これはいけるかも!?」と思ったのもつかの間、食べ物は味が濃いものが多いせいか、少しだけ太りました。

しかしこれは、韓国料理が悪いという話ではございません、逆です。
キムチやサムギョプサル、ヤンニョムチキンにナムル。
あまりの美味しさに、私が食べ過ぎました。
朝にドレッサーで自分の二重顎を見た時の絶望たるや、いかほどか。

何事もほどほどが一番ということで、食事は以前のように和食中心に戻すべく、大人しく大根とイカの煮物をせっせと作っております。


さて、本日のテーマは【美しさ】。
久しぶりの投稿で少し腕が鈍っているかもしれませんが、どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

ホロを散りばめたマジパン

初めてK-POPアイドルを観た時の感想はこれに尽きた。

陶器を彷彿とさせる白い肌と歯。
ホロとラメを散りばめた大きな目。
まるでCGのような一糸乱れぬダンスと、砂糖菓子のような甘い声で歌うその姿。
当時【坂道シリーズ】と呼ばれる庶民派アイドルが流行っていて、それに見慣れた私からしたら、彼女達の完成されたその姿は衝撃的で、テレビにくぎ付けになった。

それ以来、私は何年も変わらずK-POPアイドルが大好きだ。
好きというより、お手本にしていると言った方が正しいかもしれない。

そして私はK-POPアイドルをきっかけに、韓国文化についても学ぶようになり、なぜK-POPアイドルがあれほど美しいのかを知って、腑に落ちた。
韓国人は芸能人だけでなく、一般人も容姿が整った人が多いのである。


韓国では生まれた時から、容姿や外見を評価されるらしい。
それは男女限らず、この子は美人だ、あるいはその逆も歯に衣を着せず、周りからはっきり指摘され、若者の会話の中でも「ねぇ、その目整形しちゃえば?」などといった話題が出てくる始末。(日本でやったら、友達を失くすこと必須。)
日本人も歯科矯正であれば抵抗はないけれど、韓国では親が子に整形を勧めるのだから、その度合いの差は明らかだ。
そして、そんな評価が幼少期から大人になっても永遠に続くのだから、外見至上主義になるのは当たり前だと思う。


人は様々な環境の中で、自分の個性や能力を評価される機会があるため、外見だけにこだわり続ける必要はない。
しかし、潜在意識の中に容姿に関する価値観は誰しも持ち続けるし、人は美を追い求める生き物なのである。

そして、それが特に顕著な韓国社会では、特に女性の場合、美を追求することが自己価値を上げる最大の手段だし、最新の美容法や化粧品が広がる以前から、韓国には民間療法的な美容法や美肌法が多く存在しているのも、韓国女性が昔から美容に高い関心を持ち、実践してきた証拠なのだと思う。

 

崩れたケーキは選ばない

美しさに固執することは悪か。

他者との会話の中で「美」に関するテーマは正直出しづらい。
出せたとしても、そこには必ず他者に対する「思いやり」という名の「お世辞」が含まれている。

「前髪切り過ぎちゃって」「え~、似合ってるよ!ちょうどいいって!」
「最近太ったかも」「全然変わってないように見えるよ?むしろ前の方が痩せすぎだって!」
といった具合にだ。

言う方も「フォローを入れてくれる」と事前に分かった上で言うので、ここで「うーん、ちょっと切り過ぎかもね」「あー‥確かに少し太った?」などと言った暁には、もうこの世の終わりである。

 

そんな「美」に関する話題で、私は忘れられないエピソードがある。
それは、新卒で入社した会社の採用担当に言われた言葉だ。

私が入社した会社では当時、内定者に対して「なぜ貴方がこの会社に受かったのか」「会社は貴方に何を求めているのか」という内容を、採用担当が内定者へ個別に面談して伝える機会が設けられていた。

そして私はこう言われた「貴女の一番の採用理由は、容姿よ」。

目が点になった。
え、容姿?私、色々頑張ってプレゼンとか‥え、容姿?
採用担当者は、目が点になる私ににっこりと微笑み、こう続けた。
ここから続く言葉の衝撃は、あれから8年経つ今でも忘れられない。


もしここにケーキが2つあったとして、片方は綺麗な形、片方は崩れていたとしたら、どちらを取る?
んー、はるらっしゅちゃんの性格じゃ、遠慮して崩れた方を選ぶかもしれないね?
じゃあ、ケーキじゃなくても良いわ。
買い物をする時、品を確認して傷が無いものを選んでレジに持っていくでしょう?
勿論人は顔だけじゃないけど、もし選べるなら綺麗な方を選ぶ。
採用だって選んでいるのは人間だから、結局はそういう基準になるのよ。


「どうせ売ってもらえるなら、綺麗な人から売ってもらった方が嬉しいじゃない?」と綺麗に笑う採用担当の言葉に私はショックを受けたが、同時にこれは真理だと思った。

美しさは力だ。
美しさはこの世界で生きていく中で、大いに役立つ「生きる力」になり得る。
時折美人が威圧的に見えると言われる所以は、多分これなのだと思う。
それ以来、私は外見に対する基準がより厳しく、美しさに固執するようになったような気がする。

 

私の顔の造りは良くも悪くも平均で、派手な特徴はないけれど欠点もない。
特徴がないからこそ、メイクや髪型、服、香水、アクセサリーでいくらでも化けられる、便利な容姿をしている。
自分でそれが分かっていたからこそ、私はそれらを駆使して綺麗だと評価されるようにずっと努力してきた。

当時の採用担当に容姿が採用理由だと言われた時、私は私のその努力が認められたような気がしたと同時に、私の考え方は間違いではなかったと確信した。


世の中「心の綺麗さ」とか「内面の美しさが大事」なんてよく語るけど、よくよく考えてみれば、ファーストコンタクトは結局、目に見える情報が全てなのである。
例えば合コンに行ったとして、綺麗な人とそうでない人が居たら、どちらと話をしてみたいだろうか?
内面を知るというのは、対話することが前提だ。
綺麗な人の方が話しかけてもらえる率が高く、内面を知ってもらえる機会も増えるのではないだろうか。


人の外見は生まれ持った形があるから限界はあれど、やはり自分を知って、自分の似合う服や髪型やメイクで、自分の限界値まで自分を高める努力をすべきだと思う。

外見を綺麗に整えれば、少なからず他人から親切にされることが増えるし、それに伴って自分自身も人に優しくなれる。

コミュニケーションを取る際に、自信と余裕が持てるようになる。
何もせずに惰性に生きて綺麗な人を僻んでいるような人は、それこそ外見だけでなく内面も荒んでいるように見えてしまうのは当たり前。

私もまだまだ努力の途中だが、それでも努力分は良い出会いやご縁はあったと思うし、何より自己肯定感が上がって、自分を好きになれた。

 

「可愛いは作れる」ならぬ「美人は作れる」なのだ。

 

目指すべきは《苺のショートケーキ》

とはいえ、容姿だけでは駄目だということは勿論分かっている。
容姿の綺麗はお金で買えるけど、それだけではいつか綻ぶ。

 

そもそも「美人」とは何か。
広辞苑によれば「『美』とは、知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの」とある。
つまり「美人」とは単に視覚的に整っているだけでなく、例えば聴覚(声)や臭覚(におい)、触覚(肌ざわり)は言うに及ばず、情感を刺激する雰囲気や所作、人となりまで全て含めた全体的な魅力によって、相手に内的快感を引き起こさせる人と定義することが出来るのだ。

 

この歳になると、色々な人と出会う。
そして、私が総じて綺麗だと思う人は「余裕がある人」だ。
他者の気持ちを思いやって、察して、相手を不快にしない言動が取れる余裕がある人。
ゆったりとした所作で、落ち着いた声色で話す余裕がある人。
そういう人はなんだか、話していてフカフカして気持ちが良いのだ。

皆が皆、顔の造形が整っているわけではない。
でもそういう人は纏う雰囲気がゆったりと余裕があって、なんだか妖艶。
そして、そんな人は少し崩れた顔のパーツすらアンニュイな魅力に思えてくるから不思議である。

 

見た目は滑らかで真っ白、苺の乗った華のある容姿。
そして、中身は優しい甘さのフカフカなスポンジ。
私はそんな、苺のショートケーキのような女性になりたいと思う、今日この頃です。

 

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100万回死んだねこ《希死念慮のお話》

こんにちは。
気候がどんどん暖かくなり、めっきり日が長くなった今日この頃。
皆が淡く明るいカラーリングを注文している美容室で、一人黒染めを注文しているはるらっしゅです。

今まで様々な髪色に挑戦してきたはるらっしゅ。
30歳を目前にして、やっと悟りました。
そう、当たり前ですが、結局地毛が一番美しい。

よくよく考えたら、40歳を超えたらいずれ白髪が生えるようになって、嫌でもカラーリングをしなきゃなりません。
そう考えると、地毛で生きていける期間も残り僅かだと思い立ち、この度黒染めすることを決意いたしました。
30代は黒髪で過ごし、その分ヘアケアに力を入れようと決意している、今日この頃です。


さて、最近は著名人の悲しい自死のニュースや、悲しい事件のニュースが増え、なんとなく気持ちが塞ぎがちです。
きっとそんな気持ちは私だけじゃないはず。

 

よって、今日は少し真面目な回。
希死念慮》をテーマに据え、私なりにしっかり向き合って、語ってみたいと思います。
この記事が、お読みいただく皆様にとって命について考える良いきっかけになりますように。

100万回死んだねこ

希死念慮は誰にでもある。
私もあなたも、煌びやかなハリウッドスターもその辺のお寺の住職さんも、歴代のローマ法王だって、人である以上、ある日突然「死にたい」と思う事はきっとある。
でもそれは、本当は死にたいんじゃなくて、ただ楽になりたいだけなのかも。

このテーマを選んだきっかけ

芸能人の自殺のニュースが報じられるたびに、【いのちの電話】や【こころの健康相談統一ダイヤル】の案内がアナウンサーによって読み上げられ、「悩みを一人で抱えるな」と繰り返し報じる。
コメンテーター達は「後追いを防がねばならない」と口をそろえてコメントし、警鐘を鳴らす。

そんなニュースを見る度に、私は疑問に思う。
自分の人生は他人の意見に委ねず、自分の思うままに生きろと推奨し、あなたの人生はあなたのものと謳う世の中なのに、どうして自死を選んではならないの?

最近、朝っぱらからそんなニュースが流れ続けている。
ネットニュースのコメントランキング上位はそんな話題で持ち切りで、各々が各々の思想を語っている。

そりゃそうだ。
だってこんなこと、なかなか口に出して話せない。
希死念慮は、個人の思想が色濃く反映されるセンシティブな内容だ。
でも誰もが一度は考える事だからこそ、避けてはいけない話題だとも思う。
だから私もこの流れに乗っかって、自分の考えを書くことに決めた。

どうして自死はいけないの?

「心の病を抱えていたのでしょうか?」
著名人の突然の自死が報じられるたびに話題に挙がるテーマだ。
本当は皆、理由など分かっている。
分かっているけど、肯定したくないだけだ。

人の命は儚く脆い。
ピーターパンに誘われたウェンディのように、今の辛く憂鬱な気持ちから、ほんの少しの間だけ解放されたいだけ。
突発的な自死の理由は、そんな単純なものだったりすると思う。

だから、突然の訃報がニュースになると世間で驚きの声が続々と挙がるけど、多分一番驚き悲しんでいるのは、亡くなった本人かもしれない。

 

この記事をタグで見つけ出した人はきっと、今少し疲れている人だと思う。
楽な気持ちになりたくて、色々なサイトの記事を読んで、それでも納得出来ずに此処までたどり着いた人もいると思う。
だから私は、このテーマについてしっかり向き合った上で、今死にたいと苦しんでいる人にこう伝えたい。

とても生きづらい世の中だと思うのです。
他人は簡単に「人に相談しろ」なんて言うけど、そんなの無理。
あなたはたくさん悩み抜いて、そして死にたいという結論に至ったというのに、世間はそれを否定する意見ばかり。
そんなの、自分の意見を否定されたようで、見ていて辛いはず。

自殺志願者を止めようとして「生きなきゃいけない」と声高らかに主張する人がいるけど、それはただの呪縛であり、あなたを救える言葉じゃないと、私は分かっています。
「生きていなきゃいけない」と言い張る人は、自分が一生懸命に生きていることに価値があると思いたいから、他人もそうだと思い込みたいだけです。
自分の抱いている脆い価値観を守るために、あなたにその価値観を圧しつけているだけです。
命というものは、壊すのは簡単だけど、一度壊したら元には戻らない。
二人称の死は人の心を殺すが故、そして自分が他人の死によって傷つきたくないが故に、自殺をしてほしくないと騒ぎ立てているだけです。

死にたいと思う気持ちは、別に特別な事でも、悪い事でもない。
心を消耗してしまう程にあなたが頑張っただけ、それはとても立派な事です。
だから、そんな弱くて儚い自分を責めるのではなく、認めて労って良いと私は思うのです。

あなたは死にたいの?
本当は死にたいのではなく、ただ楽になりたいだけじゃないの?
もしそうなら、休むという方法で楽になりましょう。
だって死んでしまったら、味や快楽は勿論、幸せと感じる美しい感情すら、きっと無くなってしまうのだから。

こんな事を偉そうに語っていますが、私だったら自死を選ぶか?と聞かれたら、答えはNOです。
私はしょっちゅう死にたくなるけど、きっと絶対に、どんな状況下に置かれても自死は選びません。
だって、嫌でもいつか私は死ぬから。
それなら、死ぬのは別に今じゃなくてもいい。
そのうち切望しても生きられなくなるのであれば、今は一生懸命足掻いてみようと思うのです。

高層ビルから飛び降りたり、首をくくったり、毒を飲んだり。
死ぬための、その凄まじい度胸を幸せに生きるために使ってみても損はないはず。多分。

あとがき

不幸は【寒い・ひもじい・もう死にたい】の順番でやってきます。
温かい湯舟に浸かって、無理にでもご飯をたくさん食べて、それから好きなアニメや漫画を観て。
そして睡眠薬を1粒飲んで、さっさと寝落ちしてしまいましょう。

ちなみに私はしんどい時、【100万回死んだねこ】という本を読んで、毎回ばかうけしてます。

amzn.to

大丈夫。
寝てしまえばきっと、明日には少しだけ心が楽になっているかも。
辛い状況だって、少しだけ良くなってるかも。
死にたいという気持ちはPCのフリーズと一緒。
不調なら、寝て再起動してしまえばいい。
人の心なんて、意外と単純なんだから。

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幸福へ向かう選択《挑戦と勇気のお話》

こんにちは。

今勤めている会社の規定が変わって副業が解禁になりました。

春の陽気に誘われて、この度色々な副業に誘われているはるらっしゅです。

 

新しい事に挑戦するのは楽しいですが、どの副業も本業との兼ね合いで、どう調整しても7連勤状態。

春の陽気に誘われてと言うより、死神の妖気に惑わされて、が正解な気がします。

このままじゃ私、絶対に過労で死にます。

そもそも自分の時間が取れないのは嫌だし、何よりこのブログを書く時間が無くなるのが我慢なりません。(なんで副業しようと思った。)

 

ということで、無理なく続けられるものを見極めようと思っています。

断わる勇気も大事よね。

 

今回のテーマは【挑戦と勇気】です。

私の挑戦、私の身近な人の挑戦をざれ言チックに語ってみたいと思います。

 

 

美しさを金で買う美学

ある休日の昼下がり。

友人A子とカフェで待ち合わせをしている私は、コーヒーのおかわりを少し苛立ちながら注文し、入り口のドアを見つめていた。

苛立つ原因は、A子の遅刻だ。

A子の予定が後ろ倒しになっているせいで、当初の待ち合わせ時間から既に40分が経過していたのだ。

「さすがに遅すぎる」とLINEを開こうとした時、「ごめん!」と聞きなれた声がして顔をあげた。

すると、目の前には知らない綺麗な女性。

目が点になる私と、首を傾げる目の前の美人。

少しの沈黙が流れた後、「待たせてごめんね、はるらっしゅ」と目の前の美人が口を開き、同時にこぼれ落ちるくらいに目を見開く私。

「・・え!?」あまりのことに怒りを忘れ、ただ食い入るようにA子を見つめた。

 

A子は先月に整形したことや術後の辛さ、今日もクリニックの予後診察に行って経過が順調だったこと(混んでて遅れたらしい)等を語りながら、「最近やっと痛みが落ち着いたの」と笑い、アイスコーヒーに刺さったストローをくるくると回した。

施術箇所は目と鼻と顎。パグ系だった顔は、今では宮脇咲良似の超絶綺麗系だ。

人はここまで変わるものかと、黙って見つめる私に「ケーキ食べたくない?」とコロコロと笑いながら言うA子。

心ここに在らず状態な私は「うん」と間の抜けた返事をし、A子が差し出したメニューに目を向けた。

 

半年前に最後に会ったA子は、自分に自信のない、ごく普通の女の子だった。

大学時代は同じ学部に通っていたが、男性が苦手でいつも伏目がち、人の後ろに隠れるタイプの控えめで優しい女の子だった。

それが今では堂々としている。多分、私より。

整形は日本では未だに悪とされているけど、彼女を見ていると思う。

皆美しくなりたくて化粧品を買う。美しくなりたくて、歯科矯正をする。

美しくなりたくて美容室に行くし、ネイルアートだって、服やピアスだって買う。

私達の永遠のヒーロー【アンパンマン】ですら、顔が汚れたら挿げ替える。

 

お金で美しさを買って何が悪い。

男性の店員さんの目をしっかり見て、追加でケーキを注文しているA子を見つめながら、そんな事を考えた午後2時半過ぎのお話。

 

ライバーデビューのはるらっしゅ

ある日、InstagramにあるDMが届いた。

「ライバーになりませんか?」

以前からこの手のスカウトメールはたくさん届いていたが全て削除していた。

しかし、その日の私は、仕事でかなりしんどい事があって病んでいた。

仕事から逃げ出したくて、そのための手段は何でも良くて、逃げるように返信をした。

その後、打ち合わせをしてライバーデビューに向けて話が進む中で、2つの違和感が頭の片隅にずっと居座っていた。

 

1つ目の違和感は、稼ぎ方だ。

ライバーという仕事は、フォロワーにいかに有料アイテムを投げてもらえるか(これを投げ銭と言う)で稼ぎが決まる。

なので、画面の中のライバー達は一日に何時間も動画配信をしながら、ただひたすらに「アイテム投げて!」「ありがとう!」「ナイス~!」を繰り返す、本当に不毛な会話を永遠と続けている。

 

これを観た時、私は思った。「これは、ネット乞食だ」と。

画面の向こう側にいる大勢の人々を目の前にして籠を持ち、「アイテム(お金)をください」と大声で騒ぎ立ててるようにしか、私には見えなかった。

 

確かにライバーは見た目が可愛かったり、色気があったりする人が多い。

彼女たちの姿は見るだけでも有料、お金をかけてもらって当然という考え方もある。

確かにそうだ。だって、やってることはキャバクラとほぼ同じだし、フォロワーという名のお客様たちは、ライバーの可愛い笑顔を見て癒されるために配信枠に来ているのだから。

それでも私は、画面の向こう側の人たちが、ただ私に「ありがとう」と言ってもらうためだけに、1つ50万円もするアイテムを投げ込む世界が、無性に気持ち悪く感じた。

※これがライバーという職業の稼ぎ方なので、これが悪ということではありません。私がこの職業に向いていなかったというだけの話なので、ライバー全てを否定するつもりは毛頭ございません。

 

違和感の2つ目は、労働時間だ。

ライブ配信アプリは、集客のために長時間のライブ配信を推奨している。

しかも配信は毎日することが基本で、一日休むだけでランクが下がり、時給が減る。

そのために週に2枚の「おやすみチケット(通称おやチケ/これを使うと1日お休みしてもランクが下がらない)」が配布されるが、とはいえ、週2日しか休めない。

もはや働き方が、有給が取れないブラック企業に勤める、週5勤務のサラリーマンと同じ。

私の場合は、平日5日間は本業をしながらのライブ配信なので、タイムスケジュールはこんな感じ。

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《平日》9-18時ː本業 20-24時ːライブ配信

《休日》①11-14時②18-21時③23時-翌1時ːライブ配信 

※実際に事務所から提示された配信時間

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これは一体、どこでご飯を食べて、どこでお風呂に入るの…?(さすがに死ぬ)

ということで、これでは仕事に忙殺されて、Instagramスナックおはるも、ささいな知性も全て出来なくなる。

私の大好きな本すら、読めなくなる。

全細胞が「そんなの嫌だ!」と大絶叫しました。

どうしたら良いのか分からず若干鬱になり、そんなこんなで体調が崩れ、周りからは「まじでお前には向いてないから、いい加減諦めろ。辞めとけ。」と説得される始末。

 

巷では「すきま時間で稼げる!」と副業として宣伝されているライバーだが、こんなに自分の時間を犠牲にしていれば、そりゃ稼げるわな。

事務所と会社の人事が話し合いをしながら副業に関して諸々を調整していたというのに、結局はお断りの運びとなり、はるらっしゅの短いライバー生活は幕を閉じたのでした。(まだ始まってもないし、周りにめっちゃ迷惑かけた。)

 

挑戦する勇気と辞める勇気

何事もバランスが大事だと思うのです。

それは物事に挑戦する時も然り。

 

以前に書いた《焦りのお話》にも重なりますが、

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思います。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

人という生き物は、知能があるが故にとても難しい生き物で、常に何かしらの目標やある種の理想を追いかけないと堕落するし、一方で頑張りすぎると崩れる。

充実しているというのは、挑戦と辞めるをバランス良く維持出来ている状態を指すのです。

 

私は仕事が辛いと相談してくる会社の後輩に、必ずこの話をします。

私達が入ったこの会社では、新卒時代に果敢にチャレンジすることは教えてくれるけど、辞める勇気は教えてくれない。

でも優秀で良い人ほど、何の未練もなく、うちを辞めていくでしょう?

それは、自分にとってしたい事、したくない事を上手に整理してバランスを維持しているからだし、そういう選択が、充実した人生に導いてくれると知っているから。

私がこの会社で働いているのは、この会社の今の職種に勤めていることで、人に影響を与えられる社会的ステータスと、好きな事が出来る自由な時間を与えてくれるため。

愛社精神なんて、微塵もないのよ。

この会社が自分にとって何も利益を与えてくれないのなら、さっさと辞めなさい。

 

大抵は引き留めて欲しくて相談してくる後輩たちです。

「さっさと辞めろ」と言われて皆目が点になりますし、多分会社の人事が聞いたら、「いや引き留めろよ」と怒りそう内容ですが、結局はこういうことなのです。

 

自分を幸せにできる人間ほど、挑戦と辞め時がよく分かっている。

そして、挑戦すべき困難と、避けるべき困難も分かっている。

 

私がライバーになっていたら、今頃トップライバーになってCMに出ていたかもしれない。

ええ、私もそう思います。(どや)

周りからは「勿体なかったかもね」と言われましたが、私はこれで良いのです。

私自身が「これで良かった」と躊躇いなく言えれば、それがきっと幸福へ向かう選択なのです。

 

私にとって大事なのは、トップライバーになって年収何千万の世界に行くことじゃない。

自分の好きな物書きを存分に出来る、生活的余裕を確保すること。

そして、物書きでささいなランチ代を稼げるようになること。

ただ、それだけなのです。

 

人は一日に約35,000回の選択をしています。

私の今回の選択が、どうか私の幸せに繋がっていきますように。

この記事を読んでくださった皆様が、自分が幸せになるための選択をして、充実した一日、ひいては充実した人生を歩めますように。

そして、整形という選択で強くなった私の友人のA子が、より良い幸せな人生を歩めますように。

温かいコーヒーを啜りながらこの記事を書き、そしてそんな事を願う、今日この頃です。

 

《追伸》

短いライバー生活でしたが(デビューすらしてない)、プロフィールはがっつり作りこみました。

職場の先輩に見せたところ「盛りすぎwwww」とばかウケだったプロフィール写真を皆様にもおすそ分け。

最近の加工アプリって、すごいよね。

本物との差異は、ぜひInstagramでご確認ください。

※結局、この写真は【ささいな知性】のスタエフのアカウント写真になりました。

 

 

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俊夫君と仲良くなれない《トラウマのお話》

こんにちは。

会社から健康診断のお知らせが届いて、ダイエットを始めたはるらっしゅです。

先日オフィスで先輩に「あれ、はるらっしゅ・・(目線が私の下っ腹)」と暗に太ったとディスられたので、手に持っていたチョコドーナツをゴミ箱に投げ入れ、その瞬間からダイエットを始めることにしました。

何を隠そう私、禁煙してからトータル7㎏太っており、痩せてた頃のタイトスカートを履くとパンツラインが浮き出る始末。

とりあえず、一食あたりの米を2合から1合に減らそうと思います。

嘘です。夜はサラダだけにして、毎晩走ります。

 

さて、今回のテーマは【トラウマ】です。

人間生きていれば、誰しもトラウマがありますが、その程度とジャンルは様々です。

しかも皮肉なことに、トラウマは酷ければ酷いほど(人の死が関わる等のナーバスな内容は除く)、うまい酒の肴になるものです。

今回は私のトラウマをざれごとチックに語りながら、その克服法について考えてみたいと思います。

ちょっと長めですが、どうぞお付き合いいただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅトラウマ傑作選

1,深夜に徘徊する巨大蜘蛛

ハリーポッターロン・ウィーズリーくんが苦手で有名な蜘蛛ですが、例外なく私も苦手です。

足が8本ってどういうことなのでしょうか?

私達の手足のように「右足だけ動かしたい」とか「前から2本目だけ動かしたい」とか、そういう自在な動きが取れるのでしょうか?

ぜひとも、どなたか蜘蛛にインタビューして記事をアップしていただきたい。

 

という余談はさておき、私は蜘蛛が苦手です。

先日私の家に蜘蛛が出た時は、買い置きしていた新品のアースジェット(ゴキブリ用)を丸々一本使い切り、あまりの煙たさにベランダ側の窓を開けて換気をしたら、今度は花粉が入り込んできて、いよいよ死にそうになりました。

これぞまさに、踏んだり蹴ったり。

 

蜘蛛が苦手になったきっかけは実家に住んでいた頃に遡ります。

とある深夜。寝ついて暫く経過した暗闇の中で、悲劇は起こりました。

手元に違和感を感じて目が覚めました。

しかし寝ぼけ眼で視界が上手く開けていない私。

枕元にあったスマホの懐中電灯で、違和感を感じた左手に光を当てました。

すると、そこには真っ黒な、見たこともない大きさの蜘蛛が左手の甲を這っていたのです。

あまりのことに声も出ず、何を思ったかスマホを使い、全力で蜘蛛を払いのけるはるらっしゅ。

そして次の瞬間に思いました。「ここで払いのけてもベッドの中に入っちゃうじゃん!!!!」

そこからの私は凄かった。30秒前までよだれを垂らして寝ていたとは思えない俊敏さで、部屋の明かりを付け、布団やら何やらを引き剝がしていきます。

直径8㎝はある蜘蛛でした。絶対に見逃すはずがありません。

それでも蜘蛛は、どこにもいないのです。

あまりの騒ぎっぷりに隣の部屋で寝ていた妹も「お姉ちゃんうるさいって~」と起きてきました。

しかし事情を説明すると、妹の顔は真っ青になり(私より虫が苦手)、「ちょ、、パパ起こしてくる」と駆け出す始末。

結局、家族総出で巨大蜘蛛を探しましたが、その行方は分からず。

後日、都市伝説か何かで「人間が寝ている時、無意識で食べているクモの数は一生涯で約8匹です。」という話を聞いて以来、私は一切の蜘蛛を受け入れることが出来なくなりました。

あの蜘蛛、もしかしたら今は私の血肉になっているのかも・・

 

2,呪怨に出てくる俊夫くん

ホラー小説を一冊読み切っただけの甘ちゃんが、調子をこいてホラー映画を観るから、こういう事になるのです。(猛省)

中学2年生になった春、淡い恋心を寄せていた男の子がホラー小説を読んでいたことが事の始まりでした。

なんとか仲良くなれないかと「その本、どんな話?」と勇気を出して声をかけ、その本を借りることになりました。

我慢できる程度のホラー小説だったので何とか読み切り「面白かった!(嘘)」と返すと、「呪怨って知ってる?俺この間観たんだけど、すごく怖かったんだ!はるらっしゅちゃんもきっと気に入るよ!」とのこと。

 

何でか私は、彼の中でホラー好きの女子になっていたようで、目が点になる私。

しかし、当時は「私ホラー好きじゃないけど」と言って、その誤解を解く勇気はありませんでした。

そして何より、そんなことを好きな人から言われたら、怖いなどと言っている場合ではございません。更に共通の話題を作るべく、腹を括って観るしかないのです。

そんなの、ネットのレビューでも見て、適当に話を合わせておけばいいのに。

当時の私が健気すぎて泣けてくる。

その週末、家族が寝付いた深夜のリビング。

私は、TSUTAYAで借りた呪怨のDVDをセットし、震える手で再生ボタンを押しました。

 

人は恐怖のキャパを超えると、身動きはおろか、目をそらすことも出来なくなるようです。

そもそも、呪怨というタイトルから察すれば良かった。

「やばい、これ観ちゃダメなタイプのやつ。」とオープニングで察した私。

結局、上映時間中はずっと愛犬を抱きかかえておりました。

あまりの恐怖に思考が停止し、途中から記憶がございません。

抱きかかえたままの愛犬は、始めのうちは「離してぇ」と身悶えしていましたが、いよいよ離してくれないと分かるとグッタリとして、最終的には寝落ちしていました。

些細な音でビクつく私は、自分が出す音にすらビビっているので愛犬を離すことも立ち上がることも出来なくなり、トイレにも行けず、そのままリビングで夜を明かすことになるのです。

 

その後、恐怖心と共に彼への恋心も失ったはるらっしゅ。

あれから約15年が経過した今でも、お化けに関連するもの全てを受け付けません。

巷で話題のストレンジャーシングスやウォーキングデッドはおろか、高校の文化祭のお化け屋敷すら無理な、超絶チキン女子に成り下がってしまったのです。

 

トラウマの克服方法

色々なサイトを漁ってみましたが、克服方法の最終着地点は【プロに相談すること】でした。

しかし、大抵の人が「カウンセリングまではちょっと…」と尻込みしてしまうと思います。

私だってそうです。

私のこのトラウマをカウンセラーにどう話せというのか。

「中学時代に好きだった子に薦められたホラー映画を観て以来、お化けが怖いです。」

だめだ、間抜けすぎる。

という訳で、自己セルフトラウマ克服法を私なりに考えてみました。

1,認める

トラウマは「よし!今から克服しよう!」と思ってすぐ出来るものではありません。

そんなことが出来れば、そもそもこのテーマが成立しないし、これを書いている一時間の努力が水の泡になります。

トラウマの克服方法をGoogleで検索すると193,000件ヒットしました。

内容は違えど、それだけ多くの人が、トラウマを克服したいと考えているし、苦しんでいる。

そう考えるだけでも、ほんの少し、心が軽くなりませんか?

まずは「トラウマを抱える人は私だけではないし、トラウマを持つ自分はダメじゃない」と受け入れる覚悟を持つことが、トラウマを克服する第一歩だと思います。

2,書き出す

日記を書くことのメリットは何か。

日記を書くと文章力や語彙力、記憶力が上がる。

そして、伝える力も鍛えられる。

しかし、私の考える日記の最大のメリットはこれではありません。

日記を書くの最大のメリットは、自分の行動や思考のパターンが客観視できること。

つまり、負の感情を抱いた時、どう行動すればそれを払拭できるかを分析することが出来るようになるということです。

これはトラウマでも応用が効きます。

自身のトラウマについて細かく書き出すことで、自分の思考状態が客観的に分析できます。

以前に持病の話でも同じことを書きましたが、人は弱い故に未知の物に恐怖を感じ、受け入れることが出来ません。

しかし、その正体が分かれば、人はそれを受け入れる心の余裕が生まれます。

思い出すことすらしんどいトラウマですが、覚悟を決めて書き出してみてほしい。

案外文字にしてみると、思っているより大した内容じゃないことだってあるかもしれないから。

3,発信する

失恋は、人に話を聴いてもらうと一気に楽になります。

同じように、トラウマも人に話して消化するのが、結局のところ一番の特効薬なのかもしれません。

その方法は、私のようにブログやSNSで発信するも良し、家族や友人に話を聴いてもらうも良し。

なんでも良いと思います。

大事なことは、自分のトラウマを自分で発信して、他者から共感してもらうこと。

そして「あなたがトラウマを抱えていても大丈夫。」と他者に受け入れてもらうことではないかと思うのです。

※あくまでど素人の考えなので、どうか一個人の意見として聞き流してください。

最後に

トラウマは本当にしんどいです。

私の語ったこのくだらないトラウマですらこんなに辛いのだから、もっとちゃんとしたトラウマを抱える人は本当に酷い思いをしていると思います。

でも、トラウマを抱えるのはあなたの心が弱いせいではありません。

トラウマを抱えたことに対して恥じる心など要らないし、そのせいで自尊心を傷つけるようなことがあっては絶対にならないと思うのです。

私如きではこれを読んでくださっている方のトラウマを解消することは出来ませんが、受け入れることは出来ます。

だから、この場を借りて伝えたい。

あなたは悪くないから、無理にトラウマを克服しなくても大丈夫。

そのままのあなたを受け入れてくれる人は私をはじめ、たくさん居ます。

みんな同じ、大丈夫。

 

私は今でも疲れていたり、具合が悪い時、夢に呪怨の俊夫君が出てきて、そのたびに「また出てきたんか、久しぶりだな。」と泣きたくなります。

俊夫君と知り合って早15年が経過するのに、いまだに全く仲良くなれないし、今後も仲良くなれる気がしないです。

どうせ出て来るなら、呪怨の俊夫君ではなくて、岡田の方の斗司夫君(ガイナックスの元社長)が出てきて、YouTubeでやってるようなジブリ解説でもしてくれれば良いのにと思う、今日この頃です。

 

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みんな誰かが羨ましい《焦りのお話》

こんにちは。

最近、花粉症に悩まされているはるらっしゅです。

薬は飲みましたが全く効かず、薬剤師が間違えて小麦粉を調剤したのではないかと戸惑いが隠せません。

今年の花粉は鼻水はあまり出ませんが、目がとにかくかゆくなります。

一旦目玉を取り出して、水道水で洗いたいです。(絶対にマネしないでね。)

目が真っ赤なので、どんなカラコンを入れても全く可愛くなりませんし、この状態で真顔でいると泣いたと勘違いされ、周囲から「何かあったか」と心配されます。

今日は「元気出せよ」と缶コーヒーをもらいました。CMのようなシチュエーションで目が点の私。

5月に入れば少しずつ落ち着くので、今は騙し騙し耐えようと思います。

 

さて、最近周りでは花粉症で死にかけている人だけでなく、転職する人が急激に増えました。そんな人達が慌ただしく退職準備をしているのをぼーっと眺めながら、この記事を書きます。

今回のテーマは【焦り】です。誰かの成功を耳にした時は、誰だって理由の分からない焦りや不安を抱えて胸がモヤモヤします。そんな時にこの記事を読んで、少しでも気持ちを落ち着かせるお手伝いが出来れば幸いです。

 

 

【人間】という言葉の意味

私達は 「人間 (にんげん) 」 と 「人 (ひと) 」 を、同じ意味で捉えがちです。

人間という言葉はもともとは漢語で【じんかん】と読み、個人を指す言葉ではなく【世の中】や【人同士のコミュニティ(人間関係)】などを指す言葉でした。

 

中学時代にこの話を聞いた時、私は「人という生き物は、人と人の間でしか生きられない存在であることを如実に表す言葉だな。」とガキんちょながらに思い、「こんな事を考える自分、哲学者チック。むふふ。」と己惚れていたことを思い出します。

 

焦りでメンタルが死んだ、ここ最近の出来事

とある週の火曜日、何年も連絡を取っていない大学時代の同級生から急にLINEが届きました。

少し不審に思って返信しないでいると、次々とLINEが送られてきて、聞いてもいない近況を次々と報告してくるのです。

彼は最近結婚したことやSNSのこと、転職したこと等を次々と報告してくれました。

私の文面を見て察してくださる方もいるかと思います。そう、私はとにかくそのLINEが不快でした。文面の所々に「俺すごいでしょ?褒めてくれ、賞賛してくれ」というエゴがにじみ出ていたからです。

「なんてデリカシーのない男だ」と不快感しかなかったため、途中からは「へー」「うん」「そか」の3パターンで話を回す私。

Googleで「LINE 返信 脈無し」で検索すれば真っ先に出てくるような、脈無し定型文の返信でもめげない彼。そのメンタルの強靭さはすごいと思った。

結局彼の自慢話はしばらく続き、彼は話したいことを散々話した後「今度飲もうな!いつでも誘ってくれ!」と言って去っていき、私の心にはモヤモヤだけが残りました。(あんなオナニー男、絶対に誘いたくない)

 

その週の水曜日。同僚とランチに出かけた時、「私、妊娠した!」と唐突に報告を受けました。それを聞いて、私の心には一気にどす黒い感情が渦巻いて、心が苦しくなりました。あの時、私は上手に笑っておめでとうと言えたのだろうか、と今でも不安になります。

 

その週の金曜日。「俺、転職することにした!」と、またもや同僚から唐突の報告。こんなことが続くと、いよいよ笑えなくなるはるらっしゅ。自然を装うことで精一杯です。

「ヨカッタネー」とあまりの棒読みっぷりに、相手に「え、ごめん大丈夫?何か気に障った?」と心配される始末。(上手に祝えなくてごめん。)

 

こんなことが連日で続き、さすがの私も落ち込みました。皆が結婚や出産や転職でおめでたい中、私は何もおめでたくないのです。

 

私は転職をしたことがないから、新卒からずっと同じ会社に勤めてる。

転勤の可能性があるから、ずっと持ち家を買えていない。

結婚の予定がないから、出産の予定もないし、何なら今は彼氏もいない。

 

皆が着実に人生を前に進めている中、私だけ何年も同じ場所に留まっているように感じて、この恐ろしい焦りと不安にただ狼狽えることしか出来ない自分の無力さに呆れます。

 

私はこのままでいいのだろうか。

皆と同じように転職して、結婚して、出産しなければ。

わからないけど何かを初めて、成功しなければ。

何かしなきゃ。何かしなきゃ。

 

私は何のために生きているのか、私は今後どんな人生を送るのか、考えれば考えるほど分からなくて、変な焦燥感ばかりが先走って、気持ちが空回り、自分が嫌いになっていたのが、直近一週間の出来事です。

 

私は私のままで良い

「はるらっしゅって、意外と周りと同じだってことに安心するタイプよね」

会社の先輩が串カツにむしゃぶりつく私を眺めながら、ビール片手にそう言いました。

「そりゃそうですよ、だって人と違うって欠陥品に見られそうで、嫌ですもん。」

私は油でベタベタになった口を拭きながらそう答えて、そして納得しました。私の焦りは周りから欠陥品として見られたくないという気持ちから生まれていたのだと気づいたからです。

 

しかし、それは私にとって本当に良い事なのか。

周りの目を気にして、したいのかも分からない転職や結婚や出産をして、果たして私はそれで本当に幸せになれるのか。

 

帰り際、私はビールの大ジョッキ6杯を飲み切って泥酔した先輩をタクシーに押し込み、駅に向かう途中でこう考えました。

 

結局周りの目を気にして周りと同化したとして、

転職しても暫くすれば"あの人と比べて私は‥"と不満が生まれて焦るだろう。

結婚しても"子供を産まなきゃ‥"と周りからのプレッシャーで焦るだろう。

子どもを産んだとしても"うちの子は周りと比べて‥"と劣等感で焦るだろう。

 

きっとこの焦りに終わりはないのだろう。そして、この焦りは私だけでなく、周りの皆も同じように抱えて生きているのだろう、と。

もし周りも私と同じように悩んで焦っているのだとすれば、自分の事で精一杯で他人の事など見ている暇もない。だとしたら、周りの目を気にするなど、ただの杞憂ではないか。

 

学生時代の成績が伸び悩んでいた受験期、深夜2時を回っても勉強を続ける私に「本当に成長していない時って、その場に留まり続けることも出来ないものよ。早く寝なさい。」と母がホットミルクを差し入れてくれたことがあります。

当時は母が何を言っているのか分かりませんでしたが、今ならなんとなくわかる気がします。

 

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思うのです。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

それってとても凄いことだし、立派なことだと思いませんか?

 

体力は人によってそれぞれです。頑張れるタイミングで速度を上げて走って(これが周りから見た成功や成長)、疲れたら速度を落として、それでも歩き続ける。

人生はこれの繰り返しです。「同じ所に留まっているように思えても、自分の足でちゃんと歩き続けている、人生はそういうものなのだ」と、当時の母は私に伝えたかったのかなと勝手に思っています。

 

今は停滞しているように思えますが、よくよく考えてみれば私だって去年と比べて出来ることが少しずつ増えているし、SNSをはじめとする趣味が増えました。

結婚や出産もまだしていないけど、でもそれはご縁の話だから焦ったところで出来るものではありません。

仕事だって新卒からずっと同じ会社だけど、同じ会社に勤め続けるのはとても大変なことで、それが出来ないから周りは転職しているのに、私は転職しなくて済んでるなら、それはある意味ラッキーな話です。

持ち家だって、本気を出せばいつでも買えるようにお金を貯めておけば良い。転勤だって、会社の金で安く他県に住めるなら、それだって人生の肥やしになる。嫌になったらいつだって辞めて帰ってこられる。

 

結局何事も考え方次第だなと、この記事を書いてて思います。

人が人である限り、誰にでも他人を妬む心は存在しますし、誰でも他人と比べて劣等感を抱き、そして焦ります。

しかし一方で、あなたを見て羨み、妬む人も絶対にいるのです。

人は、ないものねだりな生き物です。どんなに地位や名声や富を得たって、絶対に満足はしません。理想を追求し続けても、ゴールなどありません。

それであれば、微々たる自分の日々の成長に目を向けて、それをしっかり認めてあげる生活の方が、精神的により豊かになれるのではないか。

他人の期待や目など気にせず、自分を肯定して自分のために生きていこうと思えた時に、人はきっと本当に意味で自由で幸せな人生を歩みだせるのではないか、と思うのです。

 

横断歩道で行き交う車のライトをぼんやり眺めながら、「みんな誰かが羨ましいけど、私は私のままで良いのかも。」と、酒と花粉で視界が滲む中、ぼんやりとそんな事を考えた帰り道でした。

 

結局、私のメンタルを回復させるために書いたような記事になってしまいましたが、皆様の心の陰りも一緒に照らせれば良いなと願う、今日この頃です。

 

追記

先日帰省して、「転職しようか迷う」と母に相談した際、母はこう言いました。

「先の心配をしたってどうなるか分からないじゃない。人の心配は8割が杞憂なんだから。もし本当に転勤とかになってそれが嫌なら、その時は迷わず辞めて帰ってきなさい。うちはあんた一人くらい、全然養えるわよ。」

一気に悩みが吹き飛びました。母の言葉は本当に偉大です。

 

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鉄馬と深夜の学校《遊び心のお話》

こんにちは。

最近春の訪れとともに、食欲が止まらないはるらっしゅです。

先日同僚とランチに行った際は、中華料理を食べ過ぎて胃が痙攣し、午後は便器を抱えて泣く始末で、仕事になりませんでした。

これだけ読むと過食症かと思われそうですが、そうではございません。

ただ食べることが好きすぎて、いつも調子に乗ってしまうだけです。

私が大食らいだということは、職場では周知の事実ではございますが、だいぶ上記で恥を晒しましたので、これからは腹八文目を目安に自重しようと思います。

 

さて、私は食べることが大好きです。特にゲテモノを震えながら食べるのが好きです。

遊ぶことも大好きです。元来好奇心が旺盛なので、遊ぶ時は膝を擦りむくくらい全力で遊び、周りの子どもがたじろぎます。

年齢を重ねると保守的になるというのが世の通説ですが、どうやら私は通説と逆行した人間のようです。

 

本日のテーマは【遊び心】です。最近少しまじめな話題が多かったので、今回は番外編として、とことんふざけて遊び書きをしたいと思います。ぜひ笑ってご覧ください。

 

 

遊び心に従った結果の過去最大のやらかし談

好奇心は猫を殺すと言いますが、猫系女子も例外ではないようです。

私の過去最大のやらかし。それは何を隠そう、遊び心で忍び込んだ学校で守衛と警察に捕まったことです。

 

大学生の頃の出来事です。夏休みに入り、同級生が地元に帰省してくるタイミングで、仲の良い幼馴染の数名で酒を飲みました。

近所の居酒屋で酒を飲み、良い具合に出来上がったところで誰かがこう言いました。「学校に寄って帰ろうよ」

全ての悲劇はここから始まりました。

そもそも酒に慣れていない大学生が酒を飲むと、大抵が何かしらをやらかしますが、今回の場合、集まったメンバーも悪かった。

なんてったって小学生時代からの悪友です。顔を合わせただけで心が童心に返るというのに、そこに酒まで入ったのですから、頭からは常識や理性だけでなく、法律までぶっ飛びました。(当時を振り返る遠い目)

 

夜の学校というものは、独特な雰囲気を醸し出します。子どもの声があちこちで響き渡る日中の雰囲気とは違い、夜は全てが息を潜めているような不気味さを感じます。

私達が忍び込んだ母校に宿直の守衛がいるのは、皆知っていました。

しかし当時は夏。しかもまだ学校にはエアコンが完備されていない時代です。1階にある守衛室の窓も例外なく開いておりました。

私達は窓の下に隠れるように張り付き、守衛が部屋からいなくなるのを缶ビール片手に待ちました。そして、守衛が部屋を出た隙に、FBI顔負けの俊敏さで校内へ忍び込んだのです。

学校に忍び込んだ私達は保健室や理科室、教室やトイレをひそひそと声を殺しながら、まるでお化け屋敷の中を進むように探索を続けます。

当時とても大きく見えた教室の机は、今や私の膝の位置にあって、当時のなつかしさと時の流れを感じて目頭が熱くなる、泣き上戸な私達。

 

しかし、そんな平和な話はここで終わりです。

悲劇は図工室で起こりました。図工室で乾かしている子供たちの作品を眺めている時、こつ・・こつ・・と足音が聞こえてきたのです。

お化けにビビる歳ではございません。「守衛が来た」と瞬時に察した私達は、顔を見合わせたと同時に、猫のような速さと身のこなしで各々に隠れました。その時です。

 

カラーンッ!

 

誰かが缶ビールの空缶を落としました。

その音は闇に大きく反響し、私達の顔からは一気に血の気が引きました。

「誰だ!」守衛が大きく声をあげました。

 

その後、見事守衛に捕まった私達は問答無用で警察に通報され、学校には2台のパトカーがランプを点灯させて駐車する異例の事態。

そして守衛と警察にしこたま叱られた後、両親まで呼び出されるまさかの展開。

(夜中に呼び出されたというのに校長先生は爆笑していて、器の大きさを思い知った。先生って偉大。)

最終的には母親に「警察の世話になるなど、一家の恥だ」と号泣され、私も泣き出す始末。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った真夏の夜でした。(いや当たり前だよね。)

 

遊び心に従った結果の直近のやらかし談

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓ったはずでした、先週までは。

何を思ったのか深夜の学校にまた忍び込んだのが直近のやらかし談です。(2度目。)

しかし前回の学びをしっかり活かし、今回は警察を呼ばれないように校舎の中には入らず、校庭までで留まりました。そういうことじゃないだろうと言ったそこのあなた、お静かに。

 

教師の友人と夕食を食べた帰り道に「私の勤めてる学校この辺だよ~」と教えてくれたのが事のきっかけでした。

「え、見てみたい」「え?」「A子が勤めてる学校、見てみたい!」「いいけど、中は入れないから外だけね?」「うん!」

そんなこんなで私は、警察を呼ばれた大学生以来、約10年ぶりに夜の学校へ再び足を踏み入れたのでした。

 

今回は勤務している教師が隣におりますので、安心感が違います。近所で買ったスタバのコーヒーを片手に校庭をぐるぐると徘徊。うんていや鉄棒(前転をして脳震盪を起こしかける)、ブランコに乗りご機嫌の私。

 

しかし、悲劇は再び起こるのです。学ばない阿呆。

 

悲劇の現場は、鉄馬置き場でした。帰りがけテンションMAXの私は鉄馬を発見。

私は小学生時代、おそらく学校一鉄馬が得意でした。1メートル以上の高さの鉄馬すら悠々と乗りこなす私の異名は【鉄馬のおはる】。(嘘です)

 

異名の話は嘘ですが、鉄馬が得意だったのは事実です。

あまりのなつかしさに飛びついたのが、運の尽きでした。

小学生時代の私と今の決定的な違い。それは体格や体重もそうですが、何よりそう、ハイヒール。

ハイヒールを履いて鉄馬を乗るとどうなるか。結論申し上げると、転びます。

案の定転倒した私は30秒ほど痛みでうずくまり、その後テンションがだだ下がって大人しく帰宅しました。

子どもは転んでもすぐ立ち上がって動けるけど、大人はそうはいかないのよ。まじで痛すぎた。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った春の夜でした。

 

遊び心は人を綺麗にする

「前回会った時よりも綺麗になったね」

これが、私が異性に言われて最も嬉しい言葉です。

 

私がある程度容姿に恵まれていることは、以前から知っていました。

こう言ってしまうとナルシストと毛嫌いされそうですが、私は幼少期から自分の顔の造形に不満を持ったことがなかったし、自分で言うのもあれですが、異性にモテました。(中途半端にモテるから、まだこの歳で結婚していないという悲しい現実。)

こんな調子なので、「可愛いね」「綺麗だね」「モテるでしょ?」という、この定番の誉め言葉は、私にとっては「こんにちは」と同義でした。

そして、そんな私が言われて唯一嬉しい言葉が「前回会った時より綺麗になった」という、私の日々の努力が実を結んでいると実感できるこの言葉でした。

 

日々綺麗でい続ける、もっと綺麗になるには何が必要がいつも考えています。

高い化粧品や服か、日々の生活習慣か。行きついた答えはそうではありませんでした。

綺麗でいるのに最も必要なこと、私の達した結論は【遊び心】でした。

 

いつもワクワクしてご機嫌でいること。

遊び心を持って新しい物事に挑戦してみること。

そういう人が結局はいつまでも美しいような気がします。

 

世間でアンチエイジングという概念が流行りだして久しく、ドラッグストアへ行けばその言葉があちこちのポップで目に入ります。

若さは美しい。これが、世間の共通認識です。

確かに若さは美しいです。しかし、ここで指す若さというのは、見た目の話だけではなくて精神的な事ではないかと私は思っています。

 

人は内面が大事だとよく言いますが、私は人は外見が全てだと思っています。

よく恋愛などにおいても「内面を評価してほしい」などと言う人を時たま見かけますが、私は理解が出来ません。

なぜなら、人の内面は外見に顕著に表れるからです。

例えば、すぼらな人間がスーツを着こなせるかと聞かれれば、それはほぼ不可能です。ネクタイの結び目やシャツのシワ、靴下、ハンカチなどにそのずぼらさが反映されるからです。

また、人に優しいことを長所としてアピールする人も多いですが、他者への思いやりや配慮をはじめとする優しさは、人間としての当たり前の最低限の礼儀であり、誇ることではないと思います。(性格が悪くてすみません。)

 

こういう持論を持っているからこそ、心の若さ(遊び心)は、絶対に美しさとなって外見に現れると私は信じていますし、若々しい遊び心は人を綺麗にすると思っています。

 

深夜の学校はもうこりごりですが、私は常に心躍る事に挑戦し続けたいと思います。

そして、何歳になっても遊び心は絶対に無くさず、ずっと綺麗でい続けたいと願う、今日この頃です。

 

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友人が少なくて何が悪い《大人の交友関係のお話》

こんにちは。

先日から化粧水をSKⅡに変えたはるらっしゅです。

使用開始2日目ですが、肌の張りが変わった気がします。(絶対気のせい。)

【病は気から】とよく言いますが、私は【美容も気から】だと思っています。

BTSのジン(グループ最年長のイケメン)は、毎朝起きて鏡を見るたびに頭を抱えて「ああ、ジン・・。そんなにカッコよくてどうするんだ」と口に出して自分に語りかけるそうです。(すごくない?笑)

私もこれに習って「私は可愛い」と毎朝鏡に向かって言いながら、コツコツとSKⅡを塗り込んで様子を見てみたいと思います。(一人暮らしだから出来るワザよね、傍から見たらただのやばいナルシストよ。)

 

さて先日、人生で初めて韓国人の知り合いが出来ました。

そもそも外人さんの知り合いが出来ること自体初めてなので、あんなことやこんなことがしたいという脳内妄想が止まりません。

そもそも私は幼少期から人見知りが激しいので、友人は非常に少ないです。

どのくらい少ないかというと、友人が少なすぎて結婚披露宴は絶対にしたくないくらいです。

学生時代は人並みに友人がいましたが、社会人になってからは、一気に友人と呼べる人の数が減りました。しかし、その分本当に仲の良い親友とだけ付き合うようになったので、私の交友関係は典型的な【深く狭く】に変化したようです。

 

社会人になると出会いの数も減りますし、新しい友人を作る機会も減ります。しかも昨今は新型コロナウイルス感染症の流行で人とのコミュニケーションの取り方にも変化が起こっています。

 

ということで、今回は大人になってからの交友関係をテーマに語ってみたいと思います。

 

 

最近できた韓国人の知り合いが、KPOPアイドル並みにイケメンな件

フォロワーが1000人を超えてから、Instagramに毎日色々なDMが届くようになりました。

基本的に人見知りで人付き合いが嫌いな私は、DMを全てリクエスト制にしています。

私は複数の人と同時に話していると、気を使いすぎて頭痛がしてしまうのです。

ただ、放っておくとリクエストが溜まって、それはそれでストレスになるので、ある程度溜まったら削除するという作業を1週間に1回程度で行っています。

 

先日も同じようにポイポイとメッセージを削除していた時のお話です。

1つだけ気になるDMを見つけました。

韓国人から届いたDMなのですが、内容が翻訳を使っていない、でも少し不自然に堅い日本語で「お話してみたいです」と書かれていました。

その拙く礼儀正しい文章に惹きこまれた私は、普段では絶対にありえないことに「こんにちは」と返信したのです。

・・と言うのは綺麗事です。

もちろん文章にも惹かれましたが、何を隠そう、顔が爆イケだったのです。

余りにカッコよくて、どこぞの芸能人だと検索をかけたくらい。(一般人でした。)

入りはゲスでしたが、それからすっかり意気投合した私達は互いに語学を教え合う仲になっただけでは飽き足らず、お相手が来月に来日予定とのことで、会う約束まで取り付けました。

 

普段の私だったら絶対にありえない、ちょっとした気まぐれな行動が、こんな交友関係をうむとは想像もせず、私自身も目を白黒しています。

 

あんなイケメンと会うの、一体何を着ていったらいいんだろうかと慌てふためいて親友の一人に相談したところ「なんであんたって、いつもそう突拍子もないのw」とばかウケでした。(本人は笑っている場合じゃないんだけど)

 

100人の友人より1人の親友の方が価値がある

大人になってから、子どもの頃より友人を作るという行為が難しくなりました。

大人になると、家庭を持ったり仕事などで私生活が忙しくなることは勿論ですが、学生時代よりも人間関係を育む場面や環境が減るのが決定的な要因だと思います。

それに、子どもの頃のように声に出して「友達になろう」と言う機会もほぼないですしね。

 

私は、毎週違う人とつるんではしばらく会わなくなるような、適当な付き合いをして、それを「友人」と称するような人間を信用しません。

交友関係が広くて良いことだという意見はごもっともですが、少なくともそういう人は、私は友人と認知しないです。

大人になってからの友人というのは、片手で数えてせいぜいくらいの人数が一般的です。

毎週違う人々と会って、それをSNSに投稿して「私は友人が多いの、人気者なの」と言いたげな人を見ると、その人が空っぽに見えて悲しくなるし、この人が今死んだとして、一体何人が葬式で泣いてくれるんだろうかと不思議に思います。

 

世の中、「私は友人が少ない」「友人がいない」と悩む自己肯定感が低い人が多いと聞きますが、そんなのは大人になれば当たり前のことです。

あなたに欠陥があるのではないし、あなたが嫌われているからでもない。

何も悩む必要などないのです。

私も友人(親友)は4人しかいないですから。残りは全て、ただの顔見知りです。

 

このご時世、SNSのフォロワー数と友人の数がその人の戦闘力を示す風潮がありますが、こんなものは人と比べるものではありません。

 

たくさんの友人を作った場合の最大の利点は「自己肯定感をあげられること」だと思いますが、よく考えてみてください。

私もこの文章を書く上で色々考えてみましたが、人付き合いが増えると「摩擦やトラブルの増加」「対立」「ストレスが増える」など、むしろ自己肯定感が下がることばかりが発生します。

 

友人など少なくていいのです。本当に大事なのは、その少ない友人の中から【親友】を作ることです。

親友の定義とは様々ですが、私にとっての親友は家族と同じ立ち位置です。

私の幸せを嫉妬せず純粋に喜んでくれる人、私と同じ方向を向いて一緒に歩いてくれる人、絶対的な信頼関係の基で私の自己肯定感を底上げしてくれる、宝物のような人を指します。

こんな人、たくさん出来るわけないです。

そんな関係を築くのに、莫大な時間と努力をかけなければならないのですから、量産できるはずがありません。

だから、100人の気軽にできる友人より、1人の親友を作る方がずっと大変で価値があり、大事なのです。

 

私も皆様も、もはや誰かも分からないような、学生時代の知り合いの結婚式に出席したり、意図が分からない会社の飲み会に出席したり、俗に言う「無駄なつきあい」と呼ばれるもの全て断わって、自分にとって最も有意義な人との関係を育む時間を確保したいものですね。

 

最後に

友人は少なくて良いと書きましたが、新しい出会いは人を成長させます。

春は出会いと別れの季節とよく言うように、きっとこれからの時期は新しい交友関係が始まる方もたくさんいると思います。

自然と起こる出会いには恐れながらも飛び込んで、流れに身を任せてみましょう。

ただ、その新しい出会いで知り合った人と必ず友人になる必要などありません。

相性がよければ知り合いになって友人になって、そして親友になれれは万々歳。そうでない人は、さようならで終わり。

この世に絶対的な悪者はいませんので、【あなたもOK、私もOK】精神で、気楽に楽しく、素敵な人間関係をこれから出会う人々と築いていきたいと思う、今日この頃です。

 

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個性的なおっぱいの話《持病との上手な付き合い方》

こんにちは。

先日サウナに行った際、あかすりをしてもらいました。

担当してくれたお姉さまに「あなた何歳?え、28?やだ、意外と歳いってるじゃない。20歳のお嬢さんが来たかと思ったわよ。あら?でもあなた、結婚してないでしょ?少女の手だものね、乳首も綺麗だし子どもを産んでいない証拠よ」とマシンガントークを吹っ掛けられ、褒められてるのか貶されているのか分からず、ただ震えることしか出来なかった、はるらっしゅです。

両隣に人がいるんです、お姉さま。

全部周りに聞かれてて、羞恥心で昇天しそうでした。

 

私は人に胸を触らせることに人一倍の抵抗があります。

それは性別とか関係性とかは一切関係なく、他人に触られるのがとにかく嫌なのです。

理由は、持病です。持病のせいで、私の胸は人とは少し違うのです。

見た目では分かりませんが、触られると絶対に気づかれてしまいます。

 

今回は私の持病と【持病との付き合い方】についてのお話です。

 

 

はるらっしゅの持病について

私は【乳腺繊維線種】という持病を持っています。

難しい漢字を書くので、少し厄介そうな病名に見えるこの疾患を知っている人は、日本に何人いるのでしょうか。

乳腺繊維線種は、乳腺に繊維線種ができる病気です。

すなわち、おっぱいにしこりが出来るのです。

その大きさは米粒大の小さなものから、野球ボール大まで人によって様々だと言われています。

↓詳しくはこちらをご参照ください↓

www.nyugan.jp

 

私の闘病生活について

私の乳腺繊維線種は中学2年生の春に発見されました。

部活が休みだったその日、早く帰宅していた私はヤクルトを飲みながら、テレビの再放送を観ていました。

その時テレビでやっていたのが【乳がんの見つけ方】。

「腕を上げて、脇の下を圧してくださぁ~い」と女医が朗らかに解説しており、ゲストも和気藹々とした雰囲気で脇の下を圧していたので、何の気なしに一緒にやってみました。

すると、右胸に玉こんのようなしこりがあるのです。

何度試しても、しっかりと楕円形の玉こんがあるのです。

自分の置かれた状況が理解できず目が点になる、14歳のはるらっしゅ少女。

夕食の支度をしている母に「ママ、私、胸にしこりがある」と声をかけると「え~?」と母も触る。

そして、しこりを確認する。

 

ここからが凄かった。

「おっ!?」と奇声を上げた母は、どこから出したか分からぬような速さで携帯を取り出し、行きつけの産婦人科病院に電話。

 

母「胸にしこりがあるんですけど、すぐ診てほしいんです」

受付「わかりました~、予約を取りますので、お名前とご年齢を~」

母「はるらっしゅ、14歳です」

受付「えっ14歳!?」「ちょっ、お待ちくださいね!」

♪~♪~♪

院長「お電話代わりました、今すぐ来てください、今すぐです!」

母「はははは、はい!」

私「(白目)」

 

病院側は母の胸にしこりがあると勘違いしていたそうで、私の年齢を言った瞬間に対応が一気に変わりました。

理由は明白。万が一しこりががん細胞だった場合、若年であればあるほど進行が速く、一刻を争うからです。

夕食の支度をそっちのけで、母は私を病院に連れて行きました。

車で移動中、母が涙目になりながら「大丈夫!もし胸が無くなったら、絶対に再建手術してあげるからね!」と励ましてくれましたが、私にとっては全く励ましになっておりません。

胸が無くなるなんて、絶対に嫌です、再建出来ても嫌です。

ただ震えて泣いてるはるらっしゅ少女。

今思い出しても、自分が不憫過ぎて泣けてきます。

 

病院に到着してからも凄かった。外来を全て止め、私の検査が最優先。

どこぞのVIPが来たのかと、戸惑いが隠せない患者たち。

院長と他の医師、看護主任が三人がかりでエコー検査に触診、問診、検査検査の嵐です。

先生たちのあまりの権幕に、震えて泣くはるらっしゅ少女。どこまでも可哀想。

結果、確認できたしこりの大きさが直径3㎝もあったことから悪性である可能性が捨てきれず、地元で一番の大病院宛てに紹介状を書かれ、そのまま救急車で搬送。

なんということでしょう、その日から検査入院のため、私は家に帰れませんでした。

 

私も母も泣きましたが、一番ひどかったのは父でした。

母から知らせを受けた父は仕事を早退し、病院に乗り込んでまいりました。

そしてボロボロ泣きながら、私の手を握って言うのです。

「大丈夫だからな、はるらっしゅ。金の心配はするな!大丈夫だ!」

うちの両親は、どこかずれているのでしょうか。励まし方がそうじゃないのよ。

 

翌日、私は生まれて初めて麻酔を経験し、そして生研を受けました。

www2.ninjal.ac.jp

 

今でも鮮明に覚えています。

痛みが無いのに、胸から大量に血が流れ落ちる、あの不気味な感覚。

そして次の日に私は自宅に帰り、その一週間後にしこりの正体が【乳腺繊維線種】だと知るのです。

 

それから早14年。28歳の現在まで、私は半年に一回乳腺検査を行い、悪性の腫瘍が出来ていないか調べています。

 

現時点で私の胸には触って確認できるしこりが2個、米粒大のしこり(触っても分かりません)が両胸併せて約40個あります。

 

持病との付き合い方

病気を知った当初、自分が欠陥品のように感じ、傷つきました。

そして、両親から「健康体で産んであげられなくて、申し訳ない」と頭を下げられたのがとにかく辛かったのを覚えています。

 

しかし、時間をかけて少しずつ自分の持病を受け入れ、上手に付き合えるようになりました。

どうやったか。それは、勉強することでした。

自分が出来る限界まで、その持病についての知識を付けたのです。

 

人の心は弱いので、未知なものを受け入れることが出来ません。

誰だってそうなのです。

しかし、その未知なものの正体を暴いてしまえば、気休めであれ、心は少し落ち着き、それを受け入れる心のすき間が出来ます。

たしかに勉強する中で恐ろしい事や悲しい事、残酷な事なども出てきますが、未知を超える恐怖はそうありません。

 

タグ的にこの記事を読んでいる初見さんは、何かしらの持病をお持ちの方が多いのではないかと勝手に思っています。

きっとお一人でとても大きな不安と恐怖を抱えて、気休めでも安心したくて、色々なサイトを覗いてここにたどり着いている方もいるのではないでしょうか。

でも結局、自分の知識が一番安心させてくれるものです。

私の記事如きがその心の陰りを晴らすことは出来ないとは分かってはいますが、せめてこの記事を読んでいる数分間は、そういう陰りを忘れ去る手伝いができれば良いと願っています。

 

この歳になると、もう検査は怖くありませんが、マンモグラフィーは未だに慣れません。

無くなる事はない私の可愛いしこり達と、これからも上手に仲良く付き合っていきたいと思う、今日この頃です。

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