スナックおはるのざれごと

はるママが日々閃いたあれこれをざれごとチックに語ります。

手を繋ぐのは、また今度。《恋愛と美しさのお話》

こんにちは。
二日酔いがしんどいはるらっしゅです。

少しずつ新しい生活に慣れて飲みに行ける余力が出来たと思ったのもつかの間、以前からの知り合いや会社の付き合い、その他諸々で平日の夜が全て飲み会で潰れ、財布と肝臓が異常事態です。


昔は終電の電車でウトウトしている女性を見ると「不用心だなぁ」などと思っていたけれど、今ではそのウトウトしている女性が私。
年々少しずつお酒に弱くなっているような気がする・・
今予定されている飲み会が終わったら、禁酒でも始めてみようかなと思っています。


さて、今回のテーマは【恋愛と美しさ】。
二日酔いの頭を抱えながら、久しくご無沙汰な恋愛についてざれごとチックに語りたいと思います。
ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。

手を繋ぐのは、また今度。

こっそり直した口紅の居心地が悪い。
こんなに頑張って選んだ服も、30分もかけて施した化粧も、なんだか滑稽に思えて、視界が少しずつ灰色に滲む。
そして、楽しそうに話す彼ににっこりと相槌ちを打ちながらこう思うのだ。


「好きってなんだっけ。」

 

マッチングアプリで出会うということ

無事お引越しを終え、新生活をスタートさせたはるらっしゅ。
全てが順調で、既定路線通り。
仕事も無事に始まったし、蜘蛛の巣のような路線図も早歩きで乗りこなす。
皆そうやって都会に慣れて、そして皆へ平等に訪れる最初の試練。
そう、それがホームシック。

 

はるらっしゅも例外なく、いや、控えめに言って普通の人の3倍程度のホームシックにかかり、冗談抜きで死にそうです。
転勤で引っ越してきた人がさっさと彼氏を作って結婚していく理由が、今ようやく分かった。
だって知り合いがいない土地での生活は、孤独で寂しいから。

 

ということで始めた『マッチングアプリ』。
開始1日目でそれなりのいいね数を稼いだおかげか、40人近くと同時にやりとりして思った。
「これ、身も金ももたない。」

 

初日で8月のほぼ全ての予定が埋まったスケジュール帳を見て、私は自分の時間が減っていく焦燥感と彼氏が欲しい寂しさの間で葛藤していた。

とりあえずいろんな人と会う事が大切だと思って、頑張っておしゃれをして出かけても、何かが違う。
皆良い人なのに、何か違う。

 

食事をした帰り道、少し酔ったふりをする私を心配してか、皆は自然に手を握って駅まで送ろうとしてくれる。
「酔ったふりをしているのは、早く帰りたいからなんだけどな。」
彼らに手を委ね、その繋がれた手を眺めて、マッチングアプリで出会うということを考え、そして毎回こう思うのだ。


「好きってなんだっけ。」

 

好きってなんだっけ。

人を好きになると、胸が甘く苦く、苦しくなる。
それはまるで、スティック1本分のお砂糖が入ったホットコーヒーによく似ている。

 

朝起きて一番に彼を思い出し、ちょっとした嬉しいことを共有したくなる。
その大きな手で触れられると、安心して無性に泣きたくなる。
私だけを見ていてほしくて、その目線を一生懸命に追ってしまう。
「まるで病気だ。」そんな風にひとりごちて、そしてそんな自分に苦笑する。
思い返すと、私にとっての「好き」って、多分こんな感じ。

 

運命の人は3人いるなんてよく言うけど、私の場合、うち2人とは結ばれなかった。
でも伝えずにはいられなくて、ある日「あなたが好きだった」と伝えたら、彼は少し驚いた様子で、そして少し切なそうに「俺も好きだった」と言ってくれて、そんな彼と私は親友になった。

好きな人と手を繋ぐ、あの幸福感が好き。
だからこそ、早く残りのひとりを見つけて、大きな手で私の手を引いてほしいと思うのだ。

もう、誰とでも手を繋ぐのは止めようと思う。
好きな人と手を繋ごうと思う。
願掛けを込めて、次から手を引いてくれる初対面の人にはこう言おうと思う。
手を繋ぐのは、また今度。

 

嫌いな人と寝る夢は。

嫌いな人と寝る夢は、好きな人とのそれより甘美だから皮肉だ。


寝ている私に「今いいか?」と低い声で話しかける彼を、私はベッドの中に引きずり込み、少しタバコのにおいがする彼のTシャツに顔をうずめた。

彼は「おい」と微笑ながら私の髪を掻き撫でて、そして私のこめかみにキスをした。

そこで私は目が覚めて、それが夢だと分かるまでの数秒間、放心していた。

彼のあんな優しい顔は、はじめて見た。
それが今朝方に見た、私の夢。

 

好きと嫌いはよく似ている。
人は自分とよく似た相手に強い興味を持ち、その似ている部分によって好き嫌いが変わる。
つまり、人の好き嫌いは「類似性」から生まれる感情なのだ。

 

人は相手に自分の嫌いなところを見ると、その人を嫌いになる。
これを同属嫌悪と言う。
例えば顔の造形や歯並びなど、自分のコンプレックスと同じ特徴がある人や、人見知りや自己中心的などの自分が欠点だと思っている性格と同じような性格の人に嫌悪感を抱く。

 

そして、自分が我慢していることをしている人にも嫌悪感を抱く。
これがいわゆる【嫉妬】という感情であり、女性がぶりっこを嫌う主な原因だ。
例えば、ワガママを我慢している姉はワガママな妹を見ると腹が立ち、節約を心がけている主婦は散財している独身女性を見ると非常にむかつく。

 

逆に、自分と同じ趣味や価値観を持つ人のことは好く。
これを同類選択と言う。
共通点が多ければ多いほど衝突が少なく、ストレスなく一緒にいられるので、人は本能的にそういう人を選ぶようプログラムされており、これが俗にいう【類友(類は友を呼ぶ)】だ。

 

一方恋愛では、外見が似てる人を嫌い、内面が似てる人を好きになりやすい。
これは親近交配の危険を本能的に避けるためだと言われている。
そして、自分に足りない部分を相手の遺伝子に補ってもらい、より良い子孫を残そうとするため、外見が正反対の異性を好むよう、人の本能はプログラムされている、というのが通説だ。

例えば、背の低い女性が体格が大きい男性を好んだり、容姿に自信のない女性がイケメンの男性を好むことが多いのはこれに該当する。

 

「私なら絶対にこんなことしない」という、自分の価値観と真逆を生きるタイプに対して嫌悪感を抱くのは、自然なことだ。

私が冒頭に話した嫌いな人は、時間に超ルーズで締切を全く守らないタイプの人間。
一方の私は、きっちり5分前行動の人間。
仕事の締切も自分で2日前倒しにしてスケジュールを組むし、計画のない行動をとにかく嫌う。

彼と私は、どう考えても合わない。
でも、思い返せば似ている部分もちょっとある。

もし私が彼に私の嫌いなところを見ているならば、彼を受け入れることが出来た時に初めて、私も自分の短所と向き合うことが出来るようになるのか。

ホットコーヒーを入れたマグカップを両手で持って手を温めながら彼の後ろ姿を見つめ、そんな事を考えた昼下がりの話。

 

美人の定義

このPVに出てくるエビちゃんこと蛯原友里さんは、今の私の1つ歳下だ。
当時中学生だった私は、エビちゃんのあまりの美しさに、食い入るように画面を見つめ、何度も繰り返しこのPVを見ていた。

この記事を書くきっかけは、まさにこのPVだった。
ある夜、YouTubeのおすすめに出てきたこのPV。
「懐かしいな~」くらいの気持ちで再生ボタンを押して、衝撃を受けた。
なんだこの美しさは。
15年前のPVだというのに、全く廃れない美しさがそこにはあった。
そして思った「私、こうなりたい」。
私はエビちゃんになるべく、美人とは何かを夜通し考えた。

 

エビちゃんのように美しくなるには、あのPVの美しさを考察する必要があるということで、私なりに出した結論が以下である。

結論:綺麗と麗しさ、二本の軸で美人は構成されている。

ただし美人の概念は千差万別なので、ここではあくまで「私が思う美人」について解説してみようと思う。

 

1,外見の「綺麗」

綺麗(きれい) の意味
1 色・形などが華やかな美しさをもっているさま。
2 姿・顔かたちが整っていて美しいさま。
3 声などが快く聞こえるさま。
4 よごれがなく清潔なさま。
5 乱れたところがないさま。整然としているさま。

綺麗-goo

美人は、外見が整っていることが大前提だと、私は思う。
動物行動学では、繁殖のための相手選びに体の対称性が重要な役割を果たしていると主張されているのは通説で、魅力度ならびに美しさを評定にも影響すると言われている。
ただし左右対称だけでなく、その人が身に付けている装飾品(服やアクセサリー、化粧)などでもある程度の【綺麗】は形成できる。
また、どんなに顔が左右対称でも、スタイルが悪かったり、においが臭かったり、声質が悪かったりすれば【綺麗】ではなくなる。
要するに私にとっての【綺麗の定義】は「顔が左右対称で、スタイルが良くて、声が落ち着いていて、良いにおいがする」である。

 

...うん。
顔の左右対称さはメイクで、スタイルは運動で、声は意識で、そしてにおいは香水でカバー出来る。
ハードルが高いが、出来なくはない。

 

2,内面の「麗しさ」

麗しい(うるわしい)の意味
1 精神的に豊かで気高く、人に感銘を与えるさま。
2 形・色・容姿などが、目に快く映るさま。
3 機嫌・顔つきが晴れ晴れしているさま。
4 人の性格・行動などが、きちんとしていてよい。折り目正しく、きちょうめんである。
5人と人との間柄が良好なさま。仲がよい。親しい。また、むつまじい。

麗しい-goo辞書

綺麗な女性でも、振る舞いひとつで一気に格が下がる。
なんなら普通の人よりその基準は高いかも。
なぜなら、綺麗な女性はその容姿がうえに、他者からの期待値が通常より高くなるからだ。
麗しさとは美学や美徳、美意識といった、内面的なものを指す。
どんなに綺麗な人でも、食べ方が汚かったり喋り方が忙しなかったり、常識のない行動をすれば、もう台無しなのである。
要するに私にとっての【麗しさの定義】は「表情豊かで愛らしく、マナーが出来て常識があり、落ち着いていて博識」である。

 

...うん。
表情と落ち着きは意識とメンタルで、マナーと常識と博識は、日々の勉強で体得できる。
きついが、意識すれば出来る。

 

なぜエビちゃんがこんなにも美しく見えるのか。
それは整った容姿を良く見せようとするだけではなく、等身大の彼女が画面越しにくしゃくしゃな笑顔で笑いかけてくれるからである。
私の美人の概念が体現されているのが、まさにこのPVだった。

 

私もこうなりたい、いや、なる。
「可愛いは作れる」ならぬ「美人は作れる」である。
いつか私も誰かに「美しい」と言われるように自己研鑽に励もうと決めた、今日この頃です。(まず痩せよう。)

 

lit.link

練乳のような微睡《夢のお話》

こんにちは。

今年の梅雨は雨が全く降らずに明けたかと思ったら、梅雨明け後に豪雨が降るこの状況下で、いよいよ梅雨の概念が分からなくなったはるらっしゅです。

梅雨って、何?

お昼の定番、ジャンクフードで有名なM字の旦那の某店ハンバーガーを片手に調べてみると、以下とのこと。

梅雨(つゆ)とは、日本の5月末から7月初〜中旬にかけての、曇りや雨の日が多くなる時期のこと。日本だけでなく、中国の南部や韓国でも見られる気象現象です。

ちなみに日本の一番北にある北海道に梅雨はないとされています。日本列島に梅雨をもたらす雨雲・梅雨前線は、北海道に到達するころには勢力が弱まり、梅雨のような長雨が発生しないからです。    引用:MATCHA

ふむ、一応7月中旬までは梅雨と言えるのか。
いやでも、そしたら梅雨明け宣言とは何なのか。
ハンバーガーとポテトを両手に、謎が深まるばかりです。


さて、本日のテーマは【夢】です。
夢といっても「将来の夢」ではなく、「デイドリーム」の方です。
最近蒸し暑くて寝苦しいからでしょうか、変な夢ばかり見て目覚めます。
今日はそんな、はるらっしゅの変な夢と、夢に関連する日常をざれ言チックに語ってみたいと思います。
(引っ越しの手続きで頭が疲れているせいか、長文が書けずに短編チックに仕上がりました。)
短いからいつもより読みやすいかも、どうぞ楽しくご覧ください。

 

 

練乳のような微睡

耳元でけたましくなるスマホのアラームを乱雑に止めて、スマホを持ったまま寝返りを打った。

「平日は7時に起きたい」と毎晩意気込んで寝るまでは調子が良いのだが、如何せん低血圧の私は、目覚ましの音が聞こえてもすぐには起床できない。

なので、目覚ましのアラームを6時50分にセットして、7時までの10分間で脳を覚醒させる。

私は、その10分間が一日の中で最も好きな時間だ。


半分寝てて半分起きている、そんなトロトロとした甘く白濁した微睡の中で「今日はどんな服を着ていこうかな」とか「今日見た夢は何だっけ」「会社に行ったら、まずあの資料を仕上げないと」とおもちゃ箱のように散乱した考え事をしているこの時間は、一瞬のような永遠のような、まるで自分が現実から切り離されたような感覚に陥る。

 

時間は人の意識によって、長くなったり短くなったりする。

相対性理論って、とてもロマンチックで、とても切ないものだね。

 

何かのアニメで聞いたセリフ。

「当時の私には分からなかったこの言葉の意味が、今この時だけは、少しだけ分かるような気がする」なんて思いながら、私は今日もまた、薄暗い早朝の部屋の中でおもちゃ箱のような思考の海へ落ちていく。

 

鷹の夢

鷹の夢を見て目覚めた朝、夢に出てきた鷹の眼力が忘れられなくて悪寒がした。

初夢で見ると縁起が良いとされる【一富士二鷹三茄子】で有名な鷹の夢は、天下を統一した徳川家康が鷹狩りを好んだこと、『たか』という読みが『高い』に通じることから、夢占いでは開運や立身出世、自由な行動力を表す吉兆とされている。

ちなみに、私が見た鷹の夢はこんな感じ。

私は左右に畑が広がる広い田舎道を歩いていて、ふと目線を上にずらすと、そこにはとても大きなカラスが電線に止まっていた。

カラスは私を小ばかにしたよう見つめた後、大きな羽を広げて飛び立とうとした。

すると、その上空からカラス以上に大きな鷹(もはやあれは鷲かもしれない)が降ってきて、カラスを丸飲みするように捕食してしまう。

そして鷹は恐怖で立ちすくむ私を一瞥して、その場から飛び去っていく。

ええ、私も皆さんと同じ気持ちである。
この夢は、一体何だったのか。
訳が分からないよ。(まどマギキュゥべえ風)


ということで調べてみたら、こんな結果が出てきた。

鷹や鷲が獲物を捕らえる夢は、仕事や学業、恋愛などにおいて、何らかの成果を得ることを暗示しています。

この時、鷹や鷲が狩る獲物が大きいほど、あなたが手にする成果が大きいことを象徴しています。
人によっては、社会的地位のある方から、大抜擢を受けたり、引き立てを受けたりすることもあるでしょう。

いずれも、鷹や鷲が狩りをするその勇士は、あなたが厳しい競争社会を力強く生き抜いていくことを象徴しています。    引用:美・フェイスナビゲーター

 

ふむ、なるほどである。
人生で初めて見た鷹の夢は少し怖かったけど、良いなら良い。(語彙力皆無)
そんな事を調べてうふふと思った、朝の満員電車での一コマ。

 

目が覚めて思い出したら

「恋ってするものじゃなくて落ちるものだってよく言うけど、それに気づくのっていつなんだろう」
先日の飲み会でそんな話をふってきたA子に、軽い口調で「そんな事を考えてるまさにその時なんじゃないの?」と確信を突くような答えを出すB子。

そんな友人二人の掛け合いをハイボール片手に眺めて、私も思った。
恋に落ちたことに気づく瞬間は、いつだろう。


昔読んだ本で「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」というタイトルがあって、その言葉にハッとした事はあるけど、恋に落ちたことに気づく瞬間というものは考えたことがなかった。


恋に落ちる瞬間は人それぞれで、多分それに気づく瞬間も千差万別だろう。
他の人と話している姿を見て嫉妬したり、ふいに手が触れて胸が高鳴ったり、気づけば目で追っていたり。

私の場合はどうだろうと考えて、そして分かった。
私が恋に落ちたことに気づくその瞬間は【朝目覚めた時】だった。
朝ふと目が覚めて、ベッドの中で最初にその人思い浮かべたら、多分それは恋だと思う。


そんな事をぼんやり考えているうちにその話題は終わり、最近の恋愛事情に移り変わって「はるらっしゅは、最近どうなの?」と話を振られていた。

私は一度思考し始めると余韻を消すのに少し時間がかかるため、そのぼんやりとした状態のまま「んー、最近久しぶりに人と手を繋いだ」と安易にこぼして、周りが「え!聞きたい!」と興奮し出す面倒な状況となった。


手をつなぐと相性が分かるなんてよく言うけど、たしかにそれは納得だった。
セックスしても胸はときめかないのに、手を繋いでウキウキしてしまうなんて、なんだか童心に帰ったような、変な気分。

「手を繋いでたらニギニギされて、おにぎりになった気分だった」なんて話を「きゃー!」と楽しそうに聞く友人たち。
そんな二人を見て私も笑いながらお酒を飲みつつ「以前関係を持った人(失恋と冷凍食品を参照)とは、手を繋いでもときめかなかったのに。」と、少し皮肉めいたことを考えて、そしてその思考に蓋をした、そんな夏の夜だった。

 

豚汁滴る良い男

その日の朝、彼が夢に出てきたからという単純な理由でランチに誘った私が悪かったのかもしれない。

私の最終出社日が迫っていたその日、私は仲の良い会社の先輩(以下Uさん/男性)をランチに誘ってみた。

彼は「じゃあ、とんかつを食べに行こう!」とスケジュールを空けて一緒に出掛けてくれたわけだが、この時私達は、その後の悲劇をまだ知らない。


食事中何があったのかは知らないし、本人に聞いても「俺も分からない(放心)」とのこと。
ただ少し食事中に私が視線を下に向けた隙に、Uさんは自身が持っていた茶碗の豚汁を胸元から被っていた。
いや、被っていたというか、浴びていた。

 

あまりの出来事に私、Uさん、そして店員はフリーズし、一瞬の間を置いた後で
私「ちょ!!!先輩やけどしてないですか!?」
Uさん「(目をぱちくりさせて放心)」
店員「(厨房にむかって)おしぼり!おしぼり持ってきて!!」
周りにいた客達「(ティッシュを持って)これ使ってください、お姉さんも足にかかってるよ!」
と、大騒ぎである。

「午後一で会議なのに・・」と青ざめる、豚汁滴る良い男・Uさん。
「大丈夫、急げば間に合います!服を買いに行きましょう!」とはるらっしゅ。
結局、飲むように残りの食事を平らげ、滞在時間30分程度で店を後にした。


無印良品でTシャツを買って試着室で着替えた後、次はパンツを買わねばと慌ただしく移動する中、「そういえば俺、明日誕生日なんだよね」とこれ見よがしに言ってくるUさんに「策士過ぎるだろう」と私は苦笑した後、「わかった、パンツは買って差し上げます」と言ったのが運の尽き。

仲良いが故に遠慮が無く「やった!俺、欲しいのある!こっち!」と飛び出していったUさんに嫌な予感を覚えながらも付いていくと、目当てのパンツは7000円だった。

「私、自分の服でも3000円以上の物は買わないのに・・」と白目を剥きながら、少しイタイ出費を出して、その日の午後を迎えたのだった。


話はここで終わらない。

後日、北海道出張から帰ってきたUさんは「先日はありがとう。これ、異動の餞別!」と、少し大きい紙袋をくれた。
「え!ありがとうございます!」と少し涙目になりながら、紙袋の中身を取り出し、別の意味で涙腺が崩壊した。


中から出てきたのは、北海道のお土産で有名な、特大サイズの木彫りの熊。
「え!!凄い・・え?」
見て数秒でものすごい違和感に襲われ、木彫りの熊を片手にフリーズする私。


皆さんは木彫りの熊を見た事はあるでしょうか?
ええ、熊が鮭を加えているあれです。そう、通常はあれなのです。
しかし、私が今持っている木彫りの熊は、鮭に食われているのです。

karapaia.com

 

「あおおおおおおおっ」と叫びながら苦悩の表情を浮かべる熊。
食物連鎖が完全に崩壊した常軌を逸したお土産に震える私。

「これ炭だから、玄関とかに置くと消臭効果あるよ!」と微笑ながら言うUさんの目を見つめ、私は「熊、食われとりますこれ。」としか言えなかった。

「最後のランチがまさか豚汁まみれになるとは思わなかったけど、でも私達らしかったね」と笑って話せる良い思い出となった、とある豪雨の昼下がり。

 

あとがき

こんな愉快な生活も残り僅かだと思うと、感慨深い。

色々な人が送別会という名の飲み会に連れていってくれて、皆が「辛かったらすぐ戻ってきなさい」と言ってくれる。
あたたかい人たちに囲まれて恵まれていたと今更気づく私は、本当にばかものだ。

そんな感慨深さに浸りつつもメンタルが豆腐な私はきっと、しんどかったら本当にすぐ泣いて帰ってきてしまうのだろう。
でも、最初はそれでいいと思う。
それを繰り返して徐々に新しい土地で自分の居場所を作り、新しい土地で新しい人間関係を作っていこうと思う。

「私のペースで着実に」を改めて決意した、今日この頃です。

SUUMOを見て泣く女《お家探しとご縁のお話》

こんにちは。

やっと家探しが落ち着いたはるらっしゅです。

暫く更新を止めてしまい、申し訳ございませんでした。

皆様、変わらずお元気でしたでしょうか?

 

私は毎日不動産屋さんとやり取りをしており、本日は「社宅契約をする上で、新事業所地域区分CDをお伺いしたいのですが」と言われ「CD・・・?」とアホ面を晒しております。

絶対それは個人に聞く内容ではない、会社に聞くやつだ。

やりとりのレベルがハードモード過ぎて、引っ越す頃には宅建が取れているのではないかと思う今日この頃です。

 

さて、本日のテーマは【お家探しとご縁】。

ここ数週間の荒れに荒れた、私の物件探し騒動をざれ言チックに語りたいと思います。

ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

SUUMOを見て泣く女

「SUUMOを見ながら泣くやつとか、生まれてこのかた見たことねーよwww」と言いながらも、その会社の先輩は仕事を30分ほど抜け出して、絶望に打ちひしがれている私をひたすら励ましてくれた。

 

6月下旬から始まった私の社宅探しは、開始3日目で早くも暗礁に乗り上げ、5日目には見事に座礁し、沈没した。

 

「もともと物件の動きが少ない閑散期に異動させようとするから悪いのよ。もう私、このままじゃ皇居の森にテント張って生活することになる。」と、焦って涙を流しながらSUUMOを検索し続ける私に「前代未聞過ぎるだろ、秒で送検されるわ。」とあきれ顔の先輩。

ケータイをいじりながら「なんか昨日書いたヤフコメのいいね数が9000を突破して、地味にバズってるんだけどw」と喜んでいる先輩を後目に、私は盛大にため息をついて自分の瞼を押さえた。

 

時は遡る事、1週間前。

私の勤める会社では、公示が出た日から社宅探しが開始される。

公示が出たその日、会社が委託している複数の不動産仲介が、自分の会社で契約を取ろうと一斉に連絡してきた。

もともと1LDKに住んでいる私なので、広い部屋でないと荷物が入らない。

希望を細かく伝えて物件情報を回収した私は、頭から血が抜けるような悪寒と眩暈に襲われていた。

 

ナニコレ。

 

地方の1LDKと首都圏の1LDKは、名前は同じだが内容は別物らしい。

私は、声を大にして言いたかった。

ベッドスペースが2帖とか、それはもう部屋ではなくて納屋なのよ。

「この間取りならいけます!」「この広さなら荷物が入ります!」などと不動産仲介は言うけれども、入る入らないの問題ではないのよ。

いや、そういう問題でもあるんだが、入る入らないだけの観点で行くと、それは家ではなく倉庫になってしまうのよ。

私、倉庫に住むことになっちゃうから・・。

 

たくさん送られてくる物件情報を、私は冷や汗をかきながら食い入るように見つめ、そして思った。

「自分で探すしかない。」

 

今思えば、当時とても温厚で有名だったE課長も異動する際、送られてきた物件情報を片手に「使えない!」と声を荒げていたのを思い出す。

そうか、そういうことだったのか。

今ならE課長の気持ちがよく分かる。

 

そんなこんなで始まった家探し。

SUUMOとにらめっこして4時間後、10件ほど候補が出た段階で仲介業者に「この物件を紹介してほしい」と、そのURLリストを送った。

 

次の日、回答のメールを見て倒れそうになった。

「全て契約済みで紹介出来ない。」もしくは「選任物件なので、弊社からは紹介が出来ない。」と回答が来たからだった。

そこから地獄は始まった。

家が決まらないのは死活問題だという事で、上司は「今日は仕事をしなくていいから、とにかく家を探せ」と私の仕事を全て代わりにやってくれる始末。

その対応が焦りに拍車をかけ、半乱狂のままSUUMOとにらめっこして同じ作業を繰り返す私。

そして今日である。

 

探せど探せど、全て契約済み。

「不動産サイトはあれか、契約済み物件を載せるサイトなのか!?」と嘆く私を見かねた先輩が「ここは?」と見せてくれた物件が、この状況を打破する鍵となった。

 

その物件は、その日賃貸サイトに掲載されたばかりの物件だった。

すぐにSUUMOで問い合わせたところ、回答はまさかの「契約済みです」。

これにはさすがに、膝から崩れ落ちた。

しかし、不動産屋が「でもここ、キャンセルが入りそうなんです。明日には結果が分かるのですが、2番手でよければ、キャンセル出次第ご連絡します。どうしましょうか?」とのこと。

この際、2番手だろうが何だろうがどうでも良い。

「お願いします」と答えて終話した。

そして、ここからが本当の戦いとなることを、当時の私はまだ知らない。

 

明日に決まると言ったくせに、回答を待ち始めて早3日。

不動産屋も「本当にすみません。(前に契約している人が)ネット回線の問題で入居を迷っているようでして、今業者に問い合わせをしているようなんです」とのこと。

あまりに時間がかかりすぎているため、一体何を問い合わせているのか聞いてみた。

そして、卒倒しそうになった。

 

先に契約した人は、在宅勤務が多いIT関係の技術職の方らしく、家のネットは個別で引かないといけないらしい。

その人は、電柱を介して引くそのネット回線を、電柱よりはるかに高い高層階の部屋で引こうとしていると言うのだ。

「え、それはつまり、その方のために特注サイズの電柱をおったてて、光工事をしようとしているということですか?それができるかを問い合わせようとしているということですか?」

と、私は顔を引きつらせて聞き、不動産屋さんも苦笑する始末。

 

いや、問い合わせ内容がツワモノ過ぎるだろう。

業者もびっくりして「え、電柱ですか?」と聞き返していると思う。

電柱を建てるだけでも大変なのに、特注サイズを作って建てるとか絶対無理だよ。

 

そんなこんなで、白目を剥きながら命を削って待つこと4日目。

周りからも「待てる女が最後は勝つぞ。我慢だ、我慢。」と説かれ続けた。

そしてついに、そのツワモノは物件をキャンセルし、私の過酷な家探しは幕を閉じたのであった。

 

戦慄の引き戻し現象

とは言え、まだその物件が社宅として契約できるとは決まったわけではない。

会社と不動産屋、そして不動産仲介が話し合って契約を結んでる現在、いつ「ダメでした」という報告がくるか分からず、不安で堪らなくて、忙しなくメールを確認する日々。

今日の占いでは「進んでいた計画がとん挫する暗示」と言われ、顔を引きつらせる始末だ。

 

こういう時に限って、要らない連絡が立て続けに来るものである。

 

とある平日の午後3時、仕事がひと段落した私はスマホを見て、背筋が凍った。
3年前に酷い別れ方をした元彼から、突然着信があったからだ。

 

その次の日、朝目覚めてスマホを見た私は、またもや背筋が凍った。
5年以上会っていない知人3名から急にLINEが来ていたからだ。
しかも内容が「元気~?」「久しぶり!」「(よく分からないスタンプ)」と、一様に意図が分からない。

 

そして昨日、別れて5年経つ元彼から、突然の不在着信。(しかも着信は1つだけ。)

 

何かがおかしい、絶対におかしい。

普段はオカルトを信じない私だが、さすがにこれは身の回りで何かが起こっていると確信し、Google先生に尋ねてみた。

 

すると、こんな記事が。

plutrablog.com

 

なるほど、絶対にこれだ。

 

そもそも知人はともかく、元彼たちは何用で連絡をしてきたのか。

別れた直後であれば、荷物の引き渡しなどで連絡を取らざるを得ないだろうけど、数年越しに連絡なんて、逆に連絡してくる度胸が凄い。

「元気にしてる?」とか「最近どう?」など、縁が切れた他人になぜ時間を割いて話さなきゃならないのか分からないし、聞く側も聞くだけ聞いて楽しくなかろう。

まさに不毛の極みである。

 

これは持論だが、切れた縁というものは、切れるべくして切れていると私は思う。

一人あたり維持できる縁というものは有限だから、互いにとって不要となった縁を切り捨てることによって、今の自分に必要な新しい縁が繋がれる余力を確保することができると思っている。

 

一方で、必要な縁は努力せずとも、自ずと繋がり続けると思っている。

例えば今回の引っ越し。

私の転勤が決まったタイミングで、社内で一番仲が良かった同僚の転職が決まった。

しかも勤務先は同じ県で、私が次に勤めるオフィスから徒歩30分圏内。

なんならお家は同じ沿線。

これには思わず、腰を抜かした。

 

だから一度縁が切れた人と再度繋がるのは抵抗があるし、切れている縁をまた繋いでも簡単に切れると思う。

それに縁が切れた人との思い出は良いものもあるけど、悪い思い出で終わっていることも多くある。

だからそういう人と再び繋がることで、昔の嫌な自分に逆戻りしそうで恐ろしくなるのだ。

 

今思えば、この【引き戻し現象】は昔からあった。

誰か新しい人と付き合おうとすると元彼から連絡があったり、何かを買った後で別の商品を見つけたり。

 

人は一日の生活の中で、約35,000回の選択をしているという。

毎日この数を繰り返すのだから、時には選択を間違えることもあるだろうし、甘く楽な選択に身を委ねたくなる時もあると思う。

 

【引き戻し現象】とは、そういった甘く楽な誘いで現状に留まらせようとする、成長を止める嫌なものだと思う。

そして、新しい場所で覚悟を決めてやっていけるか問われている、神様からのテストなのではないかと思う。

だから私は、あえて連絡は絶対に取りたくない。

今まで頑張って成長してきた自分を否定するような行為だと思うから。

 

結局私は、連絡をくれた昔の人たちからのメッセージを全て未読削除して、この不思議な体験に幕を下ろしたのだった。

新しい場所で新しい人と出会って新しい人生を送る、これでいいと思う。

連絡をくれた彼らも、どうか私の事はすっかり忘れて、新しい縁で結ばれた人たちと幸せに生きてほしいと願う、今日この頃です。

おもちゃ箱のようだ《未公開記事のお話》

こんにちは。

各地続々と梅雨入りし、私の住む地域もじっとりべっとりな今日この頃。

ナメクジのようにソファーにうだっております、はるらっしゅです。

皆様ご無沙汰しておりました、お元気ですか?

 

最近少しスランプ気味で筆を執る気になれず、ひたすらのんびり過ごしておりました。

「でもまあ、たまにはそんな時期もあるよね」ということで、凄まじい勢いで自分を甘やかしております、誰か叱ってくれないかしら。

 

さて、私の書くブログには、未公開の記事がいくつかございます。

それらは総じて、書いているうちに「やっぱり載せるのやめよう」とか「なんか違う」となってお蔵入りするのですが、下書きに溜まって、それはまるでおもちゃ箱を彷彿とさせるカオスっぷりです。

 

ということで、今回は《おもちゃ箱》もとい《下書き》を整理する回です。

私が以前執筆したにも関わらず、気分が急に乗らなくなってお蔵入りした作品をリメイクしてお届けいたします。

ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

指輪の墓場《失恋後の感情整理のお話》

忘れられない恋物語などと表現すると、なんだか特別に感じるけれど、相手が違えば内容も様々なわけで、何一つ忘れられる恋物語なんてないと思う。
だから、人はそれを記憶の奥底にしまい込んで前に進めるように、新しい恋をするし、その努力をするのだ。

 

先日失恋した友人N子が「今から海に行こうと思う」と連絡してきた夜8時半。

私は家で温めた無調整豆乳を飲みながら、Netflix約束のネバーランドを観ていた。
その日は、本来であれば私の家でN子とお泊まり会をするはずだった。

「海って、どこの?」私は電話をスピーカーに変え、花粉と涙(約ネバに感動して少し泣いていた)でグズグズになっている鼻をティッシュで拭いた。

「あそこ、覚えてる?前に一緒に行ったとこ。」
「あー、でもあの辺夜真っ暗じゃん。お化け出そうだし、危ないって。」
私は夜の海が苦手だ。真っ暗な先の見えない闇と大きな波音を聴くと、身が竦む。
「大丈夫だって、てゆーか、あと10分くらいで着くから暖かい恰好に着替えて」
「え?」
「もう大通りだから、あと10分くらいではるらっしゅの家に着くから」

電話が切れた後「暗いしマスクだし、化粧はいいか。」と、部屋着にダウンコートを羽織り、キャップを深く被った。
そして、鍵とケータイを片手に、私は慌ただしく家を出た。

 

元恋人から貰った物というのは、念が込められている気がして気持ちが悪い。
相手からの念ではない、自分の念だ。

 

私は元カレから貰った物は、基本的に全て燃やす。
父の趣味は焚火なので、昔から庭の一角に焚火台が設置されていた。
私はいつも、燃えるもの(本気を出せば大抵燃える)は全て段ボール箱に詰めて、薪と一緒に燃やす。

いわば火葬だ。
そのせいか、父は私の趣味が自分と同じ焚火だと勘違いしているようだ。
私が焚火台で物を燃やしているのを、例え明らかにおかしい煙の色を目撃したとしても、いつも優しい眼差しで見守ってくれている(多分何を燃やしているのかは、分かっていない)。

 

ただ、指輪だけは別だ。
私は皮膚が弱いため、基本的にネックレスやピアスを着けない。
唯一着けるアクセサリーが指輪だから、元カレ達はいつも私に指輪をくれた。
これだけはいつも何故か燃やせなくて、火葬した灰(残骸)と一緒に庭の土に埋めて、手を合わせる。お墓を作るのだ。
私が家を出た後も、失恋するたびに帰省して、毎回せっせと土を掘って埋めているので、母に「お前は犬か。」と心底嫌そうな顔をされる。

しかし、私にとってこれは儀式だ。物の処分でなく、感情の処分なのだ。
「今までありがとう、私が次に進めるように、彼への感情は今ここで死んでくれ。」という感謝と決意と願いを込めて、全てをそこに埋める。

 

誰でも失恋はしんどいし、その感情の整理方法も様々だ。
でも次の恋愛に進めるのなら、方法なんて何でも良いと思う。


はめていた指輪を轟音がする漆黒の闇へ放り込む。

 

すっきりしたような、少し悲しそうな、何とも言えないN子の姿を、コーヒー片手に後ろから眺めて、そんな事を考えた、とある春の夜のお話。

 

フェアリーゴッドマザーの不在《思い込みのお話》

幼い頃、当時の家のベランダからは毎日ディズニーランドの花火が見えた。
私はシンデレラの水色のドレスを着て、プラスチックのティアラを頭に乗せ、毎日飽きずにその花火を眺めていた。


私は信じていた。
いつかお姫様になって、白馬に乗った王子様と大きなお城に住むのだと。
私は信じていた。
私はシンデレラになれるのだと。

 

思い込みという言葉から連想されることは何だろう。
Googleで「思い込み」と検索すると1,310,000件がヒットするが、その大抵が「思い込みの壊し方」「思い込みから解放」「思い込みをなくす」などだった。
思い込みは世間ではあまり良いイメージがないようだが、私はそうは思わない。
今日のテーマは、私の思い込みに対する思い込みが変わった、そんな話。

 

そもそも、思い込みとは何か。
思い込みとは、ある物事について深く信じ、固く心に決めこと。
そして、自分が「これだ」と思ったことに対し、心が揺るぐことなく強く信じ込むことが「思い込み」と定義されている。
こう聞くと、周りからどんなことを言われようと、他に良い方法があろうと、その一案に執着し、信じ込むような【負のイメージ】を抱く方が多いかもしれない。

 

▽思い込みは自分を変える最強の魔法

「お前が強く望めば、何にだってなれるんだよ。自分は無敵だと思い込んで、思うままにやってみなさい。きっとうまくいくよ。」

高校受験の当日、ガチガチに緊張していた私に父が優しく語りかけてくれた言葉だ。

まだ考えが未熟だった私は、今までそういった思い込み(一種の自己暗示)を「ナルシストがする中二病野郎の思考」だと思っていたが、当日の私は普通ではなかった。
普段無宗教の私が、受験当日のその日の朝は神棚に土下座して動かず、ここに来て腹痛を起こしたかと母が狼狽えていたのだから。
藁にもすがる思いで、「私は最強私は無敵私は出来る」と呪文のように唱え、受験会場の門をくぐった。

 

思い込みは人を強くする。
例えば【火事場の馬鹿力】という【土壇場で普段では想像できないような力を無意識に発揮する】という意味の言葉があるが、これも思い込み(ある種の催眠状態)が人を強くするという、良い例えだと思う。「自分は出来る」と思い込み、それを信じて疑わない人間ほど強いものはない。

その日、直前の入試模試でC判定を受けていた学校を受験した私は、500点満点中475点という、今まで取ったことが無い好成績でその学校に入学した。

この経験が私にとって「思い込みは悪いもの」という思い込みを一掃してくれた出来事だった。

 

あれから様々な試練や困難があったけれど、父がくれたこの言葉は私にとって不動だ。
私はいつだって無敵だと自分に思い込ませて、いつもそれらに立ち向かってきた。

私達は何歳になっても、何にでもなれる。
「私は出来る」と思い込んで、しっかり努力を積み重ねていけば、願いは叶う。

ディズニープリンセスのドレスやプラスチックのティアラはもう似合わないけれど、それでもきっと、私が思い込めば、私は今でもシンデレラになれるのかもしれない。

 

画面の前のあなたもそう。
あなたが強く望み思い込めば、世界一美しいプリンセスやかっこいいヴィラン、アメコミに出てくるスーパーマンにだってなれる。
あなたの世界が、ほんの少しだけだけど、今以上に色鮮やかになる。
フェアリーゴッドマザーが居なくたって大丈夫。
思い込みこそが自分を変える最大の魔法なのだから。

 

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よるべなき夜の羊たち《プレッシャーのお話》

こんにちは。いいえ、こんばんは。

ただ今の時刻は、深夜4時過ぎでございます。

昨日まで夜22時には欠伸をしながらベッドに潜り込んでいたというのに、今日になっていきなり眠れなくなったはるらっしゅです。

これでは明日の仕事に響くこと必須ですが、眠れない時は眠れない。

仕方なく、ベッドから這い出て筆を取った次第です。

 

眠れない夜に暗い部屋でベッドで横になり、天井を見つめているとネガティブなことを考えがちです。

将来のこと、恋愛のこと、仕事のこと。

色々な考えが巡って、余計に目が冴えます。

今回のテーマは【プレッシャー】です。

私はいつも文章を書く時、読んでいただく皆様が楽しめることを第一に心がけていますが、今回はいつもとは全く違います。

これは不安で押しつぶされ、眠れなくなった私のためだけに書く記事です。

どうかこれを書き終わる前に、眠気が訪れますように。

 

よるべなき夜の羊たち

暗い天井を見つめている。

身体が熱いような気がして布団を剝いでみたけど、身体の熱は引かず、剥いだ布団を掻き抱くようにしてうつ伏せになった。

目を閉じて羊を数えてみたけど、羊たちは一匹ずつ私の頭の中から外に飛び越えて、闇に溶けていった。

眠れぬ夜に数えたよるべなき夜の羊たちは、一体どこに行くのだろうか。

身体の熱も羊たちと一緒に、闇に溶けていけばいいのに。

 

枕元に置いたケータイを開きSNSを開いて、一覧を眺めながらため息をついた。

私と同じような投稿をしていた友人たちは、皆結婚した途端に新婚らしい手料理や旅行の写真ばかりを載せるようになり、子どもが出来た途端、SNSは総じて子どものアルバムと化した。

中には陣痛の実況中継をしている友人もいる始末。

お前の陣痛実況を聞きたがっているのは、傍にいる旦那と親だけだ。

文字を打ってる余力があるなら、力んでさっさと産んでしまえ。

そんな悪態を思いついてしまう自分に嫌気がさす。

 

最近、SNSを見るのが憂鬱だ。

年齢のせいもあるかもしれないが、皆が一斉に結婚し出産し始めた。

私だけ一人取り残された感じがして、彼女たちのSNSを見ていると胸がむかついてくる。

「我が子が一番かわいい合戦」を狭い世界の中で繰り広げ、毎日のように掲載されている赤ん坊たち。

他人の私からすると、正直全員同じ顔に見えるし、全然可愛くない。

猿を映しているとしか思えない写真たちに、心無い「いいね」を押す。

不安や嫉妬、憎悪や羨望をハートマークに擦り付けるように。

 

私は子どもが嫌いだと思っていた。

他人の子どもを見て「可愛い」とは思えど、欲しいと思ったことは一度もない。

でもそれは、もしかしたら私が子どもを産めないからそう思うようになっていたのかもしれない。

皆が易々とクリアする、その課題を私だけクリアできない、負け惜しみなのかもしれない。

 

分かっている、分かっているのだ。

両親をはじめとする周りが私に何を望んでいるかなど、手に取るように分かる。

きっと周りと同じように、平均的な人と結婚して子どもを産み、平凡な家庭を築く。

平和で温かくて、代わり映えのない退屈な毎日の主人公になること。

それが、私の周りが私に期待していること。

でも、どうしてもそれが出来なくて、私はいつも自己嫌悪に陥る。

 

要因は色々あると思うけど、大きく分けると以下二つだ。

まず一つ目。

結婚しなきゃと思うけど、結婚したいと思える人に出会えていないこと。

以前は簡単に恋に落ちていたのに、最近はめっきり恋が出来ない。

別に相手の粗探しをしているわけでも、男性恐怖症という訳でもない。

ただ、会う相手に男性としての魅力を一切感じていないのだ。

だから、そんな彼らと寝ても全く何も感じないし、また会いたいとも思わない。

彼らの考えていることなどに一切の興味がないし、触れられるのがそもそも不快だ。

こんな状態で、一体どうやって結婚をすれば良いと?

 

二つ目。

結婚と出産に、魅力と意味を一切見出せていないこと。

子どもを産んだ友人たちと会うと、彼女たちはどうしても所帯じみて見える。

それは老けたという話ではなく、自分の見た目に時間がかけられなくなった結果だ。

子どもが生まれれば、どうしても子どもが第一優先になるから致し方ないと思う。

しかし話を聞いていると、彼女たちの思考回路は、彼女たちの見た目以上に変化していることに気づく。

話す内容は子どもの将来のことばかりで、子どもにはどんな習い事をさせたいとか、受験はどうするかとか。

独身で子どもを産んだことがない私からすると、まるで自分の夢を子どもに擦り付けているように聞こえる内容ばかり。

私には、それが恐ろしく醜いことに感じた。

まるで自分の人生を諦めて、子どもにそれを託し、子どもが大成することで自分の承認欲求を満たそうとしているように見えて、それが不気味だった。

もちろん世の中には色々な人がいるから一概には言えないけど、私が見てきた女性たちの大半はそうだったから、それがスタンダードなのだと思っている。

 

結果、私には無理だと思った。

私は何よりも私が大切だし、莫大な金(養育費)と自分の人生を諦めてまで、子を成すメリットが一切見つからない。

そして、子どもを産まないのであれば、結婚をする必要性は一切ない。

だって私はいつも、恋人がいない時の方が、日々が楽しく感じてしまうから。

それはおそらく、高校生から26歳までの約10年間、恋人がいなかった時期がほぼなかったせいで、直近3年間の、この自由な感じが自分らしく居られて心地良く感じてしまうせいだろう。

 

こんな考え方だから、結婚や出産で皆がおめでたい中、私だけ何もおめでたくないという、悲劇的な構図が出来上がっているわけだ。

これが俗に言う【こじらせ】だと思う。

 

こんなことを偉そうに話しているくせに、SNSを見ては不安になって、両親からの圧力に縮こまってしまう。

私の望みと、周りからの期待から来る義務感がせめぎ合って、心がすり減っていく。

周りが結婚して出産するたびに苦しくて、焦る。

きっとこういう気持ちが、世のアラサー女子たちを婚活に走らせるのだと思う。

でもよく考えてみると、それは「周りと同じでいたい」というマウンティング本能から来ている見栄であって、自分の望みではないことは目に見えて分かる。

だから、こんな状態で結婚や出産などしたら、お先真っ暗だということも分かる。

好きでもない人の子を産んで、別れてシングルマザーになる。

悲劇過ぎて、親が泣くこと必須だ。

 

全く、我ながら情けない。

私が私らしく生きていくことが、私にとって一番幸せだというのに。

弱い私は、私が幸せに生きるために腹を括れず、ずっとうじうじしている。

そんな私が嫌いだし、情けないけど、それが私なのだから仕方ない。

結婚するにせよ、出産するにせよ、独身を貫くにせよ、私が幸せになれる選択を私自身で導き出せますように。

そのために、私はこれからもきっと悩み続けるのだと思う。

そんな私が情けなくて恥ずかしいけど、少し人間らしくて可愛くも見える、今日この頃です。

 

寝不足でぼやけた頭をリセットするために、窓を開けて空気を吸い込む。

夜が明けてきた。

眠れずに数えた羊たちが闇に溶け込んで、漆黒の闇が柔らかい白が滲む群青色に変わったのか。

眠れずに淹れたホットチョコレートは冷えきって、チョコレートが底に沈殿している。

それを一気に飲み干し、その濃さに顔をしかめた。

眠れぬ夜はいつもベッドの中でネガティブな考え事をして、最後には睡眠薬を飲んで寝落ちする私だが、たまにはこういう夜があっても良いのかもしれない。

不安を文章化したおかげか、何も解決してはいないけど、モヤモヤは薄まった。

大きく伸びをしてパソコンを閉じ、シャワーを浴びに浴室へ向かう。

さあ、週明け月曜日。仕事だ。

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花火に濡れる《恋愛感情のお話》

こんにちは。

GWに入ってはしゃぎ過ぎた結果、昼夜逆転生活になり、体調が悪いはるらっしゅです。

大学生時代は夜中の3時過ぎまで起きていることなど当たり前でしたが、この歳になると、如何せん体力が続かない。

「GWはゆっくり休めましたか?」という会話が社内で飛び交う中、ひとり連休前よりも疲れている私。(昼間に遊べば良いだけ。)

 

さて、GWになると街の雰囲気もにぎやかで、普段会わない人とたくさん会います。

そんな雰囲気に呑まれて、はるらっしゅも皆と等しく、少しだけ破目を外して遊び惚けておりました。

GWという言い訳で暫く執筆から離れていたせいか全く書けなくなっていて、「これが俗に言うスランプなのか」と動揺が隠せません。

 

よって、今回はリハビリ回です。

【恋愛感情の話】というテーマで、久しぶりに記事を書いてみようと思います。

文章の質が落ちているかもしれませんが、感覚を思い出しながら一生懸命に書きますので、どうぞ酒の肴にでもして、楽しくご覧くださいませ。

 

 

深夜12時の鉄塔

巷では「運命の人は3人いる」なんてよく言うが、私の場合、うち2人は既婚者だった。

その2人は既に誰か分かっているし、ともにその話を抵抗なくするので、互いに認める運命の相手だったに違いない。(残り1人は、絶賛捜索中)

先日の手相占いで「結婚は35歳、その前に結婚してもバツが付くよ。」と断言されたはるらっしゅは、今はフリーを楽しむ時期と割り切り、頑張って毎日を生きております。

 

フリーを楽しむのだから、誰と何を楽しもうが私の勝手。

GWのメインイベントの一つは、その運命の相手の1人だったUくんとの花火大会だった。

その日は2人でお寿司を食べていて、何か楽しい事がしたいと私が言い出した。

その後「夜の海で花火をしよう!」と、まるで大学生の夏休みのような計画を立てた私達は、花火とチャッカマンを買い込み、暗い夜の海に向かって車を走らせた。

 

夜の海はさざ波の音が大きく、そして重たく周囲に響く。

風が強くて火花が散りまくる花火を、私ははしゃぎながら振り回して、彼はそれを目を細めて眺めていた。

今思えば、服に火花が飛んでいたら穴だらけになっていたと思う。

そんな花火を早々にやり切り、暗い砂浜を2人で歩いた。

彼は「気持ちが良い」と風を仰ぎながら、缶ビールを飲んでいた。

私はそれを見て、笑っていた。

 

「大学生の夏休みのようだ」と私は彼に話しかけ、潮風を浴びながら大きく伸びをした。

「俺もはるらっしゅと同じ大学に通っていれば、こんな風に楽しかったのかな」と言ってビールを飲む彼に「そしたら、私と一緒になったの?」と聞きたい衝動を抑えて「きっとそうだったかも」と答えた私は、ここが暗闇で良かったと心から思った。

 

私は聖人じゃない。

私にだって嫌なことがあるし、嫉妬だってする。

私は彼のパートナーの話が嫌いだ。

そして、もしも話が何よりも大嫌いだ。

叶わぬ夢に思いを馳せることほど、心を消費し侘しくなることはないから。

 

彼には幸せになってほしいと思うけど、彼の円満な家庭の話など聞きたくない。

そして、そんなことを考えている私の姿は絶対に見せたくない。

だから静かに深呼吸をして、ゆがんだ醜い顔を綺麗な笑顔に戻す。

私は笑って、わざと彼のパートナーの肩を持つ発言をする。

本当は「こっちにおいで」と言いたい口を塞ぎ、彼が私にもたれ掛かってこないように。

私の歯止めが利かなくならないように。

 

そんな事を考えたせいか、その日の夜、私はいつもより少しだけ素直でわがままになった。

彼を帰したくなくて、深夜だというのに車を走らせ続け、鉄塔のイルミネーションを観に行った。

 

その道中、彼は服から露出する私の鎖骨が綺麗だと言った。

その一言で、私は確信した。

私は彼が好きだが、彼とは一生寝てはならないと。

 

彼はいつも私を頻繁に褒めた。

それが嬉しくて、私も彼を頻繁に褒めた。

きっと私達は互いに対して、ある種の憧憬を抱いている。

でも、一度でも彼に触れたらそれは砂の城のように崩れ去り、そしてこの関係は終わる。

なんとなくいつも、そんな気がしていた。

 

彼の中の私は、どうかずっと綺麗でいてほしい。

人間らしい生臭さや感触など微塵も感じず、まるで無機質な人形のような存在で。

彼と一緒に見たこの鉄塔のイルミネーションのように、触れられないけど、ずっと綺麗で見ていたい、そんな存在でいてほしい。

 

車など全く走っていないのに律儀に点滅する信号に停められ、ため息をつく。

道路工事の明かりをぼんやりと見つめながらそんな事を考え、深夜1時過ぎの環状道路の光が少し滲んで見えた。

 

けだるい背中

背中がけだるいし、身体からいつもと違う甘いにおいがする。

寝ぐせで乱れた髪をかき上げて、彼がテーブルのリモコンの下に隠すように置いた一万円札を後目に、ため息とともにアフターピルを飲み込んだ。

 

長期休暇になると、学生時代の友人達が地元に帰ってくるので、私のGWの半分はいつも同級生との食事会で埋まる。

約10年ぶりに会ったYくんは、相変わらずの人懐っこい笑顔と言葉で私を笑わせてくれた。

言葉尻の癖や、優しい所作やにおい。あれから何年も経つのに何も変わらなくて、それが無性に嬉しくて、童心に帰ったように笑った。

 

きっかけは私。

何の気なしに見ていたSNSで彼を見つけ、懐かしくて連絡した。

それだけだった。

「今度会えたら良いね、連絡して」という社交辞令半分の願いを、彼は律儀に叶えてくれた。

そういうところが、昔から好きだった。

 

私はいつも、人に合わせて酒を飲む。

飲まない人と一緒に食事をする時は、一部例外はあるが、基本的に一滴も酒は飲まない。

一方で酒豪と食事をする時は、自分の飲むペースを落として、相手と同じ量を飲んでいるようにうまく演出する。

彼の場合は後者だった。

多少陽気になるとは言え、飲んでも飲んでも変わらない彼を見て、この後の展開など容易に想像できた。

 

私が憧れていた彼もまた、私と同じ人間だった。

彼はあの頃と何も変わらないのに、それにときめかなくなった私は、一体何が変わったのか。

彼に憧れていた頃の昔の私だったら、きっと喜んだであろうこの状況が、どうしてこんなに虚しいのか。

朝方「寒い」と言って布団に潜り込み、服の中に入ってくる手の感触を感じながら、小さくため息をついてそんな事を考えた。

 

私は最近、セックスが嫌いだ。

嫌いというより、けだるいのだ。

昔は興味があって色々試したが、この歳になると如何せん飽きる。

誰としたって誘い方から果て方まで、全部全部ワンパターン。

そんな事をしている暇があったら、睡眠時間を確保したいし、そんな退屈なセックスしか出来ない自分が心底嫌になる。

だからこそ、私はもう好意のある相手とじゃないと出来ないのかもしれない。

 

先日友人が「旦那は要らないけど、とりあえず子どもがほしい」と話し、それを笑いながら「分かる」と聞いていた私だが、あれは訂正する。

今の私は好きな人が欲しいのであって、仮初の旦那はおろか、子どもすら全く欲しくないのだと思う。

だって、最中私はずっと、アフターピルのストック場所を思い出そうとしていたのだから。

 

コップをシンクに置き、テーブルに近づいて、置かれた一万円札の意味を考える。

何も考えていなかったのか、昨日の飲み代として置いて行ったのか。

あるいは、私がそういう避妊をすることを見越しての薬代だったのか。

少しおいたが過ぎたなと反省しつつ、一万円札をつまみ上げた。

なんだか今のこの状態が少し滑稽で、彼も彼でやらかしたと思っているのだろうと想像するとそれもまたおかしくて、思わず「ふふっ」と笑いが漏れた。

それを静かに財布に閉まって、けだるい背中をほぐすために伸びをする。

けだるいのは背中なのか、それとも心か。

ため息をひとつついて、私はシャワーを浴びに浴室へ向かった。

 

好きになってくれる人を好きになれたら

告白を渋る人の背中を押す時に、いつも言うセリフがある。

「告白されて、嫌な気持ちになったことある?少なからず嬉しいじゃん。だから、迷惑になんてならないし、勇気を出して告白してみなよ。」

すまんが、あれは嘘だ。

私は、私が好きだと思えない人から告白されても心は動かないし、全く嬉しくない。

むしろ、どう断ったら後腐れがないか頭を抱える始末だ。

 

しかし一方で、明らかにタイプでない人でも言い寄られて、とりあえずで付き合ってみたら上手くいき、結婚にまで至ったカップルをいくつも見てきた。

そんな彼らの結婚報告のSNSを見て思う。

自分を好きになってくれる人を自動的に好きになれたら、どんなに楽か。

 

最近、めっきり恋愛が出来なくなった。

以前はあっという間に恋に落ち、あっという間に寝てたのに。

歳を重ねるごとに、どんどんときめかなくなって、人を好きになれなくなった。

 

こんな私でも良いと言ってくれ、付き合おうと提案してくれる人達は、一体私の何を見てそんな事を言うのか。

「私のどこを気に入ったの?」と聞くと、「優しい」「頭が良い」「育ちが良さそう」と取って付けたような言葉を並べて、まるで私が聖人のような口ぶりで内面を褒めてくれる。

でも、私が陰でこんな生活を送って、こんな事を頭の中で考えていると知ったら、果たして彼らはどう思うのだろうか。

 

時々、全部話してしまいたくなる。

男性が女性を好きになる時は一目惚れしかないというのに、何を取って付けたような、下手な口説き方をするのか。

私は優しくもないし、頭も良くないし、育ちも別に良くない。

人並みに遊ぶし、人並みに過ちだって起こす。

あなたの褒めるその私は、あなたの中で出来上がったイメージ像であって、結局私の事など何も見えていないじゃないか。と。

 

全部ばらして、彼らの表情が歪んでいく姿が見てみたい。

そんな衝動を腹に抱えながら、私はいつも願っている。

白馬の王子様じゃなくていいから、私の醜さを見て欲しいと思える、私が愛せるたった一人がいつか現れますように。と。

 

あとがき

執筆はスポーツと同じで、1日さぼると感覚を戻すまで3日はかかることを痛感しました。

書くこと自体がなんだか難しくて、GW前の自分が凄いなと思う、今日この頃です。

少しずつ感覚を取り戻せるように頑張りますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

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2ドルチップに惚れる《英語のお話》

こんにちは。

桜が散って一気に暖かくなったので、ようやく重い腰を上げてランニングを始めたはるらっしゅです。

健康診断まで残り2ヶ月、最低でも4㎏は体重を落としたく、毎日奮闘中です。

と言いながら、会社のお客さんから貰ったフルーツ大福を食べてこの記事を書く、今日この頃。

先行きが不安過ぎる…。

 

さて先日、新型コロナのニュースを観ていた際、海外でのマスク着用の緩和について報道がされていました。

少しずつ日常生活が戻りつつあるように感じ、とても嬉しかったです。

皆様は新型コロナが落ち着いたら、何をしたいですか?

私は真っ先にこう答えます。

「もう一回、ラスベガスに行きたい。」

 

今回のテーマは《もしも英語が使えたら》。

私が以前旅行した、アメリカ・ラスベガスの思い出話をざれ言チックに語ってみたいと思います。

どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

 

赤いドレスのサンタクロースとチャイナブルー

「ラスベガスのカジノにはドレスコードがあるから、綺麗なドレスを一着用意してね」と会社から指示された私は、背中がざっくり開いた赤いマーメイドドレスを意気揚々とトランクに詰め込んだ。

 

新型コロナが流行る前、私が勤める会社では年に一回表彰式があって、成績優秀者に海外旅行がプレゼントされていた。

私が過去にその賞を受賞した際、その旅行先がラスベガスだったわけだが、日程が12/22~26と、クリスマスシーズンのど真ん中。

こんなの、テンションが上がらないわけがない。

マライアキャリーのクリスマスソングを爆音で流しながら荷造りをする私を、母は「迷子になったりしないかしら」と不安げに見つめていた。(この不安は、のちに的中する。)

 

同じ賞を受賞した同僚たちと成田空港から飛び立ち、片道約14時間。

道中の国内線では、羽が錆び付いた飛行機にミニスカサンタのおばちゃんCA、しまいにはサンタ帽を被って飛行機を操縦するパイロットを見て命の危険を感じ震えたが、その心配は杞憂に終わった。

 

はじめてラスベガスに降り立った感想は一言「砂漠」に尽きた。

YouTubeやネットの世界で観た、あのキラキラ街はどこ?

え、私が乗っている車と並走しているあれは何?鹿?

砂漠では使えないであろう、ドレスを詰め込んだトランクを抱えて震えるはるらっしゅだったが、考えてみればそりゃそうだ。

ラスベガスは、近くにグランドキャニオンなどがあるような自然豊かな土地。

さすがにハイヒールでは広大な自然の中を歩けないと思い、現地でスニーカーを購入して、大地を駆け巡るはるらっしゅ。

とっても楽しかった。(同僚からは、はしゃぎ方が猿だと言われた。)

 

夕方からは宿泊先のホテルに向かうべく、ようやくあのキラキラ街に移動したわけだか、とにかくネオンが凄い。

夜に街中を走るのに車のライトが必要ないくらいの彩光で、そのネオンに負けないぐらいに私の目もギラギラと輝いたが、その5時間後に弊害を知る。

察しが良い方ならお気づきだろう。

そう、外が眩しすぎて眠れないのだ。

遮光カーテンを閉めても明るいって何?

遮光の概念とは?

私は幼少期から真っ暗闇でないと眠れない。

エアコンの電源ランプが付いてるだけでも気になって眠れないのに、日本でいう夕方4時くらいのこの明るさの中で、どうやって眠れと?

時差ぼけの影響か、隣でいびきをかいて寝ている同僚を後目にため息をついて、私は静かにトランクを開けた。

 

ラスベガスにある全てのホテルの1階は、カジノになっている。

「眠れないのにベッドに横になっていても仕方ない」と、冒頭に登場した赤いドレスを身に着け、小さなハンドバッグに10万円のキャッシュと煙草を忍ばせた私は、一人でカジノへ向かった。

 

現地時間で22時を回った1階のカジノは、様々な国籍の着飾った人で溢れかえっていた。

受付の黒服さんが丁寧にドアを開けてくれて見た、その煌びやかな光景が今でも忘れられない。

まるで舞踏会に来たシンデレラのような、そんなロマンチックな光景だった。

日本で背中の開いた赤いドレスなどまず着ないし、ピンヒールだって履かない。

非日常なその空間に気後れした私は、カジノの奥にあるカウンターバーでチャイナブルーを注文し、その光景をただ眺めていた。

 

チャイナブルーを飲み切る頃、綺麗なスーツを着た一人の長身男性が私に声をかけた。

名前はアンドリューで、30代の既婚者だった。

彼は私を中国人と勘違いしていたそうで、片言で「你好」と挨拶してきた。

それが無性におかしくて笑ってしまい、「おかしかったかな」と言う彼に「私は日本人です」と答えた。

彼は一瞬驚いた顔をしたが「綺麗な黒髪だったから、てっきり中国人かと思ったよ。」と笑った。

彼はラスベガスに観光に来たイギリス人で、私と同じく眠れずにこのカジノを徘徊している宿泊客だと言った後、「奥さんは部屋でぐっすり眠ってるけど」と苦笑した。

その後、意気投合した私達はそれぞれ10万円を使ってルーレットをした。

私の10万円は13万円になって返ってきたけど、アンドリューの10万円は7万円になってしまった。

私は落ち込んだが、彼は「君が勝ったから僕も嬉しいよ」と言って笑ってくれる、優しい人だった。

 

非日常な空間でお酒を飲むと、酔いの回りは各段に早まる。

その後テンションが爆発した私達は、カジノで残ったドル札を片手に、真っ赤なドレスとスーツ姿でホテルを抜け出した。

ネオン街を散歩し、ベラージオの噴水を観て、彼と色々な話をした。

 

私は、拙なくてゆっくりとした英語しか話せなかった。

その日ほど、もっと英語が話せればと悔やんだ日はなかった。

アンドリューは私の拙い言葉を理解しようと一生懸命に聞いてくれて、私はそれが嬉しくて、私達は夜通し話をしたのだった。

 

明け方、彼は私をホテルの自室に送り届けてくれた。

あえて連絡先は聞かなかった。

良い思い出として残しておきたかったから。

 

ここで終わればロマンチックなのに、これで終わらないのが私だ。

部屋に帰ると、同室の同僚が泣いていた。

「どうしたの!?」と駆け寄ると「はるらっしゅー!!」と抱き着かれた。

事態が読み込めない私は、「よかったー」と泣く同僚の背中を擦りながら、ベッドサイドに置いてある私のケータイのロックを外した。

着信67件。なにこれ。

戸惑いを隠せないまま、その着信履歴を見ていると、そこにまた着信。

震える指で通話ボタンを押すと、一緒に旅行に来ていた先輩から「お前!今どこだ!」と怒鳴られた。

「今は、部屋です」と答えると「そこにいろ!」と電話が切られ、その30秒後にインターフォンが鳴った。

 

開口一番に「ここは日本じゃないんだから、出かける時は誰かに声かけなきゃ心配するだろ、せめてケータイは持っていけ。」と大激怒な先輩たち。

「ほんとに心配したー、私が寝ちゃったせいではるらっしゅが行方不明になったかと思って」と泣いている同室の同僚。

彼女の背中を擦りながら、状況を整理した。

 

要はこういう事だ。

同僚が目を覚ますと、私は部屋から忽然と消え、ケータイは置きっぱなしで連絡も付かない。

待てど暮らせど、はるらっしゅは戻ってこない。

「いよいよまずい」と一緒に旅行に来ている先輩たちに相談すると、皆が心配して私を探してくれた。

 

今思えば、かなり申し訳ない事をした。

そりゃ、私も逆の立場だったら心配すると思う。

「皆さん、ご迷惑をおかけしました。」と頭を下げながら、彼が買ってくれたサンタクロースのキーホルダーを手の中に隠した。

皆が私を探してくれている中、イケメン既婚者とデートしていたなど、口が裂けても言えない。

この思い出は職場の人には内緒にしておこうと決めた、ラスベガス2日目の朝だった。

 

2ドルチップに惚れる

ラスベガス観光1日目にして行方不明になりかけた私は、その後、先輩たちの監視下に置かれ、不機嫌にオレンジジュースを啜っていた。

 

私の海外旅行最大の楽しみはいつも、一人で散歩をすることだった。

誰に気を使うわけでもなく、のんびりと街を見てウィンドウショッピングがしたいのだ。

そもそもなんで旅行なのに、会社の人と一緒に行動しないといけないの。(会社の金で来た旅行だからだよ。)

 

人は簡単には変われない。

25日のクリスマス、我慢の限界に達した私は「お散歩してきます」と部屋に書置きを残し、夕方の街に繰り出していった。

 

今回は赤いドレスではなく、スキニーパンツにスニーカーというラフな装いでお散歩。

途中、黒人のお兄ちゃんに声をかけられてコカ・コーラショップまでの道を案内してもらったり、おすすめのごはん屋さんを教えてもらった。

おすすめされたのが、【セクシー】という名前のお寿司屋さんだったのが何とも言えなかったけれど。

 

これは街をぶらりと散歩して、あるドラッグストアに入った時の出来事。

母や妹、友人に配るお土産を買うべく、コカ・コーラショップやM&M'Sショップに立ち寄ったが、全く良い品が見つからない。

自分の物ばかり買って軍資金が少なくなり、両手に紙袋を引っ提げて「どうしたものか」と立ち尽くす始末。

結局「ドラッグストアで手頃なマニキュアを大量に買って、配ればよろし」という結論に至って、ホテル近くのドラッグストアに立ち寄ったわけだが、レジで会計をする際に衝撃的な事実を知る。

 

2ドル足りない。

どう数え直しても、会計で2ドル足りないのだ。

財布に入っている金額が会計に足りないなど、恥ずかしい事この上ない。

静かにパニックになるはるらっしゅ。

一旦何か商品を抜こうとカゴの中身を物色している時、レジのお兄さんが自分の財布を取り出して、トレーの上に2ドルを置いた。

一瞬何が起こったか分からずにぽかんとした後、事態を察して「いいです!商品抜くので、大丈夫です!」と言うと、彼はにっこり笑ってこう言った。

「いいんだよ。少ないけど、僕から君へのチップだよ。」

 

一瞬にして惚れた。

人生において、ここまでときめいた記憶が、今も昔も多分ない。

私は「あああっあ、ありあ、ありがとう」と、動揺が隠せないどもり方でお礼を言い(しかも日本語)、それを聞いた彼は笑いながら、片言な日本語で「どういたしまして」と言った。

あまりにそれがかっこよくて、恥ずかしくて、私は逃げるように店を出たのであった。

※帰ったら、また先輩たちに「言葉も通じないのに、一人じゃ危ないんだってば。せめて誰か連れてってよ。どうして分かってくれないの?」と諭された。

 

もしも英語が使えたら

もしも英語が使えたら、私は今すぐラスベガス行きの飛行機に飛び乗って、彼が勤めていたドラッグストアにもう一度行きたい。

彼はもうあのお店にはいないだろうけど、それでも会いに行きたいと思うのだ。

 

現代はAI機能が進歩して、翻訳機能を搭載したツールが世にたくさん出回っている。

それらを使えば世界中の人と話ができるけど、私はやっぱり自分の頭で考えた表現で、言葉で、話がしたいと思う。

 

あれから何年も時が経ったけど、彼のことを忘れることが出来ない。

それは憧憬か、あるいは後悔か。

だから私は、もしも英語が使えたら「あの時は、チップをありがとう」と、あの時の彼にちゃんとお礼が言いたい。

 

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みんな誰かが羨ましい《焦りのお話》

こんにちは。

最近、花粉症に悩まされているはるらっしゅです。

薬は飲みましたが全く効かず、薬剤師が間違えて小麦粉を調剤したのではないかと戸惑いが隠せません。

今年の花粉は鼻水はあまり出ませんが、目がとにかくかゆくなります。

一旦目玉を取り出して、水道水で洗いたいです。(絶対にマネしないでね。)

目が真っ赤なので、どんなカラコンを入れても全く可愛くなりませんし、この状態で真顔でいると泣いたと勘違いされ、周囲から「何かあったか」と心配されます。

今日は「元気出せよ」と缶コーヒーをもらいました。CMのようなシチュエーションで目が点の私。

5月に入れば少しずつ落ち着くので、今は騙し騙し耐えようと思います。

 

さて、最近周りでは花粉症で死にかけている人だけでなく、転職する人が急激に増えました。そんな人達が慌ただしく退職準備をしているのをぼーっと眺めながら、この記事を書きます。

今回のテーマは【焦り】です。誰かの成功を耳にした時は、誰だって理由の分からない焦りや不安を抱えて胸がモヤモヤします。そんな時にこの記事を読んで、少しでも気持ちを落ち着かせるお手伝いが出来れば幸いです。

 

 

【人間】という言葉の意味

私達は 「人間 (にんげん) 」 と 「人 (ひと) 」 を、同じ意味で捉えがちです。

人間という言葉はもともとは漢語で【じんかん】と読み、個人を指す言葉ではなく【世の中】や【人同士のコミュニティ(人間関係)】などを指す言葉でした。

 

中学時代にこの話を聞いた時、私は「人という生き物は、人と人の間でしか生きられない存在であることを如実に表す言葉だな。」とガキんちょながらに思い、「こんな事を考える自分、哲学者チック。むふふ。」と己惚れていたことを思い出します。

 

焦りでメンタルが死んだ、ここ最近の出来事

とある週の火曜日、何年も連絡を取っていない大学時代の同級生から急にLINEが届きました。

少し不審に思って返信しないでいると、次々とLINEが送られてきて、聞いてもいない近況を次々と報告してくるのです。

彼は最近結婚したことやSNSのこと、転職したこと等を次々と報告してくれました。

私の文面を見て察してくださる方もいるかと思います。そう、私はとにかくそのLINEが不快でした。文面の所々に「俺すごいでしょ?褒めてくれ、賞賛してくれ」というエゴがにじみ出ていたからです。

「なんてデリカシーのない男だ」と不快感しかなかったため、途中からは「へー」「うん」「そか」の3パターンで話を回す私。

Googleで「LINE 返信 脈無し」で検索すれば真っ先に出てくるような、脈無し定型文の返信でもめげない彼。そのメンタルの強靭さはすごいと思った。

結局彼の自慢話はしばらく続き、彼は話したいことを散々話した後「今度飲もうな!いつでも誘ってくれ!」と言って去っていき、私の心にはモヤモヤだけが残りました。(あんなオナニー男、絶対に誘いたくない)

 

その週の水曜日。同僚とランチに出かけた時、「私、妊娠した!」と唐突に報告を受けました。それを聞いて、私の心には一気にどす黒い感情が渦巻いて、心が苦しくなりました。あの時、私は上手に笑っておめでとうと言えたのだろうか、と今でも不安になります。

 

その週の金曜日。「俺、転職することにした!」と、またもや同僚から唐突の報告。こんなことが続くと、いよいよ笑えなくなるはるらっしゅ。自然を装うことで精一杯です。

「ヨカッタネー」とあまりの棒読みっぷりに、相手に「え、ごめん大丈夫?何か気に障った?」と心配される始末。(上手に祝えなくてごめん。)

 

こんなことが連日で続き、さすがの私も落ち込みました。皆が結婚や出産や転職でおめでたい中、私は何もおめでたくないのです。

 

私は転職をしたことがないから、新卒からずっと同じ会社に勤めてる。

転勤の可能性があるから、ずっと持ち家を買えていない。

結婚の予定がないから、出産の予定もないし、何なら今は彼氏もいない。

 

皆が着実に人生を前に進めている中、私だけ何年も同じ場所に留まっているように感じて、この恐ろしい焦りと不安にただ狼狽えることしか出来ない自分の無力さに呆れます。

 

私はこのままでいいのだろうか。

皆と同じように転職して、結婚して、出産しなければ。

わからないけど何かを初めて、成功しなければ。

何かしなきゃ。何かしなきゃ。

 

私は何のために生きているのか、私は今後どんな人生を送るのか、考えれば考えるほど分からなくて、変な焦燥感ばかりが先走って、気持ちが空回り、自分が嫌いになっていたのが、直近一週間の出来事です。

 

私は私のままで良い

「はるらっしゅって、意外と周りと同じだってことに安心するタイプよね」

会社の先輩が串カツにむしゃぶりつく私を眺めながら、ビール片手にそう言いました。

「そりゃそうですよ、だって人と違うって欠陥品に見られそうで、嫌ですもん。」

私は油でベタベタになった口を拭きながらそう答えて、そして納得しました。私の焦りは周りから欠陥品として見られたくないという気持ちから生まれていたのだと気づいたからです。

 

しかし、それは私にとって本当に良い事なのか。

周りの目を気にして、したいのかも分からない転職や結婚や出産をして、果たして私はそれで本当に幸せになれるのか。

 

帰り際、私はビールの大ジョッキ6杯を飲み切って泥酔した先輩をタクシーに押し込み、駅に向かう途中でこう考えました。

 

結局周りの目を気にして周りと同化したとして、

転職しても暫くすれば"あの人と比べて私は‥"と不満が生まれて焦るだろう。

結婚しても"子供を産まなきゃ‥"と周りからのプレッシャーで焦るだろう。

子どもを産んだとしても"うちの子は周りと比べて‥"と劣等感で焦るだろう。

 

きっとこの焦りに終わりはないのだろう。そして、この焦りは私だけでなく、周りの皆も同じように抱えて生きているのだろう、と。

もし周りも私と同じように悩んで焦っているのだとすれば、自分の事で精一杯で他人の事など見ている暇もない。だとしたら、周りの目を気にするなど、ただの杞憂ではないか。

 

学生時代の成績が伸び悩んでいた受験期、深夜2時を回っても勉強を続ける私に「本当に成長していない時って、その場に留まり続けることも出来ないものよ。早く寝なさい。」と母がホットミルクを差し入れてくれたことがあります。

当時は母が何を言っているのか分かりませんでしたが、今ならなんとなくわかる気がします。

 

人生はランニングマシーンに似ていると、最近よく思うのです。

ランニングマシーンは、一定の速度で走り続けなければなりません。

人生も同じで、時間の流れや環境の変化という流れに適応しながら、私達はずっと同じ速度で走り続けているのではないかと時たま思うのです。

それってとても凄いことだし、立派なことだと思いませんか?

 

体力は人によってそれぞれです。頑張れるタイミングで速度を上げて走って(これが周りから見た成功や成長)、疲れたら速度を落として、それでも歩き続ける。

人生はこれの繰り返しです。「同じ所に留まっているように思えても、自分の足でちゃんと歩き続けている、人生はそういうものなのだ」と、当時の母は私に伝えたかったのかなと勝手に思っています。

 

今は停滞しているように思えますが、よくよく考えてみれば私だって去年と比べて出来ることが少しずつ増えているし、SNSをはじめとする趣味が増えました。

結婚や出産もまだしていないけど、でもそれはご縁の話だから焦ったところで出来るものではありません。

仕事だって新卒からずっと同じ会社だけど、同じ会社に勤め続けるのはとても大変なことで、それが出来ないから周りは転職しているのに、私は転職しなくて済んでるなら、それはある意味ラッキーな話です。

持ち家だって、本気を出せばいつでも買えるようにお金を貯めておけば良い。転勤だって、会社の金で安く他県に住めるなら、それだって人生の肥やしになる。嫌になったらいつだって辞めて帰ってこられる。

 

結局何事も考え方次第だなと、この記事を書いてて思います。

人が人である限り、誰にでも他人を妬む心は存在しますし、誰でも他人と比べて劣等感を抱き、そして焦ります。

しかし一方で、あなたを見て羨み、妬む人も絶対にいるのです。

人は、ないものねだりな生き物です。どんなに地位や名声や富を得たって、絶対に満足はしません。理想を追求し続けても、ゴールなどありません。

それであれば、微々たる自分の日々の成長に目を向けて、それをしっかり認めてあげる生活の方が、精神的により豊かになれるのではないか。

他人の期待や目など気にせず、自分を肯定して自分のために生きていこうと思えた時に、人はきっと本当に意味で自由で幸せな人生を歩みだせるのではないか、と思うのです。

 

横断歩道で行き交う車のライトをぼんやり眺めながら、「みんな誰かが羨ましいけど、私は私のままで良いのかも。」と、酒と花粉で視界が滲む中、ぼんやりとそんな事を考えた帰り道でした。

 

結局、私のメンタルを回復させるために書いたような記事になってしまいましたが、皆様の心の陰りも一緒に照らせれば良いなと願う、今日この頃です。

 

追記

先日帰省して、「転職しようか迷う」と母に相談した際、母はこう言いました。

「先の心配をしたってどうなるか分からないじゃない。人の心配は8割が杞憂なんだから。もし本当に転勤とかになってそれが嫌なら、その時は迷わず辞めて帰ってきなさい。うちはあんた一人くらい、全然養えるわよ。」

一気に悩みが吹き飛びました。母の言葉は本当に偉大です。

 

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鉄馬と深夜の学校《遊び心のお話》

こんにちは。

最近春の訪れとともに、食欲が止まらないはるらっしゅです。

先日同僚とランチに行った際は、中華料理を食べ過ぎて胃が痙攣し、午後は便器を抱えて泣く始末で、仕事になりませんでした。

これだけ読むと過食症かと思われそうですが、そうではございません。

ただ食べることが好きすぎて、いつも調子に乗ってしまうだけです。

私が大食らいだということは、職場では周知の事実ではございますが、だいぶ上記で恥を晒しましたので、これからは腹八文目を目安に自重しようと思います。

 

さて、私は食べることが大好きです。特にゲテモノを震えながら食べるのが好きです。

遊ぶことも大好きです。元来好奇心が旺盛なので、遊ぶ時は膝を擦りむくくらい全力で遊び、周りの子どもがたじろぎます。

年齢を重ねると保守的になるというのが世の通説ですが、どうやら私は通説と逆行した人間のようです。

 

本日のテーマは【遊び心】です。最近少しまじめな話題が多かったので、今回は番外編として、とことんふざけて遊び書きをしたいと思います。ぜひ笑ってご覧ください。

 

 

遊び心に従った結果の過去最大のやらかし談

好奇心は猫を殺すと言いますが、猫系女子も例外ではないようです。

私の過去最大のやらかし。それは何を隠そう、遊び心で忍び込んだ学校で守衛と警察に捕まったことです。

 

大学生の頃の出来事です。夏休みに入り、同級生が地元に帰省してくるタイミングで、仲の良い幼馴染の数名で酒を飲みました。

近所の居酒屋で酒を飲み、良い具合に出来上がったところで誰かがこう言いました。「学校に寄って帰ろうよ」

全ての悲劇はここから始まりました。

そもそも酒に慣れていない大学生が酒を飲むと、大抵が何かしらをやらかしますが、今回の場合、集まったメンバーも悪かった。

なんてったって小学生時代からの悪友です。顔を合わせただけで心が童心に返るというのに、そこに酒まで入ったのですから、頭からは常識や理性だけでなく、法律までぶっ飛びました。(当時を振り返る遠い目)

 

夜の学校というものは、独特な雰囲気を醸し出します。子どもの声があちこちで響き渡る日中の雰囲気とは違い、夜は全てが息を潜めているような不気味さを感じます。

私達が忍び込んだ母校に宿直の守衛がいるのは、皆知っていました。

しかし当時は夏。しかもまだ学校にはエアコンが完備されていない時代です。1階にある守衛室の窓も例外なく開いておりました。

私達は窓の下に隠れるように張り付き、守衛が部屋からいなくなるのを缶ビール片手に待ちました。そして、守衛が部屋を出た隙に、FBI顔負けの俊敏さで校内へ忍び込んだのです。

学校に忍び込んだ私達は保健室や理科室、教室やトイレをひそひそと声を殺しながら、まるでお化け屋敷の中を進むように探索を続けます。

当時とても大きく見えた教室の机は、今や私の膝の位置にあって、当時のなつかしさと時の流れを感じて目頭が熱くなる、泣き上戸な私達。

 

しかし、そんな平和な話はここで終わりです。

悲劇は図工室で起こりました。図工室で乾かしている子供たちの作品を眺めている時、こつ・・こつ・・と足音が聞こえてきたのです。

お化けにビビる歳ではございません。「守衛が来た」と瞬時に察した私達は、顔を見合わせたと同時に、猫のような速さと身のこなしで各々に隠れました。その時です。

 

カラーンッ!

 

誰かが缶ビールの空缶を落としました。

その音は闇に大きく反響し、私達の顔からは一気に血の気が引きました。

「誰だ!」守衛が大きく声をあげました。

 

その後、見事守衛に捕まった私達は問答無用で警察に通報され、学校には2台のパトカーがランプを点灯させて駐車する異例の事態。

そして守衛と警察にしこたま叱られた後、両親まで呼び出されるまさかの展開。

(夜中に呼び出されたというのに校長先生は爆笑していて、器の大きさを思い知った。先生って偉大。)

最終的には母親に「警察の世話になるなど、一家の恥だ」と号泣され、私も泣き出す始末。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った真夏の夜でした。(いや当たり前だよね。)

 

遊び心に従った結果の直近のやらかし談

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓ったはずでした、先週までは。

何を思ったのか深夜の学校にまた忍び込んだのが直近のやらかし談です。(2度目。)

しかし前回の学びをしっかり活かし、今回は警察を呼ばれないように校舎の中には入らず、校庭までで留まりました。そういうことじゃないだろうと言ったそこのあなた、お静かに。

 

教師の友人と夕食を食べた帰り道に「私の勤めてる学校この辺だよ~」と教えてくれたのが事のきっかけでした。

「え、見てみたい」「え?」「A子が勤めてる学校、見てみたい!」「いいけど、中は入れないから外だけね?」「うん!」

そんなこんなで私は、警察を呼ばれた大学生以来、約10年ぶりに夜の学校へ再び足を踏み入れたのでした。

 

今回は勤務している教師が隣におりますので、安心感が違います。近所で買ったスタバのコーヒーを片手に校庭をぐるぐると徘徊。うんていや鉄棒(前転をして脳震盪を起こしかける)、ブランコに乗りご機嫌の私。

 

しかし、悲劇は再び起こるのです。学ばない阿呆。

 

悲劇の現場は、鉄馬置き場でした。帰りがけテンションMAXの私は鉄馬を発見。

私は小学生時代、おそらく学校一鉄馬が得意でした。1メートル以上の高さの鉄馬すら悠々と乗りこなす私の異名は【鉄馬のおはる】。(嘘です)

 

異名の話は嘘ですが、鉄馬が得意だったのは事実です。

あまりのなつかしさに飛びついたのが、運の尽きでした。

小学生時代の私と今の決定的な違い。それは体格や体重もそうですが、何よりそう、ハイヒール。

ハイヒールを履いて鉄馬を乗るとどうなるか。結論申し上げると、転びます。

案の定転倒した私は30秒ほど痛みでうずくまり、その後テンションがだだ下がって大人しく帰宅しました。

子どもは転んでもすぐ立ち上がって動けるけど、大人はそうはいかないのよ。まじで痛すぎた。

 

二度と深夜の学校には忍び込まないと誓った春の夜でした。

 

遊び心は人を綺麗にする

「前回会った時よりも綺麗になったね」

これが、私が異性に言われて最も嬉しい言葉です。

 

私がある程度容姿に恵まれていることは、以前から知っていました。

こう言ってしまうとナルシストと毛嫌いされそうですが、私は幼少期から自分の顔の造形に不満を持ったことがなかったし、自分で言うのもあれですが、異性にモテました。(中途半端にモテるから、まだこの歳で結婚していないという悲しい現実。)

こんな調子なので、「可愛いね」「綺麗だね」「モテるでしょ?」という、この定番の誉め言葉は、私にとっては「こんにちは」と同義でした。

そして、そんな私が言われて唯一嬉しい言葉が「前回会った時より綺麗になった」という、私の日々の努力が実を結んでいると実感できるこの言葉でした。

 

日々綺麗でい続ける、もっと綺麗になるには何が必要がいつも考えています。

高い化粧品や服か、日々の生活習慣か。行きついた答えはそうではありませんでした。

綺麗でいるのに最も必要なこと、私の達した結論は【遊び心】でした。

 

いつもワクワクしてご機嫌でいること。

遊び心を持って新しい物事に挑戦してみること。

そういう人が結局はいつまでも美しいような気がします。

 

世間でアンチエイジングという概念が流行りだして久しく、ドラッグストアへ行けばその言葉があちこちのポップで目に入ります。

若さは美しい。これが、世間の共通認識です。

確かに若さは美しいです。しかし、ここで指す若さというのは、見た目の話だけではなくて精神的な事ではないかと私は思っています。

 

人は内面が大事だとよく言いますが、私は人は外見が全てだと思っています。

よく恋愛などにおいても「内面を評価してほしい」などと言う人を時たま見かけますが、私は理解が出来ません。

なぜなら、人の内面は外見に顕著に表れるからです。

例えば、すぼらな人間がスーツを着こなせるかと聞かれれば、それはほぼ不可能です。ネクタイの結び目やシャツのシワ、靴下、ハンカチなどにそのずぼらさが反映されるからです。

また、人に優しいことを長所としてアピールする人も多いですが、他者への思いやりや配慮をはじめとする優しさは、人間としての当たり前の最低限の礼儀であり、誇ることではないと思います。(性格が悪くてすみません。)

 

こういう持論を持っているからこそ、心の若さ(遊び心)は、絶対に美しさとなって外見に現れると私は信じていますし、若々しい遊び心は人を綺麗にすると思っています。

 

深夜の学校はもうこりごりですが、私は常に心躍る事に挑戦し続けたいと思います。

そして、何歳になっても遊び心は絶対に無くさず、ずっと綺麗でい続けたいと願う、今日この頃です。

 

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雛人形と冷めたコーヒー《結婚のお話》

こんにちは。

今月めでたく29歳を迎えるということで、先日実家に帰った際、母親に「頼むから結婚してくれ」と頭を下げられたはるらっしゅです。

結婚って親に頭下げられたところで出来るものなのか。

だとしたら、親の本気度が足りないんだぞと憤りが隠せません。

 

今回は【結婚】について語る回です。

はるらっしゅをはじめとする、独身アラサー女子からすると血反吐が出るようなテーマですが、これを読んで少しでも心が軽くなっていただければ幸いです。

 

 

はるらっしゅと親の結婚論争

思い返すと、私の両親は初動は早いが、後片付けが壊滅的に下手でした。

女の子が生まれた家では雛祭りに雛人形を飾る風習がありますが、こんな俗説をご存じでしょうか。

 

雛人形を早く片付けないと嫁に行き遅れる】

 

察しが良い方はお気づきでしょう。ええ、そうです。

私の両親は、毎年雛祭りになると「すぐ片付けると可哀そうだから」という謎の親切心を発揮して、なかなか雛人形を片付けませんでした。

毎年私と妹が「さすがに嫁に行けなくなる」と懇願して、4月下旬にダラダラと雛人形を片付ける有様。

どう考えても、私が嫁に行き遅れている原因はこれです。

やはり俗説とは言え、昔から語り継がれる話というものはある程度の信憑性があるということでしょうか。

こんな経験から、万一私が娘を産んだら、雛人形は雛祭り終了後当日に徹夜してでも片付けると心に誓っております。(まず子ども産む予定がないけれども。)

 

余談はさておき、私が28歳になってから両親は変わりました。

以前までは「彼氏いないの?」だったのが、いつからか「結婚しないの?」という聞き方に変わり、一切の遠慮が無くなりました。

やはり人間、歳を取ると心が弱るのか。

父は「早く結婚してくれ」と、私の顔を見るたびに拝みだす。

母は「結婚しないの?なんで?え、なんで?」と職場の上司の如く詰めだす。

それを見て私は白目を剥く。もう誰も幸せにならぬ惨劇です。

 

そして、そんな両親のマシンガン詰めを聞き流しながら、私はいつも思うのです。

なぜ私が結婚すれば、両親は安心するのか。

両親は私の幸せを「世間一般の人と同じ年齢で結婚すること」だと勘違いしているのではないか。

だから私は、両親に「子どもを欲しいと思ったことがない」とずっと打ち明けられないでいます。

 

先日立ち会った独身女性の井戸端会議について

SNSというものは、時に人の心を殺します。

この歳になると友人のインスタやフェイスブックには続々と結婚や出産の報告が並び、LINEのアカウント名も新しい名字に変わっていきます。

 

先日、彼氏に振られ「もう私絶対結婚できない、死ぬ」と夜中の4時半に泣きながら電話をしてきた大学時代の友人が、インスタに「妊娠しました、結婚します!」と投稿していたのを見た時は、こちらが死にそうになりました。

何だったの、あれ。

 

私の親しい友人で結婚していない女性は片手で数える程度になり、全員で集まって井戸端会議をした際は、「世の中の独身男性は、ヤリモクしか残っていないんじゃないか(全員男運が無い)」と世の男性への恨み節を3時間ほど吐き出した後、「私達は結婚しないでいよう、老後はルームシェアして孤独死を防ごう」という謎の同盟を発足する始末。

私は顔を引きつらせながら、冷たくなったコーヒーを啜っていました。

 

結婚しないのは悪なのか

私は周りと比べてキャリア志向が強めです。

結婚は私にとって「したい」ものではなく「しなければならない」義務であり、親のため、世間体のために形だけ籍を入れてもらえれば良い。

だから、子どもは自分のキャリアに邪魔になるから欲しいと思わない。

学生時代から私はずっとそう考えていましたし、正直今でもそれが本心です。

 

そもそも私は、収入が安定しているので衣食住は全て自分で賄えます。

性欲だって、必要な時に発散できる手段は腐るほどあります。

挙句の果てにBTSのジョングクにハマってしまったせいで、イケメン好きに拍車がかかり、「私、ジョングクと結婚したい」と本気で言いだし、最近まで世間一般の男性を恋愛対象として見れなくなっておりました。(KPOPは沼)

 

しかし30歳を目前に、一人でいると心細く感じる場面が多々あり、その寂しさを埋めるために、私は私を好いてくれる人とお付き合いをしてみようかなと、最近気持ちが少しだけ軟化してきました。

 

結婚しなくても幸せになれるこの時代で、結婚する理由というのは人それぞれです。

好き同士で結婚する人、妊娠したから結婚する人、世間体のために結婚する人、そして、一人で生きていくことに疲れてしまって結婚する人。

 

寝つけない深夜にたまに思います。

きっと私が結婚するとしたら、その時は私が相手を好く好かない関係なく、一人で生きるのに疲れた時なのかもしれない、と。

 

私は周りに「一人でも生きていけそうだ」とよく言われます。

でも、実際は皆同じ。皆、一人で生きていけます。

それでも結婚するのは、皆誰かに寄りかかりたいから。

人は強くないから、拠り所が必要。だから、結婚する。

自分が病気をしたときや老後の生活の保障、世間体のために結婚する。

でも、別に良いと思うのです。それだって、立派な結婚の理由ではないでしょうか。

 

こんなことを言うと、「そんなことない、私は相手が好きだから結婚した。」「結婚には愛情が一番必要だ。」と言う方もいるでしょう。

それはそれで素敵な考えですから、否定するつもりは毛頭ありません。

 

ただ、結婚しているから幸せだとか、結婚していないから売れ残りだとか、好きな人とじゃないと結婚してはいけないとか、そういう固定観念を圧しつけるのは、令和のこの時代ではナンセンスだと思うのです。

 

結婚は、自分の人生をより良くするための契約にすぎません。

結婚したって何をしたって、人は結局孤独です。

死ぬ時は誰だって一人なのですから。

そして、自分を幸せにできるのは結婚相手ではなく、自分です。

だから私は、結婚をすることで私の人生に少しでも諦めや制限がかかるとしたら、孤独を選びます。

私にとっての幸せは、私がなりたい私になることだからです。

 

私は30代前半のうちに、分譲マンションを買うことが絶対に叶えたい夢です。

他にもワードプレスでブログを開設したいし、児童館で子どもたちと遊ぶボランティアがしたい。そして、猫を飼いたい。

この記事を書くために自分の夢を棚卸して気づきました。私の夢の中で、結婚の優先順位は低いのだと。

周りから見たら孤独に見えるのかもしれませんが、これが私の幸せです。

(きっとこんな話を両親にしたら、両親は泣いて悲しむでしょうが、致し方ない。)

 

陳腐に聞こえるかもしれませんが、人の幸せは人の数だけ存在します。

結婚したい人は結婚すれば良いし、したくない人はしなくて良いのです。

自分の幸せを他人の価値観に重ね合わせる必要はありません。

自分の人生は他人の期待に応えるためにあるのではないのですから。

 

私の大切な独身の友人たちと、この記事を読んでくださった独身女性、独身男性の皆様が、周りからのプレッシャーでなく自分の幸せのために結婚できますように。

そして、既婚者も独身者もそれぞれ偏見なく、自分が自分らしい幸せを追求できる世の中になりますように。

そう願う、今日この頃です。

 

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